表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異説・安珍と清姫。  作者: どんどあげ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/8


 綺麗な蜻蛉玉を見つけたのは、城下町の小間物屋であった。まるであの村の空のような青とこの町の空の青が渦を巻くように混じり合っていて、自然と杖と止めてしまった。荷物持ちに清吉が半歩後ろにいて、幸太郎がゆっくりゆっくりと歩く後ろに、倒れはしまいか転びはしまいか、愛娘の掴まり立ちにもこんなにはらはらしなかった。

 「蜻蛉玉ですよ。硝子細工です。」

 「宝玉かと思った……。」

 硝子という文明は海際の村では高級品で、勇之亮の屋敷に一室誂えられたきりだった。砂を煮詰めて作るだとか、宝石を砕いて作るだとか、幸太郎にはぼんやりとしたイメージがあるだけで、蜻蛉玉は刀の下緒に吊ったりだとかして飾るものだと教わった。夕陽を閉じ込めたような蜻蛉玉、花畑を切り取ったような蜻蛉玉、山深いところの湧水のような蜻蛉玉。

 「お幾らか知らん?」

 未熟な弟子が作った飾りは、一つが繕い物ひとつくらいのお値段で、頑張れば出せると幸太郎は思って、思い切ろうかと悩んで。

 「あ、あのう……。」

 財布を出したところで、通りすがりにひったくられた。泥棒!と叫ぶ声があちらこちらから、追い縋る手を蹴った男は、そのまま走る。ひとの波を器用に掻き分け、行く先々で子供を転ばせた。

 「幸太郎様、しばらくお待ちを。」

 「はい。清吉さんも、お怪我なさらないでね。」

 清吉は脚で直継には追いつけないが、直継に腕相撲でいい勝負をしたことのある力自慢である。先の事件でも木の壁をばっきり折っている。通りの交わるところに今日はこの時間に見廻組が南回りで出ることを知っていて、北側のお屋敷は後妻を娶った宴をやる。ひとの流れを読み切って、襤褸の襟を引っ掴み、膝裏を蹴って転ばせると、指笛をやる。番所からやってきた同心に引き渡すまで、清吉は幸太郎を待たせるかどうか、振り返ってひゅうと変な息が出た。

 ほんの一瞬で、若殿様が連れてきた甘やかな母なる海のような青年は、姿を消していたからだ。

 今日は直継が良い魚を仕入れたから、大根をおぼろにして久しぶりに醤で食べようと言っていた。天豆を茹でて半殺しにして餡子にするという料理を直継は北の国の若殿様に聞いてきて、じゃあその鞘取りは幸太郎がやると言っていた。それなのに幸太郎は、まるで六畳ほどの四角い部屋に入れられて、襖をそっけなく閉められて、おまけに杖も取り上げられて。

 「少々お待ちくださいませ。」

 と、堅苦しい声が降ってきたから、急に情けなくなって惨めで、ずるずると座り込んで、いとけなく脚を投げ出した。またこうだ。清吉もきっと心配しているし、直継との約束にはきっと間に合わない。膝を抱えてめそめそとやる前に、ぎっと爪を上等な畳に食い込ませ。

 「やってやる……!」

 と、金糸の美しい畳の縁を引っ掻いた。部屋の中はしばらく静かで、襖障子は薄いから、部屋の中でも明るかった。

 城下町は賑やかで、杖を次にどこに着こうか、ひとの足にぶつかりはしないか、本当に頑張って歩いていたのに、騒ぎの中で突き飛ばされないように突いて飛ばすことがないように、道路の端に寄っていた。そうして混乱したひとなみが落ち着くまでやり過ごそうとして、隣に止まった駕籠の筵が上がって、ひょいと抱き上げられてひょいと押し込まれてひょいとこの部屋に押し込められたのだった。

 天袋に違棚、地袋があって、狭い床間には蓬莱山の掛け軸。手が届かないところは潔く諦める。きっと本気で幸太郎を拐かしたのであれば、そんな所に重要なものを隠さない。その思考を裏付けるために、まずは部屋中の幸太郎が触れる場所を攫って回る。思った通り、何も見つからなかった。次は畳を剥ぐ。

 「初のお仕事が、こんなことで、ごめんなさい……。」

 着物の中に斜めに掛かったよく鞣された牛革は、光太郎の体を正確に採寸して作られた。脇腹に目の醒めるような瑠璃色に染められた鮫革の拵えは、直継の母の直継への形見で、今は光太郎の護身用の吉光だ。ぎゅっと畳の縁を全て触って、いざって、また畳の縁に指をかけ。どこかに最後に敷くため、柔い部分があるはずだ。三枚目の畳の縁が柔らかくなってい、鮫皮の拵えを押し込んだ。徐々に減り込んで、金糸の刺繍美しい縁が歪んだ。直継が綺麗だと接吻けてくれる指先を押し込み、指の背が擦れて裂けた。痛みには慣れている、と歯を食いしばって、嫋やかな眉根を寄せて、ぎっと歪な音が立つ。

