第四話 蛇とお隣さん
その日梛木ゆかりの帰りは早かった。昼からのスーパーのレジのアルバイトはあったが、夕方からの居酒屋のアルバイトが急遽なくなったからである。オーナー曰く、身内の不幸があった奥方が遠方の実家に帰ってしまい、自身も幼い娘を保育園に迎えに行った後で追い掛けなければならないとのことだ。
エンに少し寄り道してから帰ると連絡した後、ゆかりは引っ越す前にときどき通っていた洋菓子店へ立ち寄った。毎年誕生日にケーキを買っていた、母とふたりでお気に入りだった店だ。
(“金の満月”好きだから多分好きだよね、カスタードだし)
形だけ、しかも正式に入籍したわけでもないとはいえ一応結婚というめでたげな契約はしたのだ。成約記念にちょっと特別なものを一緒に食べてもいいだろう。それにあのエンのことだから、きっと母のこともとても可愛がっていたに違いない。母が好きだったものを教えてあげたいという気持ちもあった。そんなわけで、夕食後にひとつずつ食べる用と、仏壇に供える用にシュークリームを三つ購入する。
「へへ……」
帰り着くまで少し時間がかかるため保冷バッグに入れてもらったそれを膝の上に乗せたゆかりは、ご機嫌で電車に揺られていた。
最後に口にしたのは昨年の母の命日だった。当時はまだ母の死を引き摺っていて、それなのにシュークリームは相変わらずおいしくて、たったひとりのアパートの部屋でぐちゃぐちゃに泣きながら食べたものだが――今の自分のことを母が知ったら、どんな顔でどんなことを言うだろう?
「お母さん……今私なんかえらいことになってるよ……」
満面の笑みだったのが苦笑いに変わる。
確かにえらいことにはなっている。
しかしエンには過ぎるほどによくしてもらっているし、最近は母のことを思い出しても涙ぐまなくなった。自分の他にも母をよく知っている、覚えていてくれる存在がいるというのが安心できるのかもしれない。
(ある意味、幸せなのかもな)
全部終わったら、エンにちゃんと礼を言いたい、言おう、とゆかりはこっそり心に決めた。
駅舎から出ると、まだエンは来ていないようだった。真っ暗でなくても夕方以降は危ないから迎えに行くとのことだったが。スマートフォンのメッセージアプリで「駅着いたよ」と送信すると、慌てた様子の絵文字の後に「すぐいく」と返ってきた。時間も時間だし、夕食の準備でもしていたか。ゆっくり歩いて二十分、車では十分もかからない。すぐに来るだろうとスマートフォンのパズルゲームのアプリを起動する。
と、
「おい」
女の子の声が聞こえた。
辺りを見回すが、誰もいない。気のせいかとまたスマートフォンに視線を落とすが、
「おい! おまえ! そこの! おんな!」
また聞こえた。ゆかりは以前エンに聞いたことを思い出す。
まず、こんな時間にこんなところに子どもがいるのがおかしい。もう十八時近い黄昏時だ。巳埜谷町には電車通学の高校生が二人いるが、それにしたって声が幼いし、「お前」だなんて言われたことがない。幼い子どもが何人かいることも知っているし、実際会った。が、今のは――聞いたことのない、知らない声。
だとすれば、これは。
(反応しない方がいいな……)
怖い、というよりも、関わりたくないと思った。
「おい! きこえてないのか!?」
近付いてきた。見てはいけない。
「おーいー! こっちみろー!」
ちらりと視界に入る。白と、鮮やかな緋色。巫女装束のような色。と――何かが揺れている。腕や足ではない何か。これは確実に人間ではない。
(早く来いジジイ……!)
