第24話 私の居場所
次の日も森に行くと、精霊さんは先にいた。
少し開けた公園のような場所。いつもの場所。
木の根に寄りかかるような、立っているような、座っているような曖昧な姿。
輪郭は今日もはっきりしない。いつもと同じ服の色だけが、記憶に残る。肌に触れるかすかな風が心地良い。
「来たんだ」
それは質問じゃなかった。
「うん」
答えてから、少し間が空く。
精霊さんは私を見ているようで、見ていないようでもあった。
「無理に来なくてもよかったのに」
精霊さんの声はいつもと同じ調子だった。やさしいとも冷たいとも言えない。引き止める理由も、拒む理由も言ってくれなかった。
私は立ち止まったまま少しだけ考える。
「……そうかも」
本当は来なくてもよかった。森に用事があったわけでも、精霊さんと何か約束をしたわけでもない。
それでも私はここにいる。自分でもよくわからない。
「でも、また会いたかったんだもん」
自分の口から出た言葉に驚きはなかった。
考えるより先にそう思っていたらしい。
精霊さんはそれ以上何も言わない。来た理由を聞くことも、来たことを喜ぶこともない。精霊さんは何も言わなかった。
無理に来なくてもいい、そう言われた言葉がまだ耳の奥に残っている。
それなのに私はここにいる。理由は探そうとすればいくつも思い浮かぶ。部屋にいると落ち着かなかったから。時間がうまく流れなかったから。気づけば森のことを考えていたから。
でもどれも決定的じゃない。結局のところ、私は自分で来たのだ。自分の意志で来たのだ。
いつだって、この地に踏み込むと森は何も言わない。木々はいつも通り立っていて、地面は少し湿っている。足音は吸い込まれるように小さくなり、代わりに自分の呼吸だけがはっきり聞こえた。
奥へ進むにつれて、気持ちは不思議と軽くなる。来てよかった、という確信を得られるわけではない。かといって、家に帰りたいという後悔があるわけでもない。
ただ、ここに来たという事実だけが残る。その距離感が心地よかった。
選ばれたわけじゃない。呼ばれたわけでもない。私が、私の意志で選んだ。それだけのことなのに、胸の奥が少しだけ温かくなる。
地面に腰を下ろすと、土の冷たさが伝わってくる。服が汚れるかもしれない、というような雑念は浮かばなかった。
「ここに来ると楽になれる」
精霊さんは首を傾ける。
「何が?」
「うーん……会話が」
答えながら少しだけ迷う。会話、という言葉が正しいのかどうか。
でも、現実の世界よりこの森で言葉を交わす方が、ずっと自然だった。
「それはいいこと?」
問い返されて私はしばらく黙る。
「……たぶん」
確信はない。でも否定する気にもなれない。ただなんとなくで答えただけ。
森は静かだった。風が葉を揺らす音と、遠くで何かが落ちる気配。光が差し込む角度も精霊さんの姿もいつも通りだ。
それなのに、私はふと思ってしまう。
ここに来ているのは私だけなんじゃないか。
「……他にもこの森に来る人はいるの?」
精霊さんは答えなかった。私は答えが知りたかった。
その沈黙が私の中で静かに意味を持つ。
特別だからじゃない。ただ、なんとなく私が精霊さんに気に入られているのか、この森が私に向いているだけなのか。
その考えが心の中にすっと収まる。
「来なくてもいいって言われたのに来るのって変、かな」
「変じゃない」
即答だった。
その言葉は今の私にとって、それだけで十分だった。私を安心させるためには十分な言葉だった。
世界は何も変わっていない。森は森のままで、現実は現実のままだ。
私はここに来ることを自分で選んでいる。誰にも決められていない。誰にも邪魔されていない。
それが少しだけ誇らしかった。最近の私の心は軽い。
私はきっとまたここに来るだろう。
私が私自身でこの森に行くことを選んでいる限り。




