第五話 蛇と元の土地神様
前夜、巳生縁こと巳埜谷町土地神代理エンは、
「情報を与えておこうと思う」
難しそうな顔で言った。手元の湯飲みをがっしり掴む手には覚悟というか気合いのようなものが見られる。ダイニングテーブルでエンの正面に座るゆかりは、少しだけ、前のめりになった。
「そんなにすごいの?」
「恐れる必要はない。アレも人間が好きだ、お前さんに危害を加えるようなことはないだろうからな。長いこと近くにいたが、暴れたりするのは見たことがない」
「でも、そういう顔するってことは、まあまあ厄介なラスボスみたいなのなんでしょ?」
「ラスボスというより、どちらかといえばトリックスターだな。土地神としての自認が強いから悪影響が出るようなことはしないが、悪戯者ではあるし何かあるとすぐ拗ねる」
「土地神としての自認が強いんならあんたに役目押し付けてどっか行ったりしないんだよ」
「あっはは、そうだなぁ」
それまで真剣な顔をしていたのにのんきに笑うものだから、ゆかりは呆れた。こんなだから押し付けられたのではないのか。
「笑ってる場合じゃねーんだわ、あんたそれで二百年もやらなくていいことやってんだよ?」
「なに、どうせ長く生きているだけで暇を持て余していたんだ。少しくらい『やらなければならないこと』があってもいいさ」
「楽観的だねぇ」
「俺のことはいい。巳埜谷とお前さんに迷惑がかかっている方が問題だ」
ちょっとは自分のことも考えなよ――言いそうになって、言葉を飲み込む。
人間じゃないからそんなものなのだろうか。人間みたいなくせに。
そんなゆかりの気持ちなど知らないエンは、一口茶を飲み、長く、息を吐いた。メモ帳がないのでテーブルの端にあったティッシュの箱を引き寄せてひっくり返し、そこにボールペンで書く。
「奴の名はミナギ。祭神としては水那岐比売、通称として山姫と呼ばれている。前に耀が説明しただろう、元々は蛇の目池――今のジャノメ湖に棲んでいたんだ。俺が初めて会ったのはその頃でな。その後ミナギと俺で治水に協力したらこの家の裏の山に社を建てられて、ミナギは気に入って移った。ちなみに役場にある巳埜谷町史にはどちらの名でも載っているぞ」
「いちいちそんなの載ってるかどうか調べたの?」
「いや。俺は郷土史作成に協力したからな」
「あ~、そっか土地神……ミナギさん? 以外だと、長生きしてるあんたが一番巳埜谷のこと知ってるのか」
「巳埜谷の生きた歴史と呼んでくれ」
「そういや、吹雪さんが私のこと分家の子って言ってたけどそれって何なの」
「見事なスルー、なつみに似たな。……実は残念ながら、ナギの一族とミナギの関係については俺も正直そんなに詳しくない」
「えっ、そうなの?」
「俺が巳埜谷に来たときには、ミナギは既に巳埜谷の神扱いだった。ミナギは永縄の土地神の娘と聞いている。巳埜谷に移ってくる際に、お前さんの先祖も斎主……神職としてついてきたとか」
また、ティッシュの箱にボールペンで書いていく。
那 木
「本家は木偏がない『那』を使う。お前さんの姓と微妙に違うのは、分家との差別化的なものなんだろうな。俺に代理を任せるからとミナギに連れて行かれたときと、ミナギがいなくなったとわかったときの二回しか行ったことはないが……あの家は…………」
そこまで言うと、顔を顰めて考え込む。ゆかりは少し、距離を詰めた。
「もしかして、ミナギさんよりそっちが厄介とか?」
「これは個人の感想なんだが」
「あんた神だけど『個人』で合ってんの?」
「じゃあ神と書いて『個神』にしよう。いや今はそれは置いておいてだ。……どうも、いわゆる『因習村』めいた空気がある。本家はナガナワ筋――蛇が憑く一族だしな」
「えっ」
蛇が憑いている?
人間でありながら、何か不可思議な力を使ったりするのだろうか?
