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第八話 土地神の想い、蛇の想い



 ミナギヒメは、ブランコに乗っていた。

 ()ねた顔で、()られていた。


 いや――「揺られている」なんていうものではなかった。


「……めっちゃ()いでますね」

 驚きを隠せずつい眼鏡のつるをくいっと上げる畑辺(はたべ)に、

「すっげぇギュンギュンだね」

 ゆかりも(うなず)く。


 ミナギは勢いよく立ち漕ぎしていた。邪魔にならないように、長い髪を結ってまで。その振りは児童だったら危険だと保護者に叱られるレベルである。


「楽しそーじゃん」

 畑辺を少し下がらせてゆっくり近付きながらゆかりが笑うと、ミナギは立ち漕ぎをやめて座った。

「楽しいわけがないでしょう!」

 しかしブランコの勢いは落ちない。ギュンギュンのままである。

「ずるいです! お父様がそちらについてしまっては、わたくしに勝ち目がないではないですか!」

 声高(こわだか)に言うミナギに、

「ねえ。巳埜谷(みのや)に帰ってくれない?」

 ゆかりは返すが、ミナギは見ようともしない。

「巳埜谷の神はアオですぅ~!」

「いや、あんたでしょ。神様としての力はあんたの方がすごいんでしょ」

「アオの方が相応(ふさわ)しいではないですか! あの子に任せて二百年、もう巳埜谷にはわたくしのことなど覚えている者はいないでしょう!」


 ゆかりは思い出す。そういえば、エンが「すぐ拗ねる」と言っていた。


「忘れてないよ。みんな早く帰ってきてほしいって思ってるよ」

「それは自分たちの都合で言っているだけではないですか!」

「そうだよ。だってあそこに住んでるんだもん。やべーことになっちゃうかもしれないんなら、当然助けてほしいって思うっしょ」

「調子がよすぎます! どんどん忘れていってしまうくせに!」

「でもそれって自業自得じゃん? あいつに仕事押し付けていなくなっちゃったらそりゃそうなるよ。二百年って、あんたたちにはたいした時間じゃないかもしれないけど、人間だったら何代も世代が変わるくらいの時間なんだから」

「知っています!!」


 ミナギは、ブランコを止めた。


 ゆかりを(にら)む目に溜まった涙が、ぽろぽろ落ちる。



「何年土地神をやっていると思っているのです? ヒトの(いとな)みなどっ…………ずっとずっと、見てきました」



 その表情は、(さび)しそうで、どこか(はかな)くて。



 これは、エンに対する嫉妬(しっと)などではない。いろいろ言っていた割に、離れていても、彼女は巳埜谷の土地神としての矜恃(きょうじ)を持ち続けている。


 確かに拗ねてもいるようだ、しかし――本当の原因は別にあるはず。


「ミナギさん」

 (つぼ)を抱えたまま、ミナギの正面に立つ。

「何があったの?」

「…………」

「エンにも聞かせたくない話?」

「…………」

「そっか。じゃあ私に話しちゃいなよ」

「どうしてあなたなんかに」

「仲がいい相手より、よく知らん奴の方が話しやすいことってあるでしょ。すっきりするかもしれないよ」

「……そういうものなのですか、人間は」

「そうだね。そんなこともあるね。ね、ヒカルちゃん」

 いきなり振られた畑辺はびくりとする。

「えっ、あっ、はい! そんなこともあります!」

「そう…………」

 壺の中からウカミヒコも、

「言え。聞いてやる」

 顔を出したが、涙を(ぬぐ)ったミナギは、少し、顔を(しか)めた。

「お父様は(はず)して下さる?」

 父には聞かれたくないらしい。

「うむ……」

 残念そうに引っ込んだウカミの入った壺を畑辺に渡すと、ゆかりはミナギの隣のブランコに腰を下ろした。



    ◇     ◇     ◇



 昔々、山間(やまあい)にある里に、里を(まも)る土地神様がいました。土地神様は美しい女の神様で、里の民のことをとても大事にしていました。


 ある日、里に一人の男が流れてきました。男は薬を作って売りながら旅をしていましたが、長い旅の疲れからか弱っていました。


 里の者たちは、最初、よそ者の男を敬遠していました。しかし土地神様は助けを求めているのならと男を受け入れ、薬になる草木を教えてあげました。すると里の者たちも、土地神様がそうなさるならと男に小さな小屋を貸し与え、食べ物も分けてくれました。


