第一話 蛇と求婚
床の間のある和室の真ん中に黒檀の立派な座卓。ふかふかの座布団。客用の茶碗に茶托、その中の茶は鮮やかな若緑色。豆大福の乗った揃いの銘々皿と黒文字も、漆塗りに金銀の箔の模様が美しい。
とても、ちゃんとした来客の対応である。
正座で固まるゆかりに、正面の男は笑いかけた。
「痺れるから足崩していいぞ、若いから慣れてないだろう正座なんて」
「ええ、いや、あはは……って、巳生さん」
「エンでいいよ」
「はぁ。エンさんもお若いのでは」
「いやぁ、俺は若くはないよ。少なくともお前さんの四十倍は生きてる。人間じゃないからな」
何てことはないといったふうな顔でとんでもないことを言いながら、黒文字で豆大福を真っ二つに割り、片方を口に運ぶ。口に合ったらしく表情がほんにゃりと崩れたが、一方のゆかりは顔を顰めた。一体何を言っているんだこの男は。
「にん…………え、えぇと…………その」
「嘘じゃない。俺は齢八百……と、ちょっと……いや、もう少しで九百くらい? の、蛇だ」
何と返せばいいのか。黙っていると、エンは頷く。
「わかる。証拠が必要だな。うぅん、しかしなぁ……」
冗談にしてはすぐ終わらせない。まさか、本当なのか。ムラのないきれいな緑の髪は、染めたものではなく実は地毛だとでもいうのか。
「信じられないよな?」
真剣な顔で言うものだから、ゆかりも、はい、とつい答えた。それはそうだ。
「あ、でも、不都合ならそのままでいていただいても」
真に受けると面倒なことになりそうだ、とゆかりは判断した。嘘でも本当でも、どちらにしろ正直深く関わりたくない。妙なことを言い出す男にも、今は人間の姿をしているらしい蛇にも。どっちも存在としておかしい。ゆかりは変なことに巻き込まれず普通に生きてきた。これからだって、そう生きていきたい。
「これから話すことに関係しているからな、納得してもらわないと始まらんのだよ。……まぁ、そうだな。仕方ないか。そのまま、見ていてくれ。目を閉じたりしなくていい」
「へ」
などと言っている間に、エンの体がしゅるりと萎んだ、ように見えた。
目の前にいた男の姿がない。
「え、…………えっ?」
ゆかりは立ち上がり、エンが座っていた位置まで移動した。座布団の上には彼の着ていた浴衣と男性用の下着が抜け殻のようにくしゃくしゃになっている。畳、テーブルの天板の裏を探るが、仕掛けのようなものは全く見当たらない。
と、
「おい、ここだ」
エンの声。しかし周囲を見回しても姿はない。
「ここだって言ってるだろうに」
浴衣がもぞもぞ動き、中から出てきた緑色の蛇が鎌首をもたげた。ゆかりは飛び退き尻餅をつく。
「ギャア! へび!」
「だから俺は蛇だとさっき言った」
「へびしゃべってる!? エンさん!? どこ!?」
「俺だって言ってるだろう。あぁ、もう……全裸の男注意だ、覚悟はいいか」
「えっ」
蛇がいたところから、今度はエンが現れた――のだが。
「ギャアァ! 裸ァ!」
ゆかりは顔を両手で覆って転げた。本人(人?)が言った通り丸裸であった。エンは手早く下着を取って穿く。
「すまないな、何せ蛇だから元の姿となるとこの通り全裸になる。で、納得してもらえたか」
「う、ううぅ」
いくらきれいな顔をしていても、いくら正体が人間じゃないのだとしても、一瞬でも見てしまった。一糸纏わぬ男性の姿を。私一体何しに来たんだろう――詐欺ではなさそうなのは確かだ。だが、しかし。