まさか自分がそんな一族に関係していようとは。ゆかりは困惑した。
「え、え、なに、それ、お母さんそんなのひとっことも」
「そりゃ言わんさ。なつみもりつ子も、その前の何代かも、自分の家が蛇を祀る家だとは知っていたが本家がそんなだなんていうのは知らなかった。分家とはいっても本家と密に接していたわけじゃない、俺の知る限り本家との間に人の行き来はなかったし、俺もミナギと本家に行ったときに初めて知った。里を分けて物理的な距離ができた時点で疎遠になって、長縄筋であることは忘れられていったんだろう」
しかしエンが土地神代理となったのは約二百年前、その頃に本家に行った――ということは。
「あんたは知ってたのに話さなかったの? うちの、ご先祖様たちに」
「蛇が憑いているのは本家の者と、一部の近い親戚だけ。素質はあっても憑いていない者がほとんどだから、特に話す必要もなかった。普通の人間と同じだからな」
「……そりゃそうだわ」
「一応、こっちの梛木家にも、憑いているとまではいかなくても蛇の扱いに長ける者はいるにはいたんだ。徳治郎がそうだった」
「あんたに卵焼き教えてくれた人ね?」
「ああ、あれは料理が得意で…………今はそれは置いといてだ。そう、徳治郎は俺以外の蛇とも仲がよかった。蛇を祀り蛇と共にある一族だというのには変わりない、そういうのはランダムで出るんだろう。隔世遺伝……みたいなものか」
「なるほどねぇ……」
ゆかりはそれまで聞いていた話を整理するように考え込んだ。と、エンが少し不安そうな顔をする。
「……ここまでの話、わかったか? 大丈夫か?」
「バカにすんなちゃんと理解してるし!」
「そうか、いや、バカにしているわけじゃない、すまなかった。なんせ現実味のない話だからな」
「蛇の妖怪で神様の代理やってるって奴が目の前にいる時点で現実味もクソもねーんだわ」
「あっはっは、然り然り。……これはあくまで俺の感覚的なもので確証はないんだが、俺がなつみを嫁にするのが何となく嫌だったのは、なつみには向いていないと本能的に判断したのかもしれない。かやのもりつ子もすんなり馴染んだのにな」
「……私は、向いてたの?」
エンは苦笑した。
「正直な、お前さんに嫁になってくれと頼むかどうかは、会ってから決めようと思っていた。でも見た瞬間に、『ああ、この娘だ』と。ふふ、まるで一目惚れみたいだな」
またこの蛇は、こういうことをさらりと言う。
「何言ってんだジジイ」
ゆかりはむず痒さを感じながら毒突いた。が、エンはにこにこ笑う。
「実際ゆかりはいい嫁さんだ。俺が蛇でなければなぁ。お前さんだって、相手が蛇は嫌だろ?」
そういえば、彼は本当に蛇なのだ。
初めて会ったときにその姿を見せてもらってちゃんと知っているはずなのに、いつもきれいな顔立ちのきれいな緑色の髪の男に化けているからその事実を忘れてしまいがちになる。
蛇であるのに。
人間ではないのに。
共同生活がスムーズなのは、確かにそれなりの心地よさを感じているからだが。
心地よい?
一緒にいるのが?
「どうした」
声をかけられて、はっとする。
「あ、……ごめん、ちょっと、なんか、いろいろ、考えちゃって」
「無理もない、疲れているのに小難しい変な話を聞かされたんだ。明日は早い、もう寝なさい」
「明日……大丈夫かな?」
田舎の特殊な血筋の家。遠い親戚なのだとしても、不安はある。
「まぁ、別にカチコミに行くわけじゃなし、家出娘を迎えに行っただけでいきなり監禁するような真似はしないだろうよ。同じ土地神の蛇を祀る家だからこそ、土地神不在の里が困っていることくらいはわかるはず」
「ほんとにィ?」
「大丈夫大丈夫! お前さんは巳埜谷の神たる俺の嫁、俺の力が及んでいるし万が一のときはミナギも守ってくれるさ!」
「ほんとにィ!?」
そんなわけで、駅まで送ってくれた上に雑に応援してくれたエンに見送られ、梛木ゆかりは翌日の午前八時過ぎに巳埜谷町を発った――のだが。
「……ヒカルちゃん。何でついてきたの」
「山姫様に戻っていただければ万事解決ですからね! 巳埜谷町危機管理部としてはお手伝いしないわけにもいかず! 巳埜谷町を離れられないエン様の代わりに…………は、なれないかもしれませんけど! ゆかりさんを一人で行かせるよりはと思いまして!」
今朝も元気な巳埜谷町役場職員・畑辺耀も同行していた。おそらく町長にそうするように言われたのだろう。電車の座席に座ってはいるものの、背もたれに寄りかかることなく背筋を伸ばしている。ゆかりは、はぁ、と溜め息をついた。
「普通に座りなよ、疲れるでしょ」
「ん、や、いえっ、エン様の奥様の前ですからっ」
