テレビの中の私
天城家のリビングに連続ドラマのオープニング曲が流れ始めると、それまで普段通りに話していた両親が急に静かになった。
玲奈自身も、テレビの画面をいつもより真剣に見つめている。撮影現場では自分が演じた場面しか知らなかったため、それが一つの物語としてどのようにつながっているのかを見るのは今日が初めてだった。
「玲奈、まだ出ないの?」
「私に聞かれても分からないよ。回想だから、たぶん途中だと思う」
「お父さん、さっきからそれ三回目よ。ちゃんと見てれば出てくるんだから、静かにしなさい」
「だって気になるだろう。自分の娘がテレビに出るんだぞ」
母から注意され、父は渋々黙った。玲奈はそんな両親がおかしくて笑いそうになったものの、すぐに画面へ意識を戻す。
物語の中心にいるのは、大人になった九条美月だった。
桐谷彩香が演じる現在の美月は巨大企業グループの後継者候補として働いており、父親との関係や一族内部の対立が物語の大きな軸になっている。撮影前にも台本で概要は読んでいたが、実際に映像として見ると印象が大きく違った。
そして物語が中盤へ差しかかったころ、現在の美月が一人でピアノの前へ座る場面になった。
桐谷彩香の指が鍵盤へ触れる。
短い旋律が流れた瞬間、映像が切り替わった。
「あっ、玲奈!」
「お父さん、声大きい」
画面に映ったのは、六歳の九条美月だった。
玲奈は思わず自分の顔を触った。撮影現場にはモニターがあったので自分の演技を映像で見た経験はある。それでも自宅のテレビで、普段見ている俳優たちと同じ作品の中に自分がいるのは妙な感覚だった。
映像の中の美月はピアノを弾いている。
やがて父親が帰宅し、撮影したときと同じ会話が始まった。玲奈は内容を知っているはずなのに、編集され、音楽や別の場面と組み合わされた映像を見ると、撮影時とは違うものに感じられる。
「ここ、二回撮ったところだ」
「どっちが使われたの?」
「二回目。最初は最後に少し強く弾いたんだけど、監督さんから、美月はお父様に怒ってるんじゃないって言われて撮り直したの」
玲奈が説明している間にも場面は進み、幼い美月が閉じた扉を見つめたあと、自分の指へ視線を落として再び練習を始める。
母は何も言わず画面を見ていた。
やがて回想が終わり、現在の美月へ戻る。
「……玲奈」
「なに?」
「ちゃんと美月ちゃんだったわね」
母から言われ、玲奈は少しだけ目を丸くした。
「私だったよ?」
「顔は玲奈なんだけどね。普段の玲奈とは違って見えたっていう意味」
「それなら成功なのかな」
「成功なんじゃないか? お父さんは途中から玲奈だってこと忘れそうになったぞ」
「それは言いすぎだと思う」
玲奈は笑いながら答えたが、胸の奥では母の言葉を何度も繰り返していた。
ちゃんと美月だった。
その言葉が嬉しかった。
上手だったと言われるよりも、ずっと嬉しい気がした。
玲奈が演じたいのは天城玲奈ではない。台本の中にいる別の人間を、自分の身体を使って画面の中へ連れてくる。それが演技なのだと、初めて自分の出演作を見たことで少しだけ理解できた。
ドラマが終わるころには、父は録画した映像をもう一度見ようと言い出した。当然ながら母から今日はもう遅いと止められ、玲奈も明日は学校だからと母に味方する。
「お父さんだけ見ればいいじゃない」
「一人で見るのは寂しいだろう」
「録画した意味がないじゃない」
「玲奈の初出演なんだから、家族で見ることに意味があるんだよ」
「じゃあ明日ね。私、もう歯磨きして寝るから」
父が何か言いたそうにしていたが、玲奈は母と笑いながらリビングを出た。
翌朝になれば、生活はいつも通りだった。
玲奈は学校へ行き、授業を受け、友達と給食を食べる。昨日テレビへ出演したからといって、朝起きた瞬間から何かが劇的に変わるわけではない。
それでも教室へ入って少しすると、同じクラスの女の子が玲奈の机まで駆け寄ってきた。
「玲奈ちゃん、昨日テレビに出てた?」
「うん。ちょっとだけ出てたよ」
「やっぱり! お母さんと見てて、玲奈ちゃんに似てるって思ったの!」
その声を聞いた別の子供たちも集まってくる。テレビに出たこと自体が珍しいらしく、どうやって撮影するのか、桐谷彩香に会ったのか、学校みたいな場所で演技を習うのかと次々に質問された。
玲奈は答えられる範囲で説明したが、やがて担任が教室へ入ってきたことで話は終わった。授業が始まれば周囲も普段通りになり、休み時間には別の遊びが始まる。
玲奈はそのことに少し安心していた。
女優の仕事は楽しい。
けれど、学校でまでずっと女優として扱われたいとは思わなかった。今世では学校へ通い、同年代の友達と過ごすことも、玲奈が自分で選べる生活の一つだった。