つい目を向けてしまいそうになるのを必死に堪えながら、スマートフォンに集中していると。
「こらチビ! 何をしている!」
お待ちかねの男の声。ゆかりは顔を上げた。
「待ってたー! おじいちゃーん!!」
全速力で駆け寄り、降車したエンの後ろに身を隠すと、呆れた顔を向けられた。
「都合のいいときだけ孫ヅラするな、全く調子のいい」
「いやていうかあれなに、絡まれたんだけど。無視したけど」
エンはさっきからゆかりに話しかけ続けていた小さな存在を一瞥すると、
「前にも言ったが俺の縄張りの中ではヨソモノはロクなことはできない。けど……まぁ、あれはな、大丈夫なやつだ」
安心させるようにか、ゆかりの頭を撫でた。駅舎の前では緋袴姿の女の子が頬を膨らませている。とても可愛らしい、しかしどう見ても巳埜谷町の住人ではない。人間でいえば十歳よりは少し下くらいかと思われるが――よく見ると、ふさふさの白い尻尾がある。
「おヒナ。どうせうちに来る気だったんだろう、どうして真っ直ぐこっちに来ない」
エンに声をかけられた少女は、むっつり顔のまま小走りで寄ってきた。
「ミドリのニオイがした。こっちにいるとおもったらこのおんなだった」
「ああ……そりゃそうだ。新たに迎えた嫁さんだ」
「あたらしいおよめさん」
少女――ヒナ、というのが彼女の名前だろう――は、興味深そうにゆかりを見回した。
「おまえ、なは?」
名乗って大丈夫なのか、とゆかりが目だけで訊くと、エンはヒナの頭を上からがっしり、掴んだ。
「礼儀を知らんのかチビ。自分から名乗るものだぞ」
「いだだだだだなにすんだミドリ! だってこいつにんげんじゃないか!」
「あんなにりつ子に懐いてたくせに何を今更上位存在ぶっている。それに偉いのはお前さんじゃなくてお前さんの未来の夫だろうが」
「んぎいぃっ」
エンの手を何とか振り払ったヒナは腰に手を当てふんぞり返った。
「しょうがないからきくがいい! われはヒナ! たまがきくつねのおさふぶきまるさまのつまになるきつねだ! おまえはなんだ!?」
なるほど狐であったか、それならば尻尾の存在も納得できる。偉そうな態度も含めて何とも可愛らしいので、ゆかりはにやつきそうになるのを我慢しながら答えた。
「私、は、ゆかり。梛木、ゆかり」
「なぎ。おまえ、りつこの……むすめ?」
「孫だねぇ。……玉、垣……」
聞き覚えがあると思ったら、巳埜谷町が合併するだろう町の名前だ。つまり、
「エン、」
問おうとしたゆかりに、エンは頷く。
「お隣さんだ。三つ先の駅が最寄りだったか、玉垣神社というそこそこの大きさの神社があってな。これはそこの主の未来の嫁さん」
「マジかこんなちっちゃいのに」
「人間を基準に考えるな、狐だぞ」
「仲いいの? 大丈夫? 食べられない?」
「蛇の妖怪なんか食わんよ、気のいいやつだ。……で? どうしたお陽菜、また玉垣のと痴話喧嘩でもしたか」
エンの言い方からしてときどきやってくるらしい。関係は悪くないようだ。
すると陽菜はゆかりが羽織っている薄手のジップアップパーカーの裾をぎゅっと握った。
「ちがう。ふぶきさまがミドリにつたえろって」
「ほー、お前さんとうとうそんなことを任されるようになったか。それで何を伝えろと言われた?」
「………………」
陽菜は――ほんの少しの沈黙の後、目を逸らした。
「忘れたな?」
「ちがう! ちょっとおもいだせないだけ!」
「それを忘れたというんだ」
溜め息をついたエンは、後部座席のドアを開けた。
「おいで、お陽菜。こんなところで問答していても仕方ない。ゆかり、帰ろう。腹が減っただろう」
「うっす」
ゆかりは助手席側に移動して車に乗り込んだ。
「あ、チャイルドシートないけどいいの?」
「人間じゃないからセーフだセーフ」
陽菜は思いのほかゆかりに懐いた。夕食のときも隣の席でにこにこしながら出されたカレーライスを食べていたし、ゆかりが風呂に入ろうとしてもついてきて、一緒に入った。
ゆかりも可愛らしい生命体に懐かれて満更でもないようで、
