■6-1 ヴァレリオ編:鎖の看守長は、願いを命じられない
共有タブレットに通知が来ていた。
【姉:今日ヴァレリオ】
【姉:看守長】
【姉:鎖】
【姉:支配】
【姉:怖い顔がいい】
【姉:よろしく】
俺はソファに座り、タブレットを開いた。
画面には、黒い鎖と監獄門のアイコンが表示されている。
【期間限定イベント】
魔導監獄グリムゲートと鎖の王国
対象プリンス:ヴァレリオ・グリム
ヴァレリオ・グリム。
魔導監獄グリムゲート看守長。
黒髪。
赤い目。
長い黒衣。
手には魔鎖。
契約魔法と拘束魔法を扱う、支配者然としたプリンス。
立ち絵だけで圧がある。
画面の中のヴァレリオは、笑っていない。
ただ、こちらを見ている。
檻越しに見られているみたいで、少し落ち着かない。
ホームボイスが流れた。
『姫。秩序を望むなら、私の鎖の内側にいなさい』
「嫌な言い方だな」
次のボイス。
『自由は美しい。だが、無秩序な自由は人を殺す』
「急に重い」
さらに次。
『逃げたいのなら逃げなさい。出口も鍵も、すべて私の手の中だが』
「性格悪そう」
画面の中のヴァレリオは、わずかに口元を上げている。
笑っているのか、試しているのか、よく分からない。
俺はイベント開始を押した。
****
魔導監獄グリムゲート。
画面いっぱいに、黒い監獄門が映った。
巨大な鉄門。
魔導結界。
赤黒い霧。
四方へ伸びる鎖の橋。
その中央に、監獄塔がそびえている。
かつては、暴動、脱走、看守の裏切りが絶えない混沌の監獄だったらしい。
画面に説明が表示される。
【魔導監獄グリムゲート】
【危険魔導犯罪者収容区画】
【過去十年で暴動十四件、脱走未遂二十六件、看守負傷多数】
【現看守長ヴァレリオ・グリム着任後、暴動発生数:ゼロ】
「ゼロ」
それは確かにすごい。
画面が監獄内部へ切り替わる。
黒い廊下。
規則正しく並ぶ扉。
扉の上には魔導番号。
床には赤い契約紋。
看守たちは同じ歩幅で巡回している。
囚人の移送も、扉の開閉も、看守の配置も、驚くほど整っていた。
乱れがない。
声もない。
足音だけが響く。
その中央を、ヴァレリオ・グリムが歩いていた。
黒衣の裾が床を滑る。
指先に絡む魔鎖が、赤黒い光を放つ。
鎖が鳴ると、監獄全体がそれに応じるように動いた。
第一扉、開錠。
第二結界、維持。
第三通路、封鎖。
囚人移送、開始。
すべてが、彼の指先一つで統一されていく。
視察団らしい貴族たちが、その様子を見て息を呑んだ。
「かつての混沌が嘘のようだ」
「ヴァレリオ看守長が、この監獄に平和をもたらした」
「すばらしい秩序だ」
確かに、平和だった。
囚人は暴れない。
看守は迷わない。
扉は正確に開き、正確に閉じる。
監獄は一つの巨大な機械みたいに動いている。
ヴァレリオは視察団の称賛を受けても、表情を崩さない。
ただ、鎖を握ったまま監獄全体を見ている。
イベント台詞が表示された。
『どうだ、姫。この平和な世界は。支配は悪ではない。失わないための技術だ』
画面に選択肢が出る。
【見事な秩序です】
【安心できる監獄ですね】
【まぁ、すごいけど……】
すごい。
それは本当だ。
これだけの監獄を動かしているのは、確かにすごい。
でも、引っかかった。
平和なのに、息苦しい。
看守たちは有能そうなのに、命令を待つまで一歩も動かない。
ヴァレリオは平和を見ているのではなく、乱れがないか探している。
囚人も、看守も、扉も。
全部、鎖の長さで測っているように見えた。
俺は三番を押した。
【まぁ、すごいけど……】
画面のヴァレリオが、ゆっくり目を細めた。
『含みがありますね』
声は低く、静かだった。
怒っているわけではない。
ただ、鎖の先で反応を確かめるような声。
『監獄は静かだ。扉は破られず、囚人は暴れず、看守は迷わない。これ以上の平和が?』
「……静かすぎるな」
呟いた瞬間、画面の鎖が鳴った。
じゃらり、と重い音が、タブレットの外へこぼれる。
黒い鉄門の影が、リビングの床に伸びた。
赤黒い魔導紋が画面の縁から広がり、足元を絡め取るように光る。
次の瞬間、空気が冷たくなった。
ソファの柔らかさが消える。
足元は、黒い石床になっていた。
****
鎖の音がした。
目の前には、黒い廊下。
高い天井。
赤黒い魔導灯。
左右に並ぶ監獄扉。
そして、通路の奥にヴァレリオ・グリムが立っていた。
近くで見ると、圧がすごい。
黒衣。
赤い目。
指先に絡む魔鎖。
人を見下ろすことに慣れている顔だった。
ヴァレリオは、俺を見るなり微笑んだ。
「登録外の来訪者ですね」
「たぶん」
「たぶん、で監獄に入る方は珍しい」
「俺も好きで入ったわけじゃない」
「では、不法侵入」
「言い方」
ヴァレリオの指が軽く動く。
足元の鎖が、するりと伸びてきた。
「身元確認が済むまで、拘束します」
「早いな」
