第九話 蛇と広報活動
ゆかりが遅すぎる夕食をとりながら説明すると、エンは湯飲みから手を離し、ダイニングテーブルに突っ伏した。
「俺かぁ~、それは俺だなぁ~」
「そうだよあんたのせいだよミナギ激おこだったよ」
そのままぴくりとも動かないエンを見ながら、ゆかりは大根の漬け物を一切れ、白飯を一口、そしてまた漬け物を一切れと口に入れた。物理的に少し距離のあるお隣の奥方からの頂き物で、塩味と甘みがちょうどいいバランスの漬け物は現在のゆかりのお気に入りごはんのお供ナンバーワンに君臨している。
ゆかりが飲み込んだタイミングで、エンは顔を上げた。
「それで。本当にアレはちゃんと三年以内に帰ってくるんだろうな?」
「大丈夫だよ、約束したもん」
「お前さんはアレのことを知らんだろう」
「それはあんたの向き合い方の問題でしょうよ。真面目でめっちゃ可愛いじゃん」
「それくらい知ってる! ミナギは真面目だし巳埜谷を大事にしてるしちょっと面白いくらいチョロい!」
「そういうとこだぞクソジジイ」
呆れながら想像していたよりも焦げていない肉じゃがのじゃがいもを箸で摘まむ。
「そういえばさ。今巳埜谷にいる人たちって、どのくらい元々の土地神がミナギだってわかってんの?」
「大体知ってるだろう、俺は代理だと散々言っている」
「あんたが代理だと知ってるっていうのと、ミナギが本来の土地神様だって知ってるっていうのはイコールじゃないでしょ。郷土史の本だって、学校で地域のこと調べなさいーなんて課題出されたりそっち方面の勉強してる人以外ほぼほぼ読まないんだし。知らない人、結構いるんじゃない?」
「そ、それは」
「もしかしてさ、お祭りとかもやってない感じ? 裏のお社、きれいにはしてあるけど」
「昔はやってたんだが……」
「昔ってどのくらい昔」
「…………」
答えられずに黙ってしまったエンに、ゆかりは嘆息した。
「あんたの力が不安定になってたの、それもあるんじゃないの? お祭りなんて、神様にとっては目立つ機会の大事なイベントじゃん。ミナギが忘れられたらミナギから力分けてもらってるあんたも弱くなるに決まってるっしょ」
「そ…………それも、あったのか……」
「おばあちゃんが死んで私が来るまでよく何ヶ月ももったね? っていうか私が来てもギリギリなんじゃん、ミナギが忘れられたらアウトじゃん」
「う、ぐ、ぐうぅ~っ……」
ぎゅっと目をつむり、頭を抱えながらまた突っ伏す。そしてそれを見るゆかりは食事を続ける。
「肉じゃが、これはこれでいいね。なんか焼き目が程よく香ばしくて」
「……ゆかりよ。己の浅慮に苦悩する俺を見て食う飯はうまいか」
「悪くないね。……で、さ。そのへんをどうにかしなきゃいけないんじゃないかって思うわけ」
「そのへん?」
「そーよ。巳埜谷のみんなにミナギのことちゃんと知っててもらわなきゃ。ミナギは忘れられたら弱って最悪神じゃなくなって困る、あんたはジャノメ湖を保ってられなくなって巳埜谷のみんなを護れなくて困る、巳埜谷のみんなも町がぐちゃぐちゃになって住むとこなくなって困る。大変なことでしょこれは」
「そう……だな……」
再度顔を上げたエンは思案した。
「でもそればっかりは俺たちだけではどうにもならん。そういうのは専門家に相談だな」
そういうわけで、翌々日エンとゆかりは朝一で巳埜谷町役場へと向かった。
「おはようございうわっ」
相変わらず疲れた顔をしている町長・朝比奈はびくりとして固まった。さもありなん、本日のエンは派手な柄シャツに色の濃いサングラスというとても土地神(代理)とは思えぬ装いをしている。ゆかりは頭を下げた。