 「困ったね、お転婆で……。」

 「うるさいな。僕は仕事があるんだ。」

 畳を一枚引っぺがしたところで、男の声がした。若くない、と幸太郎は思った。声から見える男の様子は、おそらくは武家、作法が染み付いてい、背は高いが姿勢が良くない。正し慣れた座は正していないことから幸太郎の出自を知っている。

 「このまま、床の下を通ってでも、僕は帰る。」

 「帰る家はあるのかね。」

 帰る、と幸太郎は重ねた。低くその声は問いかけた。

 腹の底が冷えるような問いだった。

 父は彫刻の上手い仏師だった。母はお習字の上手い女だった。弟は幸太郎の後ろを良く這ってついてきて、たらちねにぷくぷくのほっぺたをよく動かして、それをつついてお兄ちゃんは全くと叱られて頭を撫でられた。山にあった家はもうない。浜に引っ越そうと言って、荷車をがしゃごろがしゃごろと、その頃には母は髪を結うことができず、息子二人には痩せた横顔しか見えず、痩せ細った首にどこで手に入れたのか縄を括って。

 気付けば畳を上げた床の上に、ぼたぼたと海の雫が落ちていた。父は文字は読めなかったけれど、本当に細やかな仕事が出来る職人で、母はそんな父の腕に惚れ込んだ女で、おかっちゃん、よして、おかっちゃん、怖いことなんてないの、僕がいるから、お前がいるから!

 「帰る家、なんて、ない……。」

 お前がいるから!

 「帰ったら、おかっちゃん、が……。」

 お前がいるから!

 「おかっちゃんが、どこかに……行っちゃって……。」

 お前がいるから!

 「僕が、いたから……?」

 この記憶はどこから来た。海の一番深い所に沈めた黒い玉手箱。きっと開くと腐った内臓が溢れて綺麗な海を汚してしまう。神様の住処をどろりと黒く濁らせて、果たして生贄を蔑んだ目で睥睨するのだ。珊瑚のような淡い色の髪に、そこに住む小魚のような髪飾り、白い肌は日焼けの後が可憐な小鳥にキスされたみたいに愛らしくて、透き通るように白い腹を見せたとして、そんな汚いものを海に流す愚か者を、神様は愛してくれるだろうか。海のわだつみ、荒御魂、陽気を届けなさいと彼らは言った。海の中で抱かれて死ねと言われて、死ねなかった。

 「でも! 僕は帰りたいんだもの!!」

 井草の良い香りがしていた。床板を捲って、地面を掘ってでも帰ろうと思う。どこに帰る家があるのだ。所詮は村に住み着いたお侍さんの家の居候で、実家もなければ頼る家は友人の屋敷。ぎちと爪の付け根が軋む。また怪我を増やして、と呆れたように直継は整った鼻梁を眇めて、心配性から眉を顰め、傷を躊躇わない幸太郎の気性に美しい瞳を潤ませるだろう。

 「僕の帰る場所は、直継君がいるところ……。」

 茫漠と、幸太郎は呟いた。あの粗末な村の家だって、武家屋敷の廣い座敷だって、いつだって直継は幸太郎にただいまと言って、幸太郎におかえりなさいと応えてもらったら、子供みたいにくしゃっと笑う。夜は同じ布団で足を絡めて、冷たい脚を暖かく包んで、おやすみのキスをして。たまに幸太郎が早く起きると、すっかり抱き竦められて身動きが取れなくて、精悍な美貌が赤ん坊みたいにたまに涎を垂らして寝ている様子を、何時間でも見ていられる。遅くならない限りは幸太郎が起き出すまで直継が抱きしめていてくれる。たまに助平な悪戯をされて、ぺちぺち打ってもへらへらと蕩けるように笑って、口説き文句や接吻けをよこして、うっかり朝から熱がこもった布団の中で、時間が許すまではいちゃいちゃやっていたりする。

 「帰る家なんていらないっ。僕は僕が帰りたい場所に帰る!」

 爪が割れそうになっていた。短刀の柄はこうした使い方をしてもいいものか、美しい拵えを壊してしまいそうで嫌だけれど、幸太郎は直継に、直継の元に帰るために、ならば大事にしまっておいては失礼なのだ。こんな時に振るわれないなんて、切ないに決まっている。

 「随所の主となれ、よく勉強しているね。」

 すとその手から短刀が取り上げられた。襖がいつの間にか空いていて、幸太郎が荒らした部屋に奉公人がやってきて、床板を確認すると畳を敷き直した。

 「どなた。僕をお家に帰して。」

 「どうだろう、私はよく似ていると言われるのだが。」

 幸太郎は黄玉のような色素の薄い瞳を剣呑に尖らせ、優美な白髭の男を見上げた。額は随分広くなっており、丸く盛り上がる薄い瞼に、鼻が大きく目立っていた。神経質そうな尖った顎にも髭を蓄え、しかしそれは綺麗に毎朝髭剃りを当てている。年老いた美髭公は、薄いくちびると鼻筋が、孫にそっくりであった。

