プロローグ 盤上の退屈
ここはとある世界の外側。
そこは魔力という超常エネルギーがある世界で――いや、正確に言えば、最初から「そこにあった」わけではない。
世界が生まれるより前に……《それ》はいた。
見た目や性別はこちらからは判別できない。
始まりも終わりもない場所で、ただただ白い何かはただ一つの盤を見下ろしていた。
原初の時代では、その盤には何もなかった。
大地もなく、海もなく、風もない。ただ茫漠とした、可能性だけが横たわる空白。《それ》はその空白を、気の遠くなるほど長い間、ただ眺めていた。何もない盤ほど、退屈なものはない。
だから、盤上に色を付けた。
大地を敷き、海を満たし、空を張った。山を隆起させ、川を刻み、季節というものを巡らせるようにした。魔力という、この盤だけの超常のエネルギーも、そのとき一緒に練り込んだ。何もないよりは、何かがあったほうがいい。それくらいの、軽い思いつきだった。
勢いのついた《それ》は、続けて動植物も作った。
草を茂らせ、木を伸ばした。その間を駆け回る獣や、空を舞う鳥や、水の中を泳ぐ魚を、思いつくままに配置していく。弱肉強食という、単純だが飽きの来ない仕組みも組み込んでおいた。
……だが、それだけだった。
風景としては悪くない。生態系としても、それなりに巧く回っている。しかし、眺めていて特に心を動かされることは、ほとんどなかった。獣が獣を狩り、草が芽吹いては枯れる。何もなかった頃よりは、いくらかマシではある。マシではあるが、暇は暇のままだった。
(もう一声、欲しいところだな)
別の世界……向こうにも管理者がいるような、そこそこ賑わった盤から、目についた生物を1つ、こっそり見繕った。丸ごと連れてくるほど大それたことはしない。もし気づかれれば、面倒な話し合いに付き合わされるかもしれない。だから《それ》は、その仕組みだけをそっくり真似て、似たような生物を、こちらの盤の上に一から作った。パクり、と言えばパクりだが、《それ》にとってはただの下描きの流用に過ぎない。骨格を借り、輪郭を借り、あとは好きなように肉付けをする。
そうして生まれたものはどの世界だろうと同じ名前でよばれるだろう。誰もがよく知る人間という生き物だ。
もちろん、そのままでは使えない。呼吸の仕方も、力の巡らせ方も、あちらの盤とこちらの盤ではまるで違う。だから手を加えた。この世界に満ちる魔力という超常のエネルギーを、体の内側に通せるように作り替えた。
人間は繁栄していった。人間が暮らせるように環境を整えてやればあっという間に。他の動植物と違い魔力を使えるのが大きかったのだろうか。
これまでの流れを見てれば何とかなく分かると思うが《それ》は飽き性であった。人間がそのまま繁栄していって生態系の頂点として穏やかに暮らすことを許すだろうか。
……否であった。
このまま何の障害もなく人間だけが増え続ける盤など、見ていて何が面白いのか分からない。単一の色で塗り潰されていく盤ほど、退屈なものはないのだから。
だから《それ》、人間を下敷きに、新しい駒を2つ作った。
1つは獣人。
身体能力と感覚だけは他の種族の追随を許さない。爪や牙、走る速さも、闇を見通す目も、初めから戦うために作られたような連中だ。頭を使うことより、まず拳を使う。理屈より先に牙を剥く、単純な生き物。単純と言えば単純だが、単純さというのも、見ていて飽きない性質の1つではある。
もう1つはエルフ。
長い時間を生きる分、腰が重い。魔力の扱いにかけては誰よりも精緻で、優雅で、そして――ひどく退屈な生き方をする。千年かけて悩み、千年かけて答えを先延ばしにする。あれを美徳と呼ぶ者もいるようだが、こちらから見れば、単なる時間の浪費にしか映らない。それでも、その精緻さは認めざるを得なかった。魔力操作の技巧だけを見れば、三種族の中で頭1つ抜けている。
そして《それ》の目的通りに人間一強の時代から3種族の覇権争いが起こり、退屈せず見ていられた。
人間、獣人、エルフ。3つの種族は、それぞれの得意分野を武器に削り合い、譲り合い、いくつもの国を興しては潰した。血を流し流させ、その繰り返しの中で時に手を取り合い、時にまた牙を剥いた。
しばらくの間、《それ》は満足していた。三竦みというのは、思っていたよりもよくできた仕組みだった。人間が押されれば、獣人とエルフが得をする。エルフが油断すれば、人間と獣人が突く。誰も長く優位に立てないまま、盤上はいつまでも小さく揺れ続けた。
