第1話 気まぐれな冒険者
自由都市クロスベル。
人間、獣人、エルフ。3つの種族が当たり前のように行き交うこの都市は、世界でも珍しい場所だった。国境に縛られず、王にも従わず、金と契約と最低限の法さえ守れば誰でも受け入れる。
商人に傭兵、冒険者に亡命者、研究者。そして、少々後ろ暗い事情を抱えた者まで。そんな連中が集まる街の中心部に、冒険者ギルドはあった。
「……ろくなのがないな」
依頼掲示板を眺めながら、俺は小さく呟いた。
名前はエド。職業は冒険者。腰には使い慣れた剣、茶髪にどこにでもいそうな顔。実力はそれなり。有名でもなければ無名でもない。クロスベルで聞けば、
『ああ、たまに難しい依頼を一人で片付ける奴』
くらいの評価は返ってくるだろう。我ながら完璧な立ち位置だ。
「薬草採取……いらん。街道護衛……遠い。魔獣討伐……面倒」
「お前、仕事する気あるのか?」
隣から呆れた声が飛んできた。見ると、顔見知りの冒険者ことマルケスがこちらを見ている。
「あるさ」
「掲示板のやつ、さっき全部却下してただろ」
「俺は仕事を選ぶ主義なんだよ」
もっともらしい顔で言ってやると、マルケスは胡散臭そうに眉をひそめた。
「お前の場合、気分だろ」
「似たようなもんだ」
実際、似たようなものだった。
冒険者稼業は俺にとって趣味であり仕事だ。生活費も必要だし、情報収集にも向いている。各地を歩いていても不自然ではないし、噂話を聞いても怪しまれない。何より――面白そうな事件へ堂々と首を突っ込める。非常に便利な職業である。
もっとも、今日はその面白そうな事件が見当たらない。
「昨日は南街道にワイルドボアが出たらしいぞ」
「猪だろ」
俺が即答すると、マルケスは不満そうに口を尖らせた。
「魔獣だろうが……」
「猪に魔力を足しただけだろ」
「それを魔獣って言うんだよ」
俺は肩をすくめる。弱い魔獣を倒しても面白くない。金にはなるが、休日にまでやりたい仕事ではなかった。
今日は本来、働く予定ではない。ならなぜギルドにいるのか。面白い話が転がっていないか確認するためだ。これは仕事ではない。趣味だ。
最近考えた登場演出も試したい。高所から現れるのはもう何度もやった。背後から突然声をかけるのも悪くない。霧の中から歩いてくるのも捨てがたい。いや、いっそ戦闘終了後に拍手しながら現れるか。
――パチ、パチ、パチ。
『素晴らしい。実に見事だった』
うむ、悪くない。
「……何ニヤついてんだ?」
「気のせいだ」
俺は表情を引き締めて誤魔化す。だが、マルケスはまだ疑わしげにこちらを見ていた。
「絶対なんか考えてただろ」
「人生を豊かにする方法についてな」
「真面目な顔で言うな」
その時だった。ギルドの入口が勢いよく開いた。中にいた冒険者たちの視線が一斉に向く。
入ってきたのは一人の男。旅装は泥に汚れ、右腕には包帯が巻かれている。息を切らしながら受付へ向かい、何かを差し出した。
「グランゼルから緊急報告だ!」
空気が変わった。俺も掲示板から視線を外す。
グランゼル王国。クロスベルからそれほど遠い国ではない。現在、魔王領との国境付近で小規模な衝突を繰り返している。もっとも、最近はラグナード帝国との関係も悪い。よく二方面に敵を作れるものだと感心する。
「魔王軍か?」
誰かが聞いた。男は荒い呼吸のまま頷いた。
「九禍将が出た」
ギルド内が静まり返った。俺は少しだけ目を見開く。
九禍将。魔王直属の最高幹部九名。魔人族の中でも特に強い連中だ。個人で軍隊と戦える怪物。その名前が出ただけで、さっきまで酒を飲んで騒いでいた冒険者たちの顔が強張った。
「誰だ」
「第七席――リゼルカ」
――お。
思わず口元が緩みそうになった。リゼルカ。知っている。というより、以前から少し気になっていた。
魔王軍の中でも特に人間への被害が多い魔人族。遠距離から高火力の魔法をばら撒き、中距離では自身の魂理を絡め、近づけば今度は血液へ直接干渉して殺す。性格は残忍。弱者をいたぶることに躊躇がない。評判は最悪。実に――。
「……なんて素晴らしい逸材なんだ」
「は?」
「いや、なんでもない」
危ない危ない。声に出ていた。隣の冒険者が俺から少し距離を取った。
別にリゼルカの行いを肯定しているわけではない。ただ、悪の組織の幹部として考えた場合、あまりにも完成度が高い。魔王軍最高幹部、残酷、強い、見た目も目立つ。そんな奴が俺の後ろに立っていたらどうだ。絶対に格好いい。腕を組みながら俺の命令を待っているとか、最高では。
