第41話 結界の修復
翌日、私とミレーヌ聖女は、エルフィンド城最上階にある広場へと向かった。この広場は城からせり出して作られており、下を覗くとまるで空中に浮かんでるように感じることから、空中庭園と呼ばれている。この空中庭園で、結界を修復することになったのだが、なぜこの場所が選ばれたかといえば、少しでも空に近いほうがいいだろうという誰かの案だったらしい。
ミレーヌ聖女は、笑いながらそっと私につぶやいた。
「ほんの少し距離が縮まったからといって、別に何も変わらないけどね」
「そうですよね。ほんと誰の発案なのかしら」
おそらくアレクシオ王子の案だろうと思いながらも私はそうつぶやいた。
昨日の王子の様子⋯⋯、もう王子の命は長くない気がする。そして、私の正体がバレて死刑になる日もすぐそこまできている。だったら、やはり⋯⋯。そう思いながら私は上着の左ポケットをそっと触れてみた。わずかな膨らみを手に感じる。この中には恐ろしい魔道具が入っている。なので、間違って誰かがこの指輪をはめてしまわないように、こうして肌身離さずに持っているのだ。そして常に携帯しているのには、もう一つ理由がある。もし私の変装がバレてしまい、斬首刑が確定したとき、その時は私がこの指輪をはめればいい。そうすれば、二つのうちの一つの命は救われる⋯⋯。どうせ殺されるなら⋯⋯、王子の命を救うだけでも私の無惨な人生も価値あるものに変わるだろう⋯⋯。そんなことを思いながら、私は上着の左ポケットをそっと自分の左手でさすり続けていた。
改めて周囲を見渡すと、王族や貴族、宮廷に関わるすべての人々が空中庭園に集まっている。不安を紛らわすためだろうか、皆それぞれに話し合い、場は騒然としていた。けれど、私とミレーヌ聖女が広場の中央に進み出ると、場の空気は一変した。人々は静かに私たちの一挙手一投足を見守っていた。その中には、エルフィンド王国の聖女であるセレナの姿もあった。セレナは眉間にシワを寄せ不服そうな顔をしている。
空を見上げると、小さな黒い点ができている。まるで、青い空の上に、墨汁を垂らしたかのように輪郭線のぼやけた黒点だった。
「思ったより小さなホールで安心したわ。これなら大丈夫よ」
ミレーヌ聖女が空を向き両手を広げると、聖なる力が空気を伝い黒点へと向かっていく。すると、ゆっくりとだが穴が小さくなっていった。
「おお! 結界が閉じられていく! さすがはミレーヌ聖女だ!」
やがてホールは完全に消失してしまい、ミレーヌ聖女はほっとした顔をした。
「もう大丈夫だと思います!」
その言葉を聞いた人々は歓声を上げ、手をたたき始めた。拍手喝采の中、アレクシオ王子が私たちの前に現れた。昨日、私に別れを告げた王子は、どこかよそよそしそうに感じられる。
「ありがとうございます。これで王国の人々が安心して暮らせます」
その言葉に続くように、安堵した人たちが思い思いの言葉を口にしている。
「よかった……」
「さすがは偉大な聖女様だ……」
「⋯⋯ほんと、うちの聖女とは大違いだわ」
セレナにもその言葉ははっきり聞こえているようで、彼女は顔を真赤にして肩を震わせて立っていた。
ただ、そうやって皆が胸をなでおろしているのもつかの間、突然、どこからか轟音が響き渡り始めたのだ。
「凄い音が! どこだ?」
「空だ! 空が変化しているぞ!」
「え?」
「まただ……。また、結界が破れている……。しかも、今度はかなり大きい……」
私もすぐさま空を見た。すると、視界の先には、先ほどとは比べ物にならない程の巨大な黒点が出現していた。
「あれは……」
ミレーヌ聖女の顔がこわばっている。
「あれは、ビッグラプチャーよ……」
「えっ、どうして?」
「わからないわ⋯⋯。おそらく先程の結界とは別にもう一つ、これが隠れていたのだと⋯⋯」
「そんな⋯⋯」
私は絶句したまま空を見上げ続けた。
ビッグラプチャー……。これを修復しようとして、お母さんは……。
