123 帝国最強の護衛騎士
馬車が帝都魔導院につくと、黒革の手袋をつけた大きな掌が差し出された。
「アリア=ハルシュタイン嬢、お手を」
整えられた軍礼装。深い紫紺の外套に銀の装飾。磨き上げられた長靴。どう見ても護衛ではない。堂々たる公爵閣下によるエスコートだ。私は小さく息を吐き、その手を取る。
手袋ごしでも、彼の手は温かい。一度ぎゅっと強く握られてから、ちょうど良い柔らかさにほどけた。絡められた指が、そっと位置を調整する。
そっと、気づかれないように彼の顔を見上げる。憎らしいほど、整った顔だ。今日は前髪を上げ、軽く流しているから、額の形も眉の線も、はっきりと分かる。切れ長の眼差しは静かで、鼻梁はすっと通り、口元には無駄がない。鋭さと品格が、絶妙な均衡で保たれている。
氷刃公。
けれど今朝、ハルシュタイン侯爵邸に迎えに来たときに、私にだけ向けた甘い笑みを知っている。その記憶があるからこそ、この端正な横顔が少しだけ可愛く見えてしまう。愛しい人の顔というのは、こんなふうに見えるものなのか、と思う。
院内を進むと、人々の視線が吸い寄せられるように私たちに向けられた。ところが当の本人は、まるで気づいていない顔で歩いている。それどころか彼は、私の腰に手をまわし、ぐっと身体を寄せた。
「あ、アザル公爵閣下……少し近づきすぎでは。目立っていますわ」
「護衛の一環だ。問題はない」
一拍。
「それから——その呼び方はやめるように。エルヴィンと呼べ」
低い声が、耳のすぐそばに落ちてきた。
「でないと次は、その可愛らしい口を塞いでしまう」
「ひっ……」
思いがけず落とされた言葉に、足がぎくしゃくともつれた。この人は本当に、こういうことを平然と言う。元社畜には、刺激が強すぎる。
◇◇◇
院の回廊で待っていると、ふわり、と古い書物の薫りと衣擦れの音がした。
「ようこそ、アリア」
振り向くと。深くフードを被り、口元を白い布で覆った青年が立っていた。フードと布の隙間からは、僅かな白髪と、紅い瞳だけがのぞいている。守護星のイリヤだった。
「イリヤ。あなただったのね」
「久しぶりに会えて嬉しいよ。ぼくの愛しい星」
「……その格好はどうしたの?体調でも、悪いの?」
一種異様なその格好に、私は思わず早口で質問をした。
「いや、違うんだ。君が来ると聞いて、今日のお役目をセレスから譲ってもらったんだけど、セレスから『顔は隠すように』と言われたから」
イリヤは少し間を置いて、静かに続けた。
「……僕は、本来この時代にいてはいけない存在だから。誰かに見られたら、困るんだろうね」
その声が、わずかに寂しげに揺れた。
……いや、多分そういう理由じゃないと思うけど。その白髪紅眼の美貌が、聖女候補の少女たちの心を乱してしまうからでは? 内心でそっと突っ込みながら、私は「そうね、そういうこともあるかもしれないわね」と曖昧に答えておいた。
イリヤは口元の白布をくい、とずらすと私の手をとった。甲に素早く口づけが落ちる。
「君はまた、美しくなったね。そんなに綺麗になって、どうするつもり?」
な、なんでこういうことが平気で出来るんだろう、この人は。どうするつもり、って何。どぎまぎしていると、背後からエルヴィンの声が、静かに落ちてきた。
「イリヤ殿下、お褒めいただきありがとうございます」
エルヴィンは、そのまま後ろから私をぐっと抱き寄せた。
「彼女が美しくなった理由は、私が誰より良く知っています」
イリヤは、白布を戻すと目を細めた。
「ずいぶん、余裕だね。義兄殿」
「もう、義兄ではありません」
「そうだった。君はもうアリアとは、他人なんだったね」
「ええ。私は、彼女の婚約者です」
「婚約者候補、だろ」
ぴん、と張る空気。
——あの、助けてほしいんですが。
なんで、この二人はこんなに仲悪いのよ。
「まあまあ。守護星同士、仲良くしましょう」
