並べられた二人
連続ドラマの撮影が始まってから一か月ほど経ったころ、第一話の放送日を迎えた。
撮影自体はすでに数話先まで進んでおり、玲奈にとって水城紗良、美咲にとって桐谷凛は、最初のころよりずっと馴染んだ役になっている。
それでも完成した映像を見るのは別だった。撮影現場では自分が参加している場面しか分からず、編集や音楽が加われば印象も変わる。
玲奈はその日の仕事を早めに終えると、自宅で両親と一緒に放送を見ることにした。
番組が始まると、地方都市にある中学校の日常がゆっくり描かれていった。
登校する生徒たち、担任教師、友人同士の会話が続き、その中に玲奈演じる紗良も自然に混ざっている。
大河ドラマの藤乃を知っている視聴者なら、同じ玲奈だとすぐ分かる。
それでも画面にいる少女から姫らしい雰囲気は完全に消え、先生から配布物を頼まれれば受け取り、クラスメイトに質問されればノートを見せる普通の中学生になっていた。
「これ、撮ってたときより普通に学校っぽいね。現場だとスタッフさんとかカメラも見えてたから、完成すると全然違う」
玲奈が画面を見ながら呟くと、隣にいた母も頷いた。大きな事件から始まる作品ではないからこそ、生徒たち一人一人の日常が丁寧に編集されている。
「玲奈、本当にこういう子がクラスにいそうね。頼まれたら断れなくて、最後に一人で全部やってる子」
「でも私、学校ではここまで引き受けないよ。できないときは普通に断るし、面倒だったら友達に手伝ってって言うもん」
「そこは玲奈のほうが紗良ちゃんより上手なのね。紗良ちゃん、見てるだけで少し心配になるもの」
母に言われ、玲奈は少しだけ笑った。自分と役を混同されることにはもう慣れているが、紗良とは似ている部分より違う部分のほうが多いと思っている。
物語が進み、黒川美咲演じる凛が本格的に登場すると、画面の空気が変わった。教師へ遠慮なく反論し、友人が困っていれば勝手に割り込み、思ったことをそのまま口へ出す。
玲奈は撮影で何度も見ているはずなのに、自然と美咲の芝居へ目が向いていた。
現場では自分が紗良として受けていたため、完成映像で客観的に見ると印象がまた違う。
「美咲ちゃん、やっぱりすごいなあ。」
父が横から玲奈を見る。大河ドラマのころから娘の出演作を欠かさず見てきた父も、美咲の名前はすでに覚えていた。
「ライバルなんだろ? そこまで普通に褒められるんだな」
「うん。でも上手いものは上手いよ。むしろ上手いから、次に一緒にやるとき何してくるのか気になる」
玲奈は当然のように答えた。自分より良く見える場面があるから嫌だとは思わない。
むしろ美咲の芝居を画面越しに見ていると、撮影時には気づかなかった細かな表情まで見つかり、次の撮影で試してみたいことが増えていく。
第一話の後半には、読み合わせから何度も演じてきた二人の衝突が入っていた。教師の判断へ凛が反発し、紗良が止めようとする。
「そういうの、ずるくない?」
テレビの中の美咲が玲奈を睨む。
「何でも正しいこと言ってるみたいな顔して、結局自分が面倒に巻き込まれたくないだけじゃん」
紗良はすぐに返さない。ほんの少し視線を逸らし、それから美咲を見る。
「……そうかもしれない。でも、怒鳴れば全部伝わるとも思わない」
撮影では何度も演じた場面だった。しかし編集では二人の表情が交互に大きく映され、教室全体の空気も間へ挟まれている。
玲奈は、その映像を見ながら少し悔しくなった。
美咲のほうが、自分が撮影中に感じていた以上に強く見えたからだった。
「……ここ、美咲ちゃんいいなあ。私、撮ってるときはもっと押し返せてると思ってた」
「玲奈もいいじゃない。声を張ってないのに、ちゃんと負けてない感じするよ」
「うん。でも次だったら、もうちょっと違う返し方できる気がする。美咲ちゃんの怒り方を今見たら、もう少し紗良の迷いを残してもよかったかも」
母は何も言わず、娘の横顔を見た。褒められることに慣れても、玲奈が完成した自分の芝居を見て満足することはほとんどない。
放送終了後、視聴者の反応もすぐに広がり始めた。作品そのものについての感想に混じり、水城紗良と桐谷凛の関係を気にする声が目立っており、正反対に見える二人がこれからどう変わっていくのか、第一話だけでも十分に興味を持たせたらしい。
「天城玲奈、やっぱり上手い。あれだけ静かな役なのに視線だけで分かる」
「黒川美咲の怒り方すごかった。教室の空気まで本当に変わって見えた」
「玲奈ちゃんと美咲ちゃん、演技のタイプが全然違うのに相性いい」
「紗良と凛の喧嘩、どっち見ればいいか分からなくなるくらい二人とも良かった」
「天才子役の天城玲奈と、最近一気に出てきた黒川美咲。この二人これからもっと共演してほしい」
