第11話:Fireworks
1:花火大会への誘い
【聖百合園女学院・2年A組教室 昼休み 12:10】
海での騒動から一週間が経った。
飛鳥凛太朗(天峰莉子)は、机に突っ伏してぐったりしていた。
(あの海からもうそんなに経つのか……)
【回想:一週間前、湘南のビーチ】
夕暮れの岩場で、璃々花が凛太朗の手を取った。
「凛太朗……もう、逃げないで。この夏は、私のものになって?」
凛太朗は赤面しながら呟く。
「俺…… 璃々花さんのこと……」
その瞬間、白鳥紗耶が駆け寄ってきた。
「莉子ちゃ~ん!」
告白は、未遂に終わった。
(あの時……ちゃんと言えなかった……)
凛太朗が、そんなことを考えていると……
「莉子ちゃん! ねぇねぇ、聞いて聞いて!」
紗耶が弁当箱を持って、莉子の机にやってきた。
「何……?」
「来週の土曜日、花火大会があるんだって! 一緒に行かない?」
「花火大会……?」
莉子は顔を上げた。
「うん! 毎年夏にやってる花火大会! すっごく綺麗なんだよ!」
紗耶はキラキラした瞳で莉子を見つめた。
「でも……花火大会って……」
莉子が言いよどんでいると、背後から冷たい声が聞こえた。
「あら、花火大会? それは素敵ね」
振り返ると——璃々花が、優雅に立っていた。
「璃々花さん……!」
「ちょうど私も、莉子ちゃんを花火大会に誘おうと思っていたの」
璃々花は微笑んだが、その笑顔はどこか冷たかった。
「え、じゃあ一緒に行こうよ!」
紗耶が無邪気に提案した。
「それは……」
璃々花が言いかけた——その時。
「それなら、私も参加させてもらおうかしら」
高瀬真理が、教室のドアから入ってきた。
「会長が花火大会に行くなら、生徒会副会長として同行するのが当然でしょう?」
真理はメガネを直しながら微笑んだ。
璃々花は溜息をついた。
「……分かったわ。じゃあ、来週の土曜日。祭りの会場で、18時集合ね」
「やった〜!」
紗耶が嬉しそうに手を叩いた。
莉子は呆然と、その様子を見つめていた。
(……また、みんなで……? なんかヤバい予感……)
2:浴衣の危機
【同教室 昼休み 12:20】
紗耶が興奮気味に、莉子に話しかけた。
「莉子ちゃん、浴衣どうする? 私、新しいの買おうと思ってるんだ〜!」
「浴衣……?」
莉子は、顔を引きつらせた。
「そうそう! 花火大会と言えば浴衣でしょ! 莉子ちゃん、浴衣似合いそう〜!」
紗耶は莉子の肩に手を置いて、笑顔で語りかける。
「さ、紗耶ちゃん……!」
「私、ピンクの浴衣にしようかな〜。莉子ちゃんは何色がいい?」
「え、えっと……」
莉子が答えに困っていると、璃々花が莉子の隣に座った。
「莉子ちゃんは、私が選んであげるわ」
「璃々花さん……?」
「浴衣の着付けも、私がしてあげる」
璃々花は莉子の耳元で——小声で囁いた。
「……凛太朗、浴衣の着付け、できないでしょ?」
「……ッ」
莉子の顔が一気に青ざめた。
(そうだ……俺、女物の浴衣なんて着たことない……!)