「被害はどうですか?」
受付の女性ことレイナちゃんが尋ねる。
「まだ詳細は分からない。ただ、国境砦が2つ落ちた。王国軍が迎撃に出ている」
「九禍将相手に?」
「《王国の盾》が出たらしい」
今度はざわめきが起こる。
ガレス。グランゼル王国でも有名な騎士だ。国家最強というほどではない。だが、防衛戦であれば話は別。異常な体力と持久力を持ち、何度倒れても立ち上がる。守る戦いに関しては非常に厄介な男だと聞いている。
「これ、王国側相当まずいんじゃないか?」
「まずいだろうな」
誰かが不安げに漏らすと、それに続く声が重なる。
「援軍要請は?」
「クロスベルにも来るかもしれない」
周囲の冒険者たちが口々に話し始める。九禍将と王国軍、どちらが勝つか話しているのだろうか。それとも、クロスベルは大丈夫かと心配しているのだろうか。どちらにせよ、皆が気が気ではない中、1人の男だけは全く違う考えをしていた。
……いいな。非常にいい。
俺は掲示板から一枚の依頼書を剥がした。
「ん?」
さっきの冒険者ことマルケスがこちらを見る。
「何だそれ」
「グランゼル方面の商隊護衛」
マルケスが眉根を寄せる。
「お前さっき遠いって言ってただろ」
「気が変わった」
「急すぎるだろ!」
俺は受付へ向かう。表向きは護衛依頼、仕事として金も貰える。そして仕事が終わったら、少しだけ王国の様子を見に行く。九禍将を遠目から観察するだけだ。別に何かをするつもりはない。たぶん。
***
その日の夕方、俺はクロスベル郊外の宿へ戻った。
狭い部屋、安物のベッド、小さな机。冒険者エドが泊まるには、これくらいでちょうどいい。
扉に鍵をかけ、窓を閉め、人の気配がないことを確認する。
「さて」
顔へ手を当てた。輪郭が歪む。茶色かった髪が、紫がかった黒へと染まっていく。骨格や身長、声、魔力の質、気配。人間が他者を認識するために使う情報が、次々と書き換えられていく。
魂理――《擬装》。
数秒後、そこに冒険者エドはいなかった。
「待たせたな、お前ら」
鞄の奥から仮面を取り出す。その横には、黒と紫を基調とした衣装。金の装飾にカード、糸にナイフ、そして帽子。1つずつ身につけていく。
鏡の前に立つ。そこに映るのは、冒険者ではない。世界のどこにも属さず、気まぐれに現れ、敵にも味方にもなり、誰にも本心を見せない謎の男。
秘密結社ノクターンを率いる男。クロード。
「……うむ」
悪くない。いや、かなりいい。少し帽子の角度を変える。
「こっちだな」
完璧だ。問題は登場方法。リゼルカほどの相手なら、中途半端な演出は許されない。
誰かに助けを求められてから現れる? 違う。それでは普通の英雄だ。
戦闘開始直後? 早すぎる。苦戦したところへ現れる方が、圧倒的に格好いい。
「瀕死になるまで待つか……?」
口にしてから考える。いや、流石に死んだら困る。勧誘する前に死なれたら意味がない。というかリゼルカが負ける前提になっている。九禍将なんだから、普通に勝つ可能性も高い。
「まあ、その時はその時だな」
戦場を見てから考えよう。基本的に俺は臨機応変な男だ。決して無計画ではない。……多分。
俺は窓を開けた。まだ日が沈みきっていない。遠くにはグランゼル方面へ続く街道が見える。
「さて」
もしリゼルカが本当に面白い奴なら、少しくらい話してみるのも悪くない。仲間にするかどうかは、その後で決めればいい。
俺は窓枠へ足をかけ――。
「待てよ」
止まった。ここ二階だ。普通に玄関から出ればいい。誰も見ていないところで格好つけて飛び降りても、ただ足を痛める可能性がある。
「……エドで行くか」
仮面を外した。数秒後、再び、どこにでもいる冒険者の顔へ戻る。
荷物を持ち、普通に階段を降りる。宿の主人へ軽く手を振った。
「仕事か?」
「ああ」
「気をつけろよ。グランゼル方面は最近物騒らしいぞ」
「知ってる」
だから行くんだ。
宿を出る。夕暮れの街を歩きながら、俺は自然と笑っていた。
九禍将リゼルカ。一体どんな奴なのか。噂どおりの怪物なのか。それとも、実際に会えば案外普通なのか。まあ、どちらでもいい。面白ければそれでいい。
この時の俺は、まだ知らなかった。
この気まぐれな寄り道によって、魔王軍、神聖国、そして俺が趣味で作っただけの小さな組織。そのすべての関係が、大きく狂い始めることを。
――もっとも。
それを知ったところで、俺はたぶん同じ道を選んでいただろう。




