それぞれの次へ
連続ドラマの放送が終盤へ入るころには、天城玲奈と黒川美咲の名前が並んで紹介されることも珍しくなくなっていた。
劇中では正反対の少女を演じ、番宣では玲奈がクイズ番組、美咲がバラエティ番組でそれぞれ結果を残したことで、二人の違いまで含めて作品の話題になっていた。
けれど撮影そのものは、すでに終わっている。毎週のように顔を合わせていた生活がなくなると、玲奈には少しだけ妙な感覚が残った。
学校へ行き、別の仕事をし、家へ帰る。それまでなら普通だった予定の中に、美咲がいないことだけが新しかった。
もちろん連絡を取らなくなったわけではない。むしろ撮影中より気軽になり、仕事が終わったあとに短いメッセージが届くことも増えていた。
その日の夜も、玲奈が宿題を終えて机を片づけていると、スマートフォンが震えた。
「玲奈、次の仕事決まった!」
画面に表示された短い文章を見て、玲奈は思わず口元を緩めた。美咲らしい勢いのある報告に、すぐ祝いの言葉を返す。
「おめでとう。何のお仕事?」
返事はほとんど待たずに届き、玲奈は画面に並んだ短い文章だけで、美咲がかなり浮かれていることまで想像できた。
「連ドラ主演。青春もの。高校生役!」
「中学生なのに高校生なんだ。美咲ちゃん、ちょっと背伸びだね」
「そこじゃない! 主演ってところ褒めて!」
思わず笑いながら、玲奈は改めて祝いの言葉を送った。美咲が主演を任されたことに驚きはあっても、不思議だとは思わなかった。
現場で一緒に演じていた玲奈自身が、彼女の力をよく知っている。
少しして、美咲から今度は電話がかかってきた。玲奈が出ると、向こうでは明らかに浮かれた声が響いている。
役は明るく行動力のある少女で、部活動を中心に仲間たちが成長していく青春ドラマらしい。
「また美咲ちゃんに合いそうな役だね。バラエティ見た人が決めたんじゃない?」
「私もそれ思った。でも監督さんは前から候補だったって言ってたよ。玲奈は? 次の仕事まだ?」
「いくつかお話はあるって聞いてるけど、まだ決めてない。学校も始まってるし、全部はできないから」
「じゃあ先に主演になったのは私だね」
電話越しでも、美咲が得意そうな顔をしているのが想像できた。玲奈は少しだけ考え、素直に認める。
「そうだね。先越された」
「悔しい?」
「ちょっとだけ。でも美咲ちゃんならちゃんとできると思うから、楽しみのほうが大きいかな」
「……そういうこと普通に言うの、ずるいよね」
「なんで?」
「こっちは自慢しようと思って電話してるのに、真面目に応援されたら自慢しにくくなるじゃん」
美咲の不満そうな声に、玲奈はまた笑った。撮影が終わっても、こうしたやり取りは変わっていない。
ただ、これから二人は同じ作品ではなく、それぞれ別の場所で仕事をすることになる。
「じゃあ私も次の仕事決まったら、美咲ちゃんに一番に言うね」
「絶対ね。あと私のドラマ始まったらちゃんと見て。感想も言って」
「分かった。でも悪かったところも言うよ?」
「いいよ。その代わり玲奈の次の作品も私がちゃんと言うから」
二人はしばらく新しいドラマの話を続けたあと、明日の学校があるからと電話を切った。
玲奈は机の上に置いたスマートフォンを見ながら、少しだけ笑う。美咲が先へ進むなら、自分も次の役をやってみたいという気持ちが自然に湧いていた。
翌週、玲奈は母と一緒に所属事務所を訪れていた。担当マネージャーから新しい仕事について話があると言われ、学校が終わったあとにそのまま向かったのである。
応接室のテーブルには、いつもより厚い企画書が一冊だけ置かれていた。複数の仕事から選ぶときとは違い、マネージャーは最初からその一冊を玲奈の前へ置く。
「今回は、かなり大きな話が来てる」
「ドラマですか?」
「映画。それも主演」
玲奈の手が止まった。これまで重要な役や主要人物を任されたことは何度もあるが、一本の映画を最初から最後まで主演として背負う経験はない。