璃々花はニヤリと笑った。勝利を確信したように。
莉子はゴクリと唾を飲み込む。
(……ヤバい。完全に璃々花さんのペースだ……)
紗耶は二人の様子を見て、首を傾げた。
「二人とも、何話してるの〜?」
「な、何でもない!」
莉子は慌てて手を振った。
真理は、その様子を静かに観察していた。
3:相談
【放課後・寮の自室 17:00】
凛太朗は部屋に戻って——ベッドに寝転がった。
(はぁ……花火大会か……)
天井を見つめながら独白する。
(浴衣……どうしよう……)
凛太朗はスマホを取り出して、姉・美玲に電話をかけた。
プルルル……プルルル……
しばらく待ったが、電話は繋がらなかった。
「……出ない……」
溜息をついた、その時。スマホにメッセージが届いた。美玲からだった。
『ごめん凛太朗! 今、サークルの合宿中で忙しいの! 来週まで連絡取れないかも!』
「マジかよ……」
凛太朗はスマホを握りしめた。
(姉ちゃんに頼れない……となると……)
凛太朗の脳裏に、璃々花の顔が浮かんだ。
『浴衣の着付けも、私がしてあげる』
(……璃々花さんに頼むしかない……)
すぐにアプリを立ち上げ、璃々花にメッセージを送った。
『璃々花さん、浴衣の件……お願いできますか?』
すぐに返信が来た。
『もちろん♡ 楽しみにしてるわね』
凛太朗はスマホを置いて——ベッドに突っ伏した。
「……俺、どうなっちゃうんだよ……」
【回想:凛太朗——小学校高学年の頃】
「ねぇ凛太朗、これ着てみてよ〜」
姉の美玲が、ニヤニヤしながらワンピースを差し出してきた。
「は? なんで俺が……」
「いいからいいから! 絶対似合うって!」
半ば強引に着せられた凛太朗は、鏡を見て固まった。
「……え」
鏡の中には、まるで少女のような姿があった。
「めっちゃかわいいじゃん! 凛太朗、女の子に生まれたかったんじゃない?」
「……うるさい」
だが、凛太朗の視線は——鏡から離れなかった。
(俺……こんなにかわいいんだ)
(でも……浴衣は着たことない……)
凛太朗の頭は不安でいっぱいだった。
(璃々花さん……どんな浴衣を選ぶんだろう……)
4:璃々花への依頼
【翌日・放課後・生徒会室 16:30】
凛太朗は生徒会室のドアをノックした。
「どうぞ」
璃々花の声が聞こえ、凛太朗はドアを開けて中に入った。
璃々花は窓際の椅子に座って、書類を整理していた。
「あら、凛太朗。ちょうどよかった」
笑みを浮かべて璃々花が凛太朗に目を向ける。
「璃々花さん……浴衣の件、本当にお願いしていいですか?」
「もちろん。私に任せて」
璃々花は、立ち上がって凛太朗に近づいた。
「でも……その代わり、条件があるの」
「条件……?」
凛太朗が不安そうに璃々花を見つめる。
璃々花は凛太朗の耳元で囁いた。
「花火大会の日、凛太朗は……私から逃げないこと」
「え……?」
「海の時みたいに、誰かに邪魔されたくないの」
璃々花は、凛太朗の手をそっと握った。
「今度こそ、凛太朗の本当の気持ちを……聞かせて」
凛太朗の心臓が激しく鳴った。
「璃々花さん……」
「……ダメ?」
璃々花は上目遣いで凛太朗を見つめた。
凛太朗は顔を真っ赤にして——小さく頷いた。
「……分かりました」
璃々花は嬉しそうに微笑み、凛太朗を抱きしめた。
「ありがとう、凛太朗」
「璃々花さん……!」
「楽しみね。凛太朗を、最高にかわいい浴衣姿にしてあげる♡」
璃々花の腕の中で——微かに震えている凛太朗。
(……俺、もう逃げられないかも……)
凛太朗は震えながらも、そっと璃々花の背中に手を回す。
(でも……璃々花さんと、ちゃんと向き合いたい)
二人は、しばらくそのまま抱き合っていた。
窓の外には、夕陽が沈んでいく。
生徒会室に、静かな時間が流れた。
5:浴衣の着付け
【花火大会当日・聖百合園女学院・女子寮 凛太朗の部屋 16:30】
凛太朗は机の前に立って、既に顔面蒼白だった。
(マジか……。女性用浴衣って、こんなに布が多いのかよ……)
机の上には、璃々花が用意してくれ、置いて行った浴衣が広げられていた。
白の布地に、薄いピンクの桜を小花散らし。とてもかわいらしい柄だった。
(これ……俺が着るのか……)
凛太朗は浴衣を手に取って、ため息をついた。
