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濡れ衣令嬢と竜姫  作者: 白保仁
四章

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二十七話

 沈黙を破ったのは、ジークフリートだった。

 わずかに目を細め、イリスを見据える。


「……ずいぶんと都合のいいタイミングだな」


 イリスは少しも怯まず、広間の中央まで進み出た。

 そこで軽くスカートの裾を摘み、いつものように柔らかな笑みを浮かべる。


「遅くなってしまって申し訳ありません。少し寄り道をしておりましたので」


 その軽さが、かえって場の緊張を際立たせた。

 エーヴェルトが書類から顔を上げる。


「イリス・ラヴァン。あなたは現在、帝国間者であると疑われている身です。まず確認しますが、自らの意思でここへ来たのですね?」


「ええ。アデルお嬢様との約束がありましたから」


 ざわり、と広間が揺れた。

 エーヴェルトは細い目をさらに細める。


「では、率直に伺いましょう。あなたは帝国側の人間なのですか?」


 その問いに、イリスは少しだけ考える素振りを見せた。

 それから、曖昧な笑みを浮かべる。


「……そうですね。帝国側と繋がっていた、と言うべきでしょうか」


「そして、アデル嬢の話によれば、その帝国側を裏切り、新薬を渡した」


「はい。王国軍は、それで救われたと聞いています」


「なぜ、そのような心変わりを?」


 イリスは頬に指を当て、わざとらしく首を傾げた。


「うーん、気まぐれですよ。奪われるばかりだった私の人生で、アデルお嬢様は数少ない、与えてくれた側の人間でしたから。……それに、頭まで下げてくれましたし」


 その言葉に、再び空気が揺れた。

 エーヴェルトは感情を表に出さぬまま、問いを重ねる。


「気まぐれ、ですか。ですが、あなたは今後、王国法で裁かれることになる。その覚悟はあるのですか?」


「ええ。罪は償うと決めましたから」


 そのとき、ジークフリートが苛立たしげに口を挟んだ。


「彼女が戻ってこようとこまいと、アデルの罪は変わらないだろう。ここはアデルを裁く場だ」


 エーヴェルトが、わずかに困ったような顔をする。


「ですが、イリス・ラヴァン本人がこうして現れた以上、少なくとも現時点でアデル嬢を急いで断ずる理由は薄くなったかと」


 その言葉を聞いたイリスが、ふっと意地悪く笑った。


「そうです、ジークフリート殿下。せっかく戻ってきたのですから、敵対の意思がない証くらい見せましょうか」


 その声音に、広間はすっと静まり返る。


「王国内の内通者について、ここで告発します」


 エーヴェルトが低い声で問う。


「……内通者? 誰のことです?」


 イリスはくすりと笑った。


「面白いことに、この場にいる人間ですよ」


 その言葉に、広間の者たちが一斉に顔を見合わせた。

 そしてイリスは、ゆっくりと腕を上げる。


「レオノーラ・グレイソン」


 はっきりと、その名を呼んだ。


「あなたが内通者です」


※※※


 レオノーラの顔から、さっと血の気が引いた。


 けれど、それもほんの一瞬だった。

 次の瞬間には、怯えた令嬢の顔へ戻っている。


「……な、何をおっしゃっているの? 私が、内通者……?」


 かすれた声だった。

 肩を震わせ、信じられないものを見るようにイリスを見返す。


 ジークフリートが即座に立ち上がった。


「戯言も大概にしろ」


 その声音には、先ほどまでの余裕がなかった。

 だが、イリスはそんな彼を見ても少しも怯まない。


「戯言かどうかは、これから分かるでしょう」


 エーヴェルトが机を指先で軽く叩いた。


「静粛に。……イリス・ラヴァン、その発言には相応の根拠があるのですね?」


「もちろんです」


 イリスはにこりと笑う。


「根拠もないのに、こんな場でグレイソン侯爵令嬢を名指しになんてしませんよ」


 レオノーラの呼吸が、目に見えて浅くなった。


「グレイソン家は王都に別宅を持っていますが、そのうちの一つが帝国側の隠れ家として使われています」


 レオノーラが、はっと息を呑む。

 エーヴェルトの視線が鋭くなった。


「場所は?」


 イリスは即答した。


「南西区画、旧市壁沿いの石造りの屋敷です。登記上の名義は別人ですが、実質はグレイソン家の管理下にあります」


 文官の一人が慌てて書き留める。

 ジークフリートが苛立たしげに言い捨てた。


「そんなもの、いくらでもでっち上げられる」


「すでに公爵家の者が捜査に向かっています。匿われている帝国側の人間も、ほどなく捕まるでしょう」


 イリスは意地悪げな笑みでレオノーラを見やる。

 レオノーラの指先がぴくりと動いた。


「もうすぐすれば、いくらでも証拠は出てきますよ、殿下」


 ジークフリートが机を叩いた。