「もう一度やります」
そう話すミレーヌ聖女に私はすぐさま駆け寄った。
「無茶です。ミレーヌ聖女はもう魔力を使い果たしています」
「けれど、放っておくわけにもいかないわ」
「……でしたら、私がやります」
「それは駄目! あなたにそんなことはさせられない!」
そう話すミレーヌ聖女を無視し、私は左手の小指から魔力封じの指輪を外し、上着の右ポケットへと入れた。次の瞬間、私の体の中にすっと魔力の風が流れ込んできた。
そんな私の様子を見て、ミレーヌはこんな言葉を口にした。その口調は強く、頑としたものだった。
「わかったわ。だったらその指輪を私に預けて」
「指輪を?」
どうしてミレーヌが魔道具の指輪を預かるのか不思議に思ったが、言われるがままに右ポケットから指輪を取り出し、それを彼女に渡した。
改めて空を見上げ、巨大ホールを見つめてみる。ぼやけた黒点が雲よりも大きく広がっている。
お母さん、どうか私に力を貸してください……。そう心のなかでつぶやき、魔力を溜め込む。すると、私の身体が白く輝き始めた。魔力が蓄積されたことを確認すると、私は手を頭上に掲げ、ビッグラプチャーに向かって一気にその力を放出した。
「す、すごい……」
周囲から声が聞こえてくる。
「あんなに大きかった裂け目が、どんどんと小さくなっているわ!」
「いくら聖女様でも、簡単にできないわよね?」
「ああ、あれはビッグラプチャーだ。あれを修復できるのは⋯⋯、大聖女様だけだ⋯⋯」
「では、あのお方は大聖女様なの?」
「わからない⋯⋯。けれど、どんどんと裂け目が小さくなっているぞ!」
人々の言葉通り、このままいけば、巨大な黒点を閉じることができそうだ……。けれど……。
実際にビッグラプチャーに魔力を注ぎ込むと、ミレーヌ聖女の話していたことが改めてよくわかった。彼女はこう言っていた。『自分では魔法が止められなくなってしまい、魔力が自動的にどんどんと吸い込まれ、最後は命を失ってしまう』と⋯⋯。
今の私が、まさにその状態だった。私の魔力はもうすぐ尽き果てようとしていたが、自分でその流れを止めることができなくなっている。
頭の中に、あの世のお花畑が浮かんできた。きっと母も、今の私と同じ恐怖を感じながら、ビックラプチャーを修復したに違いない……。
このまま私は……、お母さんのところに行けるのだろうか……。
だったら、嫌いだったお母さんにちゃんと謝らないと⋯⋯。
そう思い、死を受け入れた時だった。私の視界の端に、ミレーヌ聖女が現れた。そして、なぜかミレーヌは私の左手に触れてきた。
彼女は何をしているのだろう……。
意識が朦朧とする中、ミレーヌの言葉が聞こえてくる。
「あとは私に任せて」
気づけば、なぜか分からないが私の魔法は強制的に停止していた。なぜかよく分からなかったが、もう私の魔力がビッグラプチャーに吸い込まれずに済んでいる。ただ、力を出し切った私は、立っていられなくなり、朦朧としながら地面に突っ伏してしまった。
「やった。結界が修復した!」
「これで私たちも助かるんだわ!」
そんな声が聞こえてきた。ようやく目の前が明るくなってきた私も空を見上げると、ビッグラプチャーは完全に閉じられ、青空の中には黒い染みなど一つもない状態に戻っている。
でも、気になる言葉が私の耳には残っている。
『あとは私に任せて』
あれは間違いなくミレーヌ聖女の声だった。私はなんとか立ち上がり、ミレーヌの姿を探した。
すると⋯⋯。
一人の女性が地面に倒れており、全く動いていない。間違いない、倒れているのはミレーヌ聖女だった。私はすぐに駆け寄ると、ミレーヌ聖女の体を抱き起こそうとした。
「ミレーヌ聖女、大丈夫ですか?」
ミレーヌ聖女はうっすらと目を開け私を見た。明らかに弱りきっていたが、なぜか口元は笑っていた。そして震える手を私の頬に当ててきた。