 ほどなく男はすっかり元気になりました。そして土地神様と里の者たちに深く感謝しお礼がしたいと言って、薬を分け与えたり、怪我や病気を診てくれるようになりました。


 しかし、それはそう長くは続きませんでした。男はもっと困っている人たちを助けたいからと、里を出ることにしたのです。


 男は、薬の作り方を書き記したものと作った薬を土地神様に渡し、また会いに来ると約束して、再び旅に出ていきました。



     ◇     ◇     ◇



 父に聞かれないようにか、小さく小さく語られたミナギヒメの話に、ゆかりも小声で返した。

「好きだったの? その人のこと」

 (うなず)いたミナギの目から、また(しずく)が落ちた。

「五十年待ちました」

「ごじゅう、ねん…………かぁ……」


 二百年以上前の出来事――その頃の環境や生活様式、平均寿命、情勢を考えれば、再会できる可能性はさほど高くはなかったのかもしれない。


「わかっては、いたのです。わたくしは長く人間と共にありました。あの頃は、今ほど安全ではなかった。医療も今ほど発達していなかった。こうしようと決めていたはずのことも、必ずできるとは限らない。だから、それでも……もう一度だけでも……」

「うん、そっか」

 自分より、何ならエンよりも長く生きている――神様だから「生きている」という認識で合っているのかはわからないが――彼女が何だか可愛らしく見えてしまい、ゆかりはブランコに乗ったままミナギの肩をぎゅっと抱いた。そんな無礼な行動にもミナギが怒らないのは、気落ちしているからか、ゆかりが持っているらしいちょっとした力のおかげか。

 と、

「それなのに」

 一気に、ミナギの表情が(けわ)しくなった。


「アオのやつうぅ~! 『相手は人間なんだからどこかに落ち着いたり案外早く死んでしまうこともあるだろう』とか言ってえぇ~っ!」

 涙はぼたぼた落ちているが、その顔は怒りに満ちている。

「あぁ~」


 梛木(なぎ)ゆかりは完全に理解した。ミナギヒメは、親友の正論ではあるが何とも心ない言葉に腹を立てたのだ。


「だからあいつに土地神の仕事押し付けたの?」

「違います。あの頃は本当に……わたくしがこのままでは巳埜谷に何かあったとき支障が出てしまうと思って……」

「真面目だね」

「当たり前です巳埜谷はわたくしが護るべきものです。……でも、休んでいるうちに、ちょっとならあのひとを、いえ、あのひとはもういないだろうから、子孫とか……探しに行ってもいいんじゃないかって……」

「うん、そっか。いたら会いたいよね」

「でも、でも、……巳埜谷から離れてはいけないんじゃないかって……」

「うん、そっか。心配だもんね巳埜谷もエンも」

「そのうち腹が立ってきて……アオなんかちょっと苦しめばいいのにって思って……」

「あぁ~、うん、そうだねぇ~」


 頷くしかなかった。ミナギに同情した。そうだ、あんな奴ちょっと苦しめばいい。「ちょっと」というあたり、ミナギは優しいとさえ思う。


 しかし、それとこれとは話が別だ。


 ゆかりは、なだめるように、ミナギの肩をぽんぽんと軽く叩いた。

「うん、わかる、わかるよ、すっげえわかる。それはちゃんと会いに来てくれなかったそのひとと、エンが悪い。いやその、あんたが好きだったひとは、もしかしたら来たくても来られなかったのかもしんないけど…………でも、さ……それで巳埜谷のみんなに迷惑かかっちゃうのはちょっと、どうかと思うのよ」

「わかってるんですっ」

「うん、だよね。わかんないはずないよね、巳埜谷の神様だもんね……」


 巳埜谷の土地神・水梛(ミナギ)比売(ヒメ)としての(つと)めと自負(じふ)

