第6話 他人のような家族
仕送りが止まった。
それに気づいたのは、家賃の引き落とし前日だった。
通帳を何度見ても、数字は変わらない。
嫌な予感がしてスマートフォンを開くと、母からのメッセージが届いていた。
——今週末、帰ってきなさい。
理由は書かれていない。
理由を聞く権利が、私にないことも分かっていた。
私は、まだ自立していない。
大学生という肩書きはあっても、生活の一部を握られている。帰らなければ困るのは私だけだ。
ヒステリックでお金に目がない母親。
自己中心的で暴力的な父親。
5つ年下だが姉を姉と思っていない弟。
実家に帰る日は、身体が少しずつ重くなる。
準備をするたびに、息が浅くなる。胸が苦しくなる。
鞄に詰めるのは最低限のものだけ。長くいたくないから。
電車に揺られながら、窓に映る自分を見る。
染めた髪が、暗い車内で少し浮いて見えた。
それだけで、帰る理由がまた1つ増えた気がした。
実家の最寄り駅に着くと、空気が変わる。
音が多いのに、どこか冷たい。
玄関のドアを開けると、すぐに母の声が飛んできた。
「遅い」
時計を見たわけでもない。ただの第一声だった。
「何してたの」
答える前に、視線が私の髪に向く。
「……それ、何」
「染めた」
母は鼻で笑った。
「金ないくせに。そういうことだけは一人前ね」
言い返す言葉は浮かんだ。でも、なにも言わなかった。言えなかった。
どうせ無駄だ。長年の付き合いでそんなことは分かりきっていた。
リビングには父がいる。
テレビを見ながら、缶ビールを開けている。私が入ってきても、視線は動かない。
「ただいま」
返事はない。
その沈黙の方が、殴られるより慣れていた。
キッチンから弟が顔を出す。
「あ、来たんだ」
それだけ言って、またスマートフォンに戻る。
私は家族の中で、歓迎される存在でも、必要とされる存在でもない。ただの便利な人間だった。
夕飯の準備をするのは、私の役目だった。
母は指示だけ出す。
「それ切って」
「遅い」
「ちゃんとやって」
何もしていなくても、何かが足りないと言われる。
食卓に並んだ料理を、誰も「ありがとう」と言わなかった。
父は無言でテレビを、母は私に不満をこぼし、弟はスマートフォンで誰かと連絡を取っている。
会話はない。ただ音だけがある。なんて生き苦しい空間。帰りたい。
「大学、ちゃんと行ってるんでしょうね」
母が言う。
「行ってる」
「どうだか。あんたは昔から根性ないから」
昔から、という言葉が刺さる。
最初から、期待されていなかったのだと思い出させる。今の私をよく知らないだろうに。知ろうともしない。
食事が終わると、私はすぐ自分の部屋に行った。元・子ども部屋。
物はそのままなのに、居場所ではない。それでも自分のひとり部屋があることは私に一時の安堵を与えた。
ベッドに座ると、涙が出そうになる。
でも、泣く音を聞かれるのが嫌で、息を殺した。頭まで布団を被って唇を噛んだ。
夜、母がドア越しに告げた。
「明日、親戚来るから手伝って」
拒否権はない。
布団に入って、天井を見る。
大学の近くに借りた私の部屋の天井を思い出す。
狭くて、静かで、誰にも何も言われない場所。
ここでは、私は常に誰かの不足だ。
何をしても足りない。
存在しているだけで、責められる。
孤独は、大学にもある。でも大学は無関心だ。私が何をしていようと周りは気にしない。
でも、ここには孤独しかない。より嫌な方の孤独。
早く帰りたい。自由が恋しい。
帰る場所があること自体、救いだと思ってしまう自分が、少し嫌だった。
暗闇の中で、髪に触れる。
美術館で見た、あのイラストの色を思い出す。
誰にも奪われないものが、まだ自分に残っている。
そう思わないと、心が落ち着かなかった。その夜はよく眠れなかった。




