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異説・安珍と清姫。  作者: どんどあげ


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4/8



 相馬本家には翌朝の早いうちから直継は屋敷を出て、出入りの魚屋や八百屋や着物屋が来る頃には帰ってきた。半刻程度であるが直継の祖父と会ってきたという。彼はとっくに還暦も回って季節の変わり目にひき込んだ風邪が肺病になるかならないか、無事に重篤にはならずに床上げを数日後に控えていた。武継は弱気になった祖父にといったが、直継にとっては矍鑠とした腹の底が見えぬ老爺で、直継によく似た骨の目立つ手でばしばしと直継の背中を叩いた。力強い手であった。

 彼にとっては短い時間、孫たちにとっては生まれてからずっと、可愛らしくて愛おしい丸っこい頭を撫でて、手を繋いでいたりした。筆頭家老の仕事は機に息子へと譲ったが、お殿様のお召しはあるだろう。家督は半分ほど孫達に譲っており、まあそこは遺言書なり生前贈与なりやるだろう。一番の問題児であった直継が帰還し、周囲のほうこそ安堵の溜息を吐いたのだった。

 「こうたろ、ただいま帰った!」

 「お、おおお帰りなさいっ! 直継君、ご飯? お風呂? あっ、帰ってきたら武継さんにご連絡して……!」

 直継の屋敷の奥の間の行李には冊子が随分な数入っており、幸太郎はそれらを捲っていたところだった。直継の声がしたから慌てて閉じた風情で頬を赤くして、はてなんと答えるべきか。

 「幸太郎は? 飯と風呂。」

 「僕はついさっき頂いたの。」

 「気に入った本ある?」

 「夢窓国師の夢中問答! ずっと読んでみたかったの!」

 「ああ、足利の……。」

 「あの村はね、足利の外様だったんだ。与謝野先生も少しの写ししかお持ちでなかったし。」

 「なるほどな。風呂入って着替えてくる。武兄の茶室行こうぜ。」

 「はあいっ。」

 色々な本を開いて閉じて、植物図鑑も蘭学書も、宗教問答も娯楽本もなんでも読むのが幸太郎で、直継は彼に比べれば、もう少し兵法や剣術指南などの本が好きで、そういえば研ぎに出した同田貫の様子はどうだろう。幸太郎は吉光の短刀の持ち主が直継の亡き実母だと聞いて返そうとしたが、護身用という名目で袂に仕舞えるように装具を拵えさせている。

 「どうして、向こうのお家では、刀を隠していたの?」

 「さ、どうだっけな。」 

 銀鼠色の表着は、武家の男の着物というには少し地味で流行外れで、けれど直継の黒髪が、凛々しい美貌が美しく映える。幸太郎の審美眼は不思議だ。地味で流行外れでも野暮にならず、長身の直継は足袋と本下駄を履けば幸太郎が見上げてしまう。そしてこの軽い体の背中を膝の裏を抱き上げ、幸太郎が杖を抱えると、円がおでかけだね準備は万端さとばかりに頷いて、この正月からこの屋敷の家令に命じられた男が、いってらっしゃいませと茶菓子を持たせてくれた。彼は直継のばあやの孫だ。

 武継の屋敷は、直継の屋敷よりも本家から遠かった。おそらくは相続権の順序や家の序列なのだろう。太陽の如し実継が厩で馬の絵を描いていて、まるでお武家の跡取りとは思えぬ無邪気であった。

 「いらっしゃい! 円さんもこんにちは。」

 「実継さん、本当に絵が達者なの……! あっこんにちは……っ。」

 「おーす、実継、そこ退いて。円のお気に入りだから。」

 「了解了解。」

 身軽で図画の画板を持って、決して贅沢にならない範囲で矢立を操り、すっすと片付け膝と尻の塵を叩くと、杖をつく幸太郎をよくよく観察するように見た。絵というのは紙と筆があれば出来るから、割と趣味としては経済的である。実継は論語を写し終わった余白に薊など描いて師範を苦笑させる達人であった。

 「生まれつきなんです。」

 「手紙では聞いていたけれど、しんどい時は教えてね。きっと助けるから。」

 「ありがとうございます。」

 痩せた膝下は今日も全くいうことを聞かない。足袋を履いて布を巻いた爪先を砂に擦り擦り、ゆっくりゆっくり歩いていく。武継の屋敷は正確には武継の母のものであるという。武継は相馬家の血が流れていない。母親が奉公に来て、現在の父親の側女に出世した。そうして生まれたのが種違いの弟で、来年髪を上げる。