 「……どうだろう、似ているかな、君の好いひとに。」

 「第一印象が最悪です。」

 つんと幸太郎は言った。するとくしゃりと孫によく似た真っ白な笑顔で、還暦も過ぎたと聞くのに歯も全て美しく、頬骨の上の盛り上がりがなんとも言えぬ色香を纏っており、おそらく直継が歳を取れば、こんな風に豊かなおじいちゃんになる。

 「畳の剥がし方が上手だ。どこかで勉強をしたのかな?」

 「お寺のお掃除でやりました。」

 「ほう、お寺に通ったのかね?」

 「友人が坊守さんになるの……。」

 幸太郎は咄嗟に口元を覆い、甘やかな愛らしい顔を、ぎゅと憤怒で歪め直した。怒るというのは疲れるのだ。ずっと怒った切っ掛けを覚えておかないといけないし、ずっとその熱を保たなければいけないから。

 「僕は、あなたと、お話したくないです。」

 そしてまた今度は、つんとおじいちゃんから顔を背けた。これくらいで打首になるなら、それこそ願ったり叶ったりである。嫌いなことを嫌いだと、嫌なことは嫌だと言えと、直継は随分幸太郎に言い聞かせ、不思議な情緒を持つ幸太郎の、大切に大切に育てた部分であった。

 「参ったね、あの子が惚れたのもわかるよ。」

 奉公人が柔らかな座布団を運んできた。綺麗な和紙に包まれた金平糖と湯呑みの白湯を蝶足の膳に置き、直継の祖父は座布団に胡座をかいて、

 「金平糖、どうだい? 甘いものは?」

 「甘いものは好きです。あなたが嫌い。」

 あわあわとなったのは奉公人達だ。弥吉が申し訳なさそうに襖の脇から顔を出し、何度もぺこぺことお辞儀をしていた。

 「ああ、清吉には言っておいたよ。心配させてもいけないから。」

 「スリはあなたの差金?」

 「罪状がなければ捕まえられないからね。」

 はてと幸太郎は首を傾げそうになったが、あの宿場町の盗賊達が、全てあの場で捕まったとするのは日和である。金目の物を交換に出ていた可能性があるし、直継に切られず這々の体で別の場所に移ったなど、考えられる可能性ではあった。

 「やっぱり、あなたを好きになれない。」

 「そうかい? ちょっと残念だね。」

 「直継君が大好きなお祖父様だから、きっと好きになれると思っていたのに。」

 楽しそうに破顔した直継の祖父は、やっぱり孫によく似た真っ白な笑顔を見せた。年もいけば老獪で、本音を危うく漏らすことなどないだろう。直継がもう少し腹芸など覚えると、こんなひねた大人になるのかも知れない。

 「杖を返すよ。」

 「あの子達は、怪我をしていない?」

 「幸太郎君の足だ。傷つけた者には腹を切らせるよ。」

 その思い切りは、直継によく似ていて、長い睫毛を眇めてしまった。

 「どれ、着物を変えなさい。埃だらけだ。」

 「忝うございます。帰ります。」

 「直継は呼んである。着物は一人で着替えるかな?」

 よっこいせ、と確かに重ねた歳月に肩が重そうなおじいちゃんは、衝立と家紋の入った風呂敷を運ばせ、金平糖を摘んだ。こうなると、着物を着替えてその姿を見せなければ、偉い人というのはそこで頑固に座っているものだ。

 「失礼いたします。」

 幸太郎は風呂敷包みを受け取り、怪我のある美しい指先を揃えて頭を下げた。結構派手に擦りむいたなあ、と手を軽く握って爪を見れば、海際の生贄の頃の薄い爪が、段差がつくくらいに厚みが出てい、ぱちくりと長い睫毛を上下させ。いざって衝立の陰に入って、子供用の背の低い衣桁なども用意されているから、なんとなく憎らしい気持ちになって舌を打つ。ふはと楽しそうな笑い声が返ってきた。

 品のいい黒に家紋を染め抜く風呂敷は、空色の着物を包んでいた。夏の空の水分の覆い、柔らかな水平線のあたりの青だ。砂色の着物を脱いで、鬱金色の襟が入った空色の着物を纏い、短刀を仕舞う装具の食い込みを直し、留め具を改める。あと留め具四つぶんくらい肉をつけようなと直継は語った。静かな衣擦れの後、新たしい着物でいざって怪我から出ると、弥吉が小箱を持ってやってきた。

 「しみるかも知れません。」

 「いいえ、ありがとう。」

 指先に薬を塗って、布を当て、包帯をくるくると巻いていく。弥吉は幼少から病の絶えない子供で、食べると蕁麻疹や咳が止まらなくなったり、蕎麦など息が止まるくらいに神経質な体を持っている。幸い相馬の領地では蕎麦よりうどんが主流であったから、家族共々療養を理由に相馬の奉公人として移って来たのだという。相馬の武芸師範は医者の家系の出であったから、そちらに勉強させてもらいながら、相馬家の使用人をやっている。