「やっとソフィアに借りを返すことができたかしら⋯⋯。お願いね、ソフィアの横に埋葬して⋯⋯」
それだけを言い残すと、ミレーヌはそのまま目を閉じてしまった。
「ミレーヌ聖女、しっかりしてください!」
今すぐミレーヌに回復魔法をかけなければ⋯⋯。慌てて両手を彼女の身体に当てようとしたとき、とんでもない事に気がついた。私の左手小指に、魔力封じの指輪がはめられていたのだ。それを見て、なぜ私が助かったのかがようやく分かった。ビッグラプチャーに魔力を全て吸い取られてしまう前に、ミレーヌが私に指輪をはめ、私の魔法を強制的に止めてくれたのだ。
そのおかげで私は助かった……。けれど、その代わりにミレーヌは……。
私は指輪を外すと、それを上着の右ポケットに入れた。改めて魔力を込めて、回復魔法をミレーヌにかける。けれど、魔力が不足しているため、私の手はほんのりと白く光るばかりで、とてもミレーヌを助けることなどできそうになかった。
もう彼女はピクリとも動いていない……。
「セレナ!」
私は反射的にそう叫んでいた。
「セレナ、お願い! ミレーヌ聖女を助けて! あなたの回復魔法で助けて!」
人々の間からセレナが姿を見せた。
「お願い! 急いで!」
だが、懇願する私にセレナは冷たく言った。
「もう手遅れよ」
「そんなことまだ分からないわ!」
「分かるわよ。今さら何をしても無駄なのよ」
私が震えながらミレーヌを抱きかかえているとアレクシオ王子の叫び声が聞こえてきた。
「すぐに、ミレーヌ聖女を救護室に連れて行くんだ!」
王宮騎士団が駆け寄り、慌ててミレーヌ聖女を運び去っていく。何もできず、力尽きてしまった私はもう一度その場に座り込み、ぼう然と彼女が運ばれていく様子を眺めていた。
すると私の視界に、真っ赤な靴が映り込んできた。
「結界を修復して生命を落とすなんて、聖女の鏡ね。でも、愚かな聖女と思う人もいるでしょうけど」
座り込む私を見下ろしながらそう述べたのは、聖女セレナだった。
何もしなかったセレナが何を言っているのだろうか……。この女は、逃げてばかりいたくせに……。
「それにしてもアリア、その指輪のおかげでやっとあなたの正体が分かったわ」
セレナは、口を歪め冷たく笑っている。
「魔法の使えるアリアと、使えないアメリアがどうしても結びつかなかったけれど、こういうことだったのね」
そう言うセレナは、あの本を手に持っていた。あの老けメイクの方法が書かれた本を……。セレナは勝ち誇った顔をしながら声を上げた。
「この女はアメリアよ! アメリアは指輪で魔法使いでないふりをしていたけど、実は魔法が使えたのよ! そしてアリアに変装して私たちを騙し続けていたのよ!」
人々のざわつく声が聞こえてくる。
「アレクシオ王子、今から面白いものをお見せしますわ」
「……」
「さあ、この女の化けの皮をはいでやりましょう」
その言葉でセレナの取り巻きたちが現れ、私の両腕をつかむと引きちぎるようにしてカツラとメガネを外していった。
「ふふふ、面白いショーになりそうね」
セレナが私の顔を覗き込み、液体を私の顔に塗りはじめた。強いにおいから、それが除光液であることが分かった。強烈な液体を乱暴に塗りたくられた私の顔は、アリアからアメリアへと変化していく。
「いや! 止めて!」
私はそう叫ぶのが精一杯だった。もう何もかもおしまいだ⋯⋯。
最後には頭から水をぶっかけられた私は、ずぶ濡れになってしまった。そして、その顔は完全にアメリアへと戻ってしまっていた⋯⋯。
「これであなたも終わりね」
セレナは耳元でそうつぶやくと、いっそう小さな声で誰にも聞こえないようにこうささやいた。
「あなたの指輪、私が預からせてもらうわ。魔力封じの指輪なんて国宝級の魔道具よ。死刑になる人が持っていても勿体ないだけでしょ」
そう言いうと、アメリアは私の上着の左ポケットにそっと手を入れ、そこから指輪を奪い取ったのだった。




