第22話 落ち着かない気持ち
今日は森へ行かない日だった。理由は特にない。行きたくなかったわけではないが、ただ行かなかった。なんとなく。それだけ。
朝起きてから、なんとも言えない落ち着かなさがあった。
体調が悪いわけでも、予定があるわけでもないのに、部屋の中でじっとしていられない。
窓を開ける。冷たい空気が入ってきた、その瞬間。
あの森の匂いがした気がした。
湿った土と、枯れ葉と、少しだけ青い匂い。一瞬で消える。私は眉をひそめる。洗濯物だ、と思い当たる。昨夜干した服がまだ完全に乾いていない。それだけだって。
机に向かい、スケッチブックを開く。白いページのはずだった。でも、線があった。
細く、迷いのない線。何かの輪郭の途中みたいな、意味を持ちそうで持たない形。
心臓が、少しだけ早くなる。
ページをめくる。ほかには何もない。
「……描いたっけ」
声に出してみる。なにも思い出せない。でも、何かあったような。
最近、集中しているとよく時間を忘れる。だから描いたことを忘れていてもおかしくない、はず。
私は自分にそう言い聞かせ、ページをめくる手を外す。
昼になっても落ち着かない。何かを待っている気がする。
人だったっけ。そう思ってスマートフォンを手に取る。通知はない。
そのとき、不意に声がよぎった。
——無理してない。
精霊さんの声によく似ている。でも聞こえたわけじゃない。
考えが浮かんだだけ。何度も思い出していればそう感じることもあるだろう。私はお風呂上りの犬のように頭を激しく振る。まるで、頭の中の雑念を吹き飛ばすように。
午後、外に出た。森とは反対の方向へ歩く。それなのに、信号待ちの間にまた匂いがした気がした。今度はコートの内側から。汗と、湿気のにおい、そう思った。
帰宅して、スケッチブックをもう一度開く。書かれている線は変わっていない。見ているうちに、それが何に似ているのか、分かってしまう。人の輪郭。でも、頭の中にあるもやは、はっきりとはしなかった。
胸の奥がざわつく。今日は森に行っていない。それなのに、森が頭から離れない。
夜になっても眠れなかった。目を閉じると時間が飛ぶ感覚だけが蘇る。異常だとは思わない。疲れているだけだ。それだけだ。そう言い切れるうちは、まだ大丈夫だと信じたかった。
それでも、私は思ってしまう。
明日は、森へ行こう。行かないと落ち着かないから。




