第26話 夜中にゼノンと
もう訳が分からなかった。私の歩く速度は自然と早くなり、口から出てくる言葉はアレクシオ王子への不満ばかりだった。やはり王子は、女性を見る目が全くない男だ⋯⋯。確かにイザベラは綺麗だが、あれほど私、いやアリアを好きだと言っておいて、こちらがその気になってきたら、さっさと別の女性に乗り換えるなんて⋯⋯。ほんと、最低な男だ⋯⋯。
そんなことばかり考えながら歩いていると、あっという間にゼノンの家が見えてきた。誰かに今の気持ちを聞いてほしい。頭の中に、ゼノンの顔が浮かんできた。そのような状態で家の扉を開けて中に入ると、待ちかねた様子のゼノンが姿を見せ、すぐさま私に声をかけてきた。
「王宮で、何かあったのですか?」
「どうして?」
「いつもと感じが違うと思いまして」
いつもゼノンは私をしっかりと見てくれている⋯⋯。
「そう、別に何も変わらないけど……」
「では、明日もまた王宮へ行かれるのですか」
「明日は行かない」
「それでは、明後日に行かれるのですか?」
「……明後日も行かない」
「やはり、王宮で何かあったのですね。どうか、お教えください」
ゼノンの顔は真剣そのもので、私のことを心配してくれている気持ちがひしひしと伝わってくる。先ほどのアレクシオ王子との態度とは大違いだ。でも⋯⋯、十七歳のゼノンに、こんな話はどうなのだろうか⋯⋯。そう思ったけれど、私の弱りきった心が、誰とでもいいから話をしなさいと訴えかけてきた。
「実は……、アレクシオ王子にまた婚約破棄されたの」
アリアとしての私が、王子から結婚を申し込まれたことについては、すでにゼノンに話していた。
「えっ? どうしてですか?」
「他に好きな人ができたのよ」
「好きな人? アレクシお王子がそう言ったのですか?」
「そう。言っただけでなく、その女性までわざわざ紹介されたわ」
「ふっ」
ゼノンは鼻で笑った。
「アメリア様、良かったではないですか。もうあんな王子と、縁が切れるのですから」
「よくはないわよ。これでは王宮に行けないじゃない。真犯人を見つけることができなくなるわ」
「いいえ、アメリア様、これで良かったのです。アメリア様が王宮に出かけるたびに、僕は毎日ヒヤヒヤして生きた心地がしませんでした。これはもう、危険な場所に行くのはやめなさいという、神様のおぼし召しなのです」
「でも、真犯人を見つけなければ、これから先も、私はずっと変装して逃げ続けなければならないのよ」
「逃げ続けましょう。もちろん僕もご一緒させていただきます」
どことなくゼノンが嬉しそうな顔をしている。
「ずっと考えていたのですが、隣国のネリ公国に移り住みませんか?」
確かに逃げるならネリ公国が最適かもしれない。ミレーヌ聖女とも知り合いになれたわけだし。でも、あの国には、かなり性格の悪い王子がいるという噂もある。
「一緒になんか行けないでしょ。ゼノンには魔法学校があるじゃない」
「学校ならやめます」
「はい?」
これ以上ゼノンの話には付き合っていられないと感じた私は、さっさと話を切り上げ、夕食の準備を始めた。料理を作るために手を動かしていると、ほんの少しだが気持ちも落ち着いてきた。ゼノンに話したおかげで、気が晴れてきたのだろうか⋯⋯。
たっぷりのきのこと鮭を藁で包み、それを窯で熱した。鮭のホイル焼きを、この世界にある物で再現したのだが、予想以上に良い出来栄えとなった。小さなテーブルに完成した料理を並べ、いつものようにゼノンと向かい合って座った。そして、二人で料理を食べはじめた。
「お味は?」
「どう表現したら良いのかわからないくらいに美味しいです」
最近は料理を褒めるのも上達している。落ち込んでいる私にとっては、その言葉も栄養になる。
「それなら、そんなに急いで食べずに、ゆっくりと味わって食べてほしいな」
「すみません。美味しすぎて、夢中で食べてしまいました」
毎日のことだが、ゼノンは驚くほどの早食いだった。今日もゼノンは、あっという間に料理を平らげてしまった。いつもなら、その早食いに関しては不満に感じるところなのだが、今日に関してはそんなゼノンの姿もまったく気にならない。別に、アレクシオ王子が誰のことを好きになろうが、そんなことはどうでもいい⋯⋯。お腹いっぱいになって幸せそうな顔をしているゼノンを見ながら、私はそう思ったのだった。
※ ※ ※
夕食を終え、ベッドで眠っていた私は、自然と夜中に目が覚めてしまった。のどが渇き、水を飲もうと台所に向かった時だった。人の気配がし、恐怖で足が止まった。
誰かいる? 私を捕らえに来たの? いや、もしかして暗殺者?