だが、どれほど巧妙な均衡も、見飽きるということは起こる。
長い年月をかけて、三種族の争いはやがて1つの落ち着いた形へと収まっていった。国境線は固まり、勢力図は固定され、戦の起こり方までもがどこか様式的になっていく。削り合い、譲り合い、また削り合う。同じ形の攻防を何度繰り返せば気が済むのか。
(……もう見飽きたな)
刺激が欲しくなった《それ》は、盤上に新たな生物を放った。
元々いた動物は3種族と違い魔力が使えなかったが、それを使えるように最適化した種族として魔獣という種族を生み出した。
3種族に与えなかった、純粋な暴力だけの駒。理性や知能も持たず、ただ喰らい、増える。均衡を崩すには、これで十分だと思っていた。
実際3種族が慌てる様は面白かったし、魔獣はしっかり均衡を動かすほど暴れてくれた。だが《それ》の想定外の事態が起こった。
(……やりすぎたかも)
魔獣は増え続けた。三種族は各地で削られ続けた。均衡どころか盤上そのものがすり減っていく。退屈しのぎとしては、いささか行き過ぎている。潰れて終わる盤ほどつまらないものはない。
仕方なく《それ》は帳尻を合わせることにした。
生きている者をまるごと引き抜けば、向こうの盤の管理者に気づかれる。面倒事は御免だ。だから死んだ者だけをこっそり選んだ。寿命の途中で終わった魂を、管理者に悟られない程度に静かに掬い上げる。
《それ》が自分の世界の生物を使わない理由?簡単だ。こっちの世界はあっちの世界と違って死んだら魂も消えるからである。だから死者蘇生とかはできない。中には死んだ者を蘇らせようと頑張る者もいるが、残念ながら無駄骨に終わる。
そして盗んできた魂だが、そのままでは使い物にならない。壊れた部分を継ぎ、足りない部分を足し、こちらの盤の駒として動けるように仕立て直す。いわば拾い物のカスタマイズ品だ。
それを転生者と呼んで盤上へ送り込んだ。後に盤上では神の子と呼ばれることになる。
効果はてきめんだった。魔獣に押され続けていた三種族は、この助け船でどうにか命脈を保った。
……が、うまくいったのはそこまでだった。
魔獣の対処には成功した。だが今度は神の子自身が暴れ始めた。もとは異世界の死者だ。こちらの作法など知ったことではないと言わんばかりに、力に任せて好き勝手に振る舞い出す。全ての神の子がそうだったわけではないが、どちらかというと多い方ではなかっただろうか。
(もういいかな。この世界は)
《それ》は面倒になってきた。何故いちいち自分が手を下されなけばならないのかと。そもそもお前が作った世界だから責任持って管理しろという話なのだが、《それ》に意見できる者などただの1人もいなかった……原初から今に渡るまでただの1人も。
そして《それ》はそう考え、今の世界を放置して新しい世界を作るべくアイディアを練っていた。
すると盤の内側から、思いがけない化物が生まれた。
邪龍。
ドラゴンと呼ばれる魔獣の進化系がいるのは知っていた。だがドラゴンは図体の割に大人しい方だったので、盤上にとってはそれほど重要視していない存在だった。
しかし、その中でも異端の存在が生まれた。それが邪龍と呼ばれる災害である。
そもそもドラゴンはスペック的には3種族や魔獣では通常歯が立たないくらいの強さなのだが、邪龍はその中でも抜けて強かった。気性が穏やかということで取られていたバランスが崩壊した。
《それ》が作ったわけではない。完全にこの世界独自の進化系。暴れ続ける神の子への、盤そのものの拒絶反応だったのかもしれない。理由がどうであれ、邪龍は暴走する神の子を次々と倒し、あっという間に皆殺しにしてしまった。
(……へぇ)
新しい世界の設計図を練っていた手が、ふと止まった。
放置するつもりだったこの盤で誰の手も借りずに、勝手にここまでのものが生まれてくるとは思っていなかった。
(もう少しだけ、見ていてもいいか)
だが邪龍はそこで止まらなかった。他の種族へも牙を剥き、盤上そのものを喰らい尽くす勢いで暴れ回った。放置すれば盤ごと潰れる。
それでも《それ》はぎりぎりまで動かなった。邪龍の強さに魅せられていたのだ。 誰にも作られず、誰にも与えられず、この盤が勝手に生み出した理不尽。それがどこまで暴れ続けるのか、最後まで見届けたいという誘惑には、なかなか抗いがたいものがあった。