その時、ドアがノックされた。
「入るわよ」
璃々花の声が聞こえた。
「璃々花さん……!」
凛太朗は慌ててドアを開けた。
そこには、既に浴衣姿で完璧に着付け済みの璃々花が立っていた。
黒地に紫と銀のグラデーションで、細い朝顔や雪の結晶、抽象的な波紋柄。
襟を少しだけ抜いて、うなじを強調している。耳の後ろの、ハート型のほくろがチラリと見えた。
帯は高めでしっかり締め、スタイルを際立たせている。
髪は、低い位置のシニヨン(お団子)アップ。
サイドに少し髪を垂らして、耳元を強調している。
簪は、紫の玉簪が1本だけ。黒塗りの右近下駄に紫の鼻緒が上品な印象だ。
「璃々花さん……きれい……」
凛太朗が思わず呟いた。璃々花は笑みを浮かべる。
「ありがとう。でも、今日の主役は……凛太朗よ」
璃々花は部屋に入って、凛太朗の浴衣を手に取った。
「さぁ、着せてあげる。脱いで」
「え……!」
凛太朗は顔を真っ赤にした。
「何恥ずかしがってるの。早く」
璃々花はニヤリと笑った。
凛太朗は渋々——上着を脱いだ。
下着姿になった凛太朗を見て璃々花は、満足げに頷いた。
「ふふ、ブラもちゃんとつけてるのね」
「当たり前でしょ……」
凛太朗は、恥ずかしそうに俯いた。
璃々花が浴衣を着せ始める。
「まず、浴衣スリップから。腕を通して」
「うん……」
凛太朗は璃々花の指示に従って、浴衣スリップを着た。
「次は、浴衣。襟を合わせて……」
璃々花は、凛太朗の背中に手を回して浴衣を整えた。
「おはしょりを多めに作って、丈を調整するわね」
璃々花の手が、凛太朗の腰に触れる。
(やべぇ……璃々花さんの指が……)
凛太朗は心臓がバクバク鳴るのを感じた。
「動かないで。帯の位置、ちゃんと合わせるから」
璃々花は凛太朗の後ろに立って、帯を締め始めた。
璃々花の息が、凛太朗の首筋にかかる。
(……近い……!)
「ふふ、男の人はこう締めないから新鮮でしょ?」
璃々花は意地悪く笑った。
「璃々花さん……!」
「帯は高めだけど、蝶結びにするわね」
璃々花は丁寧に帯を結んでいく。
さらに、ヘアアレンジとして、黒髪ショートボブを活かした低めハーフアップにして、花飾りは小さめの薄ピンクの一輪挿し。
「できたわ」
凛太朗は鏡で自分の姿を見た。
そこには——完璧な「女の子」がいた。
「すごい……本当に女の子みたい……」
「でしょ? 凛太朗、かわいいわよ」
璃々花は凛太朗の肩に手を置いて柔らかな笑みを浮かべた。
その時、凛太朗は袖の身八つ口(女性用の開き)に気づいた。
「ちょ、ちょっと待って! これ、腕上げたら中が見えるんじゃ……!」
凛太朗はパニック寸前。
「だから、吊り革とか腕を上げるときは袖に気をつけてね?」
璃々花はクスッと笑った。
「うわああああ……!」
凛太朗は頭を抱えた。
「大丈夫よ。私がちゃんと教えてあげるから」
璃々花は凛太朗の頭をそっと撫でた。
「最後に、下駄を履いて……」
璃々花は凛太朗の前に、黒の右近下駄を置いた。鼻緒は、柔らかい太めの薄ピンク。
「右近下駄にしたの。莉子ちゃんが転ばないように」
璃々花は、優しく凛太朗に下駄を履かせた。
「ありがとう……」
凛太朗は小さく微笑んだ。
二人は寮の廊下に出た。
「さぁ、歩いてみて」
璃々花は、凛太朗の手を取った。
凛太朗は慎重に一歩を踏み出した。
だが——
カツカツカツ。
下駄の音が大きく鳴った。
「あ……」
凛太朗は顔を引きつらせた。
慣れない浴衣のせいか、やや大股で、踵
から着地してしまっている。
「このままじゃ男だってバレるだろ……!」
小声で呟き、冷や汗をかく凛太朗。
「大丈夫。教えてあげる」
璃々花は凛太朗の手を握って、ゆっくりと歩き始めた。
「小股で、すり足気味に。前重心で歩くのよ」
「こう……?」
凛太朗は、璃々花の真似をして歩いた。
すると——下駄の音が、静かになった。
「できた……!」
凛太朗は嬉しそうに璃々花を見た。璃々花は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「……完璧。今日の莉子ちゃんは、私だけのものよ」
凛太朗は、璃々花の言葉に——顔を真っ赤にした。
(もう行く前から逃げ出したい……!)
