■8-2 キリル編:雷鳴の生徒会長は、努力を隠せない
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特別演武が終わると、競技場にはまだ拍手が残っていた。
後輩は何度も頭を下げ、友人たちに囲まれている。
キリルはフィールドの端で、ようやく手袋を戻そうとしていた。
でも、途中で止める。
傷だらけの手を見下ろす。
俺が近づくと、キリルはそっぽを向いた。
「見るな」
「もう見た」
「二度見るな」
「無理だろ」
「無理じゃない」
「今、隠してないし」
キリルは手袋を握りしめた。
顔が少し赤い。
「……どうして分かった」
「何が」
「俺が、努力を見られたくなかったと」
そんなふうに聞かれるとは思っていなかった。
俺は少し考える。
「お前を見てれば分かるさ」
キリルの動きが止まる。
「勝った瞬間は嬉しそうだった。でも天才って言われた時、顔が変わった。手袋で手首を隠してた。努力を見られるのが嫌なんだろうなって思った」
「……」
「でも、隠すようなものじゃなかった」
キリルは、強く唇を結んだ。
怒ったのかと思った。
けれど違った。
耳まで赤い。
「そういうの」
「うん」
「簡単に言うな。馬鹿」
「馬鹿はひどいだろ」
「うるさい」
「照れてるのか」
「違う!」
声が大きかった。
近くの生徒が振り向く。
キリルは慌てて咳払いした。
「違う。これは、雷魔力の残留熱だ」
「便利だな、雷魔力」
「便利だ」
「言い切るな」
キリルはそっぽを向いたまま、手袋を片方だけ戻した。
もう片方は、まだ握ったままだ。
完全には隠さない。
それだけで、十分変わったように見えた。
空中に表示が浮かぶ。
【雷鳴杯決闘祭:優勝】
【特別演武:成功】
【後輩決闘者:無茶な魔法行使を中止】
【青雷基礎制御:共有】
キリルは、自分の手を見ていた。
勝利の裏にあったものを、初めて人前に出したことを。
競技場の歓声が、少しずつ遠のく。
観客席の光も。
青雷の残響も。
フィールドの魔導結界も。
青い雷光が、俺とキリルの周りを丸く囲んだ。
キリルは、手袋を握ったままこちらを見る。
「晴人」
「何」
「勝ったところだけじゃなくて」
「うん」
「勝つまでを見られるのは、落ち着かない」
「だろうな」
「でも」
キリルは視線を逸らす。
「悪くは、なかった」
その言葉と同時に、空中へ新しい表示が浮かんだ。
【ナイトステイが発生しました】
対象プリンス:キリル・ラピス
帰還条件:対象プリンスとのキス
※条件達成後、現実世界への帰還選択が可能になります
周囲の競技場が、ゆっくり遠ざかっていく。
歓声が薄れ、観客席の光がにじみ、青雷の粒が空気にほどけた。
気づけば、俺たちは夜の競技場に立っていた。
誰もいない。
昼間の熱狂が嘘みたいに静かだった。
観客席には青い魔導灯だけが残り、フィールドの中央には雷鳴杯の決闘紋が淡く光っている。
空には星が出ていた。
フィールドの端には、練習用の木剣や魔導標的が置かれている。
キリルはそれを見ると、少しだけ気まずそうな顔をした。
「ここは?」
「夜間練習場」
「競技場じゃないのか」
「雷鳴杯の期間中だけ、上位者が使える」
「使ってたのか」
「……たまに」
「たまに、ね」
「何だその言い方」
「毎日っぽい」
キリルは目を逸らした。
当たりらしい。
「見るな」
「まだ何も見てない」
「見てるだろ」
「まあ、見えてる」
「腹立つな、お前」
「よく言われる」
「絶対言われてる」
キリルはフィールドの中央まで歩いた。
片方の手袋は戻している。
もう片方は、まだ外したまま握っている。
傷のある手が、青い魔導灯に照らされていた。
「ここで練習してたのか」
「そうだ」
「一人で?」
「一人で」
「何で」
「見られたくなかったから」
ようやく言った。
短く。
ぶっきらぼうに。
でも、逃げなかった。
キリルは外した手袋を見下ろす。
「必死なのを見られるのは、負けるより恥ずかしいと思ってた」
「そうか」
「余裕で勝つ奴が格好いい。天才みたいに見える奴が一位にふさわしい。そう思ってた」
「でも、違っただろ」
「……違った」
キリルは、少しだけ悔しそうに笑った。
「今日、あいつに言ってみて分かった。必死だったことを隠すと、届かない奴がいる」
「うん」
「俺が見せれば、止まれる奴もいる」
「いたな」
「なのに」
キリルは俺を見る。
「見せるのは、まだ嫌だ」
「無理に好きにならなくていいんじゃないか」
「いいのかよ」
「いいだろ。嫌だけど、見せた。それで十分じゃないか」
キリルは黙った。
それから、小さく息を吐く。
「お前、そういうところがずるい」
「何が」
「勝てとも負けろとも言わない。努力しろとも、恥ずかしがるなとも言わない」
「言ってほしいのか」
「嫌だ」
「じゃあいいだろ」
「よくない」
「難しいな」
「うるさい」
キリルは文句を言いながら、少しだけ笑った。
その顔は、決勝戦の時の余裕ぶった笑顔ではなかった。
年相応に、悔しがって、照れて、少しだけ楽になっている顔だった。
空中には、帰還条件の表示が静かに浮かんでいる。
【帰還条件:対象プリンスとのキス】
「どうする」
「どうするって」
キリルは一瞬だけ言葉に詰まる。
「帰る条件なんだろ」
「たぶん」
「なら、するしかないだろ」
「急に決闘みたいに言うな」
「決めたら迷うなってことだ」
「迷ってないのか」
「迷ってない!」
即答だった。
でも、耳が赤い。
「じゃあ」
俺が一歩近づくと、キリルは半歩下がった。
「下がったぞ」
「位置調整だ」
「何の」
「距離の!」
「それを迷ってるって言うんじゃないか」
「言わない!」
キリルはむっとした顔でこちらを見る。
勝ち気な目。
でも、その奥は少し揺れている。
俺は言った。
「嫌なら言えよ」
キリルが止まった。
「……俺が?」
「お前が」
「嫌じゃない」
答えは早かった。
声は少し小さかった。
「じゃあ、何だ」
「慣れてない」
「そうか」
「あと、見られてる気がする」
「誰に」
「観客席に」
「誰もいないだろ」
「分かってる。でも、ここで変なことすると、競技場に負けた気がする」
「競技場に勝ち負けを持ち込むな」
「決闘者だからな」
「便利だな、決闘者」
「便利だ」
言い切った。
キリルは少しだけ落ち着くように息を吐いた。
それから、外していた手袋を握りしめる。
「晴人」
「何」
「手」
「手?」
キリルは視線を逸らしたまま、傷のある手を差し出した。
「見たんだろ」
「見た」
「触るか」
「いいのか」
「今さらだろ」
その声が、少し震えていた。
俺はゆっくり手を伸ばした。
キリルの手首に触れる。
傷跡は古い。
でも、確かにそこにある。
何度も失敗して、何度もやり直した跡。
「痛かっただろ」
「痛くない」
「嘘だな」
「痛かった」
すぐ訂正した。
それが、少しおかしかった。
「でも、勝てた」
「うん」
「勝つまでを見せたら、あいつが止まった」
「うん」
「だったら」
キリルは、俺を見る。
「この手も、無駄じゃなかったんだな」
「無駄なわけないだろ」
キリルの目が、一瞬だけ大きくなる。
それから、顔が赤くなった。
「そういうの、やめろ」
「何が」
「簡単に言うな」
「またそれか」
「何度でも言う」
キリルは俺の手を、傷のある手で掴んだ。
力が強い。
でも、逃げるためではなかった。
「俺は、勝つところだけ見せたかった」
「うん」
「でも、お前は勝つまでを見た」
「見えたからな」
「腹立つ」
「悪かったな」
「でも」
キリルは声を少し落とす。
「嫌じゃない」
夜の競技場に、青い雷が小さく弾けた。
キリルが近づく。
さっきまでの勢いは少しだけ消えていた。
代わりに、妙に真剣な顔をしている。
「キスも勝ち負けにするのか」
俺が聞くと、キリルは顔をしかめた。
「しない」
「本当か」
「しない。たぶん」
「たぶんかよ」
「うるさい。初めてなんだから仕方ないだろ」
言ってから、キリルが固まった。
自分で言ったことに気づいたらしい。
「今のは」
「聞いた」
「忘れろ」
「無理だろ」
「忘れろ!」
「はいはい」
「はいは一回!」
「生徒会長か」
「生徒会長だ!」
騒がしい。
でも、顔は真っ赤だ。
俺は少し笑ってしまった。
キリルが睨む。
「笑うな」
「悪い」
「悪いと思ってないだろ」
「少し思ってる」
「少しかよ」
「かなり」
「遅い」
そんなやり取りをしているうちに、距離が近くなっていた。
キリルの手が、俺の手を握っている。
傷のある手。
隠していた手。
今は隠していない。
キスは、勢いでぶつかるみたいに始まるかと思った。
けれど、違った。
キリルは直前で止まった。
勝ち気な目が、少しだけ揺れる。
「晴人」
「何」
「嫌じゃないんだな」
「嫌じゃない」
「本当に?」
「本当」
キリルは小さく息を吸った。
「なら、いい」
唇が触れた。
最初は短い。
試合の開始合図みたいに、一瞬だけ。
でも、すぐに離れなかった。
キリルの指が、俺の手を強く握る。
雷の熱が、手のひらから伝わる。
もう一度、唇が重なった。
今度は少し長い。
青雷の火花が、フィールドの魔導紋を淡く光らせる。
勝ち負けではない。
技でもない。
観客に見せるものでもない。
それでもキリルは、ひどく真剣だった。
離れると、キリルはうつむいた。
顔が赤い。
「……今の」
「何」
「下手だったか」
「勝ち負けにしないんじゃなかったのか」
「してない!」
「なら聞くな」
「気になるだろ!」
「悪くなかった」
キリルが顔を上げる。
「本当か」
「本当」
「……そうか」
キリルは、手袋を持っていない方の手で口元を隠した。
しかし、傷のある手は俺の手を握ったままだった。
空中に表示が浮かぶ。
【帰還条件を満たしました】
現実世界へ戻りますか? YES/NO
「帰るのか」
「帰る」
「そうか」
「手、離すか」
キリルは俺の手を見る。
一瞬だけ迷う。
それから、少しだけ力を緩めた。
でも、完全には離さなかった。
「帰るまで」
「何」
「帰るまで、このままでいい」
命令みたいな言い方だった。
でも、声は少し小さかった。
「いいぞ」
「簡単に言うな」
「それ、もう口癖だな」
「お前のせいだ」
「俺のせいかよ」
「そうだ」
キリルは、ふっと笑った。
勝った時の笑みではない。
努力を見られて、照れて、まだ少し悔しそうで、それでも悪くないと思っている顔だった。
「晴人」
「何」
「次に見るなら」
「うん」
「勝つところだけじゃなくて、練習も見ろ」
「いいのか」
「……少しだけな」
「分かった」
「全部は見るな」
「どっちだよ」
「少しだけって言っただろ」
「はいはい」
「はいは一回!」
「はい」
キリルは満足したように頷いた。
俺はYESを押した。
青い雷光が広がる。
最後に見えたのは、夜の競技場で、手袋を片方だけ外したまま、俺の手を握っているキリルの顔だった。
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現実に戻ると、俺はリビングのソファに座っていた。
タブレットの画面には、雷鳴杯決闘祭の結果が表示されている。
【期間限定イベント】
雷鳴杯決闘祭と青雷必殺の夜
【イベント評価:最大】
【限定スチル:獲得】
【追加ボイス:保存】
【ナイトステイ記録:保存】
画面には、夜の競技場が映っていた。
青い魔導灯。
静かな決闘フィールド。
片方だけ外された手袋。
傷の残る手で、こちらの手を握るキリル。
タイトルが表示される。
【限定スチル:勝つまでの手】
「……勝つまで、か」
呟いてから、少しだけ画面を見続けた。
キリルは相変わらず勝ち気な顔をしている。
けれど、最初より少しだけ、肩の力が抜けて見えた。
姉からメッセージが飛んできた。
【姉:通知来た】
【姉:限定スチル取れてる!?】
【姉:夜の競技場!?】
【姉:手袋外してる!?】
【姉:手を握ってる!?】
【姉:晴人、何したの】
俺は、追加ボイスを押した。
『勝つところだけじゃなくて、勝つまでを見てもいい。……少しだけだぞ、晴人』
少し偉そうで、少し照れた声が流れる。
俺は画面を見た。
片方だけ外した手袋。
傷の残る手。
夜の競技場。
「少しだけ、ね」




