第十章『破壊の天使』 - Ⅹ
「クレインは殺させない。僕の命に代えても、絶対に……!」
「今までずっと隠れてきたお前が、この期に及んでしゃしゃり出てこようが遅いんだよ。確かに最優先事項はお前の命だが、毒を吸い込んだ時点でもう命はない。まあ、最後はアタシの手で殺してやるから、まずはクレインをやらせろ。邪魔だ」
刃を振るう価値すらないと判断されたのか、アミナは僕の脇腹に蹴りを入れた。毒の力で弱った身体、何より容赦のないその攻撃に、耐えられない。そのまま僕は大きく吹き飛ばされ、クレインの前から退いてしまう。自分の力のなさを痛感した。同時に襲う鈍い痛み。脇腹が抉られたんじゃないか、と錯覚するような痛みだ。
「ぐあっ……!」
「タカトっ!?」
クレインの声も既に遠い。皮膚がコンクリートの床に擦れ、あらゆる場所から血が滲む。何より、そこで吐き出してしまったのは、自分の血液。毒の霧の影響だろうか、その吐血は僕の命がもう幾ばくも無いことを暗示しているようだった。頭の中にぼんやりと靄がかかったような錯覚。そんな中、クレインの顔だけを瞳で追いながら、告げる。
「クレ、イン……僕は大丈夫。それに、約束したじゃないか。死ぬときは一緒だって」
最後の強がりのつもりだった。どのみちアミナに殺されて終わりならば、クレインと共にありたい。それは僕の確かな願い。
「滑稽なモンだな。人間ごときが最後を共にしようだなんて。なぁ、クレイン? お前にとって人間は何だ? 別に共存は望んでいないんだろう? さっさと吐け、雑魚が」
僕という邪魔がいなくなったことにより、クレインはその白い喉元にヒドラを突き付けられていた。そう。本質的には、クレインにとって僕は単なる実験動物にも過ぎなかったはずだ。それでも、彼女は。消えない意志を剥き出しにして、アミナを睨む。
「確かに、養成校ではそう習ったわ。人間は守るべき対象じゃない。あくまでもヒドゥンを狩ること、それが私たちの務め。それ以上の感情は押し殺すべきだって」
「そうだ。それは間違っちゃいない。アタシたちにとって人間は、その辺の石ころと変わらない存在だ。どうして竹谷タカトみたいなイレギュラーがいるのか、気にはなるがな。別に知ったことじゃない。どうせ、全部アタシが始末すればいいだけの話だ」
毒の霧を間近に受け続けたクレインの口元から、とめどなく深紅の血が零れ落ちる。ぽたぽたと、屋上のコンクリートに滴っては黒く変色していく血液。それを尚もドレスワンピースに落としながら、時折腕で拭いつつ、クレインはなおも続ける。
「そうね。私にとっても人間はどうでもいい存在だった。人間の世界に来てからの私は、お姉ちゃんの復讐を果たすためには手段を選んでいられないとも思っていたわ。一匹でも多くのヒドゥンを倒して、手掛かりを見つける。そのことだけを考えて、人間を巻き込むことも辞さないまま、ヒドゥンを狩った――でも」
突きつけられたヒドラの先端をもろともせず、既に動けるような状況ではないはずなのに、クレインは立ち上がる。さすがのアミナもこの行動には目を見張った。
「驚いたな、まだ動けるのか。もう十分に毒は吸い込んだはずだ。お前の身体にはとっくに回っているし、いつ死んでもおかしくない状況だっていうのにな」
「ええ、辛いわ。身体のあちこちが痛いし、今この瞬間にも倒れてしまいたいくらい、ダメージを負っているのは確実ね。それでも、私は」
震えの止まらない手で、ゆっくりと。槍の先端が、アミナへ向く。
「――私を信じて、私に命まで託してくれたタカトを、守りたい。お姉ちゃんの復讐と同じくらい……いいえ、それ以上に、私の中で成し遂げたいことよ。私にとって、タカトは、特別な存在。嘘偽りなんて欠片もない、私の本心よ――!」
――クレインの言葉と共に放たれたのは、眩い光。
目を細め、どうにかして彼女の姿を視認しようとする僕。光の出所はファロトだった。槍と盾が、互いに共鳴するように、ヴァリアヴル・ウェポン特有のあの光を発し続けている。それは徐々に強さを増し、屋上全体に蔓延った毒の霧を、掻き消さんとばかりに膨張していく。
「一体、何を……!?」
片腕で両目を塞ぎつつ突然の出来事に驚愕の声を漏らすアミナ。気づけば、あれほど拡散し僕たちを蝕んでいた毒の霧は、粒子のひとつすら残さないほど、綺麗に消滅していた。
光が収まる。ファロトが発した光は粒となって、クレインを覆っていく。それは、僕の身体にも届いた。その瞬間、あれほど辛く苦しかった痛みが、嘘のように消えていく。アミナに蹴り飛ばされた際の傷も、少しずつ治癒していった。
通常ならばありえない現象。奇跡の類。僕の身体は自立が問題ないほど回復し、僕自身も、そんな現実を呆けた眼差しで見つめた。
これは、もしかして。そんな思考が駆け巡った。
「ファロトの、秘匿された力……?」