 直継は早くに母親を亡くした。学問や武芸を修め、父の後を継ぐのだと周囲は以て囃し立てた。直継が文武を修めてお師匠様方の手放しとなってしまったのは長い血脈の中で早過ぎたことではなかったが、普通だと思うにも早かった。そして父の意見と相反する意見を多く持っていた。相馬の家にいること自体が、彼らにとっては不思議なほどであったのだ。あの海辺の村での姿でこそ、直継は直継でいられる。

 幸太郎が抱き上げられて捩り口に這入ると、武継が手を伸べてくれて、引っ張り上げてもらって膝でいざると井草の香りがふわと体の中を通り抜けるように爽やかであった。上座も下座もなく好きなところに座って、季節の花や掛け軸を見て、ああだこうだと鑑賞していれば、幸太郎は遠慮なく問うて、また違う解釈も語ってみたりする。

 「苦いよ。」

 「お抹茶、初めて。いただきます。」

 器の鑑賞の作法はあるが、今日は楽しく茶湯をやればいい。しかし幸太郎は釉薬の絡み方や器の凸凹や触り心地を楽しんで、教えぬうちから知っているような気配である。

 「苦ければ、お茶菓子も一緒に……。」

 「本当だ、目が覚めそうなくらい。」

 茶筅をすいと回した武継は、ほうと丸い吐息を吐いた幸太郎の様子に頷き、直継と実継にも茶を立てた。まるで縁側で果実など摘んでいるような茶会だった。武継と実継が直継の幼い頃の話など幸太郎に聞かせて、そんなこともあった、こんなことがあったと家一番の風雲児の武勇伝を語って聞かせ、お前こそあんなことがあったじゃねえかよと直継がいとけなくくちびるを尖らせ、まるで幸太郎の故郷の親友と話している事とそんなに変わることはない。茶室の礼儀を少しばかり語ってみたが、膝でいざることが標準の幸太郎には、いくつか教えるまでもないことがあった。四畳半に四人はいささか狭く感じたが、こんな風に友達というのは内緒の話をするのだ。

 昼過ぎの直継の屋敷には、壮年の男が本差を解いていた。先触れなしの訪問を丁寧に詫びた男を広間に上がらせた。背のすっきり伸びた、若い頃は直継に負けず劣らずの美男であったろう男の、薄墨色の怜悧な眼光は、腰を折ってお辞儀をした直継の後ろに杖をついてやってきた幸太郎を繁々と見た。

 「やあ、直継君。久しいな。」

 「先生、ご無沙汰を失敬しておりました。」

 「頼りがないのは元気の証だ。……ところで。」

 彼は直継の武芸の師範である。とっくに直継を免許皆伝にしてしまったが、天賦の才能というものを直継は間違いなく持っている。それ相応の優しさを持つことも、師範は充分に知っていた。

 「こうたろ、脚、診てもらうか。」

 「お邪魔にならないか知らん?」

 「直継君が好いひとを連れて帰ったと聞いてね。どれ、俺で役に立てることはないか?」

 そんな風に言われて、ふにゃと幸太郎は柔らかなくちびるを戦慄かせ、耳まで真っ赤になって、直継の師範にいくつか聞かれるまま素直に答え、膝を叩かれるのは少し苦手だけれど、なるほどと彼らはくちびるや顎を摘んで、幸太郎の脚を他意なく触った。手や背中も触って、これは痛いか、これは何をしていると思う、と熱心に聞いてくれた。

 「後日になるが、俺の見聞を書いておこう。」

 「ああ、先生、助かるよ。」

 「では、御免。直継君も本家の鍛錬場など来なさい。師範代だ。」

 「えぇ? 俺は教える才能ないんですよ。」

 見送りはいいと彼が言ったから、幸太郎は几帳台の向こうで帯を緩めて、直継が湯を絞った手拭いをくれたから、顔を拭って体を拭う。着物を整えて直継の隣にいざると、凛々しい目元を眇めた直継が、淡い色の髪を撫でた。

 「ちょっと緊張した。」

 「そっか、こうたろ。」

 「なぁに、直継君。」

 「多分、多分だけどな……。」

 「ん、わかるよ。」

 酷く辛そうな、我がことのように心を痛める直継は、師範の仕事を見て確信したのだ。その鍛えられた肩に幸太郎は頬を寄せ、猫のように擦り寄ってみた。

 「わかるよ。」

 自分の体だもの、と細く息を吐く。

 きっと、どうあっても幸太郎の足が動くことはない。杖を用いず歩けることはない。けれど歩けない体であるから、直継に抱き上げられて、抱き上げてもらって、直継の故郷に来ることが出来た。直継の兄弟や、都会の文化を知った。牛や馬の顔付きなんて全く違ってい、円は田舎にはいないような高飛車で、海では見られなかった花を沢山見た。