「……私が主演なんですか?」
「そう。制作側から天城玲奈で、という話が来てる。オーディションで決めたいという形じゃなく、最初から玲奈を候補の中心に置いて企画が進んでる」
玲奈はすぐに喜ぶのではなく、表紙へ視線を落とした。主演という言葉には嬉しさがある。
それ以上に、自分が画面にいる時間も責任も、これまでより大きくなることが先に浮かんだ。
企画書の表紙には、まだ仮題と書かれた映画タイトルが記されていた。
舞台は昭和初期。華族制度が残り、西洋文化と日本の古い価値観が混ざり合っていた時代を描く作品だった。
玲奈はページをめくる。物語の主人公欄に書かれていた名前を見つけ、そこで指を止めた。
「久我小夜子……十四歳」
旧華族である久我家の一人娘。幼いころから家柄にふさわしい教育を受け、礼儀作法、語学、音楽、舞踏まで身につけている。
家の外では隙を見せず、周囲からは完璧な令嬢と思われている少女だった。
ところが物語の中盤、父親の事業失敗と借金によって久我家は急速に傾いていく。
使用人は一人ずつ減り、屋敷の一部が売られ、最後には長く暮らしてきた家そのものまで手放すことになる。
小夜子はそこで初めて、家柄に守られない生活へ放り出される。
前半には華族同士の会食や舞踏会がある一方、後半では小さな家で家事を覚え、以前なら使用人がしていたことを自分で行いながら、新しい学校生活へ馴染もうとする姿が描かれていた。
家が没落したからといって、突然すべてを失って悲劇で終わる物語ではない。
むしろ家という大きな枠から外れたことで、小夜子が初めて「自分は何をしたいのか」を考え始める話だった。
「面白そう……」
玲奈が小さく呟くと、母が隣から企画書を覗き込んだ。マネージャーも急かさず、玲奈が読み終えるのを待っている。
人物設定を追ううち、玲奈の中では少しずつ別の記憶が重なり始めていた。
華やかな衣装、形式に沿った挨拶、食卓での振る舞い、舞踏会で相手へ差し出す手。どれも前世のセレスティアにとっては、幼いころから叩き込まれてきたものだった。
もちろん、それを口にすることはない。今の玲奈にとって前世は、誰にも明かすつもりのない自分だけの記憶だった。それでも演技へ使えるものまで捨てる理由はなかった。
大河ドラマで藤乃を演じたときには、日本の武家社会に合わせて新しく所作を学び直した。
今回の久我小夜子はそれとは違い、西洋式の礼儀や社交が強く取り入れられている。セレスティアとして受けた教育に近い部分が多かった。
さらに企画概要には、舞踏会の場面もあった。正式なダンスを覚える必要があり、制作側は撮影前に長期間の練習を予定している。
「玲奈、どう?」
母から尋ねられ、玲奈は人物紹介のページからようやく顔を上げた。すでに気持ちはかなり決まり始めていた。
「やってみたい。すごく」
「主演だから?」
「それも嬉しいけど、小夜子をやってみたい。最初は何でもできるように見えるのに、家がなくなったあとから、実はできないことがいっぱいあるって分かるのが面白い」
玲奈は人物紹介のページを指でなぞった。小夜子は礼儀作法も語学もできるが、料理や洗濯といった日常生活についてはほとんど経験がない。
家を失ってから初めて、自分で生活そのものを組み立てなければならなくなる。
「前半と後半で、同じ子なのに全然違って見えそうです。でも姿勢とか話し方まで全部変わるんじゃなくて、小夜子のまま変わっていくんですよね」
玲奈の言葉を聞き、マネージャーは満足そうに頷いた。
制作側もそこを重視しており、没落後にただ庶民的な少女へ変わるのではなく、久我家で育った小夜子が別の暮らし方を覚えていくことが大切なのだという。
「それと、監督が玲奈に一度会いたいって言ってる。演技のテストじゃない。役について直接話したいそうだ」
「いつですか?」
「来週。学校が終わってからで調整できる」
「大丈夫です」
玲奈は迷わず答えた。事務所からの帰り道も、車の中で何度か企画書を開きかけ、そのたびに母から酔うからやめなさいと止められた。
それでも頭の中では、もう久我小夜子について考え始めている。
特に気になったのは、物語前半のある場面だった。父親が家の経済状況を娘へ隠しながら、客人を迎える場面である。
概要では、小夜子はその時点で久我家が破綻寸前だとは知らされていない。
けれど玲奈には、それだけで何も気づかないとは思えなかった。
使用人が減り、母親が以前身につけていた宝石を使わなくなり、父親は特定の客人の名前を聞いた瞬間だけ返事が遅れる。舞踏会への参加も以前より減っている。
それだけの変化があれば、何も知らされていなくても、少なくとも何かがおかしいとは感じるはずだった。玲奈には、その感覚に覚えがある。
前世では、誰かが本当のことを親切に教えてくれるのを待ってはいられなかった。
相手の表情や言葉の間、使用人の動き、会食での席順。小さな変化から自分の置かれた状況を考えることが、セレスティアには当たり前だった。
久我小夜子も、完璧な令嬢として育てられた少女である。ならば彼女も周囲を見る。
ただしセレスティアと小夜子は同じ人物ではない。前世の自分ならどうするかではなく、十四歳の小夜子ならどこまで気づき、何を知らないままなのか。その境目を考えなければならなかった。
玲奈には、その境目を一つずつ考えて小夜子という別の少女へ組み直していく作業そのものが、すでに楽しみになっていた。
帰宅してしばらくすると、美咲からメッセージが届いた。主演ドラマの衣装合わせが終わったらしく、衣装の一部だけが分かる写真と一緒に短い文章が送られている。
「玲奈の次、まだ?」
撮影が終わっても互いの次の仕事は一番に知らせると約束していたため、玲奈はそのことを思い出してすぐに返信した。
「決まりそう。映画」
送信して数秒も経たないうちに電話が鳴った。画面に美咲の名前が出ているのを確認し、玲奈は笑いながら通話へ切り替える。
「映画!? 主演?」
出た瞬間から勢いよく聞かれ、玲奈はやはり電話してきたかと思いながら笑った。
「たぶん。まだ監督さんと会ってないけど、主演でお話もらってる」
「先に言ってよ! 私ばっかり主演自慢してたじゃん!」
「今日聞いたんだから仕方ないでしょ」
「どんな役? 玲奈がそんなにやりたそうなら気になる」
玲奈は手元に置いていた企画書へ目を向け、主人公の人物紹介が開かれたページを指で軽く押さえた。
「昭和の初めくらいの話。旧華族のお嬢様で、十四歳。名前は久我小夜子」
電話の向こうで、美咲が珍しく少し黙った。役の姿を想像しているらしく、数秒してから声の調子が変わる。
「……それ、玲奈めちゃくちゃ似合いそう」
「まだやってないよ」
「絶対似合う。なんか悔しい。私のほうは部活で走り回る役なのに、玲奈は舞踏会とか出るんでしょ?」
「出るみたい。でも後半は家事もできなくて苦労するよ」
「それはそれで見たい。玲奈が料理失敗するところとかあったら絶対笑う」
「役だからね? 私が失敗するわけじゃないから」
玲奈が言い返すと、美咲は楽しそうに笑った。その声を聞きながら、玲奈も自然に笑う。
「美咲ちゃんも主演でしょ。お互い別々に頑張ろうよ」
「うん。でも映画は絶対見に行く。変だったらちゃんと言うから」
「私も美咲ちゃんのドラマ見るよ。変だったら言うね」
「負けないから」
「私も」
二人は笑って電話を切った。同じドラマで並んでいた時間は終わり、これから美咲は美咲の作品へ向かい、玲奈も自分の新しい作品へ向かう。
机の上には、一冊の企画書が置かれていた。表紙を開けば、主人公として最初に書かれている名前は一つだけだった。
そこに書かれた名前は、久我小夜子。天城玲奈にとって、初めて一本の映画を主演として背負う役。
そして前世から持ち続けてきたものを、誰にも秘密を明かさないまま演技へ変えられる役との出会いだった。