 部屋の周りの襖を開けて、障子を開ければ、部屋の外は廊下が張り巡らされ、嵐の際に締める雨戸の戸袋があり、杖を使ってことこといけば、縁側の向こうの晴れた空がよく見えた。他にも四部屋あるのだろいう家は、小さな中庭に細い水流をひいて涓滴岩を穿つており、小さな池には紅い鮒が二匹泳いでいた。屋敷というより庵としたほうが風情があるな、と幸太郎は裸足の爪先をそのまま、弥吉と直継の祖父の手を借り、外庭に降りた。

 「あれは胡瓜。あちらがトマトという果物だ。ちと毒々しいが、五百年もすれば皆旨さに気付くだろう。枝豆は直継が好きだろう。持っていきなさい。そこの蕃椒は赤と黄色と緑があってね、種を抜いて細切りにして、醤昆布で炒めると美味い。ああそうだ、そこに茄子を植えたんだ。くたくたに煮て醤や薬味で食べるとなかなかでね。皮が分厚いのが困ったもんだが。」

 そこには柔らかな黒土を耕し、堆肥をよく混ぜ、野菜を植えた畑があった。海際の村の田畑に比べれば狭く畝の作り方も下手であるが、一つ一つ丁寧に植えられ、季節に実をつけ、特に胡瓜なんて地面に刺さるくらいの大物が実っていた。

 「どうだい、狭い家と畑だけれど。」

 「いいと思います。これに湯船のあるお風呂があれば、直継君は気に入りますよ。」

 「湯船が好きかい、あの子が。」

 「ええと、嫌いだったんでしょうか?」

 「ああ、お風呂で本を読んだりしていたからね……。」

 確かに直継が奈緒丸少年出会った頃、お風呂でじっと百まで数えなさいというのは苦手であるかも知れなかった。それそも、幸太郎の自惚れでなければ、幸太郎を膝に乗せ、深い湯船にくっついて浸かってというのが直継は好きなのかも知れない。卵が先か鶏が先か、おそらく一緒にお風呂に入るというのは楽しかったのだろう。田舎では病気にならないように暖かい湯に浸かる。

 「それは僕でも叱ります。」

 「はっはっは、叱るか!」

 「きっとお祖父様譲りのやんちゃなんでしょう。叱ります。」

 「そうか、そうか!」

 わはわは楽しそうに祖父は笑って、杖を使って器用にしゃがんだ幸太郎は、土に触れて匂いを確かめ、よく幸太郎と直継を並べて顔を拭いてくれた田んぼの肝っ玉母ちゃんを思い出す。良い土だ。米を作るなら別の水路も必要だが、季節の野菜を育てるくらいであれば、このくらいの場所がいい。あとは肥料や石灰、豊かな土を足して、種の播き加減を整えて。

 「この家と畑をね、幸太郎君にあげようと思ってね。」

 「えっ……?」

 「私の余生にしようと思っていたんだけれど、もっと景色のいい家を見つけてしまったんだ。」

 形のい鼻を掻いたお祖父様は、盗み見るように幸太郎をちらちらと見て、まるで照れ隠しをする直継にそっくりで、直継の癖のいくつかは、祖父の魅力的な仕草から来ていたのだ。

 「空き家にしてしまうのも面倒だし、畑はやりたい者にやらせたらいい。」

 「はあ……。」

 「どうだろう、幸太郎君は、気に入りそうかい?」

 「東の部屋を画房にしていいですか?」

 「画房か、うん。好きにしなさい。」

 二人で住むには充分で、一人でも寂しくないように、そんなちいさな、ごく普通の家だった。塀の向こうに馬の足音と嗎が聞こえて、乱暴なほど木戸を蹴り開けたのは、これからの身の振り方を親兄弟と相談するのだと出ていた直継である。

 「こンの、くそ祖父ぃ!!」

 大好きな祖父に罵倒を吐いて、その隣の幸太郎をひったくり、抱え上げると脇腹に杖を倒すまで、実に流れるような動作でやって、砂と土に汚れる幸太郎の爪先を大きな手で拭い。

 「ふざけんなよ、俺の家は俺が決めるつったじゃねえか! 幸太郎攫ってどうするつもりだった!?」

 幸太郎誘拐さると火急の知らせは、直継に血の気を引かせたが、祖父は昔孫が大好きだった暗号遊びで家の場所を告げ、直哉の屋敷から二つほど道路を行った場所を突き止めた。

 「どうもせんよ。ちょっと妻に似てるなと思ったけれど。」

 「じっくり見てんじゃねえよ! 減るだろ!!」

 「減るもんじゃなし……って、先に言われた……。」

 まるで漫談みたいな風景に幸太郎は思わず吹き出して、直継の胸にくすくす咲いた。きっと穏やかなおじいちゃんなんだろうと思っていたら、やっぱり直継の祖父だった。悪戯好きで、お茶目で、孫と鬼ごっこをするのが大好きで、直継の反応を逐一楽しんで、呵呵大笑と上機嫌だ。