「いい加減にしろ! レオノーラがそんなことをするわけあるまい! こんな奴のことを信じられるか!」


「こんな奴? ひどいことを言いますね」


 イリスは首を傾げた。


「私たち、まるで無関係というわけでもありませんよね? 殿下がレオノーラ様殺害未遂の証拠捏造を、私に依頼したのでしょう? アデルお嬢様を陥れるために」


 広間の空気が、ぴたりと凍りついた。

 エーヴェルトが目を細める。


「イリス・ラヴァン。それは、ジークフリート殿下もこの件に関わっていたという意味ですか?」


「そこまでは知りません」


 イリスは肩をすくめる。


「知っていて協力したのか、誰かに吹き込まれて動いただけなのか。そこまでは私にも分からない。でも、私に話を持ちかけたのが殿下だったのは事実です」


 その言葉に、広間のあちこちで息を呑む音がした。


 レオノーラが、ふるふると首を振る。


「ち、違う……そんなの、全部嘘です……!」


「嘘かどうかは、すぐ分かりますよ」


 イリスは涼しい顔で言った。


「さっき申し上げた通り、例の屋敷に公爵家の者が向かっています。そろそろ捕まえているころかもしれません」


 テオパルトがすぐさま文官へ目配せする。

 文官は深く一礼し、足早に広間を出ていった。


 それを見て、ジークフリートの顔があからさまに険しくなった。


「宰相閣下。まさか、この女の言葉をそのまま信じると?」


「信じるかどうかは、調べてから決めることです」


 テオパルトの声音は静かだった。


「少なくとも今は、看過できぬ証言が出た」


 ジークフリートは歯噛みし、レオノーラを振り返る。


「レオノーラ。君は違うと言えばいい」


 その声音には、励ましと焦りが入り混じっていた。

 だが、レオノーラはすぐには答えられない。


 びくり、と肩を震わせる。


「私は……」


 かすれた声が漏れる。

 だが、その先が続かない。


 沈黙が重く落ちた。


 そのときだった。


 ジークフリートがバルクの腰の剣を奪い、机を飛び越えた。


 あまりに突然のことに、誰もすぐには動けなかった。

 振りかぶられた刃は、まっすぐイリスへ向かう。


 イリスは茫然として、身動きができない。


 アデルは考えるより先に身体が動いていた。

 ジークフリートとイリスの間へ割り込み、咄嗟に魔力を練り上げる。


 硬い音が響いた。


 間一髪だった。

 アデルの手には咄嗟に氷の剣が生まれ、ジークフリートの刃をかろうじて受け止めていた。


「内通者をかばうのか、アデル」


 ジークフリートが、恨みのこもった目で睨みつける。


「殿下。内通者だからといって、この場で殺していいわけではありません」


 アデルは息を乱しながらも言い返した。


「それに、彼女のことは守ると約束したのです」


 その言葉を聞いた途端、ジークフリートの目にさらに怒りが宿る。


「守る? 守るだと?」


 声がひび割れた。


「いつまでも忌々しい奴だ。僕だって、レオノーラを守らなければならない!」


 ジークフリートはなおも剣を振るってきた。

 だが、アデルの氷の剣ではまともに打ち合えない。刃は徐々に削れ、いつ砕けてもおかしくなかった。


 正面から受けず、刃を滑らせるようにして、どうにか受け流す。


 そこへ割って入った影があった。


 コンラートだ。


「ふん」


 怪我を負っているはずなのに、すさまじい威圧感だった。

 次の一撃を、コンラートの剣が正面から弾き飛ばす。


 ジークフリートの剣が高く跳ねた。


「どいつもこいつも……僕をなめやがって……!」


 ジークフリートがさらに殴りかかろうとする。

 だが、コンラートはそれすら受け止めた。


「仮にも相手は第一王子。黙っていようと思ったが……」


 コンラートの声は低く、冷え切っていた。


「娘にあれだけの傷を負わせておきながら、まだ足りんか。このクソガキが」


 次の瞬間、コンラートの拳がジークフリートの頬を打ち抜いた。


 鈍い音とともに、ジークフリートの身体が吹き飛ぶ。

 床を滑って止まったその姿に、広間の誰もすぐには声を出せなかった。


 コンラートはゆっくりとエーヴェルトを見た。


「……何か問題でもありましたかな?」


 エーヴェルトはしばし無言だったが、やがて短く息を吐いた。


「いえ。結果的には、殿下を止めていただいた形になります」


 そう言って、視線をジークフリートとレオノーラへ向ける。


「ジークフリート殿下とレオノーラ嬢は、ひとまず拘束するべきでしょう。テオパルト殿、それでよろしいですか?」


「ああ、それでいい」


 テオパルトは即答した。


「陛下には、私から説明しておく」


 近衛兵たちがようやく我に返り、慌ただしく動き出す。

 文官たちのざわめきも、今度こそ抑えきれなかった。


 騒然とした空気の中、アデルはただ立ち尽くしていた。

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