第六話 蛇の嫁のおつかいと留守番の蛇
巳埜谷町の梛木家も、それなりではあった。門から入ると自動車が三台くらいは置けるスペースがあり、布団が三組は干せる物干し台があり、更に片隅には香味野菜を育てているプランターがいくつもあり、内装がバリアフリーにリフォームされた母屋は大きく、物置と化してはいるが蔵もある。
永縄の那木家はもっと大きかった。
瓦を葺いた白土の塀と立派な古い門を前に、ゆかりは目を細める。塀の白さが雲に負けないくらいに眩しい。
「指定文化財?」
「ゆかりさん。史跡じゃないです個人宅です。ほら、表札かかってるじゃないですか」
さすがの畑辺も臆したか声が小さくなる。巳埜谷町以上に民家が少ない集落の中の立派な邸宅、その存在感は強烈だ。ふたりは何となく、身を寄せ合った。
「なるほどね……あいつが言ってた因習村じみてるってこういう……」
「古い家、なんですよね」
「鬼が出るか蛇が出るか、…………って、出てくるとしたら蛇しかないな、蛇遣いの家だもんな」
「その言い方はまた意味が違ってきませんか」
などと、門前でごちゃごちゃやっていると、門扉が開いた。
「いらっしゃい」
色素の薄い、儚げな少女。十五、六歳ぐらいか。後ろに立つ同じくらいの年頃の少年が、少女が日に当たらないように日傘を差している。全く似ていないからきょうだいではなさそうだ。
年寄りというわけでもないのに真っ白な髪、白い肌。
光っているようにも見えるその存在に、あぁ、と畑辺が声を漏らした。
「アルビノだ」
少女は、にこ、と笑った。
「よく、知ってる、ね」
「あっ…………あ、いや、えっと……大変失礼しましたっ! わたくしっ、巳埜谷町役場職員の畑辺耀と申しますっ!」
無礼を詫び深々と頭を下げる畑辺に続き、ゆかりもぺこりとお辞儀をした。
「巳埜谷の土地神代理・巳生縁の………………妻…………の、梛木ゆかり、です」
「おねえさん、エンくんの、今のお嫁さん?」
明るいブルーグレーの瞳。それ以外は何もかも真っ白。まるでよくできた人形のようではあるが、不思議と初対面のときのエンや少し前に会った神狐のようなプレッシャーは感じられない。ということは――
「あなたは、この家の人?」
「そう。那木、みずき。こっちは、八江、泰司。よろしく。……父さまが、お通ししなさいって。来て」
どうやらこの家の娘らしい。どうぞ、と門扉を支える少年の表情はみずきと違い固い。やはり余所者に対して警戒しているのか。
「お邪魔します。行こう、畑辺くん」
いつもの親しげなものではなく人前を意識したゆかりの呼びかけに、畑辺はきゅっと身と意識を引き締めた。
ゆかりと畑辺は、道場のような広い板の間に通された。客用の座布団は巳埜谷の梛木家に負けじと分厚くふかふかで、出された茶も茶器も高級品であることがわかる。丸い鏡が安置されている祭壇は、梛木家の裏山の社と似ているがもっと古くて大きい。
その前には、着流し姿の那木みずきによく似た男が座っていた。彼も、白い。
「初めまして。僕は那木束早。この永縄地区の自治会長、そして永縄の土地神である蛇・宇香彌比古を奉る那木家の現在の当主でもあります」
穏やかな声だ。
「梛木ゆかりです。こっちは、巳埜谷町役場の畑辺。……あの、さっそくなんですけど」
束早は頷いた。
「話は、玉垣の祭神のお遣いから伺っています。今、娘に呼びに行かせていますので、少々お待ちいただければ」
みずきのことか。彼女ほどの娘がいる割にずいぶんと若く――人間に化けているエンと同じか、少し上くらいに見える。そう見えるだけか、はたまた実際に若いのか。後者だとすれば今のみずきと同じくらいの年齢で子持ちになったことになるが、どちらにしても世間一般とは何かが違う家であることは確かだ。
「あの」
ゆかりは発した。沈黙すると、何かに飲み込まれてしまいそうだと何故か感じた。
「こちらの土地神様は、巳埜谷の土地神様の親御さん…………あっ、神様に親御さんとか言って大丈夫なのかな……」
「ふふふ。大丈夫ですよ。ウカミは多分、ヒメよりも親しみやすいかと」
「そうなんですか?」
「そうだね、ウカミ」
