第九章『背信の刃』 ‐ Ⅸ
僕とホノカは、そのまま体育館の外へ出ることへ成功した。半ば息を切らしながら、横抱きにしたササコ先輩を見下ろす。そこで、薄っすらと瞳を開く先輩。その身体は例の光には染まっていない。傷も、少しずつではあるが塞がってきていた。
「タ、カト、くん」
だが、口元から零れる一筋の血は彼女の傷が決して浅くはないことを示唆していた。掠れる声で僕の名を呼ぶ先輩。
「ササコ先輩……?」
「ごめん、なさい。迷惑をかけて――」
とんでもない、と僕は首を振った。先輩とホノカがキララを倒してくれなければ、今ごろ僕は殺されていたかもしれない。最悪の敵だと思った相手が最高の味方に変貌したのだ。迷惑なんて微塵も感じていない。
「迷惑だなんて……むしろこっちが感謝したいくらいです。クレインでも敵わなかったアミナに、あれだけ抵抗できたんですから」
「そう、ですね。でも迂闊でした。私なら、アミナを倒せると過信していた面は確かにあります。ただ、アミナは私の予想以上に強かった。ヒドゥンを倒すだけではなく、もっと同期のことにも気を配らないと駄目ですね」
僕に横抱きされたまま肩を竦める先輩。不意に後ろを振り返るも、まだアミナが到達する気配はない。追いかけてくることを考えていた僕はすぐに身を隠せる場所をと、ホノカと一緒に校舎の中を目指した。昇降口の扉をホノカの武器で破壊すると、誰もいない夜の校舎へと潜入する。
これが普段であれば、少しは心地の良いスリルを感じられたのかもしれない。でも、今は状況が違う。間近に迫っている命の危機を無視することはできない。
僕たちはすぐに手頃な教室へと足を踏み入れると、クレインとササコ先輩を床へと寝かせた。その際、少々眉根に皺を寄せたクレインが、上半身だけを起こして辺りを見回す。
「ん――……ッ!! 私、どうしてここに……アミナはっ!?」
「クレイン! まだ大人しくしていろ。あれほどの衝撃を受けたんだ、まだ身体が痛むだろう?」
「でもっ……っく、そうね。結局、武器も失ってしまったわけだし。アマトは、回収できなかったわよね。仕方がないとはいえ、悔しいわ」
ヴァリアヴル・ウェポンは彼女たち執行兵にとっての神聖な武器。それが粉々に砕かれてしまえば、その精神的なダメージは計り知れないはず。それに、今のクレインは気絶するほどの衝撃を受けて万全の状態ではない。ただ、現状をなんとか把握しようと、まずは横たわったままのササコ先輩に声を掛ける。
「生徒会長、あなたはキララを斬ったわね。そして、お姉ちゃんを裏切れないと口にしていた。それはもう、味方だという認識で構わないのかしら?」
質問に対し数秒間だけ押し黙った先輩。それから、ぽつりと言葉を落とし始める。
「私は、ずっとヒドゥンを狩り続けていました。あなたたちが人間界に降り立つ前から。アミナたちに隠れて、ヒドゥンと共存を図るフリをして、ずっと。私の力ではアミナを止めることは出来ませんでしたが……」
「お姉ちゃんが言っていた「仲の良い執行兵」は、あなたのことだったのね。ようやく合点がいったわ。ともかく、感謝させてもらうわね。私の足を斬ったことは忘れないけれど」
「そのくらい多目に見てくださればいいのに。ルーシャと同じで、執念深いところがあるんですね。クレインさん」
「この戦いが全部終わったら、あなたに稽古でも付けてもらおうかしら。まあ、今となっては武器を失った身だから、もう戦闘はできないけれど」
肩を落とすクレイン。そんな彼女に対し、ササコ先輩も上半身だけ起こして、クレインと視線を合わせた。
「大丈夫ですよ、クレインさん。あなたがもう一度戦う方法が、あります。よく聞いて――」
そのときだった。
耳をつんざく轟音が響いたと思うと、怒りに全てを支配されたような声が、夜の校舎内に響き渡った。
「ササコぉッ!! コソコソ隠れてないで出て来やがれッ!」
恐らくアミナが自らの武器、ヒドラで昇降口のガラスを粉砕したのだろう。殺される、と本能的な恐怖を感じる。
「……ここが見つかるのも時間の問題かもしれません。手短に話しますね」
腹部に負った傷は回復傾向にあるものの、ササコ先輩は苦しそうに身体を起こす。彼女は同様に立ち上がったクレインと視線を合わせて改めて話し始めた。
「ルーシャがアミナに斬られたあの夜、私は己の無力さを嘆いていました。既にアミナと人間界に行くことは決まっていた、最後の夜。ルーシャに加勢してアミナと戦っていればと何度も思いました。恐怖で竦んでいたのは間違いなく私自身なのに」
仕込み刀型のヴァリアヴル・ウェポン、メリンを握り締めるササコ先輩。彼女が隠れてヒドゥンを狩り続けたのは、ルーシャさんに対する罪滅ぼしの意味もあるのかもしれない。
「あなたほど強くても、アミナの前には竦んでしまうのね」
「お恥ずかしい話です。ところで、クレインさんはルーシャのヴァリアヴル・ウェポンが現場から消えていたのはご存知ですか?」
クレインと出会って間もない頃、彼女から姉が殺された話を聞いたときのことを思い出した。武器は現場から消えており、ルーシャさんの身体には鎖骨から脇腹までを斬り裂かれた痕があっただけと。
「当然よ。今となっては、アミナとの戦いで破壊されたと想像が付くけれど」
「違います」
「えっ?」
クレインの仮説に対して首を振って否定するササコ先輩。心底驚いた様子のクレインは、その否定の真意を読み解くことさえもできないようだ。
そして。
「彼女の……ルーシャのヴァリアヴル・ウェポンは、ここにあります」
先輩がジャケットの胸ポケットから徐に取り出したのは、一対の腕輪。
クレインの物とは似て非なる物で、左右の意匠がほんの僅かに異なっている。教室に差し込む月の光を受け、アマトと同じように銀色に光った。
「嘘、でしょう? まさか、あなたが――」
「あの戦闘のあと、まだ僅かに息があったルーシャに託されたのです。彼女は話すこともできませんでしたが、これをクレインさんに渡したかったんだと思います。結局、向こうの世界にいる間は叶いませんでしたし、こちらに来てからもタイミングが掴めなかったのですが、今なら堂々と渡せます」
一度、自らの胸にルーシャさんのヴァリアヴル・ウェポンを当て、ゆっくりと目を閉じて、そして開く先輩。決意をしたように、腕輪をクレインへと手渡す。
「クレインさん、受け取ってください。ルーシャのヴァリアヴル・ウェポン「ファロト」です」