 「足、怪我ねえか? 手どうした!?」

 「ちょっとお祖父様に構っていただいていたの。平気だよ。」

 「昨日爪切ったのに……ぴっかぴかにしたのに……!」

 「薬箱を持て。沓が汚れていたからね、脱がせたままだったよ。気づかず済まないね。」

 「いいんです。痛くなんてないから。」

 縁側に運ばれ座らされ、杖も手の届く場所に寝かされた。外づかいと室内使いに分けたほうが良いだろうかと考えつつ、爪先を熱湯で絞った手拭いで綺麗にされて、爪先は足袋をつけ、布をさらに巻く。細かな傷が絶えなかったのに、最近はこうして直継が甲斐甲斐しいから、忘れそうになっていた。

 「お祖父様、僕はやはり、村に帰ります。」

 「……そう?」

 しょんぼりとした顔も、やっぱりどこか直継にそっくりで、祖父によく似た直継は、ぎっと強く睨んだが。

 「ええ、もしものために、もう一組、杖が要るの。泥だらけでお家には入れませんから。」

 よく懐いた大型犬みたいに、常盤色の混じった美しい瞳を煌めかせたおじいちゃんは、体は老いても心は若い頃の武者の心得を一つも忘れてなんていないんだろう。だってこんなにも鮮烈に楽しい老後を、さて何をしようかと常に新たしく考えている。

 「お祖父様も、お元気なら、村に遊びに来てちょうだい。怪しい風習があるの。津波に生贄をやるの。古い風習でしょう?」

 「生贄とな? 何をやる? 牛か、馬か? 人形を作る?」

 「んう、生きた人間なんですよ。どう? 怪しい風習でしょう。」

 「けしからん! 私が迷信など罰してやろう! 直継!」

 そういえばあの村は、宿場町の騒ぎのついでに、相馬の家の管轄内に吸収されたのであった。元々治めていた磐井家も、相馬の家ならばと是非にと返答を送り、村の細かな様子など、認めることに忙しい。何が摂れて何が不足しているのか、近隣では一番大きな酒蔵と、有難い曼荼羅を保全する寺がある。嵐の間は波が高く漁や田んぼに出れないから、学問も盛ん土地である。

 「あーあ、祖父さん、年考えろよ。」

 げほん、ごほん、とわざとらしい咳をしたお祖父様は、

 「ああ、肺の療養に、海など良いな。」

 などとほざいて、今度こそ幸太郎はきゃっきゃと声をあげて笑い転げた。尊敬する祖父と海の村からあ連れてきた好いひとが、まるでうふうふ仲良さげに笑っているから、直継は幸太郎の指を指に絡め、自分の膝の上に揺らして、少しくちびるを歪ませた。拗ねた時の直継の癖だと、幸太郎はよく知っていた。

 「申し、幸太郎様にお取次を。」

 と木戸を叩いたのは清吉だった。直継に抱き上げられて幸太郎が顔を見せれば、深く安堵のため息を吐いた。いつの間にやら先代筆頭家老の謀略に嵌って、何か償いにできる事はないかと、商人と呼ぶには職人の手をした男を二人連れていた。

 「清吉さん、ご無事でよかった。」

 「いえ、それがしも未熟で……。」

 「どした。もうその辺は全部祖父さんが悪いから、謝るなよ。」

 「有難う存じます。」

 商人はあの時、目の前で幸太郎を攫われた、ある意味でこの騒ぎに一番心臓を潰した者たちだった。

 「蜻蛉玉の!」

 「左様でございます。」

 綺麗に太陽の下に煌めいていた蜻蛉玉は、縁側の影に入れると、世界の美しいものを切り取ってきたように健気で愛らしく、眺めていても刀の下緒に編み込んでも良い。財布はきちんと持ち主のところに帰ってきた。盗みは刺青を彫られる。

 「これが白緒さん、こちらが謙真君、これが勇之亮君、お土産にしようと思ったの。」

 「俺も下緒に欲しいな。」

 「じゃあ、四つ、お幾らか知らん。」

 先代とはいえ筆頭家老のお爺様を前に、算盤を弾くことは無礼のように思った商人だったが、良い良い、価値があるものは金を支払われるべきだ、と白湯を啜っていた。金平糖を幸太郎は食わないかとちょっとそわそわしつつ。