 あの壊れた祠から死地の崖を見上げるしかなかった脚が、今は太陽の下で、直継の膝を枕にして、美しい手に止まる紋黄蝶に長い睫毛を瞬かせている。



   ***



 屋敷の奥の間が屋敷の主人の寝室である。母屋と離れがあって、庭は東西南北が四季に対応していて、京の古い建築様式を真似させているのだと直継は言った。今の時期は薔薇の棘が瑞々しくて、もうじき紫陽花が丸くなる。背の高い木々は綺麗に剪定されて、明るい日に新芽が出て特に伸び、幸太郎の色素の薄い瞳によく似た花が咲くんだと教わった優美な枝が揺れていた。

 「父上のとこ、本当にだるいんだけど、明日行ってくるわ……。」

 「あは。そうなさって。僕は……。」

 近所の散策でもしてみようか。きっと市場は賑やかで、海のものが減る代わりに山のものが増える。筍などあんなに並んでいる様子を初めて見た。山菜や野菜が多く並んで、直継は手ずから買ってきて、厨番と一緒になって飯を作って、幸太郎に一番良い部分をよそってくれる。

 「え、こうたろも来いよ。」

 「ご家老様でしょう? 僕が気安くお会い出来る方ではないよ。」

 「あーぁ……行きたくねえ……くそが。」

 「お口が悪い。」

 ご馳走様でした、と手を合わせると奉公女中が懸盤膳を下げて、行儀悪く片膝を立てて茶を啜る直継を傍目に幸太郎は部屋の隅までいざって、また帰ってきた。踵が上手く尻の下に入らなくて、出来損ないの正座で指をつき、ゆっくりと頭を下げた。

 「直継君、吉光の短刀なんて、僕には身に過ぎる。お返ししたいの。」

 帛紗に包んで大切に大切に幸太郎は手をつき、恭しく短刀を置く。淡い色の髪に髪飾りを結ってやるのは直継の毎朝の始まりの儀式みたいなものだった。幸太郎は髪飾りを揺らし直継を見上げた。凛々しい眦が静かに彼を見下ろすと、ふと細く息を吐いた。

 「白状する。俺は刀を隠してた。」

 「……そう。」

 「あの頃は、こうたろに刃物を持たせたら、……。」

 「そう、そうね、僕はずっと死にたかったから。んう、心が死んでいたから。」

 痩せ細って瞳だけが目立っていた、骨と皮は甚振られた痣があって、自ら立てず、あのまま海に攫われるはずだった。体だけが生きていて、へこへこ動く男の頭の向こうに見える崖の上に、崖の上から、飛べばどんなに華やかに死ねるだろうと。

 「きっと脇差なんて見れば、首を掻き切っていたと思う。」

 「……ああ。だから……。」

 直継は座を正し、直向きなまでに幸太郎を見た。膝先に置かれる短刀を、帛紗に包み直して、幸太郎の手に受けさせて。

 「これは、俺がお前を殺さないための覚悟だ。」

 殺したい相手に突き立てて殺すも良し、殺されるならばその前に死ぬも良し。

 「俺と生きてくれるんだろう?」

 殺さないために、死なないために、もしもといいうときは直継を殺せるように、殺して死ねるように、直継は母の形見を託すのだ。

 「は、い……っ!」

 気付けば幸太郎の頬には海が降っていた。

 暖かで柔らかで優しくて、抱き締めあって温めあって、ほっそりとした上品な手が、ただ慈しんでまろい頬が笑みの形に歪むことが嬉しくて、無防備に抱き付いてくれる子供達。頭が良くなくてもいい。顔が悪くてもいい。歩けなくてもいい。生きていてくれるだけでいい。いつの間にか一人くらい愛しい子供が増えても怒らないだろう。きっと直継の母は、そんな風な強く優しい女性である。

 あのう、と飯の支度を下げたお女中さんが、申し訳なさそうにお膳を一つ差し出した。炒り豆と冷酒は直継のお気に入りの晩酌で、幸太郎が市場の女将さんに教わって女の子達に手伝ってもらって炒った。

 「こちら、お召し上がりになり、ます、よね?」

 「ああ。失敬。奥の間に置いてくれ。」

 おぼこい女中さんは真っ赤になっていて、奉公に出した親からすれば直継の手が付けば大団円。しかし彼女は同じ奉公人の又吉と内緒の場所で視線をちらちらとすることを覚えて、武継はちょっと機会でも設けてやろうかと謀略していると茶室で言っていた。

