■16 街灯のプリンス
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コアの白い命令が、ゆっくり形を変えていく。
空中に、巨大な表示が浮かんだ。
【偏った想いを白へ均す】
↓
【届いていない想いを保護し、繋ぐ】
さらに、次の行が現れる。
【過剰接続を削除】
↓
【強い想いを道標として記録】
白紙化命令は、削除ではなく保護へ。
均衡化は、白ではなく灯りへ。
偏りは、壊すものではなく、誰かへ向かう道標へ。
王暦時計塔の針が、正常な方向へ動き出した。
一秒。
二秒。
三秒。
世界が、戻る。
広場から歓声が上がった。
魔導列車が汽笛を鳴らす。
薔薇劇場の幕が上がる。
月街区の仮面舞踏会に灯りが戻る。
王冠騎士団の旗が風に揺れる。
下町の街灯が、一斉に点く。
アルトが星図を見上げる。
「白紙化命令、停止」
ヴァレリオが息を吐く。
「保護命令へ書き換わったか」
ガイアスが笑う。
「やったのか」
ルカがカードをしまう。
「やったね」
キリルが雷を消す。
「当然だ」
イヴァンが扇を閉じる。
「見事な終幕だ。少々、主役を持っていかれたが」
アルヴィンが王冠剣を下ろす。
「認めよう。今の灯りは、王冠にも劣らん」
ジンが短く言う。
「……落ちなかった」
ノアの光が落ち着いていく。
晴人は手を離さなかった。
ノアも離さなかった。
「ノア」
「はい」
「戻ったか」
ノアは周囲を見た。
街灯。
歯車。
水路。
遠くの下町。
王暦時計塔の大きな針。
全部がある。
ノアは、泣きそうな顔で笑った。
「戻りました」
「よかったな」
「はい」
「世界救ったな」
ノアは少しだけ目を丸くする。
それから、真っ赤になった。
「そ、そうなのでしょうか」
「そうだろ」
「僕は、街灯を繋いだだけで」
「規模が世界だった」
「それは」
ノアは困ったように視線を泳がせる。
「少し、大きな巡回でした」
全員が、一瞬黙った。
そして、ガイアスが最初に吹き出した。
「世界規模の巡回かよ!」
ルカも笑う。
「さすが下町の守護者。スケールが大きいね」
キリルが腕を組む。
「大きすぎるだろ」
イヴァンが楽しそうに笑う。
「世界を救ってなお街灯点検と言い張る美学、嫌いではない」
ノアは赤くなって、晴人の袖を掴んだ。
「晴人」
「何」
「笑われています」
「褒められてるんだろ」
「そうでしょうか」
「たぶん」
「たぶん」
いつものやり取り。
世界を救った直後とは思えないくらい、いつものやり取りだった。
空中に、金色の表示が浮かぶ。
【王暦時計塔コア:安定】
【白紙化現象:停止】
【Ultra-SSR ノア・アークライト:完全覚醒】
【称号:想いを繋ぐUltra-SSR】
続けて、新しい表示が出る。
【ナイトステイが発生しました】
ノアが固まった。
晴人も固まった。
八人のプリンスが、一斉にこちらを見た。
表示は、今までと違った。
金色。
柔らかい街灯の色。
【ナイトステイ】
対象プリンス:ノア・アークライト
称号:想いを繋ぐUltra-SSR
場所:下町東区・巡回兵宿舎
帰還条件:なし
終了条件:なし
「巡回兵宿舎」
晴人が読むと、ノアの顔が一気に赤くなった。
「晴人」
「何だよ」
「そこは」
「前と同じ部屋か?」
「はい」
ノアの声が小さくなる。
「下町の巡回兵だった頃から、使っていた部屋です」
ルカが先に笑った。
「へえ。同じ部屋なんだ」
ガイアスが頭をかく。
「まあ、世界救ったしな」
キリルが顔を赤くする。
「な、何を納得している!」
イヴァンが扇で口元を隠した。
「行けよ。舞台の主役は、今はお前たちだ」
アルヴィンが腕を組む。
「勘違いするな。譲るのは今だけだ」
ヴァレリオが薄く笑う。
「だが、諦めたわけではありませんので」
アルトが表示を見ながら呟く。
「終了条件なし。興味深い」
ジンが短く言う。
「……大事にしろ」
ノアは真っ赤になっている。
「皆さん」
晴人は頭をかいた。
「何だよ、この空気」
ルカが肩をすくめる。
「見れば分かるだろ。送り出してるんだよ」
ガイアスが笑う。
「行ってこい、晴人」
キリルがそっぽを向く。
「別に認めたわけではないからな!」
イヴァンが優雅に言う。
「早く行け。これ以上照れた顔を見せられると、こちらまで調子が狂う」
アルヴィンが最後に言った。
「ノア・アークライト」
ノアが背筋を伸ばす。
「はい」
「たった一人を名乗るなら、泣かせるな」
ノアは、驚いたように目を開いた。
それから、深く頷いた。
「はい」
ガイアスが晴人を見る。
「お前もだぞ」
「分かってる」
「本当か?」
「たぶん」
「おい」
ルカが笑った。
「晴人らしいね」
ノアは、晴人の手をぎゅっと握った。
「晴人」
「何」
「行きましょう」
声は震えている。
でも、逃げていない。
晴人は、その手を握り返した。
「行くか」
「はい」
金色の街灯の光が、二人を包んだ。
王暦時計塔の中枢が遠ざかる。
プリンスたちの姿が、光の向こうで小さくなる。
最後に、イヴァンの声が聞こえた。
「だが覚えておけ、晴人。私はまだ諦めていないからな」
ルカの声も重なる。
「僕もね」
キリルの声。
「俺もだ!」
ガイアスの笑い声。
「元気だな、お前ら!」
アルヴィンの低い声。
「当然だ」
晴人は、少しだけ笑った。
「忙しい世界だな」
ノアが隣で、小さく笑う。
「はい」
そして、光が二人を包み込んだ。
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次に足元へ戻ってきたのは、古い木の床だった。
晴人は目を開ける。
そこは、下町東区の巡回兵宿舎だった。
小さな部屋。
木製の椅子。
古いランプ。
壁に掛かった巡回札。
窓の外に見える、いつもの街灯。
そして、奥にある、小さなベッド。
広くもない。
豪華でもない。
下町の巡回兵だったノアと、何度もナイトステイを迎えた部屋だった。
「同じ部屋か」
ノアも、少し呆然と部屋を見回していた。
「はい」
古いランプの光が、ノアの白と金の制服を照らしている。
ノアは、小さなベッドを見て、それから晴人を見た。
「同じ部屋なのに、違って見えます」
「姿が変わったからか」
「それも、あるかもしれません」
ノアは胸元に手を当てた。
「でも、たぶん」
少しだけ赤くなる。
「帰るためでは、ないからです」
晴人は黙った。
前は、キスをすれば帰還条件が満たされた。
表示が出て、YESを押して、現実へ戻った。
ノアとのキスは、最初は条件だった。
でも今は違う。
帰還条件はない。
終了条件もない。
誰にも急かされない。
晴人はノアへ一歩近づいた。
ノアも逃げなかった。
「晴人」
「何」
「僕は、晴人を選びました」
「知ってる」
「何度でも言いたいので」
「多いな」
「はい」
ノアは笑った。
その笑顔が、今までで一番近かった。
晴人は、ノアの頬に触れた。
キスは、静かに始まった。
けれど、すぐに熱を持った。
ノアの手が、晴人の服を掴む。
いつもの癖。
晴人はその手に指を重ねる。
ノアの息が震える。
離れようとすると、ノアが追いかけてきた。
今度は隠さない。
晴人も離れなかった。
もう一度、触れる。
深くなる。
ノアの膝が、少しだけ揺れた。
「ノア」
晴人が支える。
ノアは真っ赤な顔で、晴人の胸元に手を置いた。
「すみません」
「謝るな」
「はい」
「また落ちるところだったな」
「落ちてはいません」
「そうだな」
晴人は少し笑った。
「じゃあ、今度は落ちる前に運ぶ」
「え」
次の瞬間、晴人はノアを抱き上げた。
お姫様抱っこ。
ノアの目が、はっきり見開かれる。
「晴人」
「何」
「僕は、もう落ちません」
「知ってる」
「では、なぜ」
「俺がそうしたいだけ」
ノアの顔が、一気に赤くなった。
「晴人」
「嫌なら言え」
ノアは、晴人の服をぎゅっと掴んだ。
「嫌では、ありません」
その声は小さかった。
でも、今までよりずっとはっきりしていた。
晴人はベッドの縁にノアをそっと下ろした。
古いランプが、二人の影を壁に映している。
ノアはベッドの縁に座り、晴人を見上げた。
白と金の制服。
赤く染まった頬。
逃げない目。
晴人は、その前に膝をつくように近づいた。
前は、帰るためにキスをした。
前は、表示に急かされて、YESを押した。
でも今は、帰還条件も終了条件もない。
晴人はノアの手を取った。
声が少し低くなる。
「いいか?」
ノアは、真っ赤な顔で晴人を見つめた。
けれど、目は逸らさなかった。
「いいよ」
その返事は、条件を満たすためのものではなかった。
選ばれるためだけのものでもなかった。
ノアが、晴人を選んだ返事だった。
晴人はノアの手に口づけた。
ノアの肩が小さく震える。
「ノア」
「はい」
「もう一回聞く」
「はい」
「いいよな」
ノアは息を吸った。
それから、晴人の手を握り返した。
「はい」
二つの影は一つに重なった。
古いランプの光が、夜の間ずっと消えなかった。
窓の外では、下町の街灯が静かに点いていた。
帰還表示は出なかった。
YESもNOも、二人を急かさなかった。
世界を救った守護者は、晴人の名前を何度も呼んだ。
そのたびに、晴人はノアの名前を呼び返した。
「……ノア」
「はい、晴人……」
白紙だった道に、二人分の足音が残るように。
小さな部屋の夜にも、二人の名前が残っていった。
****
朝の下町は、柔らかい色をしていた。
窓の外から、薄い金色の光が差している。
街灯はまだ点いていた。
けれど、夜のためではない。
朝が来るまで、道を見守っていた名残みたいだった。
晴人は小さなベッドの縁に座っていた。
隣に、ノアがいる。
ノアの静かな寝息が聞こえる。
満たされた安らかな顔。
「……ノア」
「……晴人?」
ノアは飛び起きた。
「す、すみません。僕、寝坊を」
「無理するな」
「はい」
ノアは赤くなった。
朝の光で見ると、ノアの表情はさらに柔らかく見えた。
想いを繋ぐ者。
世界を救った守護者。
なのに、朝から真っ赤になって、晴人の隣で所在なさげにしている。
その落差が、妙にノアらしい。
「晴人」
「何」
「昨日のこと」
「言うな」
「まだ何も言っていません」
「言いそうだった」
ノアは耳まで赤くなる。
「言いません」
「本当か」
「たぶん」
「たぶんか」
ノアは小さく笑った。
それから、晴人の手にそっと触れる。
「でも」
「うん」
「大事にします」
その一言だけで、十分だった。
晴人は少しだけ視線を逸らす。
「そうしろ」
「はい」
ノアは、晴人の手を握った。
今度は遠慮なく。
「今日の巡回は、どうしましょう」
「今から巡回するのか」
「街灯は、朝も確認が必要です」
「世界救って、ナイトステイして、朝一で街灯点検か」
「はい」
真面目な顔。
晴人は笑ってしまった。
「お前、ほんと変わらないな」
「変わりました」
ノアは言った。
「でも、変わらないところもあります」
「そうだな」
「晴人が来る道は、これからも明るくしておきたいです」
「またそういうことを」
「はい」
ノアは少しだけ得意そうに笑う。
「晴人だけの守護者ですので」
言ってから、自分で赤くなる。
「自分で言って照れるな」
「すみません」
「謝るな」
「はい」
いつものやり取り。
けれど、昨日とは少し違う。
もう、帰還条件ではない。
期限でもない。
ただ、二人で朝を迎えた後の、当たり前みたいな会話だった。
空中に、柔らかい金色の表示が浮かぶ。
【ナイトステイ終了】
現実世界へ戻りますか? YES/NO
ノアは表示を見た。
少しだけ寂しそうに。
けれど、前みたいに不安定ではなかった。
「晴人」
「何」
「また、来てください」
「来る」
「通知を出します」
「出せ」
「はい」
ノアは嬉しそうに笑う。
「それと」
「まだあるのか」
「はい」
ノアは少しだけ迷ってから、晴人を見る。
「帰る前に、もう一度だけ」
言葉を最後まで言わなかった。
でも、分かった。
晴人はノアの頬に触れる。
「一度だけでいいのか」
ノアは真っ赤になった。
「晴人」
「冗談だ」
「冗談に聞こえません」
「じゃあ冗談じゃないかもな」
「晴人」
ノアが困ったように、でも嬉しそうに笑う。
二人はもう一度キスをした。
今度は短い。
けれど、ちゃんと甘い。
離れた後、ノアは小さく言った。
「行ってらっしゃい、晴人」
晴人は少しだけ笑った。
「戻ってきてくれるなら、行ってらっしゃいも言えます」
「じゃあ、行ってくる」
「はい」
ノアは両手で晴人の手を握った。
「おかえりを、用意して待っています」
晴人はYESを押した。
街灯の光が広がる。
朝の下町が遠ざかる。
最後まで、ノアは手を振っていた。
****
現実に戻ると、共有タブレットの画面には、王城前広場が映っていた。
【王暦時計塔コア安定記念】
【特別パレード開催】
画面の中では、蒸都アルカディアの王城前に人々が集まっている。
SSRプリンスたちの姿もある。
アルヴィンは王冠騎士団の先頭に立ち、ガイアスは救助隊と一緒に子どもを肩車している。
ルカは観衆の中から花を盗んで、すぐに返している。
ジンは黒鉄号の護衛官たちと静かに並び、ヴァレリオは囚人たちから妙に丁寧に拍手されている。
アルトは記録端末を構え、キリルは照れながら歓声を受け、イヴァンは当然のように一番目立つ場所で薔薇を振っている。
そして、下町の街灯を模した小さな旗の下に、ノアがいた。
白と金の制服。
小さな街灯の紋章。
ノアは少し困ったように、でも嬉しそうに頭を下げていた。
画面の下に、ホームボイスの字幕が出る。
『晴人が来る道を、今日も明るくしておきます』
晴人はただ画面を見て呟いた。
「……世界救っても、街灯かよ」
もちろん返事はない。
でも、画面の中の街灯旗が、一度だけ強く光った。
姉からメッセージが飛んできた。
【姉:晴人】
【姉:待って】
【姉:ノアくんの表示、何?】
【姉:Ultra-SSR?】
【姉:SSRの上って何!】
【姉:しかも同時存在数:1って出てるんだけど!】
【姉:SSRですら同時10人なのに!】
【姉:Cって同時10000人だよね!】
【姉:一万人いたCが、一人になったってこと!】
【姉:契約者、晴人って出てるんだけど!】
【姉:弟、何したの!】
晴人はしばらく考えて、返信した。
【晴人:街灯を直した】
すぐに既読。
【姉:それで同時存在数1になるわけないでしょ!】
晴人は少しだけ笑った。
確かに、街灯を直しただけではない。
名前を呼んだ。
何度も行った。
一緒に歩いた。
キスをした。
助けた。
助けられた。
選んだ。
選ばれた。
でも、説明するには長すぎる。
だから、もう一言だけ返した。
【晴人:あと、迎えに行った】
すぐに返信が来る。
【姉:説明が足りない!】
【姉:というか、私のアカウントなのに契約者が晴人なの何!】
【姉:弟、プリコドの歴史を変えないで!】
晴人はタブレットを見て、少しだけ肩を揺らして笑った。
画面の中では、パレードが続いている。
王城前の人々が、ノアの名前を呼んでいる。
「ノア・アークライト!」
「下町の守護者!」
「街灯のプリンス!」
ノアはそのたびに、少しだけ赤くなっている。
晴人は画面を見ながら、静かに笑った。
「よかったな、ノア」
返事はない。
でも、街灯は明るかった。
白紙だった道は、もう消えない。
たった一人の守護者は、世界を救った後でも、きっと明日の街灯を点検する。
そして、晴人が来る道を、明るくして待っている。




