第十章『破壊の天使』 - Ⅸ
「――なッ、これは……っ、あ、ぁ……ッ!?」
本能的にまずいと直感した僕は衣服の裾で口の周りを覆ったが、両手に武器を装備したクレインはそれも叶わない。物理的な攻撃でない以上、ファロトの盾でも防げない。霧を吸い込んでしまったクレインは槍を支えに何とか体勢を維持するが、その場に片膝をついてしまう。一体何をされたのか、それすらも分かっていない様子で、クレインはアミナを睨む。それは無論、僕も同じだ。
光と霧を発し続けるヒドラを肩に担ぎつつクレインを見下すアミナ。ブーツを鳴らしつつゆっくりと彼女に近づくと、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「驚いたか? ヴァリアヴル・ウェポンの秘匿された力。アタシのヒドラはこれだ。最後の最後だから、丁寧に説明してやる」
息苦しそうに短く呼吸を続けるクレインとは対照的だ。アミナはヒドラをコンクリートの床へと突き立てる。ヴァリアヴル・ウェポンの秘匿された力。ササコ先輩がメリンの力で交信を妨害したように、ヒドラにも存在するということだ。
「コイツは周囲に毒の霧を飛散させることができる。当然、竹谷タカトにも効くぜ。お仲間諸共あの世行きだ」
毒の霧。確かに、開いたままの瞳や肌でさえも、じわりと痛みを帯びていっているような感覚が消えない。あの霧に晒され続けたらどうなるのかは分からないが、恐らく待っているのは最悪の結末だ。
「は、っ……この程度、まだ動け……っく、う……ッ!」
「無理はしない方が楽に死ねると思うぜ? しっかしまあ、まさかお前相手にコイツを使うとは思わなかった。あのルーシャと戦ったときでさえ、本気は出さなかったっていうのにな。その点は大したもんだ、褒めてやるよ」
毒の霧は着実にクレインの身体を蝕み始めている。その証拠に、クレインの口端から一筋、真っ赤な血が零れ落ち、純白のドレスワンピースを染めていく。身体の内側からダメージを負っている何よりの証拠だ。
「あなたに褒めてもらったところで嬉しさなんて微塵も感じないわ。私の為すべきことは変わらない、あなたを倒すだけよっ!」
膝をついた状態から奥歯を噛み締め、痛みを耐えるように槍を突き出すクレイン。しかし、その不安定な体勢から繰り出される一撃は酷く弱々しく、アミナに届く前にヒドラがそれを制した。
「おいおい、さっきまでの威勢はどうしたんだ? そうか、追い詰められて最後に足掻こうっていうのか。無駄だ、万一にでもアタシに勝てるとしたら、ソイツの力を引き出すしか術はない。もっとも、元の持ち主でさえ使えていなかった力をお前に使えるのかどうかは甚だ疑問だけどな」
槍が弾かれ、更に絶望的な情報を耳にしたクレイン。その心情は、きっと色々なものが複雑に絡み合い、今にも弾けそうな様相を呈しているに違いない。
ミオリも、ヒメノも、ホノカも。言ってしまえばヒトヨやキララも、そしてルーシャさんでさえも。ヴァリアヴル・ウェポンの秘匿された力は使えていない。あの超常的な現象を目撃したのは、ササコ先輩と戦ったときと今この瞬間だけ。
「……そもそも、そんな力が武器にあることすら、知らなかったわ」
「当たり前だ。お前たちの教育方針を上に打診したのはルーシャだって言っただろ、その本人が使えていないんじゃ教えようもないよな?」
「くっ……」
アミナを前によろよろと立ち上がるクレインは、肩で息をしつつ震える身体を何とか持ち直そうとする。しかしそれを許すアミナではない。毒の霧に蝕まれるクレインに対し容赦なくその武器を振るう。
「お喋りは終わりだ。死ね」
横薙ぎに振るわれたヒドラの一撃を左の盾で受け止めようとするが、攻撃の勢いに耐え切れずにクレインの身体ごと弾き飛ばされる。屋上の扉の前、僕の目前に倒れ込んだクレイン。思わず彼女に駆け寄ってしまう。
「クレイン……クレインっ!?」
「タカト、私はいいから……っ、この霧を吸い込んだら、あなたまで……」
彼女の顔色は悪く、元々白い肌からは生気がなくなっている。そんなクレインに近づくアミナ。
「最後に人間と話ができてよかっただろ、クレイン。これで思い残すことなく死ねるな?」
アミナの背後に、どす黒い何かが渦巻いて見える。この上ない恐怖を感じて、後ずさりそうになる。
でも、ここで逃げたら全てが終わってしまうような気がして。口元を押さえていた衣服を払い、僕はクレインとアミナの間に割って入る。
「あ? お前、何の真似だ?」
毒の霧を間近に感じ、それをとうとう吸い込んでしまう。口内が、身体の中のあらゆる器官が、その時点で悲鳴を上げる。何かが逆流し、猛烈な痛みが襲ってくる。
それでも。僕は両手を広げ、クレインの前に立ち塞がった。




