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「神の手」を持つトリマーは、伝説の魔獣(もふもふ)と気ままな旅をする  作者: 藍城 優
第3章 店は持ちません、旅に出るんです

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82. 王都市場の買い出しと、秘伝の香辛料




「……腕が、上がらない……」


 翌朝。キャンピングカー『銀の箱舟』のベッドで目を覚ました俺は、両腕を襲う強烈な筋肉痛に顔をしかめた。

 原因は明確だ。昨晩、人化したクオンに一晩中、それこそ夜明け近くまで肩と背中を揉まされ続けたからである。


「(……ふふん。どうしたレンジ、随分と情けない声を出して)」


 俺の胸の上には、いつもの狐の姿に戻ったクオンが、ふさふさの尻尾を揺らしながら香箱座りをしていた。

 その黄金の毛並みは、昨晩の念入りな手入れ(とマッサージ)のおかげで、信じられないほどツヤツヤと輝いている。心なしか、ドヤ顔に見えるのは気のせいだろうか。


「誰のせいだと思ってるんだよ……。というか、お前絶対わざと重く乗ってるだろ」


「(……さあな。我は腹が減ったぞ。早く朝餉あさげの支度をせよ)」


 すっかり機嫌を直した(というか最高潮に達している)クオンを退かし、俺は重い体を引きずってキッチンへ向かった。

 ルナやポムたちも次々と起きてきて、「ごはんー!」と可愛い合唱を始めている。


「はいはい、今すぐ作るからな。えーっと、昨日の残りの肉が……って、あれ?」


 俺は魔法鞄マジック・バッグの中を確認して、文字通り絶句した。

 ……ない。

 数日分はストックしておいたはずの、大量のオーク肉やボア肉が、見事にすっからかんなのだ。


『おい小僧! 遅いぞ! 昨晩の夜食で腹の虫は完全に起きておるのだ!』


 足元で、邪神ポメラニアンのコスモがバンバンと床を叩く。

 さらに、昨晩からそのまま車内に泊まっていったイケオジ執事姿のヴォルガラが、優雅に紅茶を啜りながら(いつの間に淹れたんだ)口を開いた。


「うむ。レンジ殿の飯は格別だからな。我もつい、昨晩は少しばかり食べ過ぎてしまったかもしれん」


「少しばかりの量じゃねぇだろ! お前ら、どんだけ食ったんだよ!」


 古代竜と邪神の食欲を完全に舐めていた。

 このままでは、今日の昼飯すら危うい。俺は頭を抱えながら宣言した。


「……予定変更だ。朝飯を軽く済ませたら、全員で王都の市場に買い出しに行くぞ」


 ◇


 王都最大の『中央市場』は、朝から凄まじい活気に満ちていた。

 一昨日の邪神(現在俺の足元をトコトコ歩いているポメラニアン)の襲撃によって、市場の周辺はまだ瓦礫の撤去すら完全に終わっていないというのに、王都の商人たちは逞しく仮設のテントや屋台を並べて商売を再開している。