暗闇からスーッと誰かが近づいてくる。息を止めながら、逃げようとしている時だった。
「アメリア様」
暗闇の人物が声を出した。聞き慣れた声にホッとする。
「なんだ、ゼノンじゃない。びっくりさせないでよ」
安心した私は、コップに水を入れて一口飲んだ。
「どうしたの、あなたも眠れないの?」
「はい」
ゼノンは下を向きながら小さく息を吐いた。
「アメリア様は平気なのですね」
「え? 何のこと?」
「僕は平気ではありません。アメリア様が同じ家にいると思うと……。とても眠れないのです」
「どうして?」
ゼノンは、眠れない理由には触れず、真面目な顔をしてこう告げてきた。
「僕は、これからもずっとアメリア様の側にいたいのです」
「あ、ありがとう……」
私はおかしな雰囲気を変えようと、あえて明るい声を出した。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、そういう言葉は、将来現れる本命の女性に取っておいてあげて」
「今以上に好きな女性など、僕にはもう現れません」
これまで気づかないふりを続けてきたけど、そういうわけにもいかなくなってきた。
「あんな王子のことは忘れて、これからもずっと僕と二人で暮らしていただけませんか?」
そう言いながら、ゼノンが私に近づいてきた。
何か言わなければ……。そう思ったが、言葉が出てこない。十七歳とはいえ、もう大人といってもいい年頃の男性にずっと見つめ続けられているため、私の身体は固まってしまい動けなくなっていた。
「どんなことがあっても、僕はアメリア様を幸せにします。あんな王子と違って、一人の女性を愛し続けます」
「……」
ゼノンの整った顔が、私に近づいてきた。そして、そのままゼノンの両手が私の頬に触れてきた。手のひらから体温が伝わってくる。
ちゃんと断らないと⋯⋯。このままおかしな関係になるなんて、お互いにとって良いことではないはず⋯⋯。けれど、そう思っていても、ゼノンが自分の両手に力を入れ、私の顔を固定させているため、逃げることが容易ではなくなっている。その状態でゼノンの顔がどんどんと接近してきた。言葉で拒否すればいい⋯⋯。そうは思っても、私の口から言葉は出てこない。そして、ついにゼノンは私を見つめながら、顔を斜めに向けると、そのまま自分の口を私の唇に接地させたのだった。しばらく立ってもゼノンが離れる様子はない。暗闇の台所でずっとキスをしている間、ゼノンの呼吸音が私の耳に届いてきた。
「僕と一緒にネリ公国に逃げていただけませんか。アメリア様を一生守ると誓います」
「……考えておくわ」
そう答えるのが精一杯だった。そして無言で自分の寝室に戻り、布団の中へと潜り込んだ。ゼノンが私の部屋に入ってきたらどうしようかと心配したが、どうやら彼も自分の部屋に戻ってくれたようだ。
結局この夜、私はほとんど眠ることができなかった。




