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「神の手」を持つトリマーは、伝説の魔獣(もふもふ)と気ままな旅をする  作者: 藍城 優
第3章 店は持ちません、旅に出るんです

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81. 賑やかすぎる夜と、天狐の不機嫌




「……ふぃ〜っ、疲れたぁぁぁ……」


 セリアを王都の公爵邸まで無事に送り届け、路地裏に停めた『銀の箱舟』に戻るなり、俺はダイネットのソファへ顔面からダイブした。

 適度な弾力のクッションに埋まると、泥のように力が抜けていく。


 本当に、長い二日間だった。

 王都到着早々の邪神騒動、フェニックスの換毛期、夜景デート、そして今日のケーキデートと貴族対応。

 ただでさえ少ない俺のHPは、限りなくゼロに近い。


『おい小僧、飯! あのカフェの菓子だけでは足りん!』


 俺に続いて車内に入ってきた小型犬サイズの邪神・コスモが、短い前足でエサ皿をバンバンと叩いている。

 すると、それに呼応するように、一緒に帰ってきた家族たちも一斉に可愛い鳴き声を上げた。


「ニャ〜ン!(おにくー!)」

「みぃ〜!(ごはんー!)」

「キュウ〜!(くだものー!)」

「みゅ〜!(ごはんー!)」


 俺の肩や足元から飛び降りたルナ、ポム、エメ、そしてシャボンが、期待に満ちた瞳で俺を取り囲む。

 カフェでケーキは振る舞われたものの、育ち盛りの魔獣たち(と邪神)にとって、あれはあくまで「おやつ」。

 夕飯は別腹、ということらしい。


「はいはい。みんなお腹空いたよな。……ちょっと待ってろ」


 俺は重い体を起こし、キッチンへ向かった。

 手際よくそれぞれの好物を用意していく。

 ルナとコスモには上質な魚と肉を。ポムには食べやすくカットした野菜と果物を。エメとシャボンにも、特製のフードと果物を用意する。


「ほら、おあがり」


 俺が皿を並べると、小さな獣たちが一斉に群がった。


「んにゃむ!」「ハグハグ!」「みぃみぃ!」「キュウキュウ!」「みゅんみゅん!」


 車内に幸せな咀嚼音が響き渡る。

 新入りのコスモも、すっかりポムやルナたちに混ざってガツガツと皿を空にしている。

 ……もっとも、この平和な光景が続いているのも、こいつの安眠を妨げたブレスの犯人がヴォルガラだとバレていないからこそだ。

 万が一バレれば、再び大喧嘩が勃発するのは間違いない。その事実は、絶対に墓場まで持っていかなければならない。


『――レンジ殿、我も腹が減ったぞ』


 その時、頭の中に響く重厚な声と共に、入り口のドアが控えめにノックされた。

 俺がロックを解除すると、ドアが開き、燕尾服を着こなしたナイスミドルな紳士――人化した古代竜ヴォルガラが姿を現した。

 身長190センチの長身に、白髪混じりの青い髪をオールバックにし、片眼鏡モノクルをかけたその姿は、相変わらず映画に出てくる「最強の執事」のようだ。


「おお、ヴォルガラか。お疲れさん。わざわざ外で警備してもらって悪かったな」


 彼も人化できるため、本来ならカフェに同行することも可能だった。

