第12話:Home
1:束の間の休息
【飛鳥家・凛太朗の自室 お盆 13:20】
聖百合園女学院の夏休み。
凛太朗は久しぶりに実家に帰省していた。
短パンにTシャツというラフな姿で、ベッドの上にひっくり返りながら、アイスを舐めている。
「ふぅ……やっぱり実家が一番落ち着くなぁ……」
凛太朗は天井を見上げながら、深く息を吐いた。
寮の生活も悪くはない。
だが——毎日璃々花に振り回され、正体がバレないかビクビクし続ける日々は、想像以上に体力を消耗していた。
(璃々花さんも、紗耶ちゃんも、真理さんも……誰もいない。久しぶりに、ただの凛太朗でいられる……)
凛太朗はアイスを舐めながら、幸せそうに目を細めた。
ガチャリ。
部屋のドアが開いた。
「凛太朗〜、お昼ご飯できたわよ〜」
母・飛鳥 涼子が、エプロン姿で廊下から顔を覗かせた。
穏やかな笑顔の、どこか美玲に似た顔立ち。
「あ、もうそんな時間か。今行く〜」
凛太朗は、のろのろと起き上がった。
(平和だ……。この平和が、ずっと続けばいいのに……)
凛太朗はリビングへ向かった。
【飛鳥家・リビング 13:30】
リビングでは、父・飛鳥 正樹がテレビを見ていた。
がっしりとした体格で、短く刈り込んだ黒髪。会社員らしい落ち着いた雰囲気だが、目元が凛太朗によく似ている。
「お、凛太朗。帰ってたのか」
「うん。夏休みだし」
「そうか。昼ごはん食べろよ」
父はそう言うと、またテレビに顔を向けた。
凛太朗は椅子に座って——ご飯を食べ始めた。
「凛太朗、学校どう? ちゃんとやってる?」
母が、台所から声をかけてきた。
「まぁ……それなりに」
凛太朗が聖百合園に入ると決めた時、両親には「元々女子校だったけど、最近共学になった」と説明していた。
まさか自分の息子が女装して女子生徒として学校に通っているとは、両親も知る由はない。
「友達できた?」
「……できた」
「彼女とか彼氏とかは?」
「……」
凛太朗は箸を止めた。
「い、いない!」
「あら〜、そう? 凛太朗、かわいいのにもったいないわね〜」
母は、ニコニコしながら言った。
凛太朗は顔を真っ赤にして——ご飯をかき込んだ。
(璃々花さんのことは……まだ話せない……)
その時……
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。
「あら、誰かしら」
母がエプロンで手を拭きながら、玄関へ向かった。
凛太朗は気にせずご飯を食べ続けた。
しばらくして……
「凛太朗〜! お客様よ〜!」
母の声がリビングに響いた。
「客……?」
凛太朗は首を傾げながら玄関へ向かった。
そして……固まった。
玄関には、紙袋を両手で抱えた——璃々花が立っていた。
白のワンピースに、薄手のカーディガン。
いつもの制服姿とは違う、清楚で上品な私服。
まるでお嬢様そのものの佇まい。
「こんにちは、凛太朗」
璃々花は小声で呟き、にっこりと微笑んだ。
「な……なん……で……!?」
凛太朗の顔から血の気が引いた。
2:突然の訪問
【飛鳥家・玄関 13:35】
凛太朗は玄関で完全に固まっていた。
璃々花は涼しい顔で、母に紙袋を差し出した。
「お盆の時期なので、ご挨拶に伺いました。こちら、よろしければお受け取りください」
母は感激した様子で紙袋を受け取った。
「あらまぁ! こんな立派なものを……! ありがとうございます! どうぞどうぞ、上がってください!」
「失礼します」
璃々花は優雅に靴を脱いで、家に上がった。
凛太朗は璃々花の袖を掴んで——小声で叫んだ。
「ちょ、璃々花さん! なんで来るんですか!!」
「将来のことを考えて、ご両親に挨拶もしたくて」
璃々花はサラッと言った。
「璃々花さん、気早すぎ!!」
「そう? 私はちょうどいいと思うけど」
璃々花は、まるで当然のように微笑んだ。
凛太朗は頭を抱えた。
(やばい……。俺、今短パンにTシャツだぞ……! 寝癖もついてるし……! 心の準備が……)
「どうぞ、こちらへ」
母が璃々花をリビングへ案内した。
凛太朗は、その後を——蒼白な顔でついて行った。
【飛鳥家・リビング 13:40】
リビングに入ると、父が新聞を畳んで璃々花を見た。
「ん、凛太朗の友達か?」
「はい、はじめまして。氷川璃々花と申します。凛太朗さんと同じ聖百合園に通っています」
璃々花は完璧なお辞儀をした。
父は感慨深そうに目を細めた。
「ご丁寧にどうも。……聖百合園のお嬢さんか。そうか凛太朗、友達できてたんだな」
「友達……というより……」
璃々花が言いかけた——その時。
ドタドタ……ガタタン!
