役そのままの二人
水城紗良と桐谷凛を演じる日々は、それからも順調に続いていった。
撮影開始直後のように二人の芝居そのものへ焦点が集まることは減り、物語は他の生徒たちの悩みや家族関係へ広がりながら、紗良と凛もクラスの一員としてその中へ関わっていくようになった。
玲奈と美咲も、毎回のように互いを意識して張り合うことはなくなった。
もちろん良い芝居を見れば悔しいと思い、自分も負けたくないと思う気持ちは残っている。それでも撮影そのものを楽しむ時間が増え、休憩中には学校や別の仕事について話すことのほうが多くなっていた。
そして数か月に及んだ撮影にも、やがて終わりが訪れた。
最終日の舞台は、二人が何度も使ってきた教室だった。物語の中でも年度の終わりが近づき、紗良と凛が進級後について話す、ごく普通の放課後が最後の場面として用意されている。
「来年も同じクラスだったら面白いよね。水城に全部任せれば、面倒なことしなくて済むし」
「それが目的なら、絶対に別のクラスがいい。桐谷さんの面倒を見るためにクラス委員やってるんじゃないから」
紗良が呆れながら鞄へ教科書を入れると、凛は机へ頬杖をついたまま楽しそうに笑った。最初に会ったころなら、その言い方ひとつで小さな喧嘩になっていたかもしれない。
「でも結局やってくれるじゃん。別のクラスになっても、私が困ってたら来てくれるでしょ?」
「……本当に困ってるならね。自分でできることまで全部持ってくるのは禁止」
「じゃあ別のクラスになったら、たまに遊びに行く。休み時間ならいいでしょ?」
「授業中には絶対来ないでね。先生に怒られても知らないから」
紗良の返事を聞いた凛が嬉しそうに笑う。その表情を見た紗良も、完全に追い払うつもりがないことを隠しきれず、小さく息を吐きながら鞄を肩へ掛けた。
「……好きにすれば」
そのまま二人は特別な約束をすることもなく、一緒に教室を出ていった。カメラが無人になった教室を数秒映したところで、監督から大きな声が飛ぶ。
「カット! オーケーです!」
玲奈と美咲が廊下で振り返ると、教室にはスタッフたちが集まり始めていた。次の撮影準備へ向かう気配はなく、その代わりに大きな拍手が響く。
「水城紗良役、天城玲奈さん! 桐谷凛役、黒川美咲さん! 以上をもちましてクランクアップです!」
二人へ同時に花束が渡された。玲奈が笑顔で受け取る横で、美咲も花束を抱えながら教室を見回し、数か月続いた撮影が本当に終わったことを確かめているようだった。
「終わっちゃったね。最初は玲奈とこんなに話すと思ってなかったのに、今だと明日ここに来ないの変な感じする」
「私も。でも美咲ちゃんの場合、寂しいって言うより、次に何やるか考えてそう」
「当たり。今度また一緒にやろうよ。次は絶対、玲奈と敵同士の役がいい」
予想どおりの返事に、玲奈は花束を抱えたまま笑った。
「まだ言ってるの? 普通に仲良い役でもいいじゃん」
「今回やったから次は違うのがいいの。あと玲奈が感情出す役で、私が静かな役っていうのも忘れてないからね。あれ本当にやってみたい」
「それなら私もやってみたい。美咲ちゃんがずっと静かにしていられるか見たいし」
「そこ? 演技の心配じゃなくて私が黙っていられるか心配してるの?」
二人が笑うと、近くにいたスタッフまでつられて笑った。最初は同世代で初めて強く意識したライバルだった相手が、今では次も一緒に仕事をしたいと思える友人になっている。
監督や共演者へ挨拶を済ませたあと、二人は最後に教室で写真を撮った。
肩を並べて笑う姿には、初日の読み合わせで互いの実力を探っていたころの緊張など、もうどこにも残っていなかった。
ただし、二人の仕事がそこで終わったわけではない。
ドラマの放送はまだ中盤であり、視聴率も配信での再生数も安定している。
紗良と凛の関係は作品の人気要素の一つになっており、玲奈と美咲をセットで紹介する記事も増えていた。
当然、番組宣伝の依頼も入ってくる。玲奈が最初に出演することになったのは、芸能人がいくつかのチームに分かれて知識を競うゴールデンタイムのクイズ番組だった。
普段のドラマとはまったく違う大きなスタジオに入り、回答席へ座った玲奈は、収録前からかなり楽しそうだった。
学校のテストとは違い、歴史や科学、言葉、文化など幅広い分野から問題が出るため、得意分野だけでは通用しない。
「天城さん、ちゃんと回答者としてクイズ番組に出るのは初めてなんですよね?」
「はい。見るのは好きなんですけど、自分が座ると急に難しく見えます。間違えたら放送でずっと残りますよね」