 だが今回は、相手が重要人物である公爵令嬢ということもあり、『万が一の事態に備え、上空から周囲を警戒する』と、自ら警護役を買って出てくれていたのだ。


「構わん。あの程度の警備、造作もないことだ。……それより、随分と美味そうな匂いだな」


 ヴォルガラは渋いバリトンボイスで言いながら、ダイネットの椅子に腰を下ろした。

 俺は彼のために、大皿に山盛りにした骨付き肉と野菜のグリルをドンと置いた。


「うむ! レンジ殿の肉はいつ食っても美味い!」


 見た目は英国紳士なのに、食べっぷりは豪快なドラゴンのままだ。

 ヴォルガラも加わり、車内は文字通り「家族団欒」の賑やかな食事風景となった。


「……はぁ、やれやれ」


 俺は手のかかる、けれど愛すべき家族たちの世話を終え、再びソファに沈み込んだ。

 こんな時こそ、一番の相棒の癒やしが必要だ。


 俺は視線を部屋の隅に向けた。

 そこには、いつもなら「やれやれ、騒がしい奴らだ」と呆れつつも構ってくれるはずの相棒が、なぜかこの賑やかな輪にも入らず、俺に背を向けて丸まっていた。

 デート中、ずっと俺の肩に乗っていたはずの彼女は、帰宅するなり無言で定位置のクッションへ移動してしまったのだ。


「……クオン? 飯はいらないのか?」


「(……いらぬ)」


 返ってきたのは、素っ気ない念話。

 黄金こがね色に輝く豊かな尻尾が、パタン、と不機嫌そうにシートを叩いている。


「あれ、機嫌悪い?」


 俺は不思議に思いながら、彼女の隣に座り込んだ。

 癒やしを求めて、その神々しい金色の背中に手を伸ばす。


「なぁ、今日くらい甘えさせてくれよ。貴族の相手やら何やらで、疲れ切ってるんだ」


「(……触るな)」


 ピシャリ、と拒絶された。

 クオンはスッと身をかわし、少し離れた座席へと移動してしまう。

 その黄金おうごんの瞳はどこか冷ややかで、それでいて何かを訴えるように潤んで見えた。


「(レンジからは、あの娘の甘ったるい匂いがする。……鼻が曲がりそうだ)」


「え? あー、香水か……」


 自分の服の匂いを嗅ぐと、確かに高級な花の香りが微かに残っている。

 カフェを出る際、感極まったセリアが腕に抱き着いてきた時についたものだろう。


「(……ふん。随分と楽しそうであったな。昨日は夜景を見て、今日はあーん、とやらをして。あのプードルとやらにも、随分と熱心に触れていたではないか。今度は古代竜と邪神とチビたちか? ……レンジは随分と多忙なことだな。他所よそにかまけて、最近我の手入れがおろそかになっていることにも気づかぬほどに)」


 クオンは顔をそっぽに向けたまま、ボソボソと文句を並べる。

 ルナやポム、ヴォルガラたちが楽しそうに食事をしている分、クオンの孤立感と不機嫌さが際立っていた。


「そりゃあ、あれは付き合いだし、プードルは成り行きで……ヴォルガラやルナたちは大事な仲間だろ?」


「(……そうか。ならば、我など放っておいて、その賑やかな『仲間』たちと夢の中で続きを楽しめばよかろう)」


 そう言って、クオンは尻尾で自分の顔を隠してしまった。

 完全にねている。

 普段は落ち着いた「みかど」のようなクオンが、こんな風に子供っぽくなるのは珍しい。


(……もしかして、構ってやれなかったから寂しかったのか?)


