↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/26

第17話 兆し

淡雪の状態。それは想像よりも重かった。淡雪が抱える小さな過去が、また一つ明かされる。


 淡雪の状態は、かなり悪化していた。良助に連れられて通院している精神科で話を聞くと、主治医と良助に見つめられながらうなだれて、小さな声で淡雪が本音を語った。

「黙ってればバレんと思ってた。実家に居た頃は、ニコニコしてれば全部なあなあになってた。どっかおかしくても、精神科の薬を酒で飲んでても、何日も家に帰らんくても、なんでもない顔をしてれば全部流せてました。困ってようが苦しかろうが、俺に出来ることは働いて家にお金を入れることと、姪と甥と妹の世話をしながら家事をこなすこと。それ以外に俺が存在している意味はなくて、俺の体のことなんてどうでもいい。黙ってさえいればすべてが穏便に過ぎていく。やから今回も、ニコニコしてなんでもない顔してればバレんと思った」

どうして淡雪は、こんな境遇に身を置かなきゃならなかったのだろう。淡雪の話しを聞きながら、良助はそればかり思う。淡雪だけが、あの家で虐げられていたように思う。姉は淡雪が稼いだ金で好きなように過ごしていた。親がそれを咎めている様子も見受けられず、出ていくとなっても心配でなく恨み節ばかり。妹の姿は結局見ていない。

 なぜ淡雪だけが搾取され続ける環境になったのか。どうに考えても、その理由は良助にはわからなかった。


 帰宅後すぐ良助は園に電話を入れ、あらかたの事情を説明。電話に出たのは園の主任で、声色の雰囲気からしておばあちゃんに近い年齢なのが想像できた。とても穏やかそうな声の人だった。事情を説明すると、第一声に「四季先生、今は落ち着いていらっしゃいますか? こちらも気が付くことが出来ず、申し訳ございません」と、淡雪を心配する声をかけてもらった。いじめをするような感じには到底思えず、本当に前の園のトラウマが淡雪を苦しめているのだと思うと不憫でならない。


 淡雪の退職はスムーズに決まり、病院受診以降淡雪はそのまま家で療養することになった。良助が園に直接説明しに出向き、淡雪はその間家で留守番。絶対にどこにも行かないと淡雪と約束し、できるだけ早く帰る旨を伝えて、良助は家を出た。



 約束の時間。子どもたちは昼寝をしている、昼下がり。園に入ったらすぐに先生が駆け寄ってきて、淡雪の件で来園したと伝えるとすぐに来客室に通された。

 室内には主任と園長がいて、良助が頭を下げるとすぐに主任と延長も頭を下げた。静寂と緊張が漂う来客室。席に座るよう促され、良助がソファに腰かける。向かい側のソファに、園長と主任が腰を下ろした。


 良助の電話があった当日、職員会議で職員同士のいじめの有無を確認。そう言った事実はなかったことを、園側で共有したらしい。淡雪もいじめはなかったと話しており、いじめの確認はすぐに終わった。淡雪の仕事ぶりは非常によく、子どもたちからの人気も高かったこと。以前勤めていた園で障害児保育に従事していたことを淡雪が話しており、それを証明するようになんらかの躓きのある子の保育は目を見張るものがあったこと。

「もし四季先生の精神状態が安定して保育の世界に戻ってくることを考えているなら、ぜひうちの園に復職していただきたいと思っています」

園長も主任も、淡雪の実力を買っていた。居なくなるにはあまりに惜しい。保育の道に戻ってくるなら、ここに戻ってきてほしいと思える人材だった。園長や主任のまっすぐな視線。嘘偽りがない気持ちが、良助の中に浸透していく。

「ありがとうございます。伝えられる状況になったら、本人に伝えます」

淡雪の実力を評価してくれる人が、この園にいる。良助はそれが嬉しくてならなかった。




 退職後の淡雪の状態は、非常に不安定だった。

 調子がよさそうな日もあれば、家に帰ったら泣き腫らしていた日もある。なにも食べられず、暗いリビングの真ん中にポツンと座っている日も、少なくなかった。料理は作れど、量が食べられない。暗い表情が続き、不意に涙があふれる。