階段を勢いよく降りる音がして、美玲が飛び込んできた。
「璃々花ちゃん!! よく来たね〜〜!!」
「美玲さん、お久しぶりです」
璃々花は、にっこりと微笑んだ。
「もう〜、連絡くれればよかったのに! せっかくだから泊まってってよ!」
「姉ちゃん!!」
凛太朗は叫んだ。
「何? いいじゃない」
美玲はケラケラと笑った。
母が、嬉しそうに手を叩く。
「そうよ! 璃々花さん、夕飯も一緒に食べていってください! 今日はお盆だから、ちょっと豪勢に作るつもりだったんです」
「それは……ぜひ」
璃々花は優雅に微笑んだ。
凛太朗はソファにへたり込んだ。
(……詰んだ……)
3:アルバム披露
【飛鳥家・リビング 14:00】
母が冷たい麦茶を出すと、美玲が棚から分厚いアルバムを引っ張り出してきた。
「璃々花ちゃん、凛太朗の昔の写真見る?」
「ぜひ!」
「ちょ、姉ちゃん!!」
凛太朗は飛びかかろうとした——が。
美玲がアルバムをさっと後ろに隠した。
「ダメ〜! 璃々花ちゃんに見せるんだから!」
美玲と璃々花は、ソファに並んで座ってアルバムを開いた。
「わぁ……小さい凛太朗、かわいい」
璃々花が目を細めた。
アルバムの最初のページには、5歳の凛太朗が砂場で遊んでいる写真。
「こんなに小さかったのね……」
「璃々花さん……頼むからそれは……」
凛太朗は恥ずかしそうに顔を覆った。
「あ、これ見て! 小学校の運動会!」
美玲が次のページを開いた。
そこには——リレーで転んで、派手に泥だらけになって涙目になっている凛太朗の写真。
「……!!」
璃々花が俯きがちになり、肩をプルプルと震わせて悶絶している。
「璃々花さん?」
「ごめんなさい……。でも、かわいすぎて……」
璃々花は、目尻の涙を拭いながら微笑んだ。
美玲がページをめくっていく。
入学式、卒業式、家族旅行——
凛太朗の成長の記録が、次々と現れた。
「あ、これは……」
美玲がニヤリと笑った。
小学校高学年の凛太朗が、姉にワンピースを着せられて、困り顔で鏡の前に立っている写真。
璃々花の目が、丸くなった。
「……これ、凛太朗?」
「そうそう! 初めて女装した時の写真!」
「姉ちゃん!! なんでそんなの撮ってんだよ!!」
凛太朗は顔を真っ赤にして、アルバムを奪おうとした。
璃々花は、アルバムをしっかりと押さえながら——幼い凛太朗を見た。
「……かわいい」
「……ッ!璃々花さん……!」
「本当に。今の凛太郎もかわいいけどね」
璃々花は写真をじっと見つめた。
その目が、どこか温かかった。
さらにページをめくると……
「あ、これは文化祭!」
美玲が指差した先には、中学1年の文化祭で、メイド服を着た凛太朗の写真。
はにかんだ笑顔で、カメラに向かってポーズをとっている。
璃々花はその写真を見て——しばらく黙っていた。
「……凛太朗」
「な、何……」
「この表情……本当に嬉しそう」
璃々花は静かに言った。
「え……?」
「かわいい服を着て、笑ってる顔……すごく自然で」
凛太朗は、璃々花の言葉に息を飲んだ。
「凛太朗って……本当は、こういうの嫌いじゃないんでしょ?」
璃々花が凛太朗を見つめた。
凛太朗は少し考えてから——小さく頷いた。
「……嫌いじゃない、かも」
璃々花は柔らかく微笑んだ。
「それでいいと思う。ありのままで」
凛太朗は璃々花の言葉に、胸が熱くなった。
そして美玲は、二人の様子をニマニマしながら見ていた。
(てぇてぇ……)
4:夕食という名の尋問
【飛鳥家・ダイニング 18:30】
夕食が始まった。
食卓には、母の手料理が並んでいる。
天ぷら、冷や奴、枝豆、そうめん——夏らしい献立。
「璃々花さん、遠慮なく食べてね」
母が嬉しそうに勧めた。
「ありがとうございます。とても美味しいです」
璃々花は、優雅に箸を使いながら答えた。
その所作の美しさに、凛太朗の家族全員が感心していた。
「璃々花さんは、どちらのご出身ですか?」
父が、箸を止めて聞いた。
「東京です。両親は都内で会社を経営しておりまして」
「ほう……立派なご家庭ですね」
「恐れ入ります」
父は満足げに頷いた。