「いやぁ参ったね、こりゃ参った」
全然参った様子でもなく、居間の畳の膝の上で横抱きにしている陽菜を抱き締める。陽菜もにこにこだ。
「ゆかりはいいにおいするしあったかいしやわらかい。すき」
「わーたーしーもー陽菜ちゃん好きぃー」
「キャアー!」
娘たちは楽しそうだが、エンはというと、
「お陽菜。まだ思い出せんか」
自分に何か伝言があったのだろうに全く思い出す気配がない小さなメッセンジャーに少し呆れながら、ダイニングテーブルに持ち込んだノートパソコンで業務用のメールを打っている。
「急ぎの用なら困るぞ」
「いそぎっていってなかった」
「本当に?」
「…………と、おもう!」
「お陽菜、しっかりしてくれ本当に困る。こっちから頼んでることがあるんだ」
深々嘆息するエンに、ゆかりは不思議そうな顔をした。
「何頼んだの?」
「あいつの行方がわかったら知らせてくれとな。玉垣のは親戚も多いし人間にも顔が利く」
「へぇ、いつの間にそんなことを。陽菜ちゃん、なんか聞いてない?」
「なにを?」
「ここの、土地神様が、どこにいるか、とかさ」
「ここのかみはミドリだろ?」
きょとんとする陽菜に、ゆかりとエンは顔を見合わせた。
「陽菜ちゃん、元の神様知らないの?」
「そうかも……いや、そうだな…………俺が代理になったのは二百年くらい前だから、……お陽菜は生まれてないな」
「あ、そうなんだ。陽菜ちゃん、巳埜谷の神様ね、別にいるんだって」
くりん、と首を傾げる陽菜。
「じゃあなんで、ミドリはふぶきさまとにてる?」
エンは怪訝な顔をした。
「玉垣のと? 全然似てないだろう狐と蛇だぞ」
「ちがう。こう、ね、したから、ね、ぐわーって、でっかい」
「あぁ……まぁ一応代理ではあるが土地神の力は預かってるからなぁ……俺のことはともかくとして、だ。お陽菜、ミナギという名に聞き覚えはないか?」
「ミナ、ギ」
陽菜が呟いた途端、
「悪いねアオ、陽菜にはその名前を教えていない」
エンとは別の、男の声が聞こえた。
が、姿は見えない。
エンは顔を顰めた。
「お前さんなぁ。自分で来るならお陽菜に託さんでも」
「このくらいのお遣いならもうできると思ったんだよ。まだちょっと早かったな、まずは里の中から慣らした方がいいか」
ふわり、と、空気が揺らぐ。
何もなかったはずの空間に、眩しいくらいの白が現れる。
白衣に白い袴、白い髪の、エンと同じくらいの年頃の男。肌も抜けるように白い。両目の金色が鈴が鳴るように光る。
美しい。
エンも見目は整っているが、それ以上に“そこに在るもの”として美しい。これが代理ではない神性のものか。
本物と対峙したはずなのに、ゆかりは妙に冷静に、あぁ、これは白い狐だ、と思った。耳や尻尾が出ているわけではないが、純白の狐であると何故かわかる。
ぼんやり見ていると、目が合った。にこ、と微笑みかけられる。
「ふーん。実に愛らしい嫁御じゃないか」
「えっ」
『実に愛らしい』。言われたことのない賛辞に戸惑う。隣の土地神様は、ずい、とゆかりに詰め寄った。
「なあ、アオ。私にくれよ。きみの妻にはもったいない。分家の子の割に土地との馴染みもいいみたいだ」
「あゎっ……」
急に眼前に迫ってきた“美”にゆかりは狼狽えた。エンのときよりもまだマシだが、何か、吸い寄せられてしまいそうな気分になる。
「どう? 私の元へ来ないか。ここよりはいい暮らしができるよ」
「あ、い、いや、その、ですね、」
断らねばならない。ゆかりはエン――巳埜谷の神の妻である。
しかしエンよりももっと力がありそうな存在に逆らって大丈夫なのだろうか?
などと、困惑していると、
「吹雪丸」
エンの声がした、と、思ったら、目の前にいた白狐の男との間に距離ができている。膝の上にも陽菜を抱っこしていたはずだが、陽菜は畳にぺたんと座っている。
「えっ……うぇっ!?」
ゆかりは、ついさっき自分が陽菜をそうしていたように、エンの膝の上に横抱きになって乗っていた。
いつの間に、何故こんなことに?