「おはようございます町長、すみませんねぇうちのおじいちゃんがどうしてもこのカッコで行くって聞かなくて」
「あ、あぁ、いや…………よく、お似合いで」
エンは嬉しそうにゆかりを見た。
「聞いたか! 似合うって!」
「あーうんはいはい」
「ゆかりお前さんちょっと受け流しが滑らかすぎるんじゃあないのか」
真面目なのか冗談なのか判別に困った朝比奈も受け流すことにした。
「ああ、畑辺くんから聞きました、山姫様が期限内に戻られるそうですね。よかった、本当に」
「うん、そのことなんだが」
エンも切り替えが早い。サングラスを頭に引っ掛けるように上げる。
「サトコとチナツは来てないのか? 姿が見えないが」
「岩下さんと正木くんなら今週いっぱい二階の第二会議室にこもってます。来月の広報誌を」
「お、ちょうどいいな。ゆかり、おいで」
にっこり笑って階段に向かうエンの後をゆかりが追う。
「町長も! 一緒に来て下さい! 大事な話なんで!」
「えっ……あっ、はい!」
巳埜谷町役場の第二会議室――とは名ばかり。職員が多くない巳埜谷町役場では、一番大きな第一会議室があれば事足りてしまうため、第二会議室には現在二人の職員が入り浸っている。
「ちなっちゃ~ん、白ゆり会とアメジストローズのダンスバトル再来月よね~」
「そうなんよね~」
「今年どっち勝つかな」
「どっち勝っても記念すべき二十勝目なんだよな。……表紙にしてェな」
「ね~表紙にしたいよね~記事も見開き使ってさ! ページ数稼げるし巳埜谷このくらいしか盛り上がるイベントないもんね! あ、ちなっちゃんちのおばあ今年も出る?」
「出る出る。気合い入ってんだよな、今年喜寿だし。本人はもちろん白ゆり会が盛り上がってるらしくて」
「え~めっちゃめでたい~、そりゃ勝ちたいねぇ」
「でも今年アメジの方に母ちゃんが入ってさぁ。勧誘されて」
「えっ、それアメジ有利くね? ママさん昔バックダンサーとかやってたって言ってたよね?」
「いや~でも数十年前よ? ……とか鈍ってるふうを装っており」
「ウケるラジオ体操いつもキレッキレじゃん」
「それな」
「ていうか嫁姑バトルじゃん見逃せねぇ~!」
防音加工もされていない古くて軽い扉を突き抜けて、男女の声が聞こえてくる。廊下で入るタイミングを窺うゆかりがぽつりと言う。
「盛り上がってんね。毎月こんな感じなんですか?」
朝比奈は苦笑いする。
「まぁ、大体は」
「イケるかな」
しかし後ろに立つエンは難しそうな顔だ。
「今は楽しい話題で盛り上がってはいるが、こんなでも毎月すごい顔して編集しているからなぁ」
「何とかしてよ土地神様」
「と、言われてもなぁ、俺も万能じゃないしそもそも神じゃないし…………失礼するぞ」
ノックをしてからドアを開けると、会議用の長机をふたつ並べて向き合って座っていた男女が、ぴたりと会話を止めて一斉にエンに注目した。
「あれ珍しい」
「エン様じゃんどうしたんすか」
どちらも化けているエンの姿と同じくらいの年齢だろうか。役場の中では若い方に分類される職員だろう。男の方はポロシャツにチノパンツ、女の方はTシャツにカーディガンを羽織り、下はサイドにラインが入ったジャージ。ずいぶんとラフだ。
原稿やらメモやら写真やらのたくさんの紙と何本ものペンとコンパクトデジタルカメラ、そしてノート型とタブレット型のパソコンで散らかった机の片隅に、エンは持っていたコンビニエンスストアの袋を置いた。休憩にはまだ早いので、中身は菓子ではなくプラカップに入った冷たいコーヒーだ。
「ほれ、受け取れ神の恵みを」
「やった! 差し入れ嬉しい!」
「ありがとうございます! …………あれ」
