第43話 宇宙規模のブラックジョーク
千代は、アーレイの案内で、村の最深部にある『聖樹』の地下へと降りていった。
そこは、長老ブロップたち一部の兎人族しか立ち入ることが許されていない、古い祠のような空間だった。湿った土の匂いと、聖樹の根が放つ微かな青白い燐光が、洞窟内を薄暗く照らしている。
その最奥の開けた空間の地面に、それはあった。
直径十メートルほどの、完璧な円を描く巨大な幾何学模様。
複雑な方程式と魔力回路が、現代の半導体基板の配線図のように緻密に刻み込まれている。これこそが、兎人族の長老が村人の寿命(魔力)をかき集め、異世界から「戦術眼を持つ女子高生」を強引に引きずり込んだ、古代の遺物『召喚陣』だった。
「……なるほど。これは一介の亜人種が作れる代物ではないな。空間座標をねじ曲げ、並行世界から特定の質量と情報をサルベージする。神の領域の術式だ」
アーレイは、杖の先で召喚陣の縁をなぞりながら、専門家としての純粋な感嘆を漏らした。
「魔王軍の観測部隊が、この村の地下から発せられた莫大な魔力異常を検知したのだろう。彼らは、このシステムを使えば、異世界から強力な兵器や未知の技術を無尽蔵に引き出せると考えた。だからこそ、正規軍の精鋭部隊を派遣して、陣の確実な接収を図った」
アーレイの論理的で冷徹な説明を聞きながら、千代の脳内で、これまでのすべての事象の因果関係が、一つの線として繋がっていった。
兎人族の長老は言った。「魔王軍が村を襲ってくるから、どうか助けてほしい」と。
彼らは、自分たちの乏しい食料や命が、理不尽な悪の軍団に狙われていると本気で信じ込んでいた。だから、起死回生の手段として、村人たちの寿命を削ってこの召喚陣を起動し、千代を喚び出した。
しかし、事実は全く逆だったのだ。
魔王軍は、最初からこの村の兎人の命など、路傍の石ころ程度にしか思っていなかった。彼らの進軍の「原因」は、兎人族が召喚陣に魔力を注ぎ込み、起動させてしまったことそのものにあったのだ。
つまり。
防犯ブザーを鳴らしたせいで強盗がやってきた、というレベルの滑稽さではない。
『助けを呼ぶための通信機器から漏れた電波が、敵宇宙艦隊を引き寄せるビーコンになっていた』という、SFパニック映画の最も救いようのないプロットそのものだった。
「…………ふふ」
地下の静寂の中で、千代の口から、微かな笑い声が漏れた。
それは次第に大きくなり、やがて腹を抱えるような、乾いた爆笑へと変わっていった。
「あははははっ! なによそれ! じゃあ、あいつら(魔王軍)は、私を召喚したこの陣を奪いに来て……結果的に、この陣で召喚された私に皆殺しにされたってわけ!?」
「左様。極めて皮肉な因果のループだ」
千代は、地下の冷たい土の上に大の字になって倒れ込み、天井の木の根を見上げて笑い続けた。
笑いが止まらなかった。
とてつもなく下らなくて、そして、とてつもなく不条理なブラックジョークだった。
誰も、世界の真実など見ていなかったのだ。
兎人族は、ただ自分たちの貧しい命が狙われていると勘違いして怯えていた。
魔王軍は、特異点の奪取という事務的な目的のために、機械的に軍隊を進めた。
傭兵たちは、ただの貧乏村の防衛という名目のもとに、誇りや金のために戦った。
そして千代は、盤面を操る指揮官として、己の倫理観を捨ててまで、百五十の命を泥濘の棺桶に沈め、味方を自爆させ、血反吐を吐きながら防衛線を死守した。
そのすべての凄惨な殺し合いの根本原因が、ただの「相互不理解」と「ボタンの掛け違い」だったという事実。
誰も悪くない。誰も賢くない。ただ、致命的に情報が欠落していただけ。
それが、戦争の正体。
それが、人間や亜人が血を流す理由の、あまりにも滑稽で、救いようのない真理だった。
「……あーあ。笑いすぎたら、また鼻血が出てきた」
千代は笑うのをやめ、制服の袖で顔を拭った。
昨日から感じていた村人たちへの疎外感や徒労感が、このブラックジョークによって、完全に「冷めた怒り」と「決別」へと変換されていくのを感じた。
ドーゴン。レオハルト。ゲンガイ。
彼らは、この下らない勘違いの戦争の中で、間違いなく自らの意思で命を燃やし、誰かを守って死んでいった。その過程と結末だけは、どんなブラックジョークのオチがつこうとも、決して揺るがない絶対の「物理的事実」だ。
そして千代は、彼らの命を燃料にして、この盤面を最後まで回し切ったのだ。
「……アーレイ。一つ頼みがあるんだけど」
「言ってみろ。今のわしには、火起こし程度の魔力しか残っていないがな」
千代は、寝転がったまま、召喚陣の幾何学模様を指先でなぞった。
「この陣のシステム、私を元の世界へ送り返すために『逆再生』させることは可能?」
「魔力さえあれば、理論上は可能だ。……だが、それを実行した瞬間に」
「ええ。陣自体に過負荷をかけて、完全に物理崩壊させるわ」
千代は、冷たい瞳でアーレイを見上げた。
もはや村を憂う指揮官の顔ではない。盤面をひっくり返してゲームを終わらせようとする、強権的なリセットの意思だった。
「こんな危ないビーコン、泥の村に残しておけないでしょ。また別の正規軍がやってきたら、今度こそこの村の連中も、オリエールたちも全滅する。……私が帰還するのと同時に、この特異点を消滅させる。証拠隠滅よ」
「よかろう」
老軍師は、一切の躊躇なく頷いた。
「では、生き残った傭兵たちの最後の任務(仕事)と行こう。泥にまみれた指揮官殿を、平和で退屈な箱庭へ送り返すための、盛大な送別会の準備だ」
千代はゆっくりと体を起こし、薄暗い地下空間を見回した。
原因と結果の特異点。
すべての不条理が始まった場所で、千代はゲームのエンディングに向けた、最後の演算を開始した。