戸惑いの梛木ゆかりを抱えたエンは、目を細めた。同時に、ゆかりの腰に回る腕にも力が入る。
「れっきとした神獣様がよその女房に手をつけようとするなど。行儀がよくないな?」
聞いたことがない声色。怒っている――?
と、思われたのだが。
「見ろ、お陽菜が泣いてるぞ浮気者」
言われて見ると、立ち上がった陽菜が吹雪丸の傍らで頬を膨らませており、大きな目からはぽろぽろと涙が零れている。
「ふぶきさまはヒナをすてるのか」
それまで完璧に美しかった神狐の表情が、たちまちに崩れた。
「あっ、あっ、ちが、ちがう陽菜っ、これはっ、冗談でっ」
「ヒナがちっちゃいから! ヒナにいろけがないからわるいんだ!」
「あああぁちがう陽菜ちがうっ、陽菜には伸びしろがあるから! 今既に可愛いから大きくなったらもっとすごく可愛くなる! 絶対! それはもう手放したくないくらいに!」
「ふぶきさまのあほー!! だいっきらい!!」
部屋を震わせるほどの大声で喚いた陽菜は、ダイニングの椅子に座るエンとその膝の上のゆかりの傍まで駆け寄ると、その後ろに身を隠した。
「ヒナはきょうからミドリとゆかりのつまになるからな! ふぶきさまなんかもうしらないからな!」
さっきまであったはずの威厳をすっかりなくし、あぁ、と嘆く吹雪丸。エンは声を上げて笑った。
「全く愚かなことよ玉垣吹雪丸、一体何度目だ? お前さんのその見境なく口説く癖、どうにかせんとお陽菜を正式に迎えたら毎日修羅場だぞ」
「ミドリ! ヒナはもうふぶきさまのつまにならないっていってる!」
後ろから出てきた陽菜の頭を、
「そうかそうか、そうだったなぁ、俺とゆかりの嫁になるんだもんなぁ?」
エンが撫でると、吹雪丸が瞬時に距離を詰め、すごい形相で迫ってきた。
「あ、アオ、貴様っ……」
「本当に阿呆か玉垣の、俺がお陽菜に手を出すはずがなかろうよ。いいからさっさと本題に入れ、お陽菜の帰りが遅いから迎えに来たんだろう? 飯も食わせたし風呂も済ませた、あとは連れ帰って寝かしつけるだけにしてあるぞ、褒めてくれたっていいんじゃないか?」
「う、ぐぅ……」
納得いかない顔で身を引く吹雪丸の様子にゆかりは何となく笑ってしまいながら、エンの肩を軽く叩く。
「お茶入れるよ。下ろして」
「あ、あぁ、」
エンははっとして、
「すまないな、頼む」
ゆかりを解放した。
「ヒメが来たとナガナワから一報が来た」
何とかなだめた陽菜を隣の椅子に座らせた吹雪丸は、客用の湯飲みを手に取った。聞いたエンは眉間を抑えて唸る。
「ナガナワ……そんなところにいるのかアレは」
「たいした距離じゃないだろう? 戻したいなら捕まえに行けばいい」
「本物なら少し離れても問題ないだろうけどな、俺は代理だから巳埜谷を空けるのは憚られる。往復する時間も入れて精々一日が限度。しかも今はジャノメ湖に力を使っているからなぁ……」
陽菜にみかんのゼリーを出しながら、ゆかりは契約上の夫に疑問を投げ掛ける。
「その、ナントカって、遠いの?」
「永縄な。梛木の本家がある集落だ。ここから電車とバスで五時間かかる」
「めっちゃ遠いじゃん」
「いや、今玉垣のが言った通り本当に距離自体はたいしたことない。電車とバスの待ち時間がめっっっちゃ長いだけで」
「うわぁ田舎だぁ。車で行けば?」
「永縄の近くに行くまでに対向車が来たら死を感じる道が多いんだ」
そういえばエンは神として祀られてはいるが実態は妖怪、不死ではないのだった。危ない場所には行きたくないだろう。それを抜きにしても、エンが巳埜谷を離れるのは今はリスクがあるようだし――この場合は。
