第43話 エリア-ドの魂
天上界は、静かだった。
音がないわけではない。
ただ、すべてが均されている。
波立たない水面のように、感情も、時間も、均一に保たれている。
そこに、ひとつだけ異物があった。
エリアードの魂だった。
揺れている。
輪郭が、安定していない。
本来ならば、ここに辿り着いた魂はほどけて、流れに還る。
だが、それは留まっていた。
理由は、単純だ。
未練ではない。
執着でもない。
ーー途中で、切られた。
その事実だけが、歪みとして残っていた。
観測者は、それを見ていた。
人の形をしているが、人ではない。
神に近く、それでいて神ではない。
ただ、世界の揺らぎを測る存在。
その視線が、エリアードに落ちる。
「……珍しい」
声は、どこにも届かない。
「壊れ方が、きれいだ」
通常、魂は砕ける。
感情に引き裂かれ、記憶に縛られ、歪に崩れる。
だがこれは違う。
切断。
だからこそ、均衡を崩さずに、ここに引っかかっている。
観測者は、わずかに思考する。
ーー使える。
遠く、創世神の言葉が残響のように浮かぶ。
歪みを、出せ。
均された世界に、揺らぎを。
「……では」
観測者は、手を伸ばす。
触れるのではない。
定義する。
エリアードの魂が、かすかに震えた。
その瞬間。
下界から、別の糸が伸びてくる。
強引で、粗雑で、執念じみたもの。
ーー黒魔術。
イライーザだった。
女王であり、母であり。
そして、一人の人間として、禁忌に手を伸ばした者。
「……引くか」
観測者は、興味を持つ。
神殿は止めたはずだ。
それでも、来た。
その強さは、歪みとして十分だった。
エリアードの魂が、引かれる。
上と下。
二つの力に挟まれる。
本来なら、砕ける。
だが。
「耐えるか」
観測者の口元が、わずかに動いた。
均衡は、崩れない。
ならばーー
「ーー混ぜる」
その一言で、決まった。
引かれる先を、わずかにずらす。
完全には返さない。
完全にも残さない。
途中に、落とす。
それが、最も歪む。
最も、不安定でーー美しい。
光が、裂けた。
黒魔術の陣が、暴れる。
イライーザの声が、届かないまま歪む。
その中心で。
ひとつの器が、形を取る。
人のものでも。
神のものでもない。
不完全な、容れ物。
そこに。
エリアードの魂が、落ちた。
音は、しなかった。
ただ。
世界が、ほんのわずかに軋む。
それだけ。
観測者は、それを見ていた。
「……これでいい」
満足でも、不満でもない。
ただ、記録するように。
下界で。
小さな呼吸が、ひとつ生まれた。
泣き声は、ない。
ただ、静かに。
息を、した。
その瞳はーー
最初から、何かを知っているように。