6:縁日の修羅場
【花火大会会場周辺・縁日通り 18:00】
凛太朗(莉子)、璃々花、紗耶、真理の4人が縁日通りに到着した。
紗耶は、明るい水色とピンク地に大きな金魚・朝顔の浴衣。
帯をリボン風に大きく結んで、かわいさ全開。
髪は、低めのお団子ツーサイドアップ。リボンや花飾りを多めに付けている。
白木の舟形下駄にピンクの花緒の、かわいさ重視スタイル。
真理は、紺の布地に細かい縞柄の浴衣。
襟をきちんと整え、帯は吉弥結びに締めている。
髪は、ストレートロングを低めのお団子に。髪飾りは最小限で、銀の細い簪が1本だけ。
メガネは、浴衣に合う細フレームに変えていた。
黒色の右近下駄にシンプルな紺の鼻緒が付いている。
「わぁ〜! 莉子ちゃんの浴衣、めっちゃかわいい〜!」
紗耶が莉子に抱きついた。
「あ、ありがとう……!」
莉子が顔を真っ赤にして慌てる。
「……」
璃々花は、その様子を——死んだ魚のような目で見つめていた。
真理は璃々花の肩に手を置いた。
「会長、落ち着いて……」
「……分かってる」
璃々花は小さく深呼吸をした。
「さぁ、行きましょう」
「う、うん……」
莉子は璃々花に手を引かれて、縁日通りを歩き始めた。
【射的】
「莉子ちゃん、あれ取って〜!」
紗耶が景品のぬいぐるみを指差した。
「え……私、射的とか得意じゃないけど……」
「大丈夫! 莉子ちゃんならできるよ!」
紗耶は、莉子の背中を後押しした。
莉子は渋々ながら銃を構えると……
パンッ!
的に、見事に命中した。
「やった〜! 莉子ちゃん、すごい!」
紗耶が、莉子に抱きついた。
「え、えっと……」
莉子は赤面しながら、あたふたしている。
璃々花は、その様子を——ジッと見つめていた。
【金魚すくい】
「莉子ちゃん、金魚すくいやろ〜!」
紗耶が莉子を金魚すくいの屋台に連れて行った。
「う、うん……」
莉子はポイを手に取った。
ザバッ!
莉子が水に手を突っ込んだ勢いで——袖が濡れた。
「あ……!」
莉子は、慌てて袖を押さえた。浴衣の下の肌着が、透けそうになっている。
「莉子ちゃん、大丈夫!?」
璃々花が、即座にハンカチで拭いた。
「璃々花さん……ありがとう……」
莉子は顔を赤くしながら、璃々花の横顔を見つめた。
(なんか…… 璃々花さん、お母さんみたいだな)
【わた飴】
「莉子ちゃん、わた飴買おうよ〜!」
紗耶が、わた飴の屋台に向かった。
「うん……」
わた飴を買うと、紗耶が莉子の口元に持っていった。
「はい、莉子ちゃん! あーん♡」
「え……!」
莉子が耳まで赤くしていた、その瞬間——
「私も莉子ちゃんにあげる」
璃々花が自分のわた飴を莉子の口元に押しつけた。
「璃々花さん!?……むぐっ!?」
莉子は両側からわた飴を押しつけられて、リスの頬のようになりパニック寸前。
真理は、その様子を溜息をつきながら見つめていた。
一方で、莉子は女性用浴衣の着こなしに苦戦していた。
気を抜くと、下駄の音がカツカツと鳴る。
(男っぽい歩き方になってる!)
莉子は内心で焦った。
腕を上げて髪を直すときに、袖から二の腕が見えそうになる。
(やばい……!)
慌てて袖を押さえた。
今度は帯が緩みかけて、自分で直そうとする——が。
「……できない……」
莉子は困った顔で、璃々花を見た。
「私が直してあげる」
璃々花は莉子の背中に回り、帯を締め直した。
璃々花の吐息が、莉子の首筋にかかる。
(近いってば璃々花さん……!)