司会者から確認されると、玲奈は問題表示用のモニターを見ながら少し不安そうに笑った。
その反応を見た司会者は、ドラマで演じている紗良の設定を思い出したように話を続ける。
「でもドラマでは成績優秀な優等生でしょう? 今日も水城紗良くらい答えてもらわないと」
「それは困ります。紗良の成績まで私に求めないでください。本人より悪かったら役を降ろされそうです」
玲奈が真顔で返したことでスタジオから笑いが起こった。ところが実際に収録が始まると、その心配はほとんど必要なかった。
玲奈は知識だけで即答できる問題を確実に拾い、難しい問題では分かっている情報を頭の中で整理してから回答した。
直接答えを知らない場合でも、選択肢の中に明らかに条件へ合わないものがあれば一つずつ外し、最後まで考えることをやめない。
特に歴史や言葉に関する問題では強かった。前世の知識を表へ出すような不自然な答え方はせず、現代で本や学校から得た知識として説明できる範囲で正解を重ねていく。
難易度が上がった終盤では、他の出演者が首を傾げる問題でも、玲奈だけが長くモニターを見つめていた。
司会者から「分からなかったら勘でもいいよ」と声をかけられても、すぐには回答しない。
「もう少し考えていいですか? 一つだけ違うと思うものがあるので、そこから絞れそうなんです」
玲奈はそう答えると、知っている事実と選択肢を一つずつ照らし合わせていった。最終的に回答を決め、正解が発表された瞬間には、周囲の出演者から思わず拍手が起こった。
「今の、最初から答え知ってたわけじゃないよね?」
「知らなかったです。途中までしか分からなかったので、残りは選択肢から考えました」
「その考え方がもう水城紗良なんだよ!」
司会者から突っ込まれ、玲奈は困ったように笑った。
ドラマの番宣として出演しているだけなのに、考えてから答える姿そのものが役柄と重なって見えたらしい。
もちろん、すべてに正解したわけではない。スポーツや流行に関する分野では意外なほど弱く、同年代なら知っているだろうと出題された話題を外したときには、周囲から驚かれることもあった。
「天城さん、さっきあんな難しい問題を解いたのに、これは知らないの?」
「こっちのほうが難しいです。学校で聞いたことはある気がするんですけど、ちゃんと見たことなくて……」
「中学生なのに流行より歴史のほうが強いって珍しいなあ」
「仕事と学校で終わる日も多いので、たぶん皆より知らないもの結構ありますよ」
玲奈自身も笑いながら認めたため、スタジオには再び笑いが広がった。
何でも知っている完璧な少女ではなく、得意不得意がはっきりしていることも、番組ではむしろ面白く映った。
最終的に玲奈のチームは優勝こそ逃したものの、玲奈個人の正解数は出演者の中でもかなり上位だった。
収録終了後には司会者から「紗良役、玲奈ちゃんを見てから決めたんじゃないの?」とまで言われ、本人が慌てて否定することになった。
その数日後、今度は美咲が別の番組へ出演した。こちらはクイズ番組とは正反対で、芸能人たちがゲームやトークへ挑戦する賑やかなバラエティ番組だった。
玲奈はその収録には参加していなかったが、美咲から事前に「絶対見て。かなり頑張ったから」と連絡が来ていたため、放送日は自宅でテレビをつけていた。
開始して間もなく、玲奈は美咲がわざわざ連絡してきた理由を理解した。テレビの中の美咲は、年上の芸人たちに囲まれてもほとんど物怖じしていなかった。
もちろん礼儀を欠いているわけではない。それでも話を振られれば間を空けずに返し、面白そうなゲームを提案されれば迷うより先に挑戦を選ぶ。
その姿勢だけなら、ドラマの凛よりさらに凛らしく見えた。
「黒川さん、本当にこれやるの? 結構大変だよ?」
「やります! ここまで来て見てるだけのほうが嫌です。失敗したら失敗したで、それはそれで使えますよね?」
司会者が笑いながら、近くにいるスタッフへ視線を向ける。
「事務所の人、たぶん今すごく止めたいと思ってるよ」
「私もそう思います。でも収録始まっちゃったので、もう遅いです!」
その返答にスタジオが笑いに包まれ、美咲はそのまま勢いよくゲームへ挑戦した。
ところが結果は見事な失敗で、本人も一瞬呆然としたあと、誰より先に大声で笑い始める。
「もう一回やらせてください! 今のは練習ってことで!」
「テレビに練習はないの! 今のもしっかり放送するから!」