束早の着物の袂から、するりと白い蛇が出てきた。元の姿のエンよりも一回り大きい。神様をそんなところに、と思わずゆかりは言いそうになってしまったが、相手はあのへにゃりと力の抜けた神の代理ではないから控える。
神の蛇はそのままゆかりと畑辺の前まで来ると、ゆっくり、首をもたげた。
「ウカミである」
重く響く男の声がした。ゆかりと畑辺は座ったままで会釈した。
「分家の者です」
「畑辺と申します。畏れながら、ウカミ様」
僅かに膝を進める。
「巳埜谷は今、ミナギ様の代理を務めておられるエン様のお力で、ジャノメ湖……蛇の目池沿岸が崩れずに済み、人々の生活が守られています。しかしエン様はあくまで代理、この梛木ゆかりさんのご協力によって土地神として何とか成り立っていて、辛うじてジャノメ湖も保持されている状況です。早急に、ミナギ様にお戻りいただきたいのです」
「なんと」
ちろちろ、と舌が動いた。
「あの娘、護るべき里が困窮しているというのに何をふらふらと」
「ご存知ではありませんでしたか」
ウカミは首を下げ、収まりよくとぐろを巻いた。
「アレがここに来たのは一月ほど前。信頼できるアオに任せてあるし傷心だというから置いてやったのだが」
「アオ」
わからない畑辺にゆかりがそっと助け船を出す。
「エンの大昔の名前だよ」
「あっ、なるほど。……え、えぇと。…………ん? 傷心?」
傷心で実家に帰る? 神格にある蛇が? 畑辺とゆかりが顔いっぱいに疑問を表すと、ウカミが顔だけを上げた。
「何に心を痛めているのかは儂も知らぬ。話そうとせぬ。……やはり男親と娘とはそういうもの……なのか……」
あ、「お父さん」だ――ゆかりと畑辺は同時に同じことを思った。
その時、だった。
「父さま、ミナちゃん、連れてきたよ」
澄み切った空気のような、決して大きくはないが何故かよく聞こえる、涼やかな声。
廊下には、先ほどと同じように八江少年を連れたみずきがいた。
その後ろに、更に白い存在。
髪が長く背丈もエンと同じくらいはあるのと、纏っているのが純白の直衣であるせいで、美青年のようにも美女のようにも見える。
目にした瞬間、ゆかりは全身がほわっとあたたかいものに包まれたような気がした。同時に納得する。エンが言っていた「力が及んでいる」とはこういうことか。巳埜谷の土地神の“嫁”であるゆかりを守るべく働いている巳埜谷の土地神代理の力が、本来の巳埜谷の土地神に反応したのだろう。
(あれが……ミナギヒメ……)
目が合った。
中性的な美貌の巳埜谷の女神は、ゆかりを認識すると、むすっとした顔で目を逸らす。気付いたみずきがミナギの袖を引いた。
「ミナちゃん。そんな顔、しない。お迎えに、来てくれたんだよ」
「誰も迎えに来いだなどと言っていません。第一、」
不機嫌な顔で腕組みをして、そっぽを向く。
「巳埜谷のことはアオに任せてあります。アオはできた子です。わたくしが戻らずともあのくらい何とかできるでしょう」
まるで巳埜谷の現状を知っているかのような言い方。ゆかりはつい、
「知ってるの? 今巳埜谷がどうなってるのか」
口走る。あまりにも普通に話しかけたので畑辺と八江少年はぎょっとし、那木父娘はきょとんとし、ウカミはにゅっと首を伸ばした。
ミナギも一瞬目を丸くしたが、すぐ不快そうな顔に戻り、ゆかりを睨む。
「不躾な子ですね。名乗りもせずに」
「梛木ゆかり」
立ち上がったゆかりもミナギを睨み返す。
「あんたを祀る巳埜谷の梛木家の最後の一人。はい名乗ったよ、答えて。あんた、巳埜谷が今危ないって知ってるの?」
「だから何だというのです? わたくしは巳埜谷の土地神。あの里にはわたくしの力が隅々まで及んでいます。そのくらいわからない方がおかしいでしょう」
「だったらなんで」
帰ってこないの――そう問う前に、ミナギは背を向けた。
「今の巳埜谷の神はアオです」
すたすたと歩いてきたルートを逆戻りしていくミナギを、慌てた八江少年が追う。
足音が聞こえなくなり、はっとした畑辺が立ち上がって、ゆかりに詰め寄った。
「ゆかりさん! 何やってるんですか無礼にも程がありますよミナギ様怒らせちゃったじゃないですか!」
「ヒカルちゃん……」
ゆかりも――青ざめていた。
「どうしよう! 怒らせちゃった!」
若い客人の素に戻った嘆きに、