凛太朗は、またしても顔を真っ赤にした。
「ふふ、かわいい♡」
璃々花は小悪魔っぽく笑った。
7:人混みの中の危機
【花火広場 19:30】
大勢の浴衣客でごった返す中、気がつくと紗耶が屋台に夢中になって一瞬はぐれていた。
「あれ? 紗耶ちゃんは……?」
莉子は周囲を見回した。
「白鳥さん、いないわね……」
璃々花も眉をひそめた。
「探してきます!」
莉子は正義感から——紗耶を探そうと人混みに向かった。
「ちょ、ちょっと待って莉子ちゃん!」
璃々花が呼び止めたが、莉子は既に人混みの中に消えていた。
「……もう」
璃々花と真理は目を見合わせ、溜息をついた。
莉子は人混みをかき分けて紗耶を探した。
「紗耶ちゃん……どこ……?」
莉子が夢中になって駆け回っていると——
気づくと、人気の少ない神社の境内に入り込んでいた。
「あれ……ここ、どこ……?」
莉子は不安そうに周囲を見回した。
その時——
「ねぇ、ひとり? かわいいね〜。一緒に花火見よ?」
酔った大学生風の男性二人組が、莉子に声をかけてきた。
(ヤバい……本気でナンパされてる……!)
「いえ、友達と一緒に来てるんで……」
莉子は後ずさった。
「別にいいじゃん。俺らと一緒の方が楽しいって」
男性が腕を掴もうとした瞬間。
莉子は反射的に低い声で……
「すみません、俺、男なんですけど……」
一瞬の沈黙の後——男性二人が、爆笑した。
「え、マジ? 超かわいいじゃん! 女装? すげー!」
「まぁ、かわいいは正義だから男でもいいや」
男性二人組が、ニヤニヤしながら近寄ってくる。
莉子は冷や汗ダラダラで後ずさった。恐怖心から、大声も出せなくなっている。
「ちょ、ちょっと待って……!」
(誰か……助けて……!)
その時——
「……私の莉子ちゃんに、何してるのかしら?」
背後からドスの効いた冷たい声が聞こえた。
振り返ると、璃々花が黒いオーラ全開で立っていた。
「ひっ……!」
男性二人組は、璃々花の圧倒的オーラと氷の視線に——即座に逃走した。
「璃々花さん……!」
莉子は安堵の表情を浮かべた。璃々花が莉子の手首を強く握る。
「はぐれないで。……次は絶対に離さないから」
璃々花は莉子の耳元で囁いた。
「ご、ごめん……」
莉子は申し訳なさそうに俯いた。
「行きましょう。白鳥さんも見つかったわ」
璃々花は、莉子の手を引いて歩き始めた。
縁日に戻ると、紗耶と真理が待っていた。
「莉子ちゃん! はぐれちゃってごめんね! 心配したよ〜!」
紗耶が莉子に抱きついた。
「私こそ、ごめん……」
莉子は恥ずかしそうに笑った。
真理は、璃々花を見て
「会長、良かったですね」
と、小さく微笑んだ。
「……ええ」
璃々花は、莉子の姿を安堵の表情で見つめていた。
8:スターマインの約束
【花火広場・メイン会場 20:00】
花火の打ち上げが始まった。
4人が空を見上げる。
ドーン! ドーン!
