第〇話 ●からの手紙
眩しいくらいに雲が白い。梛木ゆかりは車窓の向こう側にある風景に目を細めた。空の青、海の青、その中にある光るような雲は、程よい弾力とやわらかさがありそうに見える。
「お腹空いた、なぁ」
せめてコンビニでおにぎりでも買ってくればよかった、と後悔する。時刻は十四時半を回り、ランチタイムはとっくに過ぎた。下りる駅に飲食店か、何か食べるものを買える店があればいいのだが。
トートバッグからペットボトルの茶を出して一口飲む。同じ車両には遠く離れた位置に二人ほど乗っているだけだから聞こえはしないだろうが、それでも腹の虫が鳴ったら恥ずかしい。
ペットボトルをバッグにしまい、ふと目についたA5サイズのクリアファイルからハガキを取り出す。
裏面には、手描きの地図と、連絡手段がなくハガキという形になったこと、三ヶ月前にゆかりの母方の祖母が亡くなったこと、そして話したいことがあるのでいつでもいいから来てほしいという旨が書かれている。表には全く知らない差出人の名前。が、住所は祖母の家のものだ。同居人か。
というか。
(やっぱりこれは詐欺か何かでは……?)
何かと物騒な昨今、こんなものにホイホイつられて出てきてよかったのだろうか? 今更ながらに悩む。
第一、話したいことがあるから来てほしいとはあるが、それが「何についてか」は書かれていない。意味ありげに呼び出しておいて何かよからぬことを――という可能性も、なくはない。
(でも、今時手書きのハガキってのも逆に珍しいよなぁ)
少し癖のある字は、ボールペンではなく万年筆で書かれているようだ。向こう側には、確かに人がいるのだろう。
「まぁ……一応、油断は禁物だわな。一人で来ちゃったし」
目的の駅までまだ少しある。ゆかりは少し俯いて、まどろみの中に入った。
日差しが、あたたかい。
駅から出ると、想像していた以上に田舎だった。下車したのはゆかりしかいない。住宅はほどほどにあるようだが、夜になればタヌキやらアナグマやらが出てきそうだ。
駅を出てすぐのところに運良くコンビニエンスストアがあった。おにぎりと骨なしフライドチキンをひとつずつ買って、店の外で急いで食べる。これで訪問先で腹が鳴るような失態は犯すまい。
母方の祖母の家を訪れるのは、実は生まれて初めてだった。
祖母の存在自体は知っていた。送られてきたハガキが祖母宅の住所であるとわかったのも、祖母から毎年年賀状が送られてきていたからだ。今年もちゃんと元日に届いていた。
しかし、母は祖母についてあまり語りたがらなかった。ゆかりが祖母について何か訊いても、言葉を濁して誤魔化していた。幼い頃からそんな感じだったので、きっと母と祖母の間には何かあるのだろうと察し、いつしか何も訊かなくなっていた。
そんな母は、一年と少し前に病で逝ってしまったのだが――そういえば、病床でこんなことを言っていた。
「お母さんね、別におばあちゃんと仲が悪かったわけじゃないの。おばあちゃんとの、約束だったから」
それがどういう約束だったのかは教えてくれなかった、というより、そう言うのが精一杯だったのだろう。それだけ言うと母は意識を失ってしまい、数日後には還らぬ人となった。
意味深にもほどがある。一体彼女らの間に何があったというのだ。
しかし、もしかしたらこのハガキは、それに何か関係があるのかもしれない。一緒に住んでいたのなら、この差出人はゆかりよりも祖母のことを知っているはずだ。
ハガキに描かれた地図を見ながら二十分ほど歩くと、それらしい家が見えた。
きれいに整えられた生け垣に意外と立派な木造の門、その奥には結構な大きさの古い平屋。
うわ、と思わず口にして、ゆかりは怯んだ。
「ええ……お屋敷じゃん……」
表札を確認する。間違いではない。確かに「梛木」と書いてある。
「お母さん、聞いてないよ……お嬢だったとか聞いてないよ……」
ここまで来たからには入らなければならないのだろうが、どうにも遠慮がある。母は、だから、避けていたのでは?
インターホンはなさそうだ。とすれば、門扉を叩くか、声を掛けるしか――
躊躇していると、門が開いた。
中から出てきたのは、淡い青紫の浴衣を着た、肩ほどに伸びた緑色の髪の――男とも女とも判別がつかない、きれいな顔立ちの誰か。
「来たか」
男だ。ゆかりと同じくらい、いや、少し年上と思われる、若い男。
奇抜な髪色の男は、立ち尽くすゆかりに近付いてきた。
「りつ子の孫、ゆかり。だな」
「はっ、はいっ。えぇと、あの」
「うん。俺がそれを出した。アドレスを知っていればメールで済ませられたんだが」
ははは、と笑う声は緩い。
「遠いところわざわざすまなかったな、疲れただろう。おいで、今朝ちょうど美味い豆大福を買ってきたところだ。詳しい話も中でしよう。安心してくれていい、りつ子の大事な孫だ、取って食うつもりはないよ」
男は門扉を支えてゆかりを招いた。見かけの割にどこか年寄り臭い。
緊張、というよりも警戒しながら敷地に入ると、庭には比較的新しい型のぴかぴかの軽自動車が一台あった。彼の持ち物か。
「あれか。このあたりはないと不便だからな。話が終わったら日も落ちているだろうし、駅まで送ろう。泊まるつもりで来ていないだろう?」
「あ、はいっ。…………え、っと、その」
「そうだな。名乗ってなかった」
門を閉めた男は振り返った。
「俺は巳生縁という。りつ子の内縁の夫だった」
「……ん?」
内縁の夫?
祖母の?
「ん!?」
ゆかりの反応に、男――縁は、くふ、と息を吐くように、笑った。
「まぁ、いろいろあってな。そのあたりのことも説明せんとなぁ」