「監獄ですので」
「会話から始める気は?」
「拘束してからでも会話はできます」
「順番が嫌すぎる」
鎖が足首に触れる直前、ヴァレリオがぴたりと動きを止めた。
俺を上から下まで見る。
「……姫、ではありませんね」
「男だな」
「見れば分かります」
「じゃあ鎖を出す前に聞けよ」
「性別より危険度の確認が先です」
「この監獄、初手が物騒だな」
「安全な監獄など存在しません。安全に見える監獄は、誰かが危険を握っているだけです」
その言い方は、妙に堂々としていた。
ヴァレリオは鎖を引いた。
足元の鎖が、音もなく壁へ戻る。
「名は」
「晴人」
「晴人」
ヴァレリオは俺の名前を、鍵穴に差し込むみたいにゆっくり繰り返した。
「姫の代理人、ということですか」
「そんな感じ」
「軽いですね」
「よく言われる」
「でしょうね」
淡々と返されると、少し腹が立つ。
ヴァレリオは廊下の奥へ歩き出した。
「ついてきなさい。勝手に扉へ触れれば、拘束します」
「触らなければいいんだな」
「私の許可なく立ち止まっても、拘束します」
「厳しいな」
「監獄ですので」
便利な言葉だ。
****
監獄内部は、整いすぎていた。
看守は通路の端を同じ速度で歩き、囚人は指定された距離で移動する。
扉は一秒の狂いもなく開き、一秒の狂いもなく閉まる。
声は少ない。
怒鳴り声もない。
悲鳴もない。
平和ではある。
けれど、まるで息を止めているみたいだった。
ヴァレリオは歩きながら言った。
「静かすぎる、と言いましたね」
「言った」
「静寂こそ秩序です」
「部下まで止まってるみたいだ」
ヴァレリオの足が一瞬だけ止まる。
「余計な判断をしないから、監獄は保たれる」
「判断できないわけじゃないだろ」
「判断は割れる。割れれば、崩れる」
「全部、お前が判断するのか」
「必要なら」
「疲れないか」
「疲労と秩序に関係はありません」
「あるだろ」
ヴァレリオは答えなかった。
ただ、鎖を握る手に少しだけ力が入った。
その時、囚人移送の列が通路の向こうから来た。
囚人は三人。
手首には魔導鎖。
足元にも拘束紋。
前後に看守。
廊下の左右には結界。
完璧な配置だった。
だが、通路の中央で魔導鎖の一部が軋んだ。
嫌な音。
囚人の一人が足をもつれさせる。
倒れかけた。
すぐそばに、若い看守がいた。
位置は悪くない。
彼が一歩出れば、囚人を支え、隊列を大きく崩さず戻せる。
若い看守は動きかけた。
しかし、ヴァレリオの視線に気づいた瞬間、足を止めた。
ヴァレリオの声が響く。
「全員停止。許可なく触れるな」
廊下全体が止まった。
看守も。
囚人も。
扉の魔導紋も。
空気まで。
ヴァレリオの鎖が伸び、倒れかけた囚人の拘束を正す。
囚人は転ばずに済んだ。
隊列も崩れなかった。
事態は収まった。
秩序は守られた。
だが、若い看守は拳を握っていた。
悔しそうだった。
動けた。
動こうとした。
でも、止まった。
俺はその手を見た。
それから、ヴァレリオを見る。
「今の、任せてもよかっただろ」
ヴァレリオは静かにこちらを向いた。
「独断は崩壊の種です」
「あいつ、動けたぞ」
「動けることと、任せられることは違います」
「お前が鍛えたんじゃないのか」
ヴァレリオの目が細くなる。
「何が言いたいのです」
「部下を信じろ。お前が鍛えたんだろ」
廊下の空気が、少し冷たくなった気がした。
若い看守が驚いたようにこちらを見る。
ヴァレリオは、鎖を握ったまま言った。
「信じるだけで守れるなら、鎖など要らない」
「鎖を捨てろとは言ってない」
俺は、ヴァレリオの手を見る。
白い指が、魔鎖を強く握っていた。
「握りすぎだ」
ヴァレリオの表情が消えた。
「……無礼ですね」
「よく言われる」
「でしょうね」
同じ返しなのに、さっきより冷たい。
けれど、怒りだけではなかった。
何かを隠すような冷たさだった。
****
ヴァレリオの脳裏に、何かが浮かんだのが分かった。
鎖の音が、少しだけ変わった。
重く、低く。
「かつて」
ヴァレリオが静かに言った。
「私は現場判断を許していました」
廊下の奥で、赤黒い魔導灯が揺れる。
「看守たちを信じた。区画ごとの判断を任せた。囚人の移送も、結界の調整も、状況に応じて動くことを許可した」
声は平らだった。
でも、鎖を握る手は平らではない。
「判断は割れた」
ヴァレリオの目が細くなる。
「一人は扉を開け、一人は閉めようとした。一人は囚人を押さえ、一人は負傷者を運ぼうとした。その一瞬の割れ目を、囚人たちは突いた」
鎖が、ぎり、と鳴る。
「暴動が起きた。若い看守が負傷した。何人も失った」
それ以上は、言わなかった。
でも、十分だった。
任せた結果、失った。
自由は崩壊を呼ぶ。
支配すれば、失わずに済む。
だから、ヴァレリオは鎖を握った。
部下も。
囚人も。
監獄も。
全部