 ミナギという個としての感情。


 このふたつの気持ちの間で、ずっと苦悩してきたのだ。


 ゆかりは、考えた。


 このままミナギに戻ってもらっても、モヤモヤしたままなのではないか。

 だが巳埜谷が危ないというのも事実であり――


「…………ねえ。どうしても、会いたい?」

「もうとっくに死んでいます」

「そうだけどさ。そのひとが、何で会いに来れなかったのかとか。どこでどうなったのかとか。知りたいんじゃない? 納得したいんじゃない?」

 その言葉の意味を読み取ったミナギは、ゆかりを見た。

「でも」

「行ってきなよ。三年くらいは大丈夫みたいだからさ。三年なんて、神様にとってはあってないようなもんかもだけど。ないよりはマシっしょ」

「また、その間に」

「多分大丈夫じゃない? エンも自分は代理だってちゃんと公表してるし、郷土史の本にも水梛比売の名前が書いてあるって言ってたしさ。忘れちゃう人は多少は出るかもだけど、覚えててくれる人だっているよ。あんな立派なお社あるじゃん」

 袖口(そでぐち)で涙を拭ったミナギは、ふ、と笑った。

「生意気な子。わたくしは神ですよ、もっと(おそ)(うやま)いなさい」

「ごめんね、私巳埜谷で生まれ育ってないからさ。正直今でも土地神様って言われてもいまいちピンとこないんだわ」

「ふふ、ふふふ。そんなあなたが土地神の花嫁だなんて、滑稽(こっけい)ですね」

 ゆかりが腕を(ゆる)めると、ミナギヒメは立ち上がる。


 夕日に照らされた、白い女神。

 思いの丈を吐き出してすっきりしたか、凜々(りり)しく美しい。


 あぁ、大丈夫そうだ――安心してゆかりも立つと、今度はミナギがゆかりを抱き締めた。

「ありがとう、優しい子。……本当に、お言葉に甘えても?」

「うん。いいよ。私は巳埜谷の土地神の嫁さんだからね。ある意味あんたの嫁さんじゃん? 嫁がいいって言ってるんだから気兼(きが)ねなく行ってきなよ。三年だけだけど」

「あら。そんなこと、言っていいのですか?」

 にこり、微笑んで、ゆかりの(ほほ)に手を()える。

「本当に妻にしてしまいますよ?」

 この神様案外ノリがいいな、などと思いながら、ゆかりも笑い返す。

「いや、土地神の嫁なの三年だけだしね。そう約束してるから」

「ふふ、残念」

 離れたミナギは、父が入る壺を持った畑辺に歩み寄った。畑辺は緊張して壺をぎゅっと抱く。

「あなたも巳埜谷の者でしたね。申し訳ありませんが、今しばらく、時間を下さい。必ず戻ります」

「あ…………はっ、はいっ!」

「お父様」

 呼び掛けた壺から、ウカミが顔を出す。

「ん」

「わたくしが戻らぬ間に巳埜谷に何かあったら、助けていただけますか」

「ここから巳埜谷までどれほど離れていると思っている。そういうことは玉垣(たまがき)(くつね)に」

「できますでしょう?」

「全く。仕方のない娘だ」

 その返答を()ととらえたミナギの表情が、晴れた。


 かくして、巳埜谷の土地神ミナギヒメは三年以内に必ず戻ると約束し、巳埜谷のジャノメ湖下流にある民家や田畑の安全は確保されたのであった。


 が――


 結局、ゆかりと畑辺はバスの最終便には間に合わなかった。




 ゆかりが帰宅したのは、日付が変わる少し前のことだった。那木(なぎ)束早(つかさ)細君(さいくん)が、バスを逃してしまったゆかりと畑辺を車で巳埜谷のそれぞれの自宅前まで送ってくれたのだ。

 車の中で、束早の妻は言った。


「泊まっていってと言いたいところですが、あの里は長居する方が危ないので。束早様が、早くあなたがたを逃がしてあげてほしいと」


 何故、とは、怖くて()けなかった。ウカミヒコは「閉じられた里」だと言っていたし、やはりエンが感じ取っていたのは間違いではなかったのか。


 車を見送り門をくぐると、明かりがついていた。普段からエンがいつ寝ているのかわからないので寝ているとは思っていなかったが、エンの自室以外も明るいのは珍しい。もしかして、できるだけ明るくして待っていてくれたのか。