「もう帰っていいですか……帰りたい……」
うなだれたままずるずると起き上がり、座布団に戻る。まだこの家を訪れて三十分と経っていないというのに、丸一日歩き回ったような疲労感におそわれる。浴衣を着終えたエンも元いた場所に座り、茶を啜った。顔だけでなく着こなしもきれいだ。
「まだ本題のほの字にも入ってないぞ、頑張れ」
「もういいじゃないですかじゅうぶんですよ生まれてから一回も会ったことがないし二度と会えないおばあちゃんが若い男に化ける蛇とイチャイチャしてたって私にはなんも関係ないじゃないですか!」
「いやイチャイチャはしてない全然してない。半世紀くらい一緒にいたがりつ子は心身共にガードが堅かった」
「知ったこっちゃねーですよ!」
「いいから聞け。お前さんにも関係がある、ありすぎる話だ。何ならこれまで以上の驚きをお届けすることになる」
「嫌だぁ~やだやだ聞きたくないもう既にお腹いっぱい~!」
耳を塞ぎ頭を激しく横に振るが、エンは落ち着いたもので残り半分の豆大福を食べて茶で流し込む。
「肝が据わっているところはりつ子、感情豊かなところはなつみに似たな」
母の名が出て、はっとする――そうだ、こちらにも訊きたいことがあったのだった。
顔を上げる。
「……あの、お母さん、母のことも、知ってるんですか」
「この家を出るまで一緒に暮らしていたからな」
「…………そんな話、聞いてない」
ゆかりが物心ついた頃には、もう母子家庭だった。
母は一生懸命働きながら、ゆかりを愛してくれていた。親子仲はとてもよかった、と自分でも思う。
しかし祖母のことと同じように、エンの話など一切聞いたことがない。
エンは座卓に頬杖をついた。
「そりゃそうさ、家を出ろ帰ってくるな誰にも話すなと言ったのはりつ子と俺だ」
「何でそんな、」
追い出すようなことを、と言おうとすると、エンの整った眉が、少しひそめられた。
「そのままいたら、なつみは俺の嫁にさせられていた。だから逃げろと言った」
「え」
「俺がこんな姿でここに居る理由はな」
どっこいしょ、と呟いて立ち上がった瞬間、室内なのに風が吹いた――否、空気が動いた。ふわりとやわらかく浴衣が落ちる、が、エンは先程のような全裸ではない。
「神として祀られているからだ」
白を基調とした衣。
これまで意識して見ていなかったが、明るい色に囲まれほんのり光を帯びているようになったせいか目の色もわかる。髪よりも濃い緑色だ。
言葉を返せない。目の前にいるのは確かについさっきまで気安く話していた青年、そのはずなのに。
本能的に、「ヒトでないもの」「神秘の存在」と認識している。
視線が、心が、吸い付けられる。
そのままぼんやりと見ていると、神たる蛇の男は、
「おい」
近付いてきてしゃがみ、全く痛くない程度の力加減でゆかりの頬をぺしぺしと軽く叩いた。急に近くに現れた整った顔に驚き、息をひゅう、と吸い込む。
「あ」
「わかる、あてられるとこうなるよな。俺もあのバカに初めて会ったときはそうだった。……しっかりしろゆかり、まだ話は終わってない。第一、神といっても俺は正確には『代理』。神とされているが神じゃない、ただの長生きな蛇だ」
「よく、わかん、ない」
やっとのことで言葉を絞り出すと、ゆかりの頬に触れていた手が頭に移り、そっと撫でた。ほわ、と体温が伝わる。
「うん、だからな。説明してやるから」