「聖百合園って、すごく厳しい学校でしょ? 璃々花さんは生徒会長もやってるんですって?」
母が嬉しそうに聞いた。
「はい。凛太朗さんにも、生徒会の仕事を手伝ってもらっていて」
「あら〜! 凛太朗、頑張ってるのね!」
「まぁ……」
凛太朗は曖昧に笑った。
父が璃々花を見て、真剣な顔で呟いた。
「ところで、璃々花さん」
「はい」
「凛太朗とは……どういう関係ですか?」
テーブルが、一瞬静まり返った。
凛太朗は箸を落としそうになった。
「父さん!?」
「いいじゃないか。わざわざお盆にお歳暮持って来てくれるんだ。ただの友達じゃないだろ」
父はニヤニヤと笑っている。
璃々花は涼しい顔で答えた。
「凛太朗さんのことは……大切に思っています」
「……ふむ」
「将来的には——」
「璃々花さん!!」
凛太朗は慌てて遮った。
「その話は……また今度!!」
「あら、どうして?」
璃々花は小首を傾げた。
美玲がケラケラと笑った。
「凛太朗、顔真っ赤だよ〜」
「うるさい!!」
美玲は璃々花を見て——興味津々といった顔で聞いた。
「じゃあさ、璃々花ちゃん。凛太朗とはどこまでいったの?」
「姉ちゃん!!!」
凛太朗は、テーブルに額をぶつける勢いで叫んだ。
璃々花は、ほんの少しだけ頬を染めながら——
「……キスまでは」
「きゃああああ!!」
「璃々花さんっ!!!!!!」
美玲と凛太朗の叫びが、飛鳥家に響き渡った。
その様子を見ていた父は、満足げに頷いた。
「そうか。真剣なんだな」
「はい」
「……凛太朗を、よろしく頼みます」
「お任せください」
父と璃々花が、真剣な顔で頷き合った。
凛太朗は顔を真っ赤にして——テーブルに突っ伏した。
「俺の話を聞けよ……!!」
母は、感動した様子で目を潤ませた。
「凛太朗……いい人に巡り会えたのね……!」
「母さんまで!!」
美玲は腹を抱えて笑っていた。
5:深夜の来訪者
【飛鳥家・凛太朗の自室 23:30】
夕食後、璃々花は——父と母の「ぜひ泊まっていってください」という勧めに折れて、美玲の部屋に泊まることになった。
凛太朗は、自分の部屋で布団に入っていた。
(璃々花さんが……この家にいる……)
【回想:飛鳥家・リビング 20:30】
凛太朗はソファに座っている璃々花に向かって語りかけた。
「璃々花さん、お風呂沸いてるから先に入ってよ」
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えようかしら」
璃々花が立ち上がり、リビングの扉の前で立ち止まると、振り返って悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「凛太朗も、一緒にお風呂入る?」
凛太郎は一瞬固まったあと、意味を理解すると耳まで真っ赤になって声を上げた。
「はぁ!?そんなのできるわけないじゃん!子どもじゃあるまいし!!」
口をパクパクさせてしどろもどろになる凛太郎を見ながら、璃々花はクスクスと笑った。
「冗談よ。からかいがいがあるわね♡」
璃々花の後ろ姿を見つめながら、凛太朗は呆然と立ち尽くしていた。
その後は、璃々花の後にお風呂に入ったが、頭の中は璃々花のことでいっぱいで、よく覚えていない。
凛太朗は天井を見つめた。
心臓がバクバクと鳴っている。
(落ち着け…… 。璃々花さんは姉ちゃんの部屋だし……絶対に来ない……)
そう自分に言い聞かせながら——目を閉じた。
その時……
カチャリ。
ドアが、ゆっくりと開いた。
「……?」
凛太朗は目を開けた。
暗闇の中——白いネグリジェ姿の璃々花が、ドアのところに立っていた。
「璃々花さん!?」
凛太朗は飛び起きた。
璃々花は、とろんとした目のまま——部屋に入ってきた。
「……凛太朗……」
「ね、寝ぼけてるの!?」
「……眠れなくて」
璃々花がゆっくりと凛太朗のベッドに近づいてくる。
「ちょ、ちょっと待って!!」
凛太朗は、慌ててベッドから降りた。
璃々花はベッドに——ぽすっと腰を下ろした。
「……凛太朗のベッド、温かい」
「当たり前だろ! さっきまで俺が寝てたんだから!!」