「そういうの逆に気を遣うんだよこっちが。お願いだから、普通にして」
少し、躊躇した後、畑辺は思い切ったように、ゆっくり背もたれに寄りかかった。
「すみません、ありがとうございます…………ちゃんとしなきゃって思うと、なんか、緊張しちゃって」
律儀にスーツを着込んだ畑辺ははにかんだ。親の後を一生懸命ついていく雛鳥のような愛らしさがあり、相変わらず微笑ましいなと思いつつゆかりは表情が緩んでしまいそうなのを我慢する。
「ヒカルちゃんは偉いな、その歳でちゃんとしようとしてて。巳埜谷のことも、いろいろ考えててさ」
「しっかりしてるのは、僕よりゆかりさんの方ですよ。たった一学年しか違わないのに」
「私、は……ただ生きてきただけ、だからなぁ~」
特に将来どうしたい、なんて、考えたことはなかった。
恋人がいたこともあったが、一年くらいしかもたなかった。
ただ母と穏やかに暮らしていければよかった。
「大学入ってすぐに母が死んじゃって、バイトはしてたけど学費払い続ける自信ないから大学も辞めちゃって。強制的に独り立ちさせられたというか。……あはは、ごめんね暗い話しちゃった」
「それは……辛かった、です、よね」
「辛いといえば辛かったけど」
電車に乗る前に、駅前のコンビニで買った飴を取り出して、畑辺にひとつ差し出す。
「でも、うちの母は多分、私に『前向いて歩け』って言うだろうからね。まー、こんなことになるなんて思ってなかったけど」
「…………あの。エン様のこと、やっぱり、好きじゃないですか?」
飴を受け取った畑辺は不安そうな顔をする。そういえば畑辺は、ゆかりがエンに強く当たったのを目の当たりにしている。今でも家で容赦のない態度を取っていることを知ったら、エンのことが大好きな彼は泣いてしまうのではないか。
「別に嫌いじゃないよ。いろいろいいようにしてくれて、ありがたいなーって」
ふと、昨夜の記憶が蘇る。
『まるで一目惚れみたいだな』
『俺が蛇でなければなぁ』
あんな言い方。まるで――
いや。
あれはきっと、大人が子どもをからかうのと同じようなものだ。
だっていつも孫みたいに扱ってくるではないか。
「ゆかりさん?」
畑辺の声で我に返る。
「は、あ、あぁ。ごめん、ちょっとこれまでのことを思い出すなど……あいつ人間好きだなって」
そうだ。自分もその一人に過ぎない。
“嫁”でいる間は不自由はさせないと言い出したのはエンなのだから、ゆかりに優しくするのは彼にとって当たり前なのだろうし、自分のことなど祖母――親しかった友人の孫としか思っていないはずだ。
「ミナギさん……山姫があいつに代わりを任せたの、なんかわかる気がするよ」
「へへ、よかった。……ゆかりさん、頑張って山姫様を連れて帰りましょう!」
そうだ。そんなことよりも、まず巳埜谷の本来の土地神を連れ戻すことだ。
「頑張れるかな~」
「頑張りましょう!」
「頼りにしてるよヒカルちゃん」
「えっ、僕ですか!?」
大きな大きな、古い蔵。
その中の大きな樽の上に座り、女は古い本を読んでいた。開きっぱなしの扉と窓から差し込む光でじゅうぶんに字は読めるが、何より彼女自身がまるで光っているようだった。
髪も、肌も、着ている衣も。
何もかもが、白い。
「いた」
少女の声。女はちら、と声のした方を見るが、すぐに書物に目を落とす。
少女もまた、白かった。髪も、肌の色も。
違うのは、着衣と目の色。少女は灰がかった明るい青の目に淡いグレーのシンプルなワンピースだが、女の方は――金色の目に、全てが真っ白な直衣、長い髪は下ろしたままだ。
「ミナちゃん。そろそろ、帰った方が、いいよ」
少女が近付きながら言うが、女は応えない。
「こないだね、吹雪くんの、お遣いで、霧弥くんが、来たよ。エンくんが、ミナちゃん、探してるって。巳埜谷が、大変だって」
「…………」
「ミナちゃん」
女は大仰に溜め息をついた。
「全く。ゆっくり里帰りもさせてくれないの? わたくしがいなくてもアオがよきようにやってくれるでしょう、それだけの力は渡してあります」
「それでも、ミナちゃんが必要、ってこと、じゃない? だとしたら、巳埜谷の人、困ってるよ。エンくんも」
「帰りません。お父様だって気が済むまで居ていいと言いました」
「……ワガママおじょーさま」
蔵を出て行く少女が言い捨てた小さな小さなクレームに、巳埜谷の土地神・山姫ことミナギヒメは立ち上がり、己が座っていた樽の上に本を置いて少女を追い掛けた。
「何ですって!? このわたくしが!? お待ちなさい聞き捨てなりませんよみずき!」
梛木ゆかりが迎えに来るまで、あと数時間である。