「エン……さま」
「エンでいいよ、敬語も使わなくていい。りつ子もなつみもそうしていた。神というより家族みたいなものだったからな。ほら飲め、ゆっくりな。いい茶だからうまいぞ」
差し出された湯飲みを受け取り茶を飲むと、少し落ち着いた。ひとつ息をつく。
「うん、いい子だ。よし、じゃあ話の続きをしようか。大丈夫だな?」
「ん」
「よしよし」
エンはにこりと笑って子どもにするようにまたゆかりの頭を撫でると、席に戻って浴衣を着る。その瞬間、神の装いではなくなった。ゆかりも向き直り、もう一口茶を含んだ。すっかり冷めてはいるが、確かにおいしい。意識もはっきりとしてきた。
「……神様の『代理』って何? 他の、神様がいるの?」
「そう。本来なら別の立派な神がここらの土地神として在る。俺より長生きしている、本当に神と呼ばれるにふさわしい蛇がな。昔俺はそいつに命を救われたんだが、その恩を返す代わりに土地神の勤めとそれに必要な力を押し付けられた。だから『代理』。力がなければただ長生きしているだけの蛇の妖怪にすぎない」
妖怪、と繰り返し、ゆかりは少し怖じ気付いた。昔話に出てくる蛇の妖怪といえば、あまりいいイメージがないことがほとんどだが。
「そ、その……人間を、食べたりとか」
「そういう食性じゃないから安心しろ。この姿なら味覚も消化器官も人間と変わらんよ。元が蛇だから嗅覚は少し敏感かな。元の姿も今見ただろう、あの大きさで人間なんか飲み込めると思うか? 蛙やネズミならまだしもな」
急にリアルな蛇の生態を語られ、ゆかりも冷静になってくる。
「食性とかあるんだ……神なのに」
「おう、甘いものは好きだぞ」
そういえば、先ほどお茶請けの豆大福をおいしそうに食べていた。好きなのかもしれない。蛇なのに。
「そうだ、大福、もうひとつ食べていいか、いいな、茶もお替わりがほしいな」
「えっ」
やっぱり好きなのだ。
「せっかくだ、他の菓子も持ってこよう。お前さんも食べるな? 今日は運良く“金の満月”も買えてなぁ、いつも売り切れなんだがこれがまた絶品でなぁ」
うきうきとした様子で再度席を立ち、部屋を出て行ってしまう。
「あっ」
お構いなくと止める暇もなかった。これはおとなしく待つしかない。
「…………あれが神様……神様ねぇ……」
確かに神々しい姿も見せてもらったが、代理とのことだし、こんなものなのだろうか。
ひとりになったのでちょうどいい。これまでの情報を整理してみることにする。
エンは千年近く生きている蛇の妖怪で、このあたりを護る神の代理をしている。どうでもいいが甘い物が好きらしい。
母方の家は、エンと家族のように暮らしていた。
母は、危うく(?)エンの妻にさせられそうになった。が、逃げろと家から出された。
エンは祖母の内縁の夫を自称している。
そして祖母が亡くなり、ゆかりが呼び出された。
「…………んー?」
これは、もしかして、「話」というのは。
深呼吸して、目を閉じる。
「何か、何だか、嫌な予感がするぞぉ……?」
予感が当たってしまったら、それは大変なことだ。いや、ゆかりは現在「天涯孤独」というやつだし、今のところはパートナーどころか好意を向ける誰かなんてものもいない。身の上としては困ることは全くないのだが、しかしだからといって、そんなふうになるのは御免だ。相手は蛇の妖怪である。しかも祖母の内縁の夫などと自称する。どんな顔をして傍にいればいい?