 「五つだ。これを貰おう。」

 「待って、僕の予算を超えてしまうよ。」

 「半額は持つ。」

 ならば支払える。二人で選んだお土産は、華やかで涼やかで、綺麗で簡単には割れそうになかった。商人は金額を確かめ、ちょっと多めに渡されて、出張代だと言われて頭を下げた。直継は幸太郎が選んだ蜻蛉玉を摘んだ。血筋なのか直継の祖父も、黒い虹彩の中にちらちらと常盤色が輝く瞳をしていた。真夏の松の木の葉のような常盤色の蜻蛉玉を直継は取り、紐に通すと幸太郎の首にかけた。昔に飾られていた黒真珠は、いつの間にか姿を消していた。きっとそれこそ贄にとられたのだ。

 「んう? ありがとう……?」

 「で、こっちは下緒に貰っても?」

 「照れるね、これ……。」

 えへへと軽薄に笑った幸太郎は、黄玉のようなたんぽぽを詰めたような丸い蜻蛉玉を差し出して、直継の同田貫の拵えの下緒に通され結ばれるまでを嬉しそうに眺めていた。商人が家を退いたのは、お八つ刻の頃である。

 「直継、これを。」

 「ア゛? 何だよジジイ。」

 「例の調査結果だ。」

 「ああ、……忝い。」

 おじいちゃんは直継に折りたたんだ和紙を手渡し、矍鑠と歩いて家を去った。奉公人さえ置いて行きそうな確かな足運びは、あと何年見る事ができるだろう。時間というものに逆らう術を持たない彼らは、あと何年、あと何回、寂しく指を折る。

 「こうたろ、疲れたか。」

 「んう? 少しは、疲れたかな。」

 「この家、住むか?」

 「んうう……直継君と喧嘩したら、お籠もりしようか知らん?」

 「こんにゃろ。」

 隣に座って生意気な口を聞くくちびるを突いていれば、肩に手を置き、精悍な頬に柔らかなくちびるが届けられ、まるで何度も小鳥のように啄んで、ちゅ、っと下くちびるを吸われて、直継は細い腰を抱いた。

 「金平糖、食うか?」

 「ちいちゃな、お月様みたい……。」

 「俺は星みたいだと思ったな。」

 白くつんつんした丸い砂糖の塊は、指に摘まれくちびるに挟まれる。なまめかしいくちびるの向こうに押し込むと、目が覚めそうなくらい甘かった。同じものを見て違うものを連想して、甘やかして甘いものを齧った。

 「もっと……。」

 「んう、障子を閉めて……?」

 「……ふ、かわいい……。」

 金平糖を舌の上に転がして、入ってきた舌先に奪われて、新たしく一粒取って、かりと齧れば口の中にほろほろ崩れて蕩けていった。細い腰を抱いた逞しい腕の中、幸太郎ははしたなく顎を濡らしてしまって、直継の形のいいくちびるに舐められて、萎えた足を引き摺るようにされてもっと深く抱き込まれると、ついに甘く喘いで顎を上げてしまった。髪飾りを解いて、帯を解いて、この時ばかりは杖にすら隠れるようにして物影の中、衝立を置いた隅っこに、指を絡めて舌を絡めて、金平糖はすっかり蕩けて消えてしまった。



   ***



 昨夜はなんて甘い夜だったのだろうか。あちらの家には布団が未だなくて、深夜に忍ぶようにして円の背に乗り帰ってきた。幸太郎はぽやぽやでちょっと腰が痛くて、寝起きの頬を撫でてくれた直継の美貌という目の暴力で眠気を薙ぎ払われ、髪飾りを結ってもらった。

 空色の着物は衣桁にあり、綺麗に畳んだ風呂敷に、いつもの砂色の着物で天豆の鞘取りをやっていた。毎朝早いうちから父のところに仕事に行って、昼になると帰ってきて、少しのつまみと握り飯を持って出かける。

 直継は本当に忙しなかった。尼寺が襲われたものだから、盗賊を制圧した彼の証言や奉公人の動きなど、詳しく教えろと父親は勿論、各奉行所が詰め掛けても迷惑であろう、皆聞きたい部分が違っているなら、足労頂くほうがいい、となった。毎日違う場所で同じ事件の細やかな部分を詳細に話し、それなら当時同行していた奉公人だろうと取次いだりもしていた。その武芸の腕前に、矢張り暫く城の師範代などもやった。兎に角忙しかった。幸太郎がその間に暇だったかと言えば、床上げから数日、暇を持て余したおじいちゃんが可愛い孫の可愛い若妻を毎日のように訪ねてきた。やれ田楽だ、やれ祭りだ、やれ子供神輿だ、やれ菖蒲の節句だ、やれ市場の日だ、やれ豊穣祈願の花祭りだ、現役時代は高座から見下ろしていた頭を撫ぜて、金平糖をやって、幸太郎の足に合わせてというにはちょっとせっかちで。けれど行きすぎたと見るや戻ってやってきて、あれの由来はと教えてくれたし、たまに昔の直継の話をしてくれた。一度だけ亡くなった奥方の話もしてくれた。直継の父は彼女に似ているそうだ。おじいちゃんはたまに直継の作る冷水だとか、みたらし餡だの強請って、弱った幸太郎の連絡にはレシピが書かれた手紙が帰ってきた。作ってやったら感無量なまでにしわくちゃに笑って、幸太郎の淡い色の髪を撫でようとして、ぺちんと振り払われたりした。幸太郎は直継の祖父を嫌いと大声で言って、お祖父ちゃんはこんなに嫌われた事が初めてなので、特に幸太郎を構って回って、猫でも構い過ぎるとそうなるよと孫に呆れ果てられたりもした。愉快なお祖父ちゃんである。