 ひび割れた石畳の通りには無数の店舗がひしめき合い、売り子の威勢のいい声と、香辛料や焼けた肉の匂いが入り混じっていた。


「おおー、さすが王都。迷宮都市の商人より逞しいな」


 市場は人が多くて歩きにくいため、エメ、シャボン、ポム、そしてコスモの四匹には、ルナの影の中に潜って移動してもらうことにした。

 おかげで俺の陣形は、肩にクオン、頭の上にルナというシンプルなものに収まっている。

 そして俺の斜め後ろには、燕尾服をビシッと着こなした長身の紳士――ヴォルガラが、涼しい顔で控えていた。


「あらやだ、あちらの紳士……すっごく素敵ね」

「どこの貴族の執事様かしら。それに、あのテイマーの子が連れてる魔獣、どれも可愛すぎるわ……!」


 すれ違う奥様方や街の娘たちが、熱狂的な視線を送ってくる。

 まあ、イケオジと極上もふもふの組み合わせは、破壊力が高すぎるよな。


「レンジ殿、まずは何から買うのだ?」


「とりあえず肉だな。お前とコスモの腹を満たすためには、相当な量が必要だからな」


 俺たちは精肉店が並ぶ区画へ向かい、そこでひときわ質の良さそうな『オークの霜降り肉』と『ビッグボアの骨付き肉』を大量に買い込んだ。

 ヴォルガラは「我がお持ちしよう」と、数百キロはある巨大な肉の塊が入った麻袋を、片手でひょいと持ち上げてしまった。執事服でそれをやると、なんだかシュールだ。


「よし、肉は確保した。……次は調味料だ」


「調味料、とな?」


 ヴォルガラが不思議そうに首を傾げる。

 大量の肉をただ塩で焼くだけでも美味いだろうが、せっかくなら俺の「故郷の味」で食わせてやりたい。地球の『焼肉のタレ』があれば、無限に肉が食えるからな。


「最高のタレを作るために、いくつか素材を探したいんだ」


 俺たちは市場を巡り、地球の食材に近いものを探し求めた。

 醤油の代わりには、小魚を発酵させたコクのある『魚醤ぎょしょうの原液』。

 甘味ととろみをつけるため、リンゴによく似た甘い果実『蜜香林みつかりん』。

 そして、ツンと鼻に抜ける香辛草の根と、魔力を帯びた強力なニンニク『オーガ・ガーリック』を仕入れた。


「よし、これで大体揃ったな。……あとは基本の塩と、胡椒こしょうか」


 岩塩はすぐに見つかり、安価で大量に手に入った。

 しかし、胡椒を求めて香辛料の専門店に入り、店主に在庫を尋ねると、鼻で笑われてしまった。


「お客さん、胡椒ってのは昔からゴールドと同じ重さで取引される超高級品なんだ。あんたみたいな平民が気軽に買える代物じゃないよ」


「いいから、あるなら見せてくれ」


「……ふん。驚いて腰を抜かすなよ」


 店主は奥から厳重に鍵の掛かった木樽を仰々しく運び出してきた。


「こちらの樽一つ、およそ五キロで大金貨五枚だ。どうだい、手が出ないだろう?」


 大金貨五枚。日本円に換算すれば、ざっと五千万円という途方もない金額だ。

 そう言われて魔法鞄を探ってみたが、あいにく大金貨は持ち合わせていなかった。

 仕方なく、俺は懐から白金貨を一枚取り出し、ポンとカウンターに置いた。


「悪い、細かいのがなくてな。釣りはとっておいてくれ」


「は……? はく、白金貨……っ!?」


 店主は一瞬息を呑み、カウンターに置かれた白金貨を食い入るように見つめた。

 そして次に顔を上げた時――彼の人を小馬鹿にしたような薄笑いは完全に消え失せ、凄腕の商人が『本物の客』を見る鋭い目つきに変わっていた。


「……客を身なりで判断するとは、俺も商人としてまだまだ三流だったな。失礼した、旦那」


 口調に過剰なへりくだりはない。だが、その声と態度には、先ほどまでとは違う明らかな敬意と緊張感が混じっていた。


「非礼の詫びとして、これを持っていってくれ」


 そう言って店主が奥から慎重に取り出してきたのは、年代物の小さな木箱だった。


「うちの店に代々伝わる『秘伝の香辛料』だ。どんな肉も極上の旨味に変わる幻のスパイス……これなら、白金貨の釣りの足しにはなるはずだ」


「へえ、そいつは助かる。ありがたくもらっておくよ」


 店主の真剣な表情から小瓶を受け取り、俺は店を後にした。

 一億円を出して買った胡椒に、おまけの秘伝スパイスか。まあ、使い道のなかった白金貨で美味い肉が食えるようになるなら、出した意味は十分にあったな。


 ◇


 昼時。

 『銀の箱舟』に戻った俺は、車のサイドにオーニング(日よけ)を広げ、大型の魔導コンロを設置して青空キッチンを展開した。ルナの影から出てきたチビたちも、芝生の上でくつろいでいる。


「よし、まずはタレ作りからだ」


 オーガ・ガーリックと香辛草の根、そして蜜香林をすりおろす。

 それを鍋に入れ、魚醤の原液と少しの酒、そして砂糖の代わりになる甘い樹液を加えて煮詰めていく。


 グツグツと鍋が煮え立つにつれ、周囲の空気が一変した。

 焦げた醤油のような香ばしさと、果実の甘み、そして食欲を強烈に刺激するニンニクの匂いが漂う。


『な、なんだこの匂いは……!? 嗅いだだけで、口の中によだれが……!』


「ニャアアアア!(おなかすいたー!)」


 タレの匂いだけで、コスモやルナたちがソワソワと俺の足元を回り始める。

 ヴォルガラに至っては、片眼鏡モノクルの奥の目をカッと見開き、鼻腔をヒクヒクとさせていた。


「(……レンジ。早く焼け。我はもう限界だ)」


 肩に乗ったクオンも、尻尾で俺の頬をバシバシと叩いて急かしてくる。


「分かった、今焼くから待ってろ」


 俺は分厚く切った『オークの霜降り肉』と豪快な『ビッグボアの骨付き肉』の両方に、岩塩と一億円分の超高級胡椒、そして詫びでもらった『秘伝の香辛料』をたっぷりと振りかけた。

 そして熱した極厚の鉄板に、肉を並べる。


 ジュワアアアアアッ!!