「じゃあ使っていいです! その代わり成功するところも撮ってください。失敗だけで終わるの嫌です!」
玲奈はテレビの前で声を出して笑った。美咲がドラマの役を演じているわけではないことなど分かっている。
それでも、思いついたらまず動き、失敗してもすぐ次へ向かい、年上が相手でも必要以上に遠慮しないところは驚くほど凛に似ていた。
「美咲ちゃん、凛より凛じゃん……」
思わず漏れた言葉に、隣で見ていた母も笑った。さらに番組後半のトークでも、美咲は結果を残していく。
「黒川さん、最近よく一緒に名前が出る天城玲奈ちゃんとは、実際どんな関係なの?」
「友達です。でもライバルでもあります。玲奈が褒められてたら嬉しいですけど、同時にちょっと悔しいです」
「それ、本当に仲良いの? テレビ用に言ってるだけじゃなくて?」
美咲は質問を聞いて少し考えたあと、すぐに笑った。
「めちゃくちゃ仲良いですよ。でも演技では負けたくないです。玲奈も同じだと思います」
「本人いないところで勝手に決めて大丈夫?」
「大丈夫です。たぶん今テレビの前で『勝手に言わないで』って言ってます」
玲奈は思わずテレビへ身を乗り出した。
「私まだ何も言ってない!」
その直後、画面では司会者たちが笑っていた。まるで玲奈の反応まで読まれていたようで、本人も抗議しながら結局笑ってしまった。
二つの番組が放送されたあと、視聴者の間では別の意味でもドラマが話題になった。
クイズ番組で一問ずつ考えながら答える玲奈と、バラエティで迷う前に飛び込んでいく美咲の姿が、あまりにも劇中の二人と重なって見えたからだった。
「玲奈ちゃん、クイズになると完全に紗良だった。分からない問題でも最後まで考えるのそのまま」
「黒川美咲、バラエティで凛より凛してて笑った」
「二人とも演技ではちゃんと別人なのに、得意分野だけ見ると配役ぴったりすぎる」
「玲奈はまず考える、美咲はまず動く。本当にキャスティングした人すごい」
「この二人を紗良と凛にした理由、番宣見たら妙に納得した」
もちろん玲奈が紗良そのものというわけではなく、美咲も凛そのものではない。
それでも二人が自然に得意とする部分と役柄の特徴が噛み合っていることは、ドラマを見ている視聴者にも分かりやすかった。
次の仕事で顔を合わせたとき、美咲はその反応をすっかり楽しんでいた。待機中にスマートフォンを見ながら、玲奈が近づくとすぐ画面を見せてくる。
「ねえ玲奈、見た? 私たち本人そのままでキャスティングされたって、まだ言われてるよ」
「見たよ。美咲ちゃんはかなり凛だったから仕方ないと思う。私、テレビ見ながら何回も笑ったもん」
「玲奈だって紗良じゃん。分からない問題、ずっと考えてたって書かれてるし。普通あそこまで粘る?」
「でも私、紗良ほど真面目じゃないよ。学校で委員の仕事全部押しつけられたら普通に断るし」
「私も凛ほど先生に喧嘩売らないよ。あそこまで何でも口に出したら普通に怒られるでしょ」
二人は顔を見合わせ、それぞれ相手の言葉について少し考えた。完全に同じではないからこそ、役として演じる意味がある。ただ、根っこの部分に似ているところがあるのも否定できない。
「……でも美咲ちゃん、やりたいって思ったら結構すぐやるよね。今回のゲームも、普通ならもう少し迷うと思う」
「玲奈も分からないことあると、納得するまでずっと考えるじゃん。あれ、私だったら途中で勘にする」
「じゃあ、ちょっとだけ似てるのかもね」
「ちょっとだけね。だから次は全然違う役で一緒にやりたい」
美咲がすぐ次の共演へ話をつなげたため、玲奈は笑った。
「それは私も思った。今度は視聴者に『何でこの二人をこの役にしたの?』って最初に言われるくらい違うのがいい」
「で、最後には『この二人じゃなきゃ駄目だった』って言わせるの」
「それいいね」
二人はそこで顔を見合わせ、同時に笑った。
役と本人は違う。それは演じている二人自身が一番よく分かっている。
それでも脚本や演出によって作られた水城紗良と桐谷凛の中には、演じる二人の持ち味とよく噛み合う部分が確かにあった。
天城玲奈はクイズ番組で最後まで考え抜いて答えを導き、黒川美咲はバラエティ番組で考えるより先に飛び込んで笑いを生んだ。
ドラマでは正反対の少女を演じていた二人が、番組宣伝でもまったく異なる方法で結果を残したのである。
その結果、放送中のドラマにはまた一つ新しい話題が加わった。そして玲奈自身も、美咲と次に共演するときには、今度こそ本人たちの印象から遠く離れた役を演じてみたいと思い始めていた。