男の方が、ゆかりの存在に気付いた。
「その子、エン様の嫁さんだっけ。なに、見せびらかしに来たんすか?」
「そうだと言いたいところなんだがな。ちょっと頼みたいことがある。俺だけじゃ上手く説明できないかもしれないから来てもらったんだ」
「頼みたいことォ?」
女の方が椅子から立って、エンの前まで進み出る。上から下までじっくり見ると、けたけた笑った。
「エン様今日ガラ悪いじゃん!」
「金のネックレスと指輪と腕時計が足りなかったな」
「似合いすぎるやめな~! で、何? うちら広報課だよ?」
「うん、実は」
エンから送られた視線の合図で、ゆかりが一歩、前に出た。
「是非載せてほしいことがありましてっ」
それまで朗らかだった広報課の二人は真顔になった。
「いや無茶言わんで。もう来月の原稿ほとんどできちゃってるから」
女から出たすっぱりお断りの言葉に、男も頷く。
「そーだよ、もう無理だよ。再来月載せる内容も決まってる」
そこを何とか、と食い下がろうとしたゆかりの肩に手を置いて制し、エンは、にこ、と笑った。
「その次、ならいいか?」
広報課の二人が同時に詰まる。ゆかりは思った――顔のいい神様の笑顔の圧力よ。
「んん~」
女は椅子に戻り、机に肘をついて組んだ手で、額を叩く。
「それって、載せなきゃダメな感じのやつ?」
「ああ。とても大事なことだ。巳埜谷のために、巳埜谷の者に見て知ってもらわなきゃならない」
「んんん~…………ちなっちゃん、椅子!」
「あいよ」
男が立ち、会議室の片隅に立てかけられていたパイプ椅子を三脚持ってきて、自分が座っていた椅子の両側にひとつずつ、女の隣にひとつ設置し、今度は女の隣の椅子に腰を下ろした。
「まぁどうぞ座って。聞きましょう」
エンとゆかり、そして朝比奈は、広報課と向き合う形で椅子に座った。広報課の二人は、先ほどまで楽しげに話していたとは思えないくらいに真剣な表情である。
女の方が、姿勢を正して口を開いた。
「改めまして……住民票移動の際にエン様に簡単にご紹介いただきましたが、お忙しくておそらく覚えていらっしゃらないと思いますので。私は岩下三礼子。巳埜谷町役場広報課の課長を務めています。こちらは正木千夏。名刺は一階のデスクにありますので後ほどお渡ししますね。巳埜谷町で月に一回出している広報誌と、公式ホームページの作成、メルッピの公式アカウントの管理を担当しています」
「あの…………もしかして、おふたりだけで、ですか?」
おそるおそるゆかりが訊くと、隣のエンから乾いた笑いが漏れた。
「仕方ない、人がいないからな」
「おぅ……」
不安になってきた。たった二人の広報課、考えて、取材して、調査して、毎月の広報誌を作っている。たった二人。忙しいだろうし、新しいものを取り入れるというのがとても難しいことだというのは、ゆかりにも理解できる。
無理をさせてしまうのは。
しかし、切実な問題でもあり。
と、下を向いて考え込んでしまったゆかりに、岩下が言った。
「言うだけ言ってみて。大事なこと、なんでしょ?」
そうだ、これは巳埜谷のためのこと。
是非とも広めて、覚えておいてほしいこと。
あの見た目に反して可愛らしい神様にも、「大丈夫」と請け負ったのだ。
ひとつ、大きく息をして、ゆかりは顔を上げた。
「巳埜谷の元の土地神様の山姫――水梛比売について、取り上げてほしいんです」
エンとゆかりの説明を聞いた巳埜谷町役場広報課コンビは、
「なるほどねぇ」
「それは、載せなきゃだな」
唸りながら腕組みをし、椅子の背もたれに寄りかかった。全く同じポーズである。
「町長的にはどうなん?」