 「わ、直継君っ、どこか行くの?」

 「風呂!」

 幸太郎を抱き上げ、軽々足音を弾ませる直継の、なんと愛らしいこと。風呂場では湯掻きを使って短刀の使い方を教えてもらって、刃物の扱いというのは本当に、直継が包丁仕事をしている時にしか見た覚えがなかった。直継は案外周到だった。幸太郎が下手に触って怪我をしないように、もしもその首を突いて死ねば、きっと直継は後を追った。筆や針仕事では使わない筋肉を使うし、見せるだけでも威嚇になるとわかっているから、護身用とは言い訳だ。きっと菩薩のような母親は彼を護ってくれる。

 「あっ……やだ……。」

 「良い子……。」

 「あ、やだっ……お風呂でよして……っ。」

 尖った顎を抱かれて、体を優しく撫でられて、絡んだ指から包んだ頬から発熱して、背骨の中がまるで甘いもので満ちてしまって、甘やかな恍惚に幸太郎は随分蕩けてしまった。

 「手拭いくれ。」

 直継は幸太郎を膝に乗せ、湯から上がると風呂場の外に声をかけた。腕の中にうっとりしていた幸太郎は一気に覚醒し、ばちと己のくちびるを美しい手で覆い、するすると木戸が閉じて行くまで硬直してしまった。

 「きらい!!」

 簀の上で体を拭って木戸の隙間に通される浴衣を羽織ってと寝間の支度をしていれば、幸太郎はふしゃと猫が吠えるみたいに訴えた。

 「俺が? 嫌い?」

 「……嫌い。」

 「堪忍、な、こうたろ♡」

 「かわいくゆってもだめ!」

 まるで大きな人懐っこい犬みたいに直継が被さってくるから、幸太郎は大慌てで風呂場の木戸を開け、氷を張った盥を持ったお女中さんと目があって、直継に急いで浴衣の帯を結ばせた。盥には茶碗が冷えていて、砥部焼かと直継は感心していた。風呂で汗を流した分水を飲み、布団は二組。華美な装飾のない布団は柔らかく、直継は幸太郎が寝そべる布団にくっつけるどころか端と端が重なるくらい寄せ、改めて幸太郎を抱き込んだ。

 「もう良い? まだ嫌い?」

 「……誰か近くに控えてる?」

 「下がらせた。」

 「ほんとうに? 誰も聞いてない?」

 主人の少しの身動きだとか目線だとか、そういった合図は仕込み済みだ。夜の性活を見守る仕事はあるが、はてさて。

 「……すき……。」

 直継の腕枕の中、嘘が吐けるような幸太郎でなかった。気付けば食べるような接吻けをして、黄玉のような瞳が濡れていた。敏感な部分を優しく撫でられると、生理的な涙と汗が出て、直継の鍛えられた体を玉のような雫で濡らしてしまうのだった。

 愛欲に煌めく直継の瞳に映る裸体は、日焼けの痕が雀斑みたいで愛らしく、陽の下に晒さない部分は透き通るように白く、今は血の色が透けて淫らな果実のようだった。

 「あの、あのね、なおつぐくん、あのね……。」

 「ン、しんどい?」

 「へいき、あのね…ぼくがうえになるやつ……。」

 「ア゛? 誰に教わった。」

 「ごほんで……その、さねつぐさん……の……」

 めらっと嫉妬の炎が見えそうだった。実継が直継の家の塗籠に運ばせた本というのは、古事記日本書紀はもちろん、伴天連の書物や仏典の軸もあり、勿論のこと火事除けの縁起物だって入ってあった。

 「あ……ンのやろ!」

 「いいか……しら、ん?」

 ふにゃふにゃ蕩けて軽薄に歯を見せて笑って、甘い汗がしっとり香る。二の腕だとか胸筋だとか腹筋を味わうように撫でて、ほうと恍惚の溜息が酷く色っぽかった。入れ知恵なのか偶然なのか、さてとまあ直継に声をかけられ慌てて本を仕舞う様子など、きっとそういうことだった。なんだかんだで直継だって幸太郎がこういうことに嫌悪がないのは嬉しくて、甘えられるままやってみて、もっと仲良くなったというか、もっとアレなところが知れてしまったとか。

 朦朧とするまで付き合わせた直継は、幸太郎の体を拭い、汚していないほうの布団に幸太郎を寝かせ、汚した手拭いをまとめて空の盥に突っ込んだ。明日は父親に挨拶に行かねばならないかと考えて、あんなに後回しにしたい、しないで済むならしないでまた海辺の村に帰ろうとまで考えていたのに、すっかり前向きになっていた。鶏鳴の助、内助の功、そういった言葉があるくらい、きっと世の中の奥方というのは大変な仕事をしている。ただ一人の相手を愛することの、なんと難しく尊いことか、直継は故郷に帰ってきてから久しぶりに深く眠ったのであった。