一方、玲奈が学校で普段通りの一日を送っていたころ、事務所では佐伯がパソコンの画面を確認していた。
ドラマそのものが注目度の高い作品だったこともあり、放送後には作品名や出演者の名前がインターネット上で数多く書き込まれている。その中には、幼少期の九条美月について触れているものも少なくなかった。
幼少期を演じた子が大人の美月に雰囲気まで似ていた、礼儀正しいのに少し寂しそうな感じがよかった、ピアノは本人が弾いているのだろうか。そんな感想がいくつも見つかる。
まだ一度出演しただけの新人子役であり、世間的な知名度が一気に上がったわけではない。それでも、名前を調べた視聴者が事務所の公式プロフィールまで辿り着いていることは、数字からも確認できた。
「最初としては十分すぎるくらいね」
佐伯はそう呟くと、別の資料を開いた。
すでに次の仕事について問い合わせが来ている。
その中から玲奈に合いそうなものを選び、本人と両親へ相談するのが佐伯の仕事だった。
ただし、今回と同じような令嬢役を続けるつもりはなかった。
九条美月の演技が評価されたからこそ、次に同じ種類の役を与えるのは簡単である。姿勢がよく、言葉遣いも綺麗で、年齢以上に落ち着いて見える玲奈なら、裕福な家庭の娘や礼儀正しい少女の役は今後も取りやすいだろう。
しかし、それだけでは「お嬢様役が得意な子役」で終わる。
佐伯が興味を持っていたのは、そこではなかった。
数日後、玲奈は母と一緒に事務所へ呼ばれた。
「ドラマ、見た?」
「はい。家族で見ました」
「どうだった?」
「面白かったです。でも、自分が出てくるとちょっと変な感じがしました」
「最初はみんなそんなものよ。それで今日は、次のお仕事について相談したくて呼んだの」
佐伯はそう言うと、一冊の台本と資料を玲奈の前へ置いた。
「また九条美月みたいな役ですか?」
「むしろ正反対ね。だから玲奈ちゃんに見せようと思ったの」
玲奈は興味を引かれ、資料を開いた。
今度の作品は、現代の一般家庭を舞台にした家族ドラマだった。
玲奈に話が来ているのは主人公一家の次女で、名前は小川ひなた。六歳。元気でおしゃべりが好きで、家の中を走り回っては母親に叱られ、姉のお菓子を勝手に食べて喧嘩し、近所の公園で転んでは大泣きするような少女だった。
九条美月とは、何もかもが違う。
「面白そう……」
玲奈は思わず呟いた。
「でしょう? ただし、今回はオーディションがあるわ。玲奈ちゃん以外にも何人も受けるから、必ず出演できるわけじゃない」
「受けたいです」
玲奈は資料から顔を上げた。
返事があまりにも早かったため、佐伯が笑う。
「まだ全部説明してないんだけど」
「でも、美月とは全然違うんですよね?」
「全然違う。だから難しいと思うわよ。美月みたいに姿勢を綺麗にして、丁寧に話せばいい役じゃない。むしろ、そういう玲奈ちゃんの癖が出ると落ちる可能性がある」
その説明を聞いて、玲奈はますます興味を持った。
九条美月を演じたときには、前世で身につけたものがそのまま役に立つ場面が多かった。しかし今度のひなたには、公爵令嬢として学んだ礼儀作法などほとんど必要ない。
むしろ邪魔になるかもしれない。
「やってみたいです。美月と違う人を演じてみたい」
「分かった。じゃあ、お母さんとも相談して正式に応募しましょう」
母も資料を確認し、学校生活に無理が出ない範囲ならと了承した。
帰宅した玲奈は、その日のうちに台本を読み始めた。
小川ひなたは、自分とはかなり違う少女だった。
嫌なことがあればすぐ顔に出る。欲しいものがあれば欲しいと言う。姉と喧嘩すれば負けないように言い返し、母親に叱られれば泣きながら謝る。
そして、嬉しいときには誰にも遠慮せず笑う。
玲奈は台本を読みながら、いつの間にか笑っていた。
セレスティアとして生きていたころにも、天城玲奈として生まれてからも、自分はここまで感情をそのまま外へ出す子供ではなかった。
だからこそ、演じてみたかった。
数日後、玲奈は二度目となるドラマのオーディション会場へ向かった。
今回指定されている場面は、ひなたが姉のために残してあったプリンを勝手に食べてしまい、問い詰められるという日常的な場面だった。
控室で台本を読みながら、玲奈は考える。
美月なら、こんなことはしない。
自分でも、おそらくしない。
だから、自分ならどうするかを考えてはいけない。
小川ひなたなら、どうするのか。
玲奈は台本を閉じた。
役者として二人目の少女と出会うためのオーディションが、間もなく始まろうとしていた。