「ただいまぁ」

 玄関の引き戸を開けると、奥から、どん、と大きい音がして、続いてどたどたと騒がしい足音が近付いてくる。

(何やってんだあいつ……)

 などと思いながらおとなしく待っていると、浴衣(ゆかた)と息が乱れたエンが出てきた。立ち上がるときに(すそ)を踏んで転倒したのだろう。

「おっ……、おかっ、えりっ……」

「そんな(あわ)てなくても。パンツ見えてる」

「あゎ」

 後ろを向いて着崩れた浴衣を直すエンに少し笑いながら、ゆかりは靴を脱ぐ。

「どしたの、何かあった?」

「あ、いや…………その。無事で、よかった」

「うん。あんたが言ってた通りだったよ、本家の当主さんと奥さんと娘さんはまともそうだったけど、あそこに住んでる人たちちょっとヤバいみたいだね」

 手早く装いを整えたエンは振り返った。

「そういえば、ミナギはどうした」

「置いてきた」

「は!?」

「っていうか、あんたさぁ」

 ゆかりが一歩、詰め寄ると、土地神代理はたじろいで一歩、下がる。

「な、なんだ」

「ミナギにずいぶんなこと言ったそうじゃない?」

「は? え、なにを」


 こいつ覚えてないのか――呆れたゆかりは、


「バーカ!!」


 深夜にそぐわぬ大声で言い放つと、ずんずん自室へと向かう。すると困惑したエンがついてくる。

「え、ちょっと、なあ! 何で俺がそんなことを言われなきゃならないんだ!?」

「うるせーバーカバーカ!」

「何なんだわからん説明してくれ!」


 自室に入る直前、エンに手を掴まれ、ゆかりは立ち止まり振り返る。


 その表情は、何故か、どこか、必死に見える。


 いつもと少し様子が違うような。


 思わず訊き返す。

「どしたの。やっぱり何かあった?」

「は」

 表情は、いつも通りの少し緩さのある顔に戻った、が。

「……いや、別に、何も、ない」

 そう言いながらも手は離そうとはしない。何もなかったわけではないようだ。

「嘘つくな。何かあったね?」

「…………ゆかり」

「なーに、どうした? (なべ)()がした?」

「それもある」

「あるんかい」

「ごめんな、でも被害は極めて軽微(けいび)だ。本当に、ちょっと焦がしただけだから」

「そう。火事にならなくてよかったよ、気を付けなおじいちゃん。……で、それ『も』って? 他には?」

「…………」

 黙ったまま掴んだ手を握り直し、じ、と見てくるので、ゆかりはまた、どきりとしてしまう。言動は年寄り臭いが、黙っていれば本当にきれいなのだ。

「な、なに」

「ちょっと」

「なに?」


 少しだけ、悩んでいるように、目元が崩れる。



「抱き締めていいか?」



 まさかの発言に、ゆかりの方は大変な顰め面になった。


「ダメだよ!?」

 即レスお断りに、エンは食い下がる。

「頼む! 一回でいいから! ちょっとだけ!」

「何で!? 何言ってんの!? 意味わかんないんだけど!?」

「なんか、なんだか、今とてもそうしたい! 頼む!」

「嫌だよ何考えてうわあぁ!?」


 引き寄せられ、そのまま、ゆかりはエンの腕の中に入ってしまった。


 突然のことに、言葉が出ない。


 エンの腕に、ぎゅむ、と力が入る。

 締め付けすぎない程よい圧迫感。程よい温度。疲労感が、ゆっくり抜けていく。


「……帰ってきてくれて、よかった」

「え」

「よかったぁ」


 揺らぐ声には、安堵が(にじ)み――否、(あふ)れ出ている。

 そんなに心配していたのか。


 ゆかりはエンの背に手を添えた。

「帰るに決まってるじゃん、あんた私いなきゃ困るんでしょ」

「ウカミ様に口説(くど)かれてるんじゃないかと」

「口説かれたよけど断ったけど」

 エンは少し離れ、ゆかりの両肩を掴む。

「どうして断った!? ウカミ様はミナギよりも力がある神だぞ!? 本家もものすごく金持ちだぞ!?」

「いや、だって、あそこ巳埜谷より田舎だし……本家の皆さんとウカミさんなら仲良くできそうだけど、周り怖いし……なに、あっち行った方がよかった?」

「よくない!」

 再度の抱擁(ほうよう)