いやいや、まさか。
などと、考えを巡らせていると、
「いやぁ、いつ来るかわからんしお前さんの好みも知らんから何を買っておけばいいのかわからなくてなぁ」
未だうきうきのエンが戻ってきた。右手には急須、左手には配膳用の四角い大きな盆。乗っているのは今朝購入してきただろう生和菓子の入ったパックと、チョコレート、スナック菓子、煎餅の入った菓子盆、更に果肉のたっぷり入った大きなみかんゼリーが二つとスプーン。目一杯おやつが乗っている盆を持つ手がぷるぷる震えているのを見て、ゆかりはぎょっとして盆を受け取った。
「何やってんの!? 落とすよ!?」
「おお、ありがとうゆかり、いい子だなお前さんは」
「どういたしましてってこんなにいらないよ!?」
「遠慮するな、りつ子の孫なら俺の孫も同然」
「孫じゃねーし!」
つい丁寧でない言葉を使ってしまいはっとするが、エンはからから笑うのみだ。
「すっかり元気になった。よかったよかった」
「いやよかったじゃなくてっ……」
ゆかりは焦りを感じた。ヤバい。これ以上ここにいたら、この顔と正体の割にぽやぽやとした神様代理に丸め込まれてしまう。
「そっ……そろそろ、お暇しようかな!」
立ち上がるとエンがゆかりの湯飲みに茶を注ぐ。
「まだ話が終わっていない」
「もう、いいでしょ。私はもういいです。お母さんが、実家に帰ったりおばあちゃんの話をしなかった理由、それがわかったからもういいです。さよならっ!」
このままでは危ない。早く、早く行かなければ――玄関に向かおうとしたが、
「俺の方がまだだ」
足が、動かなくなった。
どころか、全身が動かない。
できるのは、呼吸と考えることだけ。
まずい。
相手が神だということを思い知る。
まずい。まずいまずい。
「すまない、こんな力の使い方はしたくないんだが。頼むから聞くだけ聞いていってくれ、悪いようにはしない」
「こわい」
声も、出せた。
「だって、だって、そんな、いきなりさぁ。神様とか、妖怪とかさぁ」
出せたが震える。口の中が乾く。これは、体の硬直からくるものではない――人間でないものに対する、恐怖。
と、
「お前さんを呪ったり祟ったりしない」
エンが正面に来た。顔が、こわばる。
「わかんない、だって、人間じゃないじゃん」
「そうだな。俺は、何百年と人間に触れて、人間の世で生きてきた。考え方も生き方もそれなりに理解はしている。わかったつもりになっている可能性もあるんだろう。でも、どうあれ、ずっと祀られてちやほや甘やかされてきたから、今のところ人間に対して悪い感情は持っていない、悪さなんかする気はないよ。この先もまだしばらくは土地神様でいなきゃならんし」
穏やかな声。体を縛り付けている何かが緩んだ。
エンの両手がゆかりの肩に添えられ、そこからじんわりとあたたかくなり、解されていくような感覚にとらわれる。
安心してしまう。
している場合じゃないのに。
「ほんとに?」
「元の土地神に誓おう、アレにと思うとちょっと癪だけどな」
戻るように促された。足が、動く。
席に戻ってしまった時点でダメかもしれないとゆかりは思った。そう、思うのだが――おそらく彼の力に縛られているわけでもないのに、つい従ってしまう。
「しかしお前さん、」
座ったところで覗き込まれる。
「その様子だと、俺がこれから何を言おうとしているのか見当が付いているな?」
作り物のようなきれいな緑の目にぎくりとする。
代理とはいえ神、見抜いているのか。
いや、まだだ。抗わなければ。
諦めてはいけない。
「……そうでないことを祈りたいんだけど」
「まぁ結論から言うと多分お前さんが考えていることで大体合っていると思う」
「嫌だいきなりすぎる急展開にもほどがある!」
「悪いようにはしないとは言ったが申し訳ない、そこを何とか」
「ダメやめて」
「そこを何とか」
「二回目ぇ! だっておかしいじゃん、お母さんには逃げろって言ってさぁ!」
「のっぴきならない事情ができたんだ。行政も絡んでいる」
「行政ェ!?」
「俺は公的に存在が認められた土地神でな。人間みたいな名前があるのもその関係だ。給料ももらってるし副業もしているし外の車の名義もちゃんと俺になっている。……まぁそのあたりはまた追々説明するがともかく」
「やだやだやだやだ待って言うな言うな言うな言うな」
拒否しているにもかかわらず、美しき神代理の蛇はゆかりの手を取り、きりっと真面目な顔を向けた。
「ゆかり、お前さんの時間を三年くれ。俺の嫁になってほしい」
言われたくなかった言葉を言われ、ゆかりはこの日一番声を張り上げた。
「嫌だよお断りだ!!」