「ふ……ははっ、はっはははは!」
ご立腹の女神の父が、何故か愉快そうに笑った。
さてその頃の巳生縁こと巳埜谷の土地神代理エンはというと、
「…………」
うつろな目で文机のノートパソコンと向き合っていた。その後ろから、白い尻尾を持つ少女が覗き込む。
「ミドリ。すすんでないぞ」
「何しに来たお陽菜」
「ひまだからきた」
「お前さんは暇でも俺は暇じゃあないんだよ」
言いながらも振り返り、胡座の膝を叩く。陽菜は素直にエンの膝にちょこんと座る。が、
「……やっぱりゆかりのほうがいいな。ミドリはかたい」
そんなことを言うものだから、エンは呆れながらも陽菜をぎゅっと抱き締めて、左右に揺れた。
「お前さん助平親父のようなことを言うじゃないか。というより、吹雪丸とそう変わらんだろうに」
「ふぶきさまはさいきんだっこしてくれない。あいがぼうそうするってゆってた」
「それは浮気を疑った方がいいぞお陽菜」
「しばらくだいじょうぶだとおもう。ははさまがきてるからな」
「あぁ、美雲……」
陽菜の母・美雲は吹雪丸の伯母で、他の社に嫁いでいる。気も力も強く体も一回り大きい彼女が来訪しているのなら、軽薄な吹雪丸もおとなしくせざるを得まい。その昔少しではあったが交流したことのあるエンは、美しい女丈夫の狐のことを思い出し苦笑する。
「そうだな。なら、しばらく大丈夫だな」
「うん」
陽菜は振り向いて、エンの顔を見上げた。
「ゆかり、なんでいない?」
「ゆかりは…………出掛けている」
「みくだりはんをたたきつけられたのか?」
「一体どこでそういうことを覚えてくるんだ。違うよ、おつかいを頼んだんだ」
うーん、と目をつむりながら、陽菜は腕組みをする。
「だいじょうぶだろうか。ヒナみたいにわすれたりまいごになったりしてないだろうか」
「ゆかりはしっかりしている、案ずることはないさ。お陽菜も慣れていけばちゃんとできるようになる」
「ふぅん……」
目を開けた陽菜は、エンの頬をぺちぺちと軽く叩く。
「ミドリ、げんきない。ゆかりいなくてさみしい?」
言われて初めて気付いたように、エンは目を見開いた。
陽菜が手を添える反対側の、己の頬を擦る。
「……そんな顔を、しているか?」
陽菜はまた、エンの頬をぺちぺち叩く。
「ゆかりがかえってくるまでヒナがいてやるからげんきだせ」
「お陽菜は器がでかいなぁ」
「でかくないとふぶきさまのつまはつとまらないからな。ふぶきさまのつまになるとはたまがきじんじゃのははになることだってははさまがゆってた」
「ああ、そうだなぁ。お陽菜は立派な玉垣の母になるだろう。……どれ」
エンは陽菜の背を擦って下りるように促すと、立ち上がって伸びをした。
「一休みするか。お陽菜よ、お前さん抹茶はイケる口か? 坂井の坊が土産に抹茶プリンをくれてな」
「ぷりん!」
「大丈夫か? 抹茶プリンは大人の味だぞ」
「おとなのあじ……ふふ……ヒナのせいちょうのかてとなろう……」
「だからお前さんどこでそういうことを覚えてくるんだ」
陽菜と台所に向かいながら、エンはぼんやり、考えた。
今日はゆかりはアルバイトは休みだった。だから永縄に行ってもらうことになったのだが、本当は、たまには昼食を食べに行こうと約束していたのだ――如何せん巳埜谷町は飲食店が少ないため、町役場近くの馴染みの食堂ではあるが。
「次の休みに行けばいいじゃん」
今朝家を出る前に謝ったとき、ゆかりはそう言って笑っていた。
確かにそうなのだが。あの食堂はすぐに潰れたりはしない、きっと隣町と合併しても巳埜谷町町役場は分庁舎として残るだろうから、役場の職員が通い続ける食堂も生き延びる、これから何度だって行けるのだろうが。
そうではなくて。
「……残念だったのか、俺は」
状況はそれどころではないのに。
何を、のんきな。
つぶやきが聞こえたか、皿とスプーンを食器棚から出していた陽菜は首を傾げた。
「ミドリ?」
愛らしい小さな友人の声に我に返る。
「何でもないよ。飲み物は……ああ、ミルニュがあるぞ、今日は運がいいなお陽菜」
「みるぬ! ミドリはヒナがすきなものをなんでもしっているな!」
「ふふ、あの女たらしなんかやめて俺にするか?」
「いやだー」
「嫌かー」




