第41話 風に還る古竜
風が、重い。
立っているだけで、押し潰されそうになる。
逃げ場なんて、どこにもない。
空も、地も、全部つながってしまっている。
こんなの、見たことがない。
夢だと直ぐに理解する。
しかも人間の見る夢ではない。
ーーこれは竜の。
イーグの見ている夢だ。
声が、震える。
目の前にいるのに、遠い。
その前にーーいる。
風の奥方。
ただ、そこにいるだけで、世界が決まってしまうみたいに。
<……気づいてしまったのね?>
やわらかい声だった。
なのに、逆らえない。
そんなもの、選べるはずがない。
ワタシは、息を呑む。
イーグは、動かない。
目を伏せている。
考えているのかも、分からない。
いつも、そうだ。
分かっているのか、いないのか。
でも。
嫌な予感だけが、強くなる。
「……やめて」
思わず、声が出た。
何を止めたいのか、自分でも分からない。
ただ。
このまま進んだら、戻れない。
そんな気がした。
イーグが、顔を上げる。
風の奥方を見る。
その目はーー
いつもと同じで。
なのに、違う。
<あなたは、最初からーー>
その言葉の途中で。
イーグが、口を開いた。
『ーーシルヴァレイア』
世界が、鳴った。
風が、一斉に応える。
空気が、揃う。
裂けていたものが、閉じていく。
重さが、消えていく。
「……っ」
息が、戻る。
膝が、わずかに震える。
終わった、のか。
いや、違う。
何かが、決まった。
イーグを見る。
消えていない。
変わっても、いないように見える。
けれど。
さっきまでの揺れが、ない。
あの、掴めない感じが。
すっと、なくなっている。
<ようやく>
風の奥方が、微笑む。
<帰ってきましたね>
帰るーー?
どこに?
問いは、口に出ない。
出してはいけない気がした。
イーグがーー
いや、
シルヴァレイアが、小さく頷く。
『はい』
それだけ。
それだけで、全部が終わる。
風が、ほどける。
重さが消える。
残された静けさに、耳が痛い。
「……イーグ」
呼んでしまう。
いつもの名前で。
少しの間。
返事がない。
やっぱり、間違えたのかと思った、その時。
振り返る。
いつもと同じ仕草で。
分からない。
何が変わったのか。
何を選んだのか。
でも。
確かに。
それなのに。
目の前のそれは、確かに変わっていた。
形が、ほどける。
空へと溶けるように。
巨大な影。
風そのもののような、古い気配。
ーー竜。
完全な姿。
その中で、声がした。
『気づいてくれて、ありがとう』
それだけだった。
問いは、口に出せない。
答えも、もう必要なかった。
風が、静かに降りてくる。
次の瞬間。
それは、ワタシのそばにあった。
触れてはいないのに。
確かに、ある。
風が、寄り添う。
ーーそれで、十分だった。
朝。
何事もなかったみたいに、光が差し込んでくる。
遅れて、扉が軋んだ。
「……おい」
欠伸混じりの声。 フィニアスが、寝ぼけた顔のまま入ってくる。
視線が、テント内を一周してーー止まった。
「……あれ」
わずかに眉が寄る。
「古竜、いねぇな」
軽い口調のまま、けれど、その目だけが、妙に鋭い。
ワタシは、何も言わない。
「……片付いたのか?」
間を置いて、そう聞いた。
「はい」
短く返す。
それで十分だった。 それ以上は、聞かない。 フィニアスは、ひとつ息を吐いて、肩を回した。
「なら、さっさと戻ろうぜ。アルテア」
いつもの調子。 いつもの軽さ。
なのに。
その瞬間。
風が、流れた。
すっと。 音もなく。
ワタシとフィニアスの間を、裂くように。
フィニアスが、わずかに目を細める。 反射みたいに、手が動きかけてーー止まった。
何も、ない。 見えない。 気配も、薄い。
だが。
「……お前」
低い声。
「今、何かーー」
言いかけて、言葉を切る。
ワタシを見る。 正面から。 確かめるように。
「……変なもん、連れてねぇよな?」
いつもの軽口 の、はずなのに。
どこか、笑っていない。
ワタシは、少しだけ考えて。
「さあ?」




