第15話 自分らしさ
部屋の中は私が出す音以外の音がしない。静かである。
カーテンは閉めたまま、外の音は入れない。春休み0日目から続くこの状態が、少しずつ元通りになってきている。
ココアを作り、バナナを食べる。バナナを食べ終わる頃には、ココアを片手に鼻歌を歌っていた。
机の上を片づけ、スケッチブックを広げる。画材は最低限。鉛筆と消しゴム、それから色鉛筆。特別なものは何もないが、ちょっと質の良い紙を買ってみた。
サークルで絵を描いたときのことを、ふと思い出す。
紙の上よりも、周囲の気配のほうが気になっていたあの時。手の動きが遅くないか、線が迷っていないか。誰かに見られている前提で描く絵だった、気がしている。
今は違う。この部屋には、私しかいない。
何を描くかはとっくに決めてある。それは言葉では言い表せない、私の心。
美術館で見たあの絵を思い浮かべる。あの抽象的でどこか惹きつけられるような絵。
淡い色の重なり。はっきりとした輪郭はなく、境目が溶け合っている。近づくと何を描いているのか分からなくて、少し離れると、静かな風景に見えた。
心の赴くままに、そのまま描こうとする。
上手く描く必要はない。感覚に任せて思いのままに。
鉛筆を走らせる。線は揺れる。迷って、消して、また描く。誰にも急かされない。失敗しても、見られない。
色鉛筆で色を重ねる。何度も同じところを塗っていたら、思っていたよりも色が濃くなった。でも、そのままにする。修正する必要はないだろう。
時間の感覚が薄れていく。
集中しているというほどでもない。ただ、手を動かし続けている。
描き終えた絵を、少し離れて見る。
美術館で見たものとは、まるで違う。でも、まあ、これはこれで、私の心の中にあったものだと思えた。
サークルで描いた絵は、どこか他人行儀だった。今日の絵は、誰にも渡さないし見せない前提で存在している。満足できる絵を描きあげられたことに達成感を覚える。
スケッチブックを閉じる。部屋は相変わらず静かで、殻のままだ。
でも、その内側で、私はちゃんと動いていた。誰にも見せなくても、何かを作れる。
その事実が、心の奥で小さく灯っていた。




