第10話 猫の実家
園に退職の意向を伝えた淡雪。園はその旨を淡雪の実家に連絡したことで、淡雪のスマホに連絡が入った。電話の向こうで怒鳴る淡雪の母。思わぬ形で、良助は淡雪の実家に挨拶に行くことになる。
職場に園長が出始めて、今までボロクソに言われていた文句や、こすりつけられていた濡れ衣が、嘘のようになくなった。子どもはすごく素直で、お局に「なんで全然怒らないの?」と笑顔で聞いていたし、主任には「寒いからお部屋にいていいよ」ととんでもない声をかけてしまう。
普段の様子が園長のもろバレしてしまい、主任とお局はすっかり静かになった。
そして迎えた12月。よく晴れた日曜日。
今日、良助は淡雪の実家に出向く。
11月の終わり、淡雪のスマホにようやく親から電話が入った。
園から淡雪が退職する旨を電話で伝えられたらしい。どういうことなんだと、結構な剣幕で母親が電話をかけてきて、その怒鳴り声がスマホ越しに駄々洩れ。夜、もう寝ようかといい始めた、23時過ぎのことである。
母親の「どういうつもりなんや!」という第一声の怒声が受話器越しに鳴り響き、淡雪は「うわ」っと小さな声を上げてすぐにスマホを耳から離した。
「あんた! 勝手に仕事辞めるって言ったらしいな! どうするん、次の仕事! 家にお金入らんやったら、お母さんもお姉ちゃんたちも困るやろ! 路頭に迷わす気なんか!!」
スマホから距離を取っても聞こえてくるほどの怒鳴り声。淡雪は怯えてないかと、良助は隣に座る淡雪を盗み見る。
「はぁー、うっせ」
ぜんぜん怯えてなかったし、うんざりした顔で小言をつぶやいていた。
――職場への退職報告はあんなに怯えてたのに、親は怖くないのか
淡雪が怯えたり困っている顔は、今までさんざん見てきた。だからだろう。うざったそうにうんざりしている今の表情が、良助にとってはものすごく新鮮に感じられる。
「12月までは働くけん、その間に母さんと姉ちゃんが就活したらよくね?」
淡雪が男に見える。いや、男なんだけども。ヤンキーとまではいかないにしても、真面目で気弱な男の子には見えない。呆れかえり、悪態をつく。
電話の向こうの母親は、淡雪が今片膝を立てて座って、音もなく大あくびをしているなんて知る由もない。
「お母さんもお姉ちゃんたちも長く働いてないんやから、そんないきなり働けるわけないやろ! 早く帰ってきて就職先決めなさい! また友達んとこフラフラ泊まり歩いて、情けない!」
力任せに怒鳴りつけ、淡雪がどこでなにを過ごしていたか確認はなし。
「いきなり働けんのやったら、内職でもしたらいいやん。それに友達んとこに泊まっとるんやない。彼氏と暮らしとる」
当たり前みたいに淡雪がえらく普通に言ってのけ、良助の方がびっくり。そんな簡単に彼氏の家に居るって話してもいいのかと、驚きついでに焦りも湧く。
「はあぁああ?! あんたホモやったん? 気色悪っ! じゃあ鬱病は嘘か?! どっから嘘なんや!」
淡雪の声を正面から聞かない上に、嘘つき呼ばわり。凄い親もいたものだ。
「ホモでいいし気色悪くていいんけど、なんも嘘なんかついてない。鬱やし仕事は来月で辞める。ついでに来月末、彼氏と一緒に本州に引っ越すから実家も出る」
母親のことはあまり相手にしていないようで、淡雪はあっさり今後の話しもしてしまった。
「実家を出る……?! なに考えてるん? 絶対その意味わからん男に騙されてるやん。あんたなんか養ったってなんの得もないんやし、さっさと実家に帰っておいで。お母さんはあんたを心配してるんよ」
「何か月も帰らんでも連絡してこんやったわけやし、母さんと姉ちゃんは俺が稼ぐお金に用があるんやろ。悪いけど仕事は辞めるし実家にも戻らん。今度帰って、荷物持って出ていく。搾り取られるだけの生活はしんどいし、稼いだ金全額渡すのが家族やないやろ。いいカモになってあげたんやから、もう自由にさせてもらう」
ゆるぎない淡雪の声。彼氏と一緒に住んでる。彼氏と一緒に本州に引っ越す。この2つが良助の脳にしっかりと浸透する。自分は本気で淡雪が好きだと思ってる。そして淡雪も、自分についてきてくれるとはっきり言ってくれた。これで充分すぎるほど勇気が湧く。