 デート中、クオンはずっと肩の上で黙っていた。

 それに加えて、今もルナやポム、ヴォルガラたちの世話ばかり焼いていたから、退屈だったのかもしれない。

 いや、それ以上に――俺が最近、忙しさにかまけて彼女の自慢の毛並みをしっかりと手入れしてやれていなかったことを、怒っているのだろう。


「悪かったよ、クオン。機嫌直してくれ」


 俺は洗面台で手と顔を洗い、着替えて匂いを落としてから、再びクオンの元へ戻った。

 そして、隠された顔を覗き込むようにして、愛用の『聖銀のコーム』を取り出す。

 魔力を通しやすく、静電気の一切起きない、トリマーにとって最高級の逸品だ。


「お詫びに、スペシャルマッサージ付きのコーミングをするからさ。……念入りにな」


 ようやくこちらを向いたクオンを膝の上に乗せ、手入れを開始する。

 シャッ、シャッ、と心地よい音が響き、金色の毛並みが光を受けて眩い輝きを取り戻していく。


「ここか? 耳の後ろも凝ってるな……」


 俺は指先で首筋のツボを押し、丁寧に銀の櫛を通し続けた。

 クオンは「(……くぅ……)」と鼻を鳴らし、完全に俺の膝の上で脱力している。

 普段の凛とした「帝」としての威厳はどこへやら、今はただの甘えん坊な子狐だ。


 だが、十分、二十分と最高の手入れを続けても、クオンのどこか落ち着かない様子は消えなかった。

 コーミング自体は完璧なはずだ。なのに、彼女の九本の尻尾はせわしなく揺れ、何かを求めるように俺の腕に絡みついてくる。


『(……おかしい。手入れは心地よい。レンジの手も、いつも通りだ。……なのに、なぜだ)』


 クオンは目を細めながら、自分の内側に湧き上がる奇妙な「乾き」に戸惑っていた。

 あの娘がレンジに触れていた時の光景が、鼻に残るわずかな香水の匂いが、どうしようもなく癪に障る。

 毛をいてもらっても、一番近くにいても、まだ足りない。

 もっと直接的に、もっと「自分だけのもの」だと確信できる何かが欲しくてたまらなくなる。


「よし、クオン。これでサラサラだ。満足したか?」


 俺が手を止め、彼女の頭をポンと叩く。

 その瞬間、ふわりと車内の空気が変わった。

 鼻をつく料理の匂いに混じって、脳髄を痺れさせるような高貴な伽羅きゃらの香りが漂ってくる。


「……ッ!?」


 一瞬で、膝の上に乗っていた温かい重みが消えた。

 代わりに、隣に腰を下ろしたのは――狐ではない。

 黄金の光を糸にして織り込んだ長い髪と、内側から発光しているかのように透き通った白い肌。


「ク、クオン……!? お前、なんで今その姿に……!」


 そこにいたのは、胸元が大胆にはだけた、薄紅色の浴衣を緩く着崩したクオンだった。

 かつて東の国で『帝』と呼ばれていた頃の威厳と、妖艶さが入り混じった和装姿。

 彼女は少し頬を染めながらも、妖艶に唇の端を吊り上げて俺を見つめていた。

 その切れ長の金色の瞳は、いつになく熱を帯び、何かを射抜くように俺を見据えている。


「(……毛梳けずきはもうよい。次は、我の肩を揉め)」


 鈴を転がすような艶のある声が、直接鼓膜を震わせた。


「はぁ!? いや、手入れでおしまいだろ! 今の姿じゃ、ただのマッサージじゃねーか!」


「(他所にかまけて我を放置した罰だと言ったであろう)」


 そこでクオンはふと視線を逸らし、最後の一言だけは、吐息に紛れるような微かな声で呟いた。


「(……それに、毛皮越しでは、レンジの熱が遠いのだ)」


「……え? なんか言ったか?」


 レンジが聞き返した瞬間、クオンはしなやかな動きで俺の正面に回り込むと、ぐい、と身を乗り出してきた。

 浴衣の合わせ目からこぼれ落ちそうな、豊かな双丘の谷間が目に飛び込んできて、俺の理性が悲鳴を上げる。


「(さっさとせぬか。……それとも何か? あのプードルにはあれほど熱心に触れておいて、まさか我の肌には触れられぬとでも言うつもりか?)」


 クオンは俺の動揺を見透かすように、挑発的な笑みを浮かべた。

 その瞳の奥には、「まさか否とは言わせぬぞ」という帝としての絶対的な圧と、ほんのわずかな嫉妬の炎が揺らめいている。


「ち、ちげーよ! ……あーもう、分かった! 分かったから座れ!」


 その挑発に乗せられ、俺は真っ赤な顔で抗議しながらも、彼女に背を向けさせて薄い浴衣ごしに肩に手を置いた。

 指先に伝わる、驚くほど滑らかで、それでいて確かな弾力のある感触。

 狐の姿の時とは違う、女性としての柔らかな体温がダイレクトに伝わってくる。


「(……ん……。そこだ、レンジ。もっと強く……)」


 クオンは心地よさそうに声を漏らし、俺の胸元に自分の背中を、ほんの少しだけ預けてきた。

 まるで、自分の特等席を主張するように。


『(……ふん。ようやく、いつもの近さになったな)』


 クオンは自分でも気づかぬうちに、心の中で安堵の息を吐いていた。

 自分の肌にレンジの手が直接触れている今だけは、あの得体の知れないモヤモヤが嘘のように消えていく。


『(……これだ。この場所だけは、誰にも譲るつもりはないからな)』


 それが「独占欲」だとは、彼女はまだ認めない。

 ただ、自分の髪に、肌に、レンジの意識がすべて注がれているこの瞬間が、何よりも彼女を満足させていた。


「(ふふ……。心地よいぞ。……今夜は、我の気が済むまで続けさせてやろう)」


「いや、俺の腕が死ぬから! 勘弁してくれよ!」


 賑やかな食事を終えて寝静まったルナたちの横で、俺たちの押し問答は夜遅くまで続くのだった。

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