■12 白紙化パニックと、集まる八人のプリンス
共有タブレットの画面には、下町東区の地図が映っていた。
街灯番号E-042。
水路カフェ。
歯車飾りの路地。
青い街灯。
白い路地。
夜間点検の橋。
星砂糖ラスクを半分にしたベンチ。
そこに、一つずつ小さな印がついている。
昨夜、俺がノアの名前を呼んで、少しだけ取り戻した場所だ。
けれど、地図はまだ完全じゃない。
道の端が白く抜けている。
看板の文字がところどころ薄い。
水路沿いの標識には、まだ読めない箇所がある。
検索欄を開く。
【ノア】
結果は出ない。
けれど、入力欄の端に、昨日と同じ白い文字が浮かんだ。
【該当データ復元中】
「復元中、ね」
俺は画面を睨む。
ノアはいる。
昨日、俺の袖を掴んだ。
「います」
と言った。
呼んだら返事をする、と言った。
だから、いる。
検索で出ないだけだ。
そう思わないと、手元が落ち着かなかった。
画面の端で、街灯マークがかすかに光っている。
対象プリンス欄は空白のまま。
名前はない。
でも、街灯は消えていない。
それだけを頼りにするしかない。
その時、画面上部に赤いお知らせが出た。
【重要なお知らせ】
俺は眉を寄せて、通知を開いた。
【現在、一部クエスト・カード情報・履歴表示に不具合が発生しております】
【対象:一部期間限定イベント/一部カード一覧/一部クエスト履歴】
【原因を調査中です】
【復旧までしばらくお待ちください】
「不具合」
たった一言で片づけられていた。
ノアの名前が消えかけたことも。
下町が白く抜けたことも。
俺が白い下町で、ノアの名前を叫んだことも。
全部、アプリ上では不具合。
「ふざけんな」
独り言が出た。
その直後、姉からメッセージが飛んできた。
【姉:晴人、見た!?】
【姉:公式お知らせ出た】
【姉:一部クエスト情報に不具合だって】
【姉:やっぱり、最近ユーザー増えたから負荷かな】
【姉:でもカード一覧まで変なの怖くない?】
俺は少しだけ考えて、返信する。
【晴人:ノアはまだ薄い】
【姉:C一覧、今149と150を行ったり来たりしてる】
【姉:怖】
【姉:でもサーバー落ちっぽいなら復旧待ちかな】
【晴人:待たない】
すぐに既読がついた。
【姉:待たない?】
【姉:何する気?】
【晴人:原因を探す】
【姉:ゲーム内に?】
【晴人:たぶん】
姉から、しばらく返信が来なかった。
そして一言だけ届く。
【姉:まぁ、ほどほどにね】
俺は返事をしなかった。
画面の街灯マークを押す。
反応は弱い。
昨日みたいに、すぐには開かない。
かわりに、下町地図の上へ別の通知が重なった。
【臨時クエスト】
白紙化現象調査
対象エリア:蒸都アルカディア全域
接続可能プリンス:過去イベント接続済みSSR
「全域?」
下町だけじゃない。
ノアだけじゃない。
その瞬間、画面の上に八枚のカードが並んだ。
アルヴィン。
ガイアス。
ルカ。
ジン。
ヴァレリオ。
アルト。
キリル。
イヴァン。
全員のカード枠が、かすかに白く滲んでいた。
俺は迷わず、臨時クエストを押した。
画面の奥から、蒸気と白い霧が溢れる。
次の瞬間、俺は蒸都アルカディアの中にいた。
****
下町は、いつも通り静かだった。
水路に青い街灯が映っている。
大丈夫。ノアの気配を感じる。
俺は叫ぶ。
「ノア! いるんだろ? 返事しろ」
しばらくして声があった。
「……はい、晴人。僕は、ここにいます」
まずは、ホッとした。
存在が消えたわけではない。
ただ、姿は薄く、いつ消えてもおかしくないほど儚く見える。
「……晴人、僕には景色が良く見えてません。ごめんなさい、あまりお役に立てないかもです」
俺が来た理由は察している。
臨時クエスト。
それ程の事件なのだろう。
うつむくノア。
俺は、手をそっと握った。
「大丈夫。お前は、俺の側に居てくれればいい。様子だけ見ていてくれ」
「はい」
「いくぞ、中央広場だ」
「はい」
俺とノアは、中央広場に向けて駆け出した。
****
中央広場は、騒然としていた。
魔導掲示板の文字が白く抜けている。
噴水前の案内板には、開催中のはずの催し名が途中までしか表示されていない。
【王冠パレードと の剣】
【月下仮面舞踏会と王冠 の怪盗】
【星図演算 祭】
欠けている。
ところどころ。
誰かが、街の言葉を虫食いにしているみたいだった。
広場の人々が戸惑っている。
「この道、前からありましたか?」
「昨日の公演名が思い出せない」
「避難経路の看板が白くなっているぞ!」
広場の中央に、八人のプリンスが集まっていた。
最初に俺に気づいたのは、アルヴィンだった。
「晴人」
「状況は?」
「気に入らん」
「感想じゃなくて説明しろ」
「説明している。気に入らんほど異常だ」
いつも通り偉そうだが、その顔は険しい。
アルヴィンの背後には、王冠騎士団の報告書が浮かんでいた。
【戴冠パレード警備記録:一部欠落】
【観覧席名簿:白紙化】
【王冠剣使用履歴:一部不明】
「王冠騎士団の記録まで欠けている。下位騎士だけではない。今回は観覧席や式典演出の記録まで白くなっている」
ガイアスが腕を組む。
「こっちは霧晶炉の見学区域だ。人が多い場所から抜けてやがる。避難経路も、救助実演があった通路ほど白い」
ルカがカードを指で回しながら言った。
「月街区も同じ。仮面舞踏会のホール、王冠宝石の展示台、テラス。人目を集めた場所から順に白くなってる」
ジンが短く続ける。
「黒鉄号もだ。展望車両、花火の発射記録、人気席の予約札が欠けた」
ヴァレリオが黒い鎖を揺らす。
「魔導監獄では、囚人名簿より先に、監獄長室の記録が乱れている。見られている場所ほど、乱れが大きい」
アルトが星図を展開した。
「魔導科学院で観測した。接続頻度の高い座標ほど、記録圧が上がっている。人の想いが集中した地点、記念記録の発生地点、反復調査された地点。共通点は、多数の視線と記憶だ」
キリルが悔しそうに拳を握る。
「決闘ランキングの上位戦も白くなっている。観覧試合、必殺技演出、勝利ログ。努力の記録まで巻き添えだ」
イヴァンが扇剣で白い霧を払った。
「薔薇劇場では、主役の台詞ではなく、観客の視線が集中する場面から消えた。美しいものを見すぎた罰だと言わんばかりにな」
俺は、全員の報告を聞きながら、喉の奥が冷えていくのを感じた。
人が多く見たもの。
何度も触れられたもの。
何度も思い出されたもの。
「ノアは、下町の巡回兵だ」
俺が言うと、全員がこちらを見た。
「本来なら、こんなに人目を集める場所じゃない。でも、俺が何度も開いた。街灯修理、記録、カフェ、日誌、点検、ベンチ」
アルトが静かに頷く。
「君個人による接続頻度が、下町巡回兵としては異常値だった可能性がある」
「俺のせいか」
「断定はしない」
アルトは、いつもより強く言った。
「断定はしない。重要なのは、ノアの存在記録が周囲の標準値から外れ、何者かの処理対象になった可能性だ」
ヴァレリオが目を細める。
「標準値から外れたものを、鎖で切るように消している。いや、切るというより、白く均しているな」
「均す?」
ルカがカードを止めた。
「綺麗な理屈っぽいね。でも、他人の想いを勝手に薄める時点で、もう管理じゃない」
ガイアスが低く唸る。
「誰がやってる」
アルヴィンが王暦時計塔を見上げた。
蒸都アルカディアの中心。
空へ突き刺さる巨大な時計塔。
いつもは荘厳に時を刻むその塔が、今は白く霞んでいる。
「王暦時計塔だ」
アルヴィンが言った。
「この都市の時刻、記録、式典進行、契約の発生順。すべてに関わる中枢だ。あそこが狂えば、都市の記録が狂う」
アルトが星図を重ねる。
「白紙化命令の発信源も、時計塔中枢と一致する」
キリルが双短剣に手をかけた。
「なら、乗り込めばいい」
ジンが頷く。
「……早い方がいい」
その時、中央広場のすべての魔導掲示板が、一斉に白く光った。
街の音が止まる。
噴水の水も、空中で止まったように見えた。
白い画面に、黒い時計の針が浮かぶ。
そして、知らない声が広場中に響いた。
低く、静かで、冷たい声。
『偏った想いは、世界を歪ませる』
誰も動けなかった。
掲示板に、黒い王冠の紋章が映る。
『ある姫は王冠騎士を求め、ある姫は怪盗を追い、ある姫は舞台俳優を讃え、ある姫は勝利だけを見つめた』
画面が切り替わる。
アルヴィンのパレード。
ルカの舞踏会。
イヴァンの劇場。
キリルの観覧試合。
次々と人目を集めた場面が白く塗りつぶされる。
『ある契約者は、名も薄き巡回兵に、過剰な想いを注いだ』
俺の息が止まった。
画面に、下町の街灯が映る。
E-042。
水路カフェ。
日誌。
ベンチ。
そして、ノアの輪郭だけが白く消される。
「おい」
俺が一歩前へ出る。
掲示板の声は続く。
『その偏りが、記録を膨張させ、世界を乱す』
『ゆえに、私が均す』
『すべての想いを、等しく白へ戻す』
広場の中央に、黒い光が落ちた。
白い霧の中から、一人の男が現れる。
黒い長衣。
銀の時計鎖。
白い髪に、夜色の影。
胸元には、見たことのない黒い王冠の紋章。
手には、黒い時計剣。
刃の根元に、小さな王冠の形をした時計盤がある。
【クロノス・ノクスヴェイル】
【レアリティ:SSR】
【王暦時計塔・隠された管理者】
【黒時計剣】
クロノスは静かに目を開いた。
「初めまして、偏った姫たちのプリンスよ」
俺は、呟いた。
「こいつもSSRプリンス、なのか? それに、シークレットって……隠れキャラか」
アルヴィンが王冠剣を抜く。
「貴様が、この白紙化の元凶か」
「元凶?」
クロノスはわずかに笑った。
「私は管理者だ。乱れた世界を整えているにすぎない」
ガイアスが一歩出る。
「下町の灯りまで消しといて、整えてるだと?」
「灯りが強すぎれば、影が濃くなる」
クロノスの視線が、俺に向いた。
「晴人」
名前を呼ばれて、背筋が冷える。
「お前が、標準値を壊した」
「ノアのことか」
「下町巡回兵は、数多くいるはずの灯り。代替可能で、軽く、薄く、等しくあるべきもの」
「ふざけんな」
俺の声が低くなる。
「ノアは代替じゃない」
クロノスは表情を変えない。
「そう思う者が現れたから、世界は乱れた」
白い霧が広場を覆う。
次の瞬間、王暦時計塔への道が開いた。
黒い階段。
白い空。
時計の針が逆回転する、中枢への道。
クロノスの姿が、階段の上へ揺らぐ。
「来るがいい」
その声が、都市中に響いた。
「すべての偏愛を、私が白へ戻す」
クロノスの姿が消える。
残ったのは、王暦時計塔へ続く道。
****
俺は、白い階段を見た。
ノア消失の原因は分かった。
王暦時計塔。
クロノス・ノクスヴェイル。
記憶を封じ、想いを均す、隠された管理者。
繋がっている。
この道の先。
ノアを助ける事。
クロノスを打ち破る事。
どんなに大変な事か、想像もできない。
でも、やる事は決まっている。
何をしたらいいのか悩むより、数段いい。
「ノア、いるか?」
「……はい、ここにいます」
「いけるか?」
「はい」
ここから先は、救出じゃない。
戦いだ。
俺は顔を上げる。
「みな、行くぞ!」
アルヴィンが剣を掲げる。
「当然だ」
ガイアスが斧を担ぐ。
「日常を取り戻すぞ」
ルカがカードを広げる。
「世界を白に戻すなんて、趣味が悪いにも程がある」
ジンが大剣を構える。
「……落とさない」
ヴァレリオの鎖が黒く光る。
「繋いだものを、切らせはしない」
アルトの星図が時計塔を指す。
「中枢座標、固定」
キリルの雷が足元を走る。
「勝つぞ」
イヴァンの薔薇が道を照らす。
「観客席は満員だ。無様な敗北など許されない」
俺たちは一歩踏み出した。