「……私、行ってこようか?」
ゆかりが言うと、エンは驚いた。
「お前さんが?」
「だって、エンは巳埜谷から出ない方がいいんでしょ? だったら」
「俺でも捕まえられるかどうか怪しいぞ、お前さんが相手じゃ」
「行かせてみればいい」
茶を飲み干した吹雪丸が湯飲みを茶托に置いた。タイミングを見計らって横から陽菜がスプーンにすくったゼリーを差し出すので、それを食べてから、続ける。
「親友たるきみが選んだ娘だ。あのヒメも、意外と話を聞くかもしれないよ」
ゆかりが買ってきたシュークリームのうちふたつを手土産に持たせ、隣の土地神と小さな許嫁を見送ると、
「すまないな」
エンがぽつりと言った。
「お前さんには面倒なことをさせる気はなかったんだけどなぁ」
「過保護だねぇおじいちゃん。私だって一応大人だし、形だけとはいえ一応あんたとは夫婦なんだからさ。やれることぐらいやるよ。世話になりっぱなしも何だしね」
「ゆかり……すっかり立派になって……」
「いやあんたに育てられてねーんだわ初対面から一ヶ月経ってねーんだわ」
「ふふ、ふふふ。ありがとうなぁ」
やわらかな笑みは隣の土地神と同じくきれいだ、が――それよりももっと、近くてあたたかい。
(考えてみれば。こいつも縛られてるんだよなぁ)
それなのにこんなにも、巳埜谷と、ゆかりのことを考えてくれている。
「ねぇ。あんたさ、土地神辞めたら、その後どうすんの?」
「さて、どうしような。考えたことなかった」
「ずっと遠出できなかったんでしょ? だったらさ、解放記念に一緒にどっか行こうよ」
エンは、一瞬、面食らったような顔をして、またすぐに笑った。
「うん、そうだなぁ、それもいいな。…………しかしゆかりよ、よかったのか? 玉垣のなんかにあんな立派なシュークリームをやってしまって。随分大事そうに抱えて持って帰ってきていたじゃないか」
「情報くれたお礼は必要でしょ。あと一個あるからあんた食べなよ」
「お前さんが好きで買ってきたんじゃ」
「私も好きだけど、お母さんが好きだったんだよ、あれ。あんたに食べてみてほしくて買ってきたんだから、あんたが食べて。高いもんじゃない、また買えばいいしね。言っとくけど、めちゃくちゃ美味いよ」
ふたりで揃って玄関に向かう。エンの手が、ゆかりの後頭部にそっと添えられた。
「ゆかり。お前さんは、いい子だな」
「孫じゃねーからな」
「ああ、そうだ、そうだな」
「ところでさ、あんたアオとかミドリとか呼ばれてたけど何? コードネームか何かなの?」
「昔の名さ。元の姿がああいう色だろう? 元の土地神のやつにアオと呼ばれていたのを周りが真似していたんだな。で、土地神代理になったら、今度はアオと呼ぶ者があまりいなくなった。それで今度はミドリになった」
「ふーん。じゃあ何で今エンなの」
「役場に届出するときに書き間違えてな」
「おいおい文筆業すごい凡ミスするじゃん」
「でもこれはこれで気に入ってるんだ」
先に式台に上がったエンは、にこ、と笑って、ゆかりに手を差し出す。
「皆との縁あっての俺だからな」
ああ、だから、巳埜谷の人たちに認められているのだ。
「なに、カッコイイこと言うじゃん」
エンの手を取って式台に上がると、エンはすかさずしゃがんでゆかりの脱いだサンダルを揃えた。
「なんだ、惚れてくれたか?」
「調子乗んなよジジイ」
「ふふ。手厳しいな」
結局、シュークリームはちぎって半分ずつ食べた。
ふんわりとしたシュー皮ととろっとしたカスタードクリームの程よい甘さは、ふたりに同じ笑顔をもたらしたのだった。