凛太朗は顔を赤らめて抗議した。
「璃々花さん、起きてます!? ちゃんと起きてます!?」
「……起きてる」
璃々花は、澄ました顔で答えた。
「じゃあなんで俺の部屋に来てるんですか!!」
「……凛太朗と話したくて」
璃々花は、凛太朗を見上げた。その目には少し不安そうな光が宿っていた。
「話……?」
「今日、ご両親にご挨拶できて……嬉しかった」
璃々花は、静かに続けた。
「でも……凛太朗は、嫌だった?」
凛太朗は、璃々花の言葉に息を呑んだ。
「嫌じゃない……けど」
「……けど?」
「急すぎるっていうか……。俺、まだ璃々花さんに伝えられてないこととか、あるし……」
凛太朗はギュッと手を握りしめ俯いた。
(俺の気持ちのことだ。璃々花さんは待ってくれてるけど……俺自身がまだ、ちゃんと向き合えてない)
璃々花は立ち上がって——凛太朗の手を取った。
「ゆっくりでいいわ」
「璃々花さん……」
「私は逃げないから。凛太朗が準備できた時に、全部話して」
璃々花の目は真剣だった。
「……ありがとう」
凛太朗が小さく呟くと、璃々花は微笑んだ。
「じゃあ、おやすみ。凛太朗」
璃々花が、ベッドにそのまま横になろうとした。
「おやすみ……って、璃々花さん! ここで寝ないで!!」
「……だめ?」
「だめです!!」
凛太朗は全力で璃々花を引き起こした。
璃々花は渋々立ち上がり、ジトっとした目で見つめた。
「……凛太朗のいじわる」
「わがまま言わない!!」
「分かった分かった。戻るわ」
璃々花はドアに向かった。
そして——ドアノブを握りながら振り返った。
「……凛太朗」
「何……?」
「今日……来てよかった。あなたのことを知れて、もっと好きになった」
璃々花は、静かに言った。
凛太朗は顔を真っ赤にして——固まった。
璃々花は微笑みながら、ドアの隙間から顔を出した。
「いい夢見てね、凛太朗」
カチャリ。
ドアが静かに閉まった。
凛太朗は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
(……璃々花さん)
心臓が激しく鳴っている。
凛太朗はベッドに倒れ込んだ。
(俺……早くちゃんと話さないといけない。本当の気持ちを……全部)
凛太朗は天井を見つめながら決心し——やがて眠りに落ちていった。
6:別れと再会
【飛鳥家・玄関 翌朝 9:00】
璃々花は、母の手料理の朝食をいただいてから——帰り支度をしていた。
父と母が、玄関で見送っていた。
「璃々花さん、また遊びに来てね!」
母が嬉しそうに手を振った。
「はい。ぜひ」
璃々花は優雅にお辞儀をした。
「璃々花さん、凛太朗のこと……頼みます」
父が真剣な顔で言った。
「はい。必ず」
璃々花は力強く頷いた。
美玲が璃々花の耳元で囁いた。
「璃々花ちゃん、昨日……凛太朗の部屋に行ったでしょ?」
「……気づいてたんですか?」
「廊下の足音でね」
美玲はニヤリと笑った。
「まぁ、何もなかったみたいだし……良かったけど♡」
璃々花は頬を桜色に染めた。
「……余計なお世話です」
「あはは!」
璃々花は最後に、凛太朗の前に立った。
「……凛太朗」
「ん……」
「今度は、私の家にも来てね?」
璃々花は、凛太朗の耳元で甘く囁いた。
「……それ、どんな家なの?」
凛太朗が、おそるおそる聞くと——
璃々花は悪戯っぽく微笑んだ。
「ふふ……来てからのお楽しみ♡」
すると、黒塗りの高級車が静かに家の前に滑り込んできた。
璃々花は、出迎えたトヨタ・センチュリーの後部座席に乗り込んだ。
窓越しに、小さく手を振る。
車が走り去っていく。
凛太朗は、その後ろ姿を見送りながら呟いた。
「……璃々花さんの家、か」
美玲が隣でニヤニヤしながら言った。
「超豪邸らしいよ? 庭だけで学校のグラウンドくらいあるって」
「マジかよ……」
凛太朗は、遠ざかる車を見つめながら独白した。
(璃々花さんの家……。行ったら、また何かとんでもないことになりそうだ……)
(でも——)
凛太朗は小さく微笑んだ。
(いつか行くことになる、かもな)
夏の青空に、太陽が眩しく輝いていた。(つづく)




