第48話 観測対象、リリベット
腕の中の重みは、相変わらず軽い。名前をつけたからといって、何かが変わるわけでもない。
「……はぁ」
息を吐く。
やることは、分かってる。
神殿に戻す。 あるいは、適当なところに置いていく。
俺の仕事じゃねぇ。
そう思って。
立ち上がる。
ほんの一歩、足を動かした。
その瞬間。
「ーーっ」
泣き声。
さっきとは、違う。
細くもない。弱くもない。
はっきりと、 止めるための声だった。
「……は?」
思わず足を止める。
腕の中のリリベットが、泣いている。
さっきみたいな拒否じゃない。 これはーー
「……なんだよ」
苛立ちが混じる。
もう一歩、下がる。
泣き声が、強くなる。
「……おい」
さらに一歩。
その瞬間。
びり、と。
空気が、軋んだ。
「……っ?」
足が止まる。
今のは、気のせいじゃない。
何かが、引っかかった。
見えない糸みたいなものが、身体に絡んだ気がした。
「……チッ」
舌打ちして、元の位置に戻る。
ぴたり、と。
泣き声が止まった。
まるで、最初からなかったみたいに。
「……はぁ?」
意味が分からねぇ。
腕の中を見る。
リリベットは、静かだ。
何事もなかったみたいに、目を閉じている。
呼吸も、落ち着いている。
「……お前」
低く呟く。
「今の、なんだ」
返事なんか、あるわけがない。
分かってる。
でも。
分かりたくねぇ。
もう一度、試す。
わざと、半歩だけ離れる。
ーー泣く。
即座に。
間を置かず。
「……っ、くそが」
戻る。
止まる。
完全に。
繰り返すまでもない。
分かる。
「……そういうことかよ」
吐き捨てる。
つまり。
離れたら、泣く。近づけば、止まる。
ただそれだけ。
それだけのはずなのに。
妙に、重い。
「……冗談だろ」
笑えない。
こんなの、ガキのやることじゃねぇ。
いや、やるか。
普通のガキでも、泣くだろう。
でもこれはーー
違う。
選んでる。
そう思った瞬間、ぞわりとした。
「……気持ちわりぃな」
吐き出す。
その時。
扉の外で、気配が止まった。
「……」
ノックはない。
声もない。
ただ、いる。ら
分かる。
「……入れよ」
面倒くさそうに言う。
ゆっくりと、扉が開いた。
白衣の神官が、一人。
無表情のまま、室内を見渡す。
視線が、フィニアスに止まり、
次にーー腕の中へ。
「……対象、安定を確認」
淡々とした声。
「は?」
フィニアスが眉をひそめる。
「対象ってなんだよ」
神官は答えない。
代わりに、一歩だけ近づく。
だが、触れない。
距離を保ったまま、じっと観察する。
まるで、生き物じゃなくて、何かの現象でも見るみたいに。
「……おい」
苛立ちが滲む。
「それ、人だろうが」
神官の目が、わずかに動いた。
だが、すぐに戻る。
「観測対象です」
それだけ。
短く、冷たく。
「……チッ」
舌打ちする。
気に入らねぇ。
全部が。
「フィニアス・レイ」
ギルドの登録名で、呼ばれる。
「変化があれば、報告を」
「は?」
「義務です」
言い切る。
反論の余地はない。
「……クソが」
吐き捨てる。
神官はそれ以上何も言わない。
ただ、最後にもう一度、リリベットを見る。
感情のない目で。
そして、去った。
扉が閉まる。
静寂。
「……観測、だとよ」
ぼそっと呟く。
腕の中を見る。
リリベットは、眠っている。
何も知らないみたいに。
何も関係ないみたいに。
なのに。
「……離れらんねぇじゃねぇか」
小さく、吐き出す。
返事はない。
ただ、わずかに。
風が、揺れた気がした。