 淡雪に元気になってほしい気持ちは、良助の中にもちろんある。でも今は、元気になってなんて思えない。どうか涙が引きますように。明るい部屋で当たり前に過ごせるようになりますようにと願いつつ、一緒に居る時間、抱きしめて頭をなでて声をかけて、自分が持てる愛情を惜しげもなく注ぐ。それだけに注力した。


 夏になり、部屋にエアコンを入れっぱなしにしないと危ない時期になった。仕事に行く前、良助は毎日淡雪の同じ話をする。

「絶対エアコン切っちゃだめだからね! 死んじゃうんだから! 絶対だよ!!」

念押ししないと、淡雪はエアコンを切ってしまう。

「大げさやって。死んだりせんよ」

淡雪は苦く笑っているが、笑い事じゃない。家に帰ったときエアコンが入ってなくて、淡雪は窓を開けて熱風を浴びていたのを見たとき、正直ゾッとした。死にに行っているようにしか思えない。

「いーいやそんなことない! 淡雪はもっと大事にされるべきなんだよ! 俺は淡雪をこれでもかと大事にしたい。あと50年一緒に居て、じいさんになっても毎日一緒に暮らしたいんだから! エアコンは絶対つけっぱなしにして! わかった?!」

かなりの勢いで良助から言われてしまい、ちょっとたじたじになりながらも淡雪はクスリと笑みをこぼした。

 その笑顔は、久しく見なかった素の笑顔。それを見て、良助は嬉しくて嬉しくて。情けない笑顔になっていると自覚はあれど、かっこいい顔なんてできない。そのまま淡雪を抱きしめた。

「どしたん?」

嬉しそうな顔をしながら良助が抱きしめてきて、それが淡雪は嬉しい。なにか嬉しかったんだろうなとわかる。麻痺した心が、少しだけ動いた気がした。

「抱きしめさせろー!」

「わかったわかった、わー! 痛いって!」

遠のいていた笑顔が、2人の元に戻ってきた瞬間だった。


 これを機に、淡雪に小さな笑顔が戻り始めた。

 近所のおじいちゃんから野菜をもらったとか、散歩してたら虫を見つけた、花が咲いてたとか。話題は生活の中のなんでもないものばかり。

 淡雪はいつも一眼レフを持って散歩に出ていて、見つけたものをたくさん写真に収めて帰宅。その日撮った写真を、風呂上りに良助に見てもらうのが淡雪の楽しみになった。


 淡雪が撮る写真は、どれもキラキラ輝いている。光の加減をうまく使っているのだろうけど、それだけじゃ説明がつかないような鮮やかさに良助は心惹かれる。どうやったらこんなにきれいな写真が撮れるのだろうか。同じものをみて、同じように写真を撮っても、こんな風には撮れない。


 空を飛ぶトンボ。

 背高くなってきた田んぼの苗が風になびいて波を作る瞬間。

 野菜の世話をする、ご近所のおじいちゃん。

 朝露を蓄えた、家主不在のクモの巣。


 数えきれない写真すべてが、宝石のように見える。

「淡雪が撮る写真は、世界のきれいな部分を切り取ってるのかもしれないね」

ソファに腰かけて一眼レフの液晶を眺めながら、良助はつぶやく。

「そんな大げさな」

そう言いながらも、淡雪はすごくうれしそうに微笑んでいる。この顔が見たかったし、ずっとこうやって笑っててほしい。

「また写真コンクールに出してみればいいよ。絶対才能がある!」

「良助さん、最近俺のこと褒めすぎやない?」

「いーやそんなことない! 淡雪は才能がある!」

「嬉しいけど恥ずかしいな」


 小さく小さく、前進して。小さな小さな幸せを手のひらに集める。

 なのにどうしてだろう。

 絶望に落ちるのは、あまりに一瞬。それでいて闇は深く、前も後ろも分からなくなってしまう。


小さな幸せを集める。簡単なようで難しいことを見つけて、大事に手の中に収める。幸せはこんなにも小さくて砂の様に散らばっているのに。どうして不幸は大岩のように降りかかってくるのだろうか。



評価などいただけると嬉しいです。

活動報告に解説や裏話みたいなものを少し書いてます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。