   ***



 直継の父は、城への出仕を終えた夕方に直継と面会の取次をつけた。それまでの間は幸太郎を襲った男達三人が揃ってお白州に引っ張り出され、不義密通により流罪を言い渡されるまで見届けた。そのあとは研師の仕事を見に行って、若様こんな所にと慌ててもてなされてが、同田貫は持ち主の魂そのもの欠けもなく、手入れと血を吸った鎺を始め、拵えを一新した姿で帰ってきた。そないな斬り形をして刃こぼれ一つないとは、若様ほんにお上手なんですなあ、と上方から渡ってきた鍛冶屋が言った。嫌味かと思ったが純粋に感心したと目を輝かせていたので、言葉とは面白い。

 その松の木は、直継が登って唯一降りることが出来なかった木であった。仕方がないなと抱き下ろしてくれたのは父だった。その時に父の笑顔は見れたのかどうだが、生憎記憶にない。

 「その着物はどうした。」

 と、父は言った。作法通りの挨拶をして、松の樹の枝ぶりを見て、父親は掠めるように直継を見た程度であるが、道中の盗賊退治のことだの出奔先でのやんちゃなど、既に調べさせているのだ。

 「良いだろ。縫って貰った。」

 筆頭家老の屋敷の片隅、孫の土産話を呵呵大笑で聞いたお祖父ちゃんは、そうかそうかと話を聞いてくれたが、父はそんな忖度が一切ない。銀鼠色は流行遅れだとかの世間話もない。それどころか自分によく似た息子が何を考えどうしたいのか、自分によく似ているからこそ、視線や微かな身動きから察して言葉少なく観察し合う。

 「あの街道は、相馬が管理することになった。」

 「復興に金がかかるぞ。」

 「金は出す、価値があるからな。」

 「仰る通りで。」

 相馬の若殿様はやはり実継だという事らしい。実際に相馬が仕える城は、金山を持っているから金など使わなければ腐るほどなのだ。宿場町の治安を取り戻し、峠の茶屋は茶店と旅人の宿泊所を新たに建築する予定である。特に治安は大事だ。奉行所と関所をきっちり詰めて、通行手形の使われ方を見極めて、老若男女が何の不安もなく生活できる、そんな宿場町を作る。

 「円、連れて行って良いか。」

 「円はお前がおらんと荒れる。」

 まるで直継の考えなど、やっぱり全部お見通しなのだ。幸太郎のことはどう聞いたのか、多少の興味はあるが、何も言わない。察するだけの親子の情だった。直継は愛されて育った。父親の血を引く赤ん坊が変死を遂げる中、最初に生き残った子供である。

 「元気でな、くそ親父。」

 「左様ならば、不肖の息子。」

 そうして数年ぶりの父子の再会面談は終了した。平坦な会話、しかし互いが何をどのように考えているのか、言葉はなくとも話ができる。円の背中に揺られて帰った直継の屋敷の玄関では、幸太郎が湯と手拭いを用意して待っていた。お帰りなさい、と海辺の村でもこの武家屋敷でも、幸太郎は大輪の花のように微笑んで直哉に手を伸ばす。円を厩番に任せてほっそりと美しい手を取ると、長い睫毛が一度大きく上下した。

 「腹痛いって言ってなかったか?」

 「も、もう、野暮だよ、直継君の野暮っ!」

 「悪ぃ、ただいま。」

 「ええ、お帰りなさい。草履を脱いで。足を拭くから。」

 お武家様の物語には、大体賢い妻がいて、脚を拭ってくれるものだった。幸太郎はちょっとロマンチストな部分があると直継はとっくに知っていて、きっとそうして空想を楽しむ心があったから、過酷な因業を生き抜けた。

 「良い知らせと悪い知らせ、どっちから聞く?」

 「悪いほう。」

 だって悪い報告からさらに悪いことは起きないから。

 「少し、領内が騒がしくなる。」

 「そう……忙しくなるんだね。」

 「ん。」

 「良いほうは?」

 聞いて欲しそうに直継がずっと笑顔であるから、幸太郎は可愛らしく小首を傾げ。ふふふと直継も軽薄に笑ってしまってちょっと弱った。大体幸太郎の前では鋼の理性も蕩けっぱなしだ。

 「忙しいのが終わったら、海へ帰ろう。」

 細かい話は後にしよう。あの海辺の美しい村は、壊れた祠があった。祠の中の生贄は、無事に神様のような男に届けられたのだから。


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