夜空に色とりどりの花火が咲き誇る。空一面が、金色や紫の光に染まる。
「きれい……」
莉子は感嘆の声を上げた。
「ねぇ、莉子ちゃん。こっちの方がよく見えるわよ」
璃々花が莉子を連れて——少し移動した。
「う、うん……」
紗耶と真理は、少し離れた場所で花火を見上げている。
璃々花と莉子は、二人きりになった。
莉子は璃々花の横顔を、息を潜めて見つめていた。
浴衣姿の璃々花は、いつもの氷雪女王とは違う、柔らかくも妖艶な美しさを纏っていた。
心臓の音が、花火の爆音より大きく聞こえる。
(……璃々花さん……)
莉子は、自分の気持ちを伝えるべきか悩んでいた。
その時、スターマイン(連射連発花火)が始まった。
金色、紫、赤——鮮やかな光の奔流が、辺り一面を幻想的に染め上げる。
誰もが空を見上げ、轟音に包まれた瞬間。
璃々花が莉子の頬にそっと唇を寄せ——軽くキスをした。
花火の光で、二人の影が美しく浮かび上がる。
莉子は一瞬固まった。顔が真っ赤だ。
「……!」
璃々花は、はにかみながら囁いた。
「……わた飴、付いてたから」
莉子は赤面しながらも——逃げずに璃々花の袖を軽く掴んだ。
「……嘘だろ、それ」
璃々花は、嬉しそうに微笑んだ。
「本当よ?」
璃々花は少し決まりが悪そうに、顔を逸らして花火を見上げた。
花火の光が二人を照らす。
その時、莉子——凛太朗の中で何かが閃いた。
小さく、震える声で呟く。
「……ねぇ、璃々花」
璃々花がゆっくりとこちらに顔を向ける。
その瞬間……凛太朗は、つま先立ちをした。
璃々花の方が背が高いため——凛太朗は自分でも驚くほど自然に、でもぎこちなく顔を近づけていった。
短く、震えるキス。
花火の爆音がすべてを飲み込む中、二人の唇は、ほんの数秒だけ重なった。
花火の光が、二人のシルエットを一瞬だけ強く浮かび上がらせる。
凛太朗は唇を離すと同時に——顔を真っ赤にして目を逸らした。
すぐに顔を離し、目を泳がせながら後ずさり気味になった。
「……俺、今……キスした……?」
凛太朗の声が、上ずっている。
璃々花は一瞬目を丸くした後、頬をほんのり染めながら、珍しく柔らかい笑みを浮かべた。
「……ええ。凛太朗から、初めてくれたキスね」
凛太朗は必死に言葉を絞り出した。
「……急に、ごめん。なんか、花火見てたら……我慢できなくなって……」
璃々花は凛太朗の手をそっと握って、優しく囁いた。
「謝らないで。……すごく、嬉しかった」
周囲の花火が最高潮に達する中、二人はしばらく言葉を失っていた。
そのキスシーンを——少し離れた場所から偶然見ていた人物が二人。
紗耶は目を丸くして、無邪気な驚きの表情を浮かべた。
「え……莉子ちゃん……?」
真理は、メガネの奥で静かに目を伏せ——複雑な表情を浮かべた。
9: 夏のひと時
【帰りの電車内 20:45】
璃々花は凛太朗の隣に座って、満足げに微笑んでいる。
紗耶と真理は、少し離れた席で——なにやら紗耶がはしゃいでいるのを真理が嗜めている。
凛太朗が璃々花の指に軽く触れ、囁いた。
「……今日は、逃げなかったでしょ?」
璃々花は小声で答えた。
「うん……ありがとう。凛太朗……」
窓の外に流れる夜の街灯を見つめながら——凛太朗は、ぼんやりと思った。
(少し積極的になれたのは、夏の雰囲気と花火のおかげかもな)
揺れる車内で、凛太朗は今日の思い出を振り返った。
着付けの時の緊張、下駄の音、縁日の騒ぎ、そして——花火の下での、あのキス。
凛太朗は璃々花の手を、そっと握った。
璃々花は目を閉じて、凛太朗の肩に頭を預けた。
「……今日は、楽しかった」
凛太朗は、ほとんど聞こえないくらいの小さな声で呟いた。
璃々花は目を開け、ゆっくりと微笑んだ。
「私も。……とても、幸せだったわ」
少しの沈黙の後、璃々花が続けた。
「夏は、まだ少し残ってるわね」
凛太朗は窓の外を見つめながら、静かに頷いた。
「そうだね……」
この夏は、まだ終わらない。
(俺も……もう、逃げたくなくなってきた)
電車の揺れに身を任せながら、凛太朗は璃々花の指に、そっと自分の指を絡めた。
(この夏を、璃々花さんとの思い出の夏にしたい……)
二人は、それ以上何も言わなかった。
ただ、静かに寄り添うだけ。
夏の夜風が、電車の窓を優しく叩いていた。(つづく)