「いい加減にしなさい! その彼氏とかを連れて来て一回話しをさせなさい!」
「いい加減にしろはこっちのセリフや。わかった、んたら彼氏連れて一旦帰る。話しが終わったら、そのまま荷物まとめて出ていく。じゃ」
ぶつん。あっさり通話終了。淡雪はすぐにスマホの電源を落とす。
「ごめん、いきなり実家連れて行くことになってしまった。あの通りヤバイんけど大丈夫?」
相当なくせ者の予感がするが、そんなこと言ってられないじゃないか。彼氏と親御さんにはっきり淡雪が言ったからには、良助の気合の入り方が違う。
「任せなさい!」
バーン! と胸を張っているので、不安は残るものの同行してくれるようなので淡雪は少し安心した。
実家に向かう当日。淡雪の荷物をまとめる為、大きめの紙袋をいくつか鞄に入れて家を出た。観光地なので、バスが頻繁に通っていて非常に便利。バス内も空いていたため、後ろから2番目の席に2人並んで腰かけた。
「引っ越し業者とかに依頼して荷物を家から出すだろうから、もう一回ご実家に行かなきゃだね」
どれくらい荷物があるか想像できないが、今日持ち出せるものは持って出たい。私物がある方が、淡雪も精神的に落ち着くだろう。
「そんなに荷物ないから、今日で持ち出しは終わる。部屋持ってないし、机とかタンスとかもない」
学習机やタンスなんて、用意してもらえなかった。もちろん自室もない。姉が当たり前に持っているものを、淡雪はなに一つ持っておらず。
「そ、それで生活できてたの?」
そんな理不尽なと思うも、良助は疑問を持つ他ない。
「暮らすだけならなんとでもなる。車だけは持っていきたい。名義も俺やから。駐車場、本当に使わせてもらっていいん?」
社宅には、一部屋につき一台分の駐車スペースがついている。良助は実家に車を置いてきているため、社宅の駐車スペースは空き。そこに淡雪の車を置く。
「いいよ。車のローンとかどうなってる?」
「夜のバイトで貯めたお金で買った中古車なんよ。一括で買ったからローンはない」
聞けば聞くほど、淡雪の生活にはどうにも無理が付きまとっていたように思えてならない。切なすぎて胸が引き締まって、たまらなくなる。
その気持ちに任せて淡雪の肩を自分の方に抱き寄せると、なんだ? って顔をしたものの嬉しそうにニコニコしていた。
バスに揺られて実家近くまで到着し、歩いて四季家に向かう。季節は冬。たまに吹く風は冷たい。
「一応姉ちゃんに連絡入れて、両親は家におる状態になってるらしい。クソみたいなこと言うと思うけど、気にせんで全部聞き流して、頃合い見て荷物まとめて帰ろ」
淡雪の中で、既に実家は帰る場所ではないらしい。"帰ろ"という単語に、良助の心が少しだけふわっとした。
家は住宅街の中に建つ、ごく一般的な一軒家。小さな白の軽自動車が一台、駐車スペースに置いてある。あれが淡雪の車なのだろう。
気合を入れるぞと意気込む良助。それをまるで気にせず、淡雪はさっさと引き戸を開けた。
「ただいま」
ガラガラと音を立てて引き戸を開けて家の中に淡雪が声を飛ばすと、子どもが3人走ってきた。
「どこ行ってたん?」
元気な男の子。おそらく甥。3歳くらいだろう。その両隣には、一回り小さい女の子がいる。おそらく姪。
「荷物取りに戻ってきた」
子どもを見つめる淡雪はにこやかで、それを見ると子どもが好きなのがよくわかる。
家の中に入ると、仏壇がある広い和室に入った。そこに横長のテーブルが出ていて、淡雪の両親がドンと座っている。顎先で座れと促され、テーブルを挟んで淡雪と良助が畳の上に並んで正座で座った。
「は、初めまして、橘良助と申します」
焦りながら良助が頭を下げる。一瞬見た感じだと、淡雪は両親と似ている感じではない。誰に似てるんだろう、どう会話を広げよう、なにを話せばいいんだろうと、いろんなことが一気に脳裏を駆け巡る。
「淡雪」
父親の祭が淡雪に声をかけた。
「はい」
淡雪の声は、特に緊張している感じではない。普段通りの声色だった。
「そいつがお前をたぶらかしたホモか。いいおっさんに騙されたわけか」