そのとき、リュシアンの声が背後から落ちた。
振り向くと。
リュシアンは、精巧で美しい銀細工の仮面をつけていた。月と星をモチーフにした繊細な透かし彫り。どう見ても、ただの「顔隠し」ではない。貴族の夜会にそのまま持っていけそうな、むしろ目立つやつだ。しかも両手には、なぜかバナナを持っている。
「先生!」
セレスが、素早く駆け寄ってきた。
「今日はなるべく顔を隠してくださるようお願いしましたが……よりによって、なぜその仮面を選ばれたんですか!」
「こちらは、ヴァルデル陛下から賜ったものです。魔力的価値が非常に高い」
リュシアンは、にこやかに答えた。
「つけた者の顔に馴染み、二十四時間以上着用すると剥がれなくなるとも言われています。顔に張り付いたまま一生過ごした魔導士の記録が、禁書庫に——」
「それ、呪いの仮面じゃないですか!!今すぐ外してください!!」
セレスの絶叫が、回廊に響き渡った。
リュシアンは「問題ありません。私の魔力量であれば、剥がれなくなる前に外せます」と淡々と言いながらも、仮面を外そうとする気配がまったくない。
セレスとリュシアンの危険な会話を半ば聞かないふりをして、私たちはそそくさと実験棟へと向かった。
◇◇◇
魔導院の実験棟は、すでに熱気を帯びていた。
中央に据えられた巨大な水晶盤が、淡い蒼白の光を内側から宿している。
床には精緻な七芒星の刻印。星脈の流れを誘導する細い溝が、放射状に広がっていた。周囲には測定器と記録板が並び、魔導士たちが忙しなく行き交っている。その合間を縫うように、少女たちが列を作って並んでいた。
緊張と期待が入り混じった空気。どこか、健康診断を待つような雰囲気にも似ている。……異世界でも、こういう空気は同じなんだな。
ただ。少女たちの視線は、ちらちらとリュシアンとイリヤへ向けられていた。白のフードと布で顔を隠した不審者と、月と星の銀細工仮面をつけた不審者。そりゃ、どこからどう見ても怖いよね。
「……ねえ。あの二人、何者?」
「わ、わからない。でも、なんか……怖い」
列の端の少女が、隣の子の袖をそっと引いて囁いているのが聞こえた。
違う。違うのよ。この二人は、れっきとした魔導院の人間で。高貴な生まれのお二人なんです。不審者じゃないんです。私は心の中で全力で弁明した。
「聖女候補たちには、発見された直後に水晶球で検査を受けてもらいました。これから行うのは、星脈を利用した、より精度の高い観測です」
少女たちの困惑を物ともせず、仮面をつけたリュシアンが静かに呟いた。
最初の少女が、こわごわと水晶盤に手を置いた。淡い光が立ち上る。揺らぎながら、波紋のように広がる。測定器の針が細かく震えた。
——確かに、黎明星の力だ。
けれど、弱い。灯されたばかりの火種が、風を受ける前に消えてしまうような。そんな印象だった。
少女は戸惑っていた。だが、自分が周りの人たちを失望させたようだ、とは分かったらしい。哀し気な表情を浮かべて、後方へと下がってゆく。その小さな背中が、胸に刺さった。
「黎明星との共鳴は確認できました。しかし、出力は極めて低いですね」
イリヤが記録を取りながら、はっきりとした口調で言う。
少女たちの肩が、びくりと揺れた。
二人目、三人目も同様だった。光はある。確かにある。だが、それが力として定着する前に、ほどけてしまう。結局、この日集められた七人の聖女候補は、皆似たような結果だった。観測官たちの肩が、わずかに落ちる。
リュシアンが、仮面の奥の金の瞳を揺らした。
「今回発見された聖女たちは、光の枝葉のようなものではないかと考えています。つまり——光の中心にいるのは、いまだ、あなたただ一人だと」
その言葉に、私は少しだけ考えた。
あの子たちの光は、確かにある。消えてはいない。ただ——。
「あの子たちは、光の通し方が、まだ分からないんだと思います」