 「今日は風が強いな。」

 直継の久しぶりの散歩は、円の背に幸太郎を乗せた、丘の上だった。城下町が見渡せて、山城の石垣も綺麗に見えた。都会は今日もひとなみが上下していて、海みたいだった。暖かくてあくせくしていて、子供がはぐれないか、はぐれたとしても真実の海みたいに溺れたりしないで、たまに迷子ですよと声をあげてくれていたりする。

 「これはなあに?」

 「桜。城を囲むみたいに植えてんだ。盛りはすげえぞ。」

 塩握りを頬張り、めざしを齧って、桜や紅葉のような甘い色の花びらや葉っぱは潮風にやられてしまうらしいと植物図鑑にはあった。

 「武継さんに教わった花も、春に咲くんだよね。」

 「ああ、花が見たいか。」

 「んう? お花もだけれど、咲いていない時と、咲いている時と、様子が違うでしょう?」

 「あー、ああ、曼珠沙華なんかそうだなあ。」

 「んう。あれはね、葉と花が一緒に出ないから、片思い草っていうの。」

 「あれはめおとなんだな。」

 秋になると田んぼの畔に真っ赤に燃えるように咲いて、毎年彼岸に上手い事咲くのである。根に弱い毒があるから土竜だとかの害獣よけになるのだと、田んぼの親父さんが教えてくれた。夏は星を見ながら、秋はよく首を下げる稲穂を見て触って、冬には二人して布団から出たくなくて、春になったらほろ苦い山菜を獲ってきて。

 直継の長身を眺めて、石垣になるはずだった大岩の隅に腰掛けた幸太郎は、背が伸びればいいなと考えた。けれども杖は窮屈になったことがない。直継のように武芸は達者に出来ない。けれど豆の筋取りや鞘取りはできる。火床をきちんと使えれば、炒り豆だって作れるようになった。都会の朝は棒手振りから惣菜を買って、直継がおいしく食べられたらいいなと思う。もう少し暑くなったらところてん売りが出てくる。

 「幸太郎、お前の家族のことだが。」

 「んっ……!……けほっ……え゛っ……ふっ。」

 「だ、大丈夫か!」

 「けふっ、ん゛、平気っ。ちょっと吃驚して……。」

 水筒の中身をつるつると飲んで、しばらく咽せた幸太郎に、直継は心配そうに覗き込む。へいき、だいじょうぶ、と包帯のある手を振って、はあと大きく息を吐く。

 「いいよ、聞かせて。」

 「どれから行く?」

 「弟。会いたくないけど、心配だから。」

 「わかった。」

 弟の名前はとよと言った。幸太郎の二歳下で、幸太郎のあとをよく這い回って、両親を心配させていた。

 「弟ってことだが、妹だったらしい。」

 「えっ、そうだったの? 記憶って当てにならないねえ……。」

 光太郎にとっては、どれも大事な昔の家族は、どれが本物の記憶で、どれが都合よく作った記憶なのか、もう判断するには術がない。

 「十歳の頃、尼寺に入った。」

 「尼寺……?」

 「宿場町の尼寺。ひょっとしたらすれ違ったかもな。」

 ふと直継は、書状から記憶したそれらを注意深く思い出す。何がきっかけで尼寺に入ることになったのか、どうして幸太郎は弟だと思い込んでいたのか、全て記されたそれは、決して甘い人生ではなかった。安否確認はされており、今はあの尼寺に引き続き逗留。

 「おかっ……母は……。」

 「生きてる。」

 「よかった……。」

 よかった、と胸を押さえて幸太郎は重ねて呟いた。本当に良かった。幸太郎の記憶がフラッシュバックを起こした折、どう考えても何をどうしても、首を括ったり胸に刃物を刺そうとしたり、生きていない可能性のほうが高かった。

 「会いに行くか?」

 「えっ。」

 「俺の家の諜報は優秀でな、兄貴に会いたいかどうか、ちゃーんと聞いてんだ。」

 「僕に、会い、たい……?」

 じくじくと、古傷を探っている心地だった。強引に縫い合わせた皮膚が不恰好なひきつれ方をして、雨が来ると痒くなる。垢が溜まるから時々は隅々まで綺麗にして、その世話も面倒になりつつあった。不恰好な傷跡は、一度切って、もう一度綺麗に縫い直すべきだと、幸太郎はわかっていた。けれど最近までそれが不恰好な傷なのだと、気づいてさえいなかった。もう一度開いて縫い直して、ひょっとすれば傷痕すら愛おしく思える日が来る。来ようとしている。