「困るからよくない……行くなぁ……」

「だから帰ってきてるでしょうが」

「ウカミ様怒ってなかったか? (うば)いに来られたら困る……勝てない……」

「来ないし怒ってないよ大丈夫だから」


 そう、ウカミヒコは無理にゆかりを己のものにしようとはしなかった。

 (よわい)千年を超えるミナギの父というのだから、エンが言うように土地神としてそれなりに格が高いし強いのだろう。

 それでも、できるはずなのに、しなかった。


 彼もまた、人間と長く共に在ったからこそ、人間というものをよく知っているのだ。


『他の男に懸想(けそう)している女を口説くのはなかなか骨が折れる』


 ふと、言われた言葉が頭をよぎる。


 「懸想」。

 それは、親しみとはまた違う感情。


「ふ」

 浮かんでしまったその言葉のせいで、ゆかりはつい今あるこの状態を意識してしまった。


 顔が熱い。


「ちょ、ちょっと、いつまでやってんの」

 あまり顔を見られたくないので(うつむ)きながら押しやろうとするが、エンは離れない。

「離れがたい離れるのがもったいない一回だけとか言うんじゃなかった」

「ちょっとだけって言ったじゃん! いい加減にしなよ!」

「神的には全然まだまだちょっとだけだ」

「あんた神モドキだろうがクソジジイ! 都合のいいときだけ神ぶるな!」

「う、う……」

 名残(なごり)()しさダダ漏れで、ようやく離れる。心底残念そうにうなだれながら。

「すまない……」

 あまりにも深い、大きな溜め息をつくものだから、何だか少し可哀想に思えてきてしまい、ゆかりも謝った。

「あ、や、こっちこそ、ごめん。急に変なことするからちょっと驚いただけで」

「……腹、減ってないか。あるぞ少し焦げた肉じゃが」

「それ大丈夫なやつ?」

「本当に野菜に焦げ目がついただけだから大丈夫だ」

「じゃあ、少し、食べる」

「そうか。……準備してくる。シャワー浴びておいで」

「うん、ありがと」

 どこか力なく台所へ向かうエンを見送り、ゆかりは自室に入った。


 バッグを放り、ひとつ、深呼吸すると、両手で顔を(おお)う。


「はぁ~…………びっっっくりしたぁ」


 あんな優男(やさおとこ)みたいな顔をして、しかも副業は文筆業なのに。


 これまで何度も見ているはずの彼の体は、妙にしっかりしているように感じられた。


 腕の力も、想像していたよりも強かった。


「いや……そういや畑の手伝い行ってるもんなあいつ……化けてる姿でも()まるもんなんだな……」


 もう一回、深呼吸。

 落ち着こう、大丈夫、いつも通りに、と己に言い聞かせる。


「……よし。シャワー浴びてごはん食べてストレッチして寝よう!」

 着替えを準備すると、ゆかりは風呂場へ向かった。



 ほんの少し香ばしくなってしまった肉じゃがをオーブンレンジであたためるため、深さのある器に入れていく。

「…………あぁ~」

 エンは手を止め、嘆息した。

「やってしまった……やってしまったなぁ……」


 無事に帰ってきて安堵したのは確かだ。


 が、それ以上に。



 過去に友に言ってしまっただろう言葉でゆかりに嫌われていたら嫌だと思ってしまった。


 永縄(ながなわ)の里に――ウカミヒコに、ゆかりを奪われてしまわなくてよかったと思ってしまった。



 手放したくないと思ってしまった。



「うぅ……」


 彼女は三年間という約束でここにいてくれているのだ。いずれ離れていくのだ。


 どんなに長く生きたって。

 化けられるといったって。



「俺は、蛇だぞ」



 常に、自覚していなければ。



「よし」

 気持ちを切り替えろ。肉じゃがをよそっていた玉杓子を置いて、今度は味噌汁の入った小鍋を火にかけた。





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