以前まで玲奈の名前が大きく出る記事では、共演する同年代の俳優が比較対象として扱われることは少なかった。
しかし今回は違った。放送翌日には、芸能ニュースやドラマ紹介の記事で玲奈と美咲が並んで取り上げられている。
長く活動してきた玲奈と、ここ数年で急速に評価を高めてきた美咲。
対照的な演技スタイルを持つ同世代として紹介される記事も出ており、二人の名前は自然に一緒に語られ始めていた。
玲奈がそのことを知ったのは、翌日の撮影所だった。メイクを終えて台本を確認していると、美咲がスマートフォンを持ったまま近づいてくる。
「玲奈、これ見た? 朝からずっと気になってたんだけど、私たち思った以上に比較されてる」
「なに?」
美咲が見せた記事には、二人の写真が並んでいた。玲奈は見出しを読み、少しだけ眉を上げる。
「『天才子役・天城玲奈に迫る新鋭、黒川美咲』だって」
美咲は玲奈の顔より先に見出しを指差し、明らかに納得していない顔をした。
「そこ! 何で私が玲奈に迫る側なの? 同じドラマで同じくらい出てるのに、最初から追いかけてるみたいじゃん」
「だって私のほうが芸歴長いからじゃない? 記事を書く側からしたら、そのほうが分かりやすいんだと思う」
「芸歴で決めるのずるい。私だって今は同じ現場にいるのに」
「私に言われても困るよ。書いた人に言ってよ」
玲奈が苦笑すると、美咲は一度だけ画面を見直し、それから何かを決めたようにスマートフォンを閉じた。
「でも次の記事は絶対逆にしてもらう。玲奈に迫るじゃなくて、玲奈と並ぶとか、玲奈が追うとか」
「どうやって?」
「玲奈よりいい芝居する。それしかないでしょ」
迷いなく言い切られ、玲奈は少し目を丸くしたあと笑った。美咲らしい答えだった。
「じゃあ私も、美咲ちゃんよりいい芝居しないとね。追われるだけっていうのも嫌だし」
「そう、それでいい。やっぱり玲奈もちゃんと負けず嫌いだよね」
美咲は満足そうにスマートフォンをしまった。周囲が勝手に二人を比較し始めても、それが険悪さにつながる様子はなく、むしろ美咲には分かりやすい燃料となり、玲奈にも負けたくない理由が一つ増えた程度だった。
ただし、その日の撮影が始まる前、監督は二人へ改めて釘を刺した。
記事を読んだこと自体は気にしていなかったが、比較を意識しすぎて作品の中まで競争を持ち込まれては困る。
「記事は好きに読んでいいけど、カメラの前で勝負しすぎないようにね。前にも言ったけど、目立ったほうが勝ちじゃないから」
「分かってます。紗良として必要なら引くし、凛の場面ならちゃんと美咲ちゃんを見ます」
玲奈が答える隣で、美咲も頷く。それでも表情には、少しだけ負けず嫌いな色が残っていた。
「分かってます。でも結果的に玲奈より良かったら、それはいいですよね? わざと目立とうとはしませんけど」
「それはもちろん。でも紗良の場面を凛が食おうとするのは違うし、逆も同じだよ」
「そこまではしません。作品が変になったら、勝っても意味ないですから」
美咲は真面目に答えた。負けたくないからこそ、作品を壊してまで自分を目立たせたいわけではない。
玲奈も同じであり、二人が競っているのは台詞の数でも、画面に映る時間でもなかった。
相手が良い芝居を出したとき、自分も役としてそれ以上のものを返せるか。その勝負だけは、二人ともやめるつもりがなかった。
今日の撮影は、文化祭当日の場面から始まった。
紗良と凛が一緒に準備してきた展示が完成し、教室には多くの生徒や来場者が集まっている。紗良は全体が問題なく進んでいるか確認しながら動き回り、凛は来場した小学生へ展示の説明をしていた。
性格の違いは相変わらずでも、それぞれが自分に向いている役割を自然に担っている。やがて一段落したところで、凛が紗良のところへやって来た。
「水城、もういいでしょ。朝からずっと動いてるんだから、ちょっとくらい休もうよ」
「まだ受付の交代時間まで二十分あるよ。今抜けたら、誰かが困るでしょ」
「昨日からずっと準備してたじゃん。二十分くらい誰かに頼めばいいでしょ。水城が倒れたら、そのほうが面倒だよ」
「でも――」
紗良が言い終える前に、凛は近くにいたクラスメイトへ声をかけた。
「ねえ、二十分だけ受付代わってくれない? 水城、このままだと文化祭終わるまで働いてるから」
頼まれた生徒が笑いながら引き受けると、紗良は何も言えなくなった。
「ほら。これで休める」
「……最初から頼むつもりだった?」
「うん。水城に先に聞いたら、絶対『大丈夫』って言うと思ったから」
「だったら先に私に言ってよ。勝手に決められると困るんだけど」
「言ったら断るでしょ?」
凛が当然のように答える。紗良は反論しようとして、できなかった。以前の自分なら、本当に断っていたと分かってしまったからだ。
「……ありがとう。でも次は、一応先に言って」
その一言に、美咲が一瞬だけ反応した。凛は照れたように視線を逸らし、少しだけ声を軽くする。
「別に。私も休みたかっただけだし。水城がずっと働いてたら、私まで休みにくいから」
その返しを聞いて、紗良が少し笑った。二人は教室を出て、廊下の窓際に並ぶ。校庭では別の催し物が行われており、生徒たちの楽しそうな声が聞こえていた。
「文化祭って、もっと面倒だと思ってた。準備とか絶対途中で飽きると思ってたのに」
「準備してるときは面倒ってずっと言ってたでしょ。それに桐谷さん、何回か途中でいなくなってたし」
「水城が細かいからね。あれ全部ちゃんとやる必要あった?」
「桐谷さんが適当だからでしょ。誰かが確認しなかったら絶対どこか抜けてたよ」
二人とも相手を見ずに話していた。それでも以前のような棘はなく、同じ時間を過ごすことに慣れてきた空気があった。
「でもまあ、悪くなかった。最初は本当に面倒だと思ってたけど、今はやってよかったかも」
凛が小さく付け加える。紗良は少しだけ横を見て、美咲の表情を確かめてから答えた。
「私も。大変だったけど、思ってたより楽しかった」
玲奈は、そのあとすぐ前へ向き直らなかった。美咲の横顔を一瞬だけ見てから笑い、そこで初めて校庭へ視線を戻す。美咲も同じように、凛として少しだけ口元を緩めた。
「カット。オーケー!」
監督の声がかかると、二人は同時に息を吐いた。派手な場面ではなく、感情をぶつけ合う台詞もない。それでも撮影を始めたころの二人では成立しなかった場面だった。
「今の、どっちが良かったと思う?」
美咲がすぐ玲奈へ尋ねる。記事を見た直後だけあって、まだ勝負への意識が残っているらしい。
「またそれ? 今日はそういうの気にしすぎないって言われたばっかりでしょ」
「でも気になるものは気になる。玲奈だって気になるでしょ?」
玲奈は少し考え、否定するのをやめた。実際、自分も美咲の芝居を見ながらどこが良かったか考えていた。
「最後に美咲ちゃんが笑ったところ、私は好きだったよ。凛って最初だったら絶対あんな顔しなかったし、ちゃんと変わったのが分かった」
美咲は一瞬黙ったあと、少しだけ嬉しそうに目を細める。
「……じゃあ今日は私の勝ち?」
「何でそうなるの? 私の『ありがとう』はどうだった?」
「あれは良かった。前の紗良なら絶対もっと言い訳してたと思う」
「だったら引き分けでしょ」
玲奈が言うと、美咲は真剣に考えてから頷いた。
「今日は引き分けにしとく。でも次はちゃんと決めるから」
「何で美咲ちゃんが勝手に決めるの」
二人が笑い始め、近くにいたスタッフもつられて笑った。
ドラマが放送されたことで、これから二人を比べる人はさらに増えるだろう。玲奈のほうが上手いと言う人もいれば、美咲のほうが強く印象に残ると言う人もいる。
それは二人自身には決められないことだった。
それでも玲奈には、美咲と一緒に演じるようになってから、自分が以前より感情を前へ出すことを恐れなくなったという実感がある。
美咲もまた、玲奈の反応を見るようになってから、感情をただ強く出すのではなく、相手へ向けることを意識するようになっていた。
比較されることで、どちらか一人が消える必要などない。
相手が評価されれば悔しい。その悔しさを次の芝居へ持っていけばいい。玲奈にとっては、そのくらいの関係が心地よかった。
撮影終了後、美咲は帰り支度をしながら玲奈へ声をかけた。手にはまたスマートフォンがあり、今度は次回予告の画面を開いている。
「玲奈、来週の第二話も一緒に見ようよ。電話しながら見れば、自分のところ来たらその場で感想言えるじゃん」
「一緒に見るって、電話つないだままずっと喋るの? 美咲ちゃん絶対うるさいよ」
「玲奈だって絶対言うでしょ。『今の私ちょっと違う』とか『美咲ちゃん今の良かった』とか」
「……言うと思う。でも美咲ちゃんのほうが絶対多い」
「じゃあ決まりね。あと、私のほうが良かった場面あったらちゃんと言って。遠慮したら駄目だから」
玲奈は鞄を持ちながら、美咲へ少しだけ挑むような笑顔を向けた。
「美咲ちゃんもね。私のほうが良かったら、ちゃんと認めてよ」
「……それはそのとき考える」
「そこは認めるって言ってよ」
二人は最後まで言い合いながら、それぞれの迎えの車へ向かった。
同じ世代だから比較され、同じ作品に出ているから並べられ、実力が近いからこそ、これからも何度も名前を並べられるのだろう。
けれど天城玲奈にとって、黒川美咲は自分の場所を奪う相手ではなかった。隣を走りながら、ときには先へ出て、その背中を追いかけたくなる相手だった。
黒川美咲にとっても、それは同じだった。
二人の名前が初めて並べて語られ始めた日、玲奈と美咲自身は、そのことを誰より楽しんでいた。