正木が投げかけると、それまでおとなしかった朝比奈も表情が変わっていた。
「うん。それは、みんな知っていなくてはならないことだ。巳埜谷は町政が始まるずっと前から土地神様との距離が近かった。土地神様はみんなにとって仲良くしてくれる神様って認識なんだろうけど、改めて、土地神様が町にとってどんな存在であるのか、我々はどうしていくべきなのか、町全体で考える必要性があると思う」
「それって、記事にしていいってこと?」
「許可します」
「おっし」
広報課コンビは座り直し、手元に紙とペンを引き寄せた。
「でもさ、ジャノメ湖の件は触れない方がいいんじゃないかな。怖がる年寄りもいるだろうし。角居のおばあとか」
「あー、ねー。ってなると、山姫様の紹介とー、エン様との関係とー、」
「関係性はさ、図で説明するといいんじゃない? こーいう感じで」
「あ、いいな。やっぱ年寄りにも子どもにもわかりやすくしたいよな」
また二人で盛り上がり始めたのを見て、ゆかりは呟く。
「判断が早い……仕事も早い……」
「あっ、そうだ!」
岩下が手を叩いた。
「じゃあさ梛木さん! ちょっと手貸してくれない!? 土地神様の嫁さんとして!」
「えっ」
戸惑うゆかりをよそに、今度は朝比奈の方を向く。
「町長、バイト代出せる!? 出せるよね出して!」
「えっ」
「町の広報誌だよ!? うちらの巳埜谷を護る神様の嫁に! タダ働きさせるな!」
「んっ、あっ…………そ、相談してきますっ!」
飛び出していった朝比奈を見送ると、岩下は頷く。
「よしよし。やりがい搾取いくないからな~」
「あ、あの……私まだやるともやらないとも」
びくびくしながら訴えるゆかりに、正木が、にや、と笑う。
「言い出しっぺなんだから手伝ってもらいますよォ?」
「えぇ……」
更に戸惑うゆかりの肩を、エンが叩いた。
「そうしてやってもらえるか。役場からは出るとしても小銭程度だろうが、足りなければ俺から出す。家事も変わらず俺に任せればいい」
「まぁ確かに何とかしなきゃと言い出したのは私だし、うん、そこは…………やるかぁ」
「ふふ。本当にお前さんはいい子だなぁ」
「それはそれとして、家事はちゃんとできる分はやるよ今のバイト辞めればかなり時間できるし。生活サイクルも昼型に整えてかないと」
やり取りに、岩下がにこにこしながら手元でペンを走らせる。
「イチャイチャしよる~。羨ましいねちなっちゃん」
「俺らもした方がいいかいつでもいいぞ受け入れ体勢は整ってる」
「けははは! 来月の広報できた後でな!」
「それもう再来月の原稿始まってんじゃねェかよ」
肩に置かれたままだったエンの手を振り払い、ゆかりは顔を顰めた。
「そんなんじゃねーし!?」
このときエンが少しだけ、本当にほんのわずかに目を伏せたことにゆかりは気付かなかった、のだが――同時に、ゆかりの頬に少し赤みが差したことに、エンが気付くこともなかった。
「これで何とかなるといいんだけどね」
帰りの車の助手席で、ゆかりは窓の外に目をやった。高くなった日の光が木々の葉を鮮やかに照らす。
「何とかなるさ。……少し、寄り道していいか」
「どこ行くの」
「例のブツをな」
ジャノメ湖湖岸の杭か。
「少し様子が見たい」
そういえば、ゆかりが協力すると決めたときは、まだエンの力が不安定なのだった。あれ以来見に行っていない。
「じゃあ、コンビニでお昼ご飯買ってって車停めたとこで食べよ」
「うん。それは、いいな」
ミナギヒメが帰ってくるまで、三年。
三年経てば、全て、終わる。
しかし逆を言えば、その間は一緒にいられる。
今のうちに共にある時間を楽しんでおこう。
それぞれ、こっそり、そう思っていた。