更に成長したらここまで来るかもしれない。生まれて初めて《それ》が心の底からワクワクしたひと時だった。
それでも、潰れた盤には何も置けない。せっかく興味を引き直された矢先に、更地に戻るのでは意味がない。
仕方なく《それ》は手を貸し、邪龍を封じた。そして封印中の邪龍を話し相手として色々なことを語った。
こうして盤上には、後始末の跡ばかりが積み重なった。
(……面白かったな)
だが《それ》は、新しい世界を作る計画をひとまず棚上げすることにした。この一連の失敗こそが面白かった。計算通りに進む盤より、予想を裏切られ続ける盤のほうが、よほど見ていて飽きない。
それからしばらく、盤上はおとなしくしていた。
邪龍が眠りについたことで、三種族は互いに刃を向け合うより先に、まだ盤の随所に居座る魔獣の対処へ意識を割かねばならなくなった。皮肉にも、外敵の存在が内輪の争いを鈍らせたらしい。人口は緩やかに回復し、種族間の大きな戦は目に見えて減っていった。
生き残ったドラゴンについては3種族はビビり散らしていたので、不可侵の存在としてこの世界の生態系の頂点として君臨した。
(……つまらないな)
均衡どころか、争いすら起こらない。平和とは、見ている側にとっては、この上なく退屈な景色だった。
だから、また駒を足すことにした。
人工の種族、魔人族。
魔獣の特徴を身体に宿し、人間が人工的に作ったという設定の生物。ドラゴンにビビって作ったことにしておけばいいだろう。高い魔力と戦闘能力を持たせ、人間たちとは根本から異なる価値観で動くように作った。丸くなりきった三種族に、少しは波風を立ててくれるだろうと思ってのことだ。
(……お前らも、もう少し頑張れよ)
毎度毎度、一方的に押し込まれるだけの三種族に、《それ》は内心そう思わずにいられなかった。多少の贔屓目はあるにせよ、あまりにも脆すぎる。少しくらい粘って、自分をやきもきさせてくれてもいいものを。
……まぁこれまでの過程を見てれば、やらかすことは必然だった。《それ》は創造は得意だが、基本雑であり、後の影響などはほとんど考慮しておらず、行き当たりばったりであった。
しかもまた自分が介入しなくちゃいけないのかと、面倒くさがっているくらいどうしようもなかった。《それ》は自分のせいであるのに、しょうがないなーと思い、魔人族に対抗できる駒を作った。
天環族。
魔人族に対抗できるだけの性能を持たせ、あえて好戦的な気質は与えなかった。気性が穏やかなら問題は起こさないだろうと考えたのであろう。
――思惑は半分だけ当たった。
天環族は魔人族と正面からぶつかり合うことをしなかった。かといって静かに息を潜めているわけでもない。彼らは空の上から地上を見下ろし、人間たちの営みそのものに強い関心を示し始めた。抑止力として置いた駒が、いつの間にか別の動き方を覚えていた。
(読み違えたな)
だが、悪い読み違いではない。予定調和よりも、こういう逸脱のほうがずっと面白い。
そうこうしているうちに、盤の奥ではまた別の変化が起きていた。
魔人族という群れの中から、他を圧倒的に引き離す強者が生まれたのだ。魔王。
それは魔人族全体を束ねるにふさわしい力を持っていた。《それ》は一瞬、また手を加えるべきか考えた。
だが魔王はすぐには動かなかった。人類を滅ぼす気配もなければ、性急に版図を広げる素振りもない。ただ盤上に静かに座り続けている。
(……何を考えている)
やろうと思えば人類を滅ぼせるはずが、領地を多少拡大する程度で収まっている。どうやら邪龍とは違ったタイプの性格のようだ。
分からないというのは、悪くない。《それ》は結局、手を出すのをやめた。しばらくはこのまま眺めていよう。何をするか読めない駒ほど、見ていて飽きないものはないのだから。
そして盤上の大陸のどこかで、また1つ小さな光が生まれようとしていた。
異界から来た魂が、一人の赤子としてこの世界に産み落とされる瞬間だった。
《それ》の「視点」が、ほんの少しだけその光にとどまる。
理由はない。ただ、なんとなく。
《それ》はまだ知らない。
その名もない駒が、やがて盤上の誰も予想しなかった役を演じ始めることを。誰よりも謎めき、誰よりも恐れられ、けれど誰よりも自分の力を信じていない、奇妙な「王」という役を。
そして、その演技がいつか本物へと変わっていくことも。
盤上の退屈は、まだ終わらない。
けれど《それ》がその光を思い出すのはそれから当分先のことであった。