 「お袋さんは、今は幸信尼。尼寺で日々、古い因業に救いを祈る日々……。わかるだろう、幸太郎。」

 直継は、岩に座る幸太郎に膝をつき、じっと見つめて、確信を持って問いかけた。

 幸いを信じる尼僧は、幸いな男の子を産んだ。夫と二人で慣れない赤ん坊の世話をして、家を守って、娘を産んで、そしてある日に狂乱し、山に歩いていたと保護された。山に浜に彷徨って、子供達を忘れてしまった様子で、あちらこちらとずっと泣いていた。幸太郎の当時の歳を考えれば、足が萎えているのが発覚した頃だ。周囲になんと言われたか、想像するに容易い、人間の黒く危険な言葉。

 「俺はな、幸太郎の母君と妹君は、お前と会うべきだと思っている。」

 「あ、う……。」

 「いや、違うな。ベキ、とかじゃなくて。」

 深く深く溜息を一つ。直継は乱暴に見えて、繊細で神経質なところがあって、幸太郎の前では泣き虫でもある。

 「妹君は、幸太郎に、会いたいって言ってんだ。」

 「あい……たい……。」

 「妹君のちょっとしたわがままくらい、聞いてやれよ、兄貴。」

 柔らかなくちびるが戦慄いた。長い睫毛に雫が浮いた。眼球の裏が痛くて痛くて、暑いんだと思って、熱くなった吐息が小刻みに出て、肩を直継に抱かれたら、もう溢れるばっかりだった。

 「……あっ、会いたい……っ。」

 涙が膝の上にぽとぽと落ちて、嗚咽が呼吸の邪魔をして、直継は優しく優しく背中を撫でてたまに弱く叩いて。

 「……ぇっ……あ、……ひっ……う゛ぅ〜〜っ!」

 「な、兄ちゃん。あんま泣いてっと、鼈甲飴みたいで、溶けちまう。」

 「あ゛…って……、あいたい! あいたいんだものっ……僕に妹が、ひぃっ……うれし、いるの……ッ僕にも妹が、いるんだっ……!」

 嗚咽に震える細い背中は、歓喜で発熱して、震える膝に顔を埋めて、ついに号泣した。幼い頃の記憶しかなくて、幸太郎だって自分のことで精一杯で、乱れた母の背中をどうにも出来ずに眺めていて、ついさっきまで弟だと思うほど、世話をしてやれなかった妹が。

 「相手は尼寺だ。ちょっとばかし小細工するけど、許せよ。」

 「んう、んっ……!」

 もう、頷くだけで、精一杯だと幸太郎は思ったのに。直継はちょっと困った顔を見せた。嬉しくて泣いている幸太郎を察せない弟を持つ身ではなかった。生き別れたきょうだいに会えるだなんて幸太郎は夢にもみなかったし、まして会いたくないとまで思っていたのだ。仕事で忙しい中を、こうして時間を作ってくれて、誰に聞かれることもない桜の植った城の裏、幸太郎はこれほど嬉しいことはないとようやく告白できた。

 「ごめんな、俺が忙しくって。」

 「大切なお仕事だもの、平気。」

 「祖父さん、今日もまた来るか……?」

 「直継君、お八つの献立ある?」

 「暑くなったし、汁粉を冷やしてやるか……。」

 「では井戸水を頂いてこないと。」

 厨番にあれこれ言いつけ、作り方を記した紙を幸太郎が中心になって覗き込む。幸太郎様、こちらはそれがしが、こちらはわたくしめが、と申しつけられたくて仕方がないらしかった。何せ毎日のようにやってくるおじいちゃんは、お八つの時は結構なわがままを言うのだ。舶来のカステラボーロだとか、葡萄を絞った果実水だとか、小麦と砂糖を練って円く形成して焼いて、牛の乳を泡立てたものを飾ってみたり、野苺を乗せてみたり、牛酪を煮詰めて煮詰めて蜂蜜をかけて食べたりした。お汁粉善哉大福はもちろん好きだし、金平糖が常に懐に入っていた。飴玉や饅頭を風呂敷にいっぱい持ってきて、幸太郎に何度も食べさせようと、あーん、とやれば、つんと顔を背けて嫌がるのがまた面白い風情であった。使用人達の夕食にもそれらは添えられた。ある日に時間が空いた直継は、あんみつ餡に蜂蜜を使ったものの試食と銘打ち屋敷の奉公人使用人全員集めて食べさせて、もちろんおじいちゃんも食べた。もし毒でも入っていればえらいことだが、おじいちゃんはもう隠居の身であるから、美味いものを食べて死ぬなら本望だと、幸太郎を呆れさせた。

 「幸太郎、大福あるよ。」

 「後でいただきます。」

 「がりがりでは抱っこのし甲斐があるまいて。」

 「お祖父様に抱っこされるなら舌を噛みます。」

 「そこまで!?」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