■8-1 キリル編:雷鳴の生徒会長は、努力を隠せない
共有タブレットに通知が来ていた。
【姉:今日キリル】
【姉:雷鳴杯】
【姉:決闘ランキング一位】
【姉:生徒会長】
【姉:双短剣】
【姉:青雷】
【姉:勝ち気】
【姉:負けず嫌い】
【姉:よろしく】
俺はソファに座り、タブレットを開いた。
画面には、青い雷と双短剣のアイコンが表示されている。
【期間限定イベント】
雷鳴杯決闘祭と青雷必殺の夜
対象プリンス:キリル・ラピス
キリル・ラピス。
魔導学園生徒会長。
決闘ランキング一位。
金に近い明るい髪。
勝ち気な青い目。
白と青の学園礼装。
腰には双短剣。
雷魔法を操る、学園最強の決闘者。
画面の中のキリルは、こちらを見下ろすように笑っていた。
ホームボイスが流れる。
『姫。俺の試合を見るなら、瞬きするなよ。勝つところを見逃すな』
「自信がすごい」
次のボイス。
『雷鳴杯では、一位らしく勝つ。それだけだ』
「それだけで済むのか」
さらに次。
『生徒会長としても、決闘者としても、負ける気はない。見てろ』
「ずっと強気だな」
画面の中のキリルは、双短剣の柄に軽く触れている。
手袋をしている。
黒い薄手の手袋。
決闘者らしい装備にも見えるし、学園礼装の一部にも見える。
その時点では、特に深く気にしなかった。
俺はイベント開始を押した。
****
魔導学園最大の決闘大会、雷鳴杯。
画面いっぱいに、巨大な競技場が映った。
円形の決闘フィールド。
空中観客席。
雷を模した青い旗。
魔導結界で覆われた試合場。
観客席には生徒、教師、卒業生、外部来賓まで詰めかけている。
歓声が、画面越しでも強い。
中央の大型スクリーンには、ランキング表が映っていた。
一位。
キリル・ラピス。
その名前だけが、青雷のように光っている。
『雷鳴杯、決勝戦!』
司会の声が響く。
『決闘ランキング一位、魔導学園生徒会長、キリル・ラピス!』
歓声が爆発した。
キリルがフィールドへ入る。
白と青の学園礼装。
腰の双短剣。
手には黒い薄手の手袋。
肩には生徒会長章。
一歩ごとに、足元で青い雷が小さく弾ける。
『キリル会長!』
『一位!』
『今日も勝ってくれ!』
キリルは片手を上げた。
余裕のある笑み。
観客を煽る仕草。
堂々としている。
試合が始まった。
相手も強い。
大型の魔導槍を持ち、雷を弾く防御結界を展開している。
予選から勝ち上がってきた決闘者らしく、動きも鋭い。
だが、キリルは速かった。
雷をまとって踏み込み、相手の槍先を紙一重で避ける。
双短剣が閃く。
青雷がフィールドを裂く。
相手が大技に入る瞬間、キリルはもう読んでいたように懐へ入っていた。
「遅い」
短い声。
双短剣が交差する。
雷光が、競技場を白く染めた。
一瞬の静寂。
次の瞬間、相手の槍が弾き飛ばされる。
結界が砕け、決着の鐘が鳴った。
『勝者、キリル・ラピス!』
観客席が沸いた。
『さすが一位!』
『天才生徒会長!』
『勝って当然だ!』
キリルは双短剣を収め、息ひとつ乱さず立っている。
強い。
普通に、すごい。
決勝戦なのに、勝つまでが早い。
観客が熱狂するのも分かる。
画面の中で、キリルがこちらへ振り向いた。
イベント台詞が表示される。
『どうだ? 技を見たか、姫。これが一位の実力だ』
画面に選択肢が出る。
【すごいです、キリル様】
【さすが一位です】
【まぁ、すごいけど……】
すごい。
それは本当だ。
勝った瞬間、キリルは確かに嬉しそうだった。
ほんの一瞬、目が輝いた。
けれど。
観客が
「天才」
と叫んだ瞬間、少しだけ顔が曇った。
すぐに笑顔へ戻した。
でも、見えた。
さらにキリルは、手袋を直した。
その一瞬、手首に古い傷が見えた。
何度も何度も同じ動きを繰り返してできたような、薄い傷。
勝利の場面には、映らない傷だった。
「……今の、嫌そうだったな」
俺は三番を押した。
【まぁ、すごいけど……】
画面の中のキリルの眉が跳ねた。
『含みがあるな』
勝ち気な声。
だが、少しだけ刺々しい。
『決勝で勝った。一位の座も守った。雷鳴杯も制した。それでもまだ何かあるのか?』
「今の、嫌そうだったな」
口にした瞬間、競技場の青雷が画面の外へ走った。
ぱち、と空気が弾ける。
リビングの照明が一瞬だけ青く染まる。
タブレットの中の歓声が、耳元へ近づいた。
足元に、青い魔導結界の線が浮かぶ。
次の瞬間、俺は競技場の控室通路に立っていた。
****
最初に飛んできたのは、雷でも剣でもなく、紙の束だった。
「参加登録は?」
「は?」
目の前に、キリル・ラピスが立っていた。
画面で見るより、ずっと目つきが強い。
白と青の学園礼装。
腰の双短剣。
黒い手袋。
そして、手には雷鳴杯の参加者名簿らしい紙束。
「参加登録。選手か、補助員か、外部関係者か。首から札を下げてない奴は警備対象だ」
「いきなり事務処理?」
「生徒会長だからな」
「決闘王者みたいな顔してるのに」
「決闘大会は書類で回ってる」
妙に現実的だった。
キリルは俺を上から下まで見た。
「……姫、ではないな」
「男だな」
「見れば分かる。だが、契約反応はある」
「なら聞くなよ」
「確認は大事だ。試合前に確認を怠る奴は負ける」
「そこまで勝負に繋げるのか」
キリルは少しだけ胸を張った。
「当然だ」
「名前は?」
「晴人」
「晴人」
キリルは名簿に書くように俺の名前を繰り返した。
「姫の代理。外部協力者扱いにしておく」
「勝手に登録するな」
「札がないと追い出される」
「それは困る」
「なら黙って登録されろ」
「雑な親切だな」
「親切じゃない。運営上必要な処理だ」
そう言って、キリルは俺の首に青い仮札をかけた。
【外部協力者】
「何か急にスタッフになった」
「動き回るなら、最低限それをつけろ。あと、結界内には勝手に入るな。痺れる」
「普通に注意するんだな」
「怪我をされると、運営報告書が増える」
「心配じゃなくて書類かよ」
「両方だ」
言ってから、キリルは一瞬だけ口を閉じた。
自分で言った言葉に少し引っかかったような顔だった。
「さっきの話だが」
キリルが先に言った。
「嫌そうだった、と言ったな」
「ああ」
「嫌ではない。勝者が称賛されるのは当然だ」
「天才って言われた時、顔変わった」
「細かいところを見るな」
「見えたからな」
「勝った。それが全てだ」
キリルは手袋を直した。
まただ。
手首の傷を隠すような動き。
俺はそこを見る。
「ところで、その手の傷は、どれだけ練習すればそうなる?」
キリルの動きが止まった。
青い目が、俺を真正面から見る。
「……見たのか?」
「見えた」
「見るな」
「隠すほどか」
「関係ない」
「だから、あれだけの技が出せたんだな」
キリルは、少しだけ言葉に詰まった。
怒ると思った。
けれど、怒鳴らなかった。
ただ、手袋の端を握りしめる。
「勝ったんだ」
「うん」
「それでいい」
「本当に?」
キリルは答えなかった。
控室通路の向こうから、観客の歓声がまだ聞こえている。
勝者を称える声。
一位を称える声。
天才を称える声。
その全部が、キリルの背中を押しているようで、少しだけ押し潰しているようにも見えた。
****
表彰式の前。
キリルは控室裏へ向かっていた。
俺も、仮札をつけた外部協力者という謎の立場でついていく。
通路の奥で、誰かの声が聞こえた。
泣き声だった。
決勝で敗れた後輩決闘者が、壁際に座り込んでいる。
魔導槍を抱え、肩を震わせていた。
「俺なんか、いくらやっても届かないんだ」
近くにいた友人らしい生徒が、困ったように声をかける。
「そんなことないって」
「あるよ。あの人は天才だから勝てるんだ」
キリルの足が止まった。
その顔が、少しだけ強張る。
後輩は涙を拭いながら続ける。
「俺がどれだけ練習しても、一位には届かない。才能が違うんだ」
キリルは、それを聞いていた。
本当は分かっているのだと思う。
勝利は才能だけではない。
毎朝の基礎練習。
手の皮が剥けるまでの反復。
誰も見ていない夜の失敗。
手首に残る古い傷。
全部、知っている顔だった。
でも、キリルは言わない。
努力を見せるのは恥ずかしい。
自分が必死だったと知られるのが嫌だ。
そんな顔だった。
キリルは後輩の前に立った。
「泣いている暇があるのか」
後輩が顔を上げる。
「キリル先輩……」
「足りないなら、勝つまでやれ」
冷たい声だった。
間違ってはいない。
けれど、今必要な言い方ではなかった。
後輩はさらにうつむいた。
「……はい」
その声は、強くなるための返事ではなかった。
折れかけた声だった。
俺はキリルを見る。
「今の、言い方違うだろ」
キリルがこちらを向く。
「敗者に甘い言葉をかけても強くならない」
「お前、分かってるだろ。必要なのはそれじゃないって」
キリルの目が、わずかに揺れた。
俺は、キリルの手袋を見る。
「その手、隠すな」
「……何を言っている」
「努力を見せろ。勝った後じゃなくて、勝つまでを見せろ」
通路の空気が止まった。
キリルは唇を結ぶ。
後輩も、友人も、こちらを見ている。
キリルの手が、手袋の端を握りしめた。
「簡単に言うな」
「簡単じゃないから、見せた方がいいんだろ」
キリルは、何か言い返そうとして、できなかった。
その表情で分かった。
キリルは努力を軽く見ているんじゃない。
大事にしすぎて、見せられない。
****
キリルの脳裏に、何かがよぎったのが分かった。
青い雷が、彼の指先で小さく弾けた。
「昔」
キリルが低く言った。
「俺は、一位じゃなかった」
静かな声だった。
後輩が驚いたように顔を上げる。
「負けた。何度も。雷魔法の制御に失敗して、双短剣を落として、手を焼いて、指を切って」
キリルは手袋を見た。
「それを見た奴が笑った」
声が少しだけ硬くなる。
「そんなに必死なのかって。一位を目指すなら、もっと余裕ぶれって。天才じゃないなら無理だろって」
後輩が息を呑む。
「だから、見せるのをやめた。勝利だけ見せればいい。努力は見せるものじゃない。必死な姿は、恥ずかしいものだ」
キリルは、そこで言葉を切った。
表情を戻そうとする。
いつもの勝ち気な顔に。
一位の顔に。
でも、戻りきっていなかった。
「キリル」
俺が呼ぶと、彼は睨むようにこちらを見る。
「何だ」
「そのままでいいんじゃないか」
「どのままだ」
「今の、ちゃんと聞こえてた」
キリルは一瞬だけ黙った。
後輩の手が、魔導槍の柄を握り直す。
「先輩も……負けたんですか」
キリルは答えなかった。
でも、沈黙が答えになっていた。
その時、競技場からアナウンスが響く。
『続いて、雷鳴杯特別演武を行います。上位決闘者による模範試合です』
後輩が、はっと顔を上げた。
その目に、焦りが戻る。
悔しさ。
羨望。
置いていかれる恐怖。
後輩は立ち上がった。
「俺も出ます」
友人が慌てる。
「おい、無理だって。魔力残ってないだろ」
「出る」
キリルの顔が変わる。
「やめろ」
後輩は、強い目でキリルを見た。
「天才のあなたには分からない!」
その言葉が、キリルに刺さったのが分かった。
キリルの手が、双短剣に触れる。
いつものキリルなら、力で止める。
勝って、止める。
だが、それでは届かない。
後輩は、自分が届かないと思っている。
天才と自分は違うと思っている。
だから、強引に止められたら、さらに遠くなる。
俺は何も言わなかった。
ただ、キリルの手袋を見た。
キリルも、それに気づいた。
「その手、隠すな」
さっきの言葉が、そこに残っていたのだと思う。
キリルは奥歯を噛む。
そして、ゆっくり手袋を外した。
黒い手袋の下。
手首には、古い傷がいくつも残っていた。
指の付け根にも、薄い痕。
雷魔法の制御で焼けたような跡。
双短剣を握り続けてできた硬い皮膚。
それは、勝利の瞬間には見えないものだった。
「見ろ」
キリルが後輩に言った。
「俺も、最初から勝てたわけじゃない」
後輩が言葉を失う。
「この技は、三百回失敗した」
観客席へ向かう通路にいた生徒たちが、ざわつく。
「三百……?」
「ラピスツインの青雷交差か?」
キリルは手を隠さなかった。
「制御を間違えれば、自分の腕が焼ける。踏み込みが半歩ずれれば、剣を落とす。雷を急げば、体が先に壊れる」
後輩は、魔導槍を握りしめたまま動けない。
「勝ちたいなら、順番を飛ばすな」
キリルの声は、冷たいだけではなかった。
怒っている。
でも、それ以上に、止めようとしていた。
「必殺技は、焦って出すものじゃない。積み上げた動きの最後に出るものだ」
後輩の目から、涙が落ちた。
「でも……俺は」
「お前は、今日負けた」
キリルは言った。
はっきりと。
「俺も負けたことがある」
後輩が顔を上げる。
「だから、次に何を練習するかを決めろ。今、体を壊して証明するな」
沈黙。
そして、後輩の手から力が抜けた。
魔導槍の先が、床へ下がる。
「……はい」
今度の返事は、折れていなかった。
泣いてはいる。
でも、立ち直るための返事だった。
****
特別演武は、予定を変えて行われた。
キリルが中央に立つ。
後輩決闘者は向かいに立っているが、戦うためではない。
技を見せるため。
学ぶためだ。
観客席はざわついている。
キリルが手袋を外したままフィールドへ立ったからだ。
「キリル会長、手袋を外してる」
「傷……?」
「練習の跡か?」
キリルの耳が少し赤い。
かなり恥ずかしいのだろう。
それでも、隠さなかった。
俺はフィールドの端に立っていた。
外部協力者の仮札が、妙に目立つ。
キリルがこちらを見る。
「晴人」
「何」
「そこの補助結界を起動しろ」
「俺もやるのか?」
「言い出した責任だ」
「生徒会長、責任って言葉好きだな」
「大会運営では大事だ」
「急に事務的になるな」
「早くしろ」
「はいはい」
俺は補助結界の操作盤へ走った。
青い魔導石に手を置くと、フィールドの端に薄い結界が立ち上がる。
キリルは後輩へ向き直った。
「青雷を短剣に流す時、最初から最大出力にするな」
「はい」
「足から先に逃がせ。腕に溜めるな。焼ける」
キリルは双短剣を抜いた。
青雷が刃に走る。
「一段目」
雷が小さく光る。
「二段目」
雷が刃の縁に沿う。
「三段目」
キリルの足元で、青い魔導紋が開く。
「ここで踏み込む」
一瞬。
キリルの体が雷になったみたいに前へ出た。
だが、攻撃はしない。
後輩の目の前で止まり、双短剣を交差させる。
青雷が、空中に美しい十字を描いた。
観客席から息を呑む音が聞こえる。
「すごい……」
「今のが青雷交差の基礎?」
「基礎であれなのか」
キリルは後輩を見る。
「やってみろ。最大出力は禁止だ」
「はい!」
後輩は魔導槍を構える。
まだぎこちない。
雷の流れも不安定。
だが、さっきのように無茶な出力ではない。
キリルは隣で見ている。
「違う。肩に力を入れるな」
「はい」
「足。逃がせ」
「はい!」
「焦るな。勝とうとするな。まず制御しろ」
後輩の雷が、少しずつ整っていく。
小さな青い光が、槍先にまとまった。
観客席から拍手が起きる。
後輩は驚いたように目を見開く。
「できた……」
「まだ初歩だ」
キリルが言う。
でも、口元は少しだけ緩んでいた。
「でも、できた」
後輩は笑った。
キリルは視線を逸らす。
「……なら、次は百回やれ」
「はい!」
「三百回までは、俺が見る」
後輩が固まる。
「え」
「何だ」
「見てくれるんですか」
「言っただろ」
「はい!」
観客席が沸いた。
今度の拍手は、勝利だけへのものではなかった。
「すごい……あのキリル先輩が、あんなに練習してたなんて」
「一位って、積み重ねなんだ」
「天才ってだけじゃないんだな」
キリルは顔を赤くして、外した手袋を握っている。
隠したい。
でも、隠さない。
その両方が、同時に顔に出ていた。