初対面の良助に対し、挨拶をすることもなく、名乗った名前を呼ぶわけでもなく。良助を"そいつ"呼びした。
「たぶらかされたんやない。好きになった相手が良助さんやった。それだけの話。男やから好きとか女やから嫌いとか、そんなもんはない。この人が俺を騙しても、俺から奪えるもんはないやろ。保育園で働いた金は一円も持ってないし、姉ちゃんたちみたいにブランド品なんかも持ってない。命以外、差し出せるものなんかない状態や」
きっぱりと迷いなく、淡雪は良助への感情を両親に伝える。決して声を荒げず、感情をあらわにせず。淡々と、事実だけを述べた。
一応の話し合いはしたが、全然話し合いにはならなかった。
「精神的に病んだアピールをしたかと思えば、今度はホモになるんか。はー、わからん。親困らして楽しいか?」
鼻をほじって罵声を浴びせる父親。
「俺がおらんくなって困るんは、姉ちゃんと母さんやね。家事と育児を丸投げにしとったから、俺がおらんなって焦ったんやない? もう今日でここ出ていくから、家事と育児は覚えないかんね」
父親の隣に座る母親は、今にも泣きそうな顔をしていた。
「こんな親不孝な息子に育てた覚えはない。その男に騙されたから淡雪は変わってしまったんよ。子どもが好きで、うちのお手伝いもようしてくれてたから、お母さんもお姉ちゃんも頼りにしてたんに。裏切られた気分で悲しいわ」
まるで悲劇のヒロイン気取りで話をしている母親。
「1月から俺の給与が入らんくなるから、今まで好き放題使ってた毎月20万円の小遣いがなくなると思うと悲しいわな。仕事だけやなくて、この家のお手伝いさんも卒業する。車とカメラと服は持って出る」
全然淡雪がなびく様子はない。用件を伝え、立ち上がる。良助も淡雪と一緒に立ち上がった。
「そいつについて行って捨てられても、もううちには帰ってこれんと思えよ」
父親の恨み節が、良助に刺さる。捨てるわけがないじゃないかと言い返そうとしたが、淡雪の言葉の方が早かった。
「もし捨てられたら、俺の見る目がなかったって事やな。捨てるような人と一緒になるような、馬鹿な真似はせんよ」
淡雪はにっこり父親に微笑み、二階に足を向けた。良助も淡雪の後に続く。
淡雪の衣類は、二階の廊下の片隅に畳まれず丸まった状態で投げ捨てられていた。この家での淡雪の扱いが、そこの凝縮しているかのように見えて、良助は内心ゾッとする。
丸まった服を畳んで紙袋に入れ、小さな物置部屋の隅にある一番小さいサイズの衣装ケースを一階に持って降りる。帰りは車なので、多少荷物が多くなっても構わない。と、良助は思っていた。
「あとはカメラだけ」
大きな紙袋1つ分の衣類と、小さな衣装ケースひとつ。たったこれだけしか、淡雪が持ち出す物はない。
「ほ、他にない? アルバムとか、スーツとか!」
焦る良助を見て、淡雪は小首をかしげる。
「ないよ? 卒アルは買ってもらってないし、スーツもフリマで売られたし」
当たり前のようにそう答え、家に居た長女の秋輝から一眼レフカメラが淡雪に手渡された。淡雪の返答に対し、良助は声が出なかった。
姉たちの恨み節もたんまり聞かされ、それに反論することなく、淡雪は荷物を車に乗せて良助を連れて車に乗る。
「捨てられて帰ってくるんが目に見えるわ。そんときは笑って門前払いにするから」
小ばかにしたように、車に乗った淡雪にそう吐き捨てた。窓越しでも聞こえる大きな声で、意地悪な微笑みつきのそれに、今まで黙っていた良助の我慢も限界。
「窓開けて」
淡雪に声をかけ、運転席側の姉たちがいる窓を開けさせる。良助の怒った顔を見て、姉たちの表情が曇った。
「必ず。世界一幸せにします」
助手席からたった一言そういって、良助は身を乗り出して窓を閉め、淡雪は車を出した。
家に帰って荷物を下ろし、夜になって淡雪は40度の高熱を出した。
おそらく相当気を張っていたのだろう。
熱は2日間下がらず、淡雪は寝込んでうなされ続けた。
実家で毅然とした態度を貫くも、帰宅後淡雪は高熱を出した。
これから迎える年末。保育士としての仕事をやり切る任務が待っている。
評価などいただけると嬉しいです。
活動報告に解説や裏話みたいなものを少し書いてます。