 食欲をそそる最高の音と共に、脂が弾ける。

 ピリッとした胡椒の香りと、秘伝の香辛料から立ち上る得体の知れない濃厚な風味が、さらに胃袋を刺激してきた。

 表面がこんがりと焼け、肉汁が滴り落ちる絶妙なタイミングで肉を引き上げ、完成したばかりの『特製・異世界版 焼肉のタレ』にたっぷりと潜らせた。


「ほら、食っていいぞ」


 大皿に肉を山積みにした瞬間、激しい争奪戦が始まった。


「う、うむおおおおおっ!? なんだこの複雑で濃厚な味は! タレの美味さもさることながら、肉の中から爆発するような旨味が……っ!」


 執事の姿のまま、ヴォルガラが信じられないスピードで肉を口に放り込んでいく。

 どうやら店主の言っていた『秘伝の香辛料』の旨味と、胡椒のスパイシーな風味が、甘辛いタレと究極の相乗効果を生んでいるらしい。


『美味い! 我、この黒い汁大好き! 無限に食えるぞ!』


 コスモも顔をタレまみれにしながら、ビッグボアの骨付き肉に齧り付いている。

 ルナたちも「んにゃむ!」「きゅう!」と幸せそうな声を上げ、野菜好きのポムですら、タレを絡めた焼き野菜を夢中で頬張っていた。


「(……レンジ。我の分は?)」


「はいはい、一番いいところな」


 俺はオークの霜降りで一番柔らかい部位を丁寧に焼き、タレをくぐらせてから、フーフーと冷まして子狐姿のクオンの口元に運んだ。

 クオンは「あーん」と上品にそれを咥え、ゆっくりと咀嚼する。


「(……美味い。レンジの飯は、世界一だな)」


 満足そうに目を細め、鼻を鳴らしたクオンだったが、ふと何かを思いついたようにピクリと耳を動かすと、ぽんっ、という軽い音と共に光に包まれた。


「えっ、お前、なんで急に……」


 光が収まると、そこには昨晩と同じ艶やかな和装を着崩した、絶世の美女の姿があった。

 周りを見ると、ヴォルガラもチビたちもタレ肉の魔力に完全に取り憑かれており、俺たちには一切見向きもしていない。

 クオンは唇を微かに開いて、俺の顔をじっと見つめてきた。


「(……もう一口、寄越せ。次は、この姿で食わせよ)」


「いや、別に狐のままでも味は変わらないだろ」


「(ほら、早くせぬか。……あーん、だ)」


 悪戯っぽく、それでいて蠱惑的に笑いながら催促してくるクオンに溜め息をつきつつ、俺は新しく焼けた極上の肉をその艷やかな唇へと運んだ。

 クオンはパクリとそれを咥え、今度は女の顔で妖艶に微笑んだ。

 昨晩の独占欲むき出しの態度から一転して甘えてきているようだが、わざわざ人化して食べさせてもらうあたり、どうやらまだ昨日からの「甘えん坊モード」を引きずっているらしい。本当に、感情の起伏が激しくて手のかかる相棒だ。


「たくさんあるから、どんどん食えよ」


 俺は少し熱くなった顔を誤魔化すように笑いながら、次々と肉を鉄板に乗せていった。


 ――しかし、小一時間後。


「……嘘だろ」


 俺は空になったタレの鍋と、肉の包み紙を見て呆然としていた。

 市場で仕入れた、数日分は持つはずだった数百キロの肉が……たった一回の昼食で、完全に消滅していたのだ。


「(ふぅ……。良い食いっぷりであったな)」


「うむ。あのタレというものは恐ろしいな。いくらでも胃袋に吸い込まれてしまう」


 人化を解いたクオンと、すっかり満腹で腹をさすりながらお茶を飲むヴォルガラ。

 他のチビたちも、お腹をポンポンに膨らませて日陰で昼寝を始めている。


「……これ、明日また買い出しに行かないとダメじゃん」


 筋肉痛の腕をさすりながら、俺は深いため息をついた。

 でもまあ、家族全員がこれだけ美味そうに腹一杯食べてくれるなら、悪い気はしない。

 賑やかすぎる俺の非日常は、今日も平和に過ぎていくのだった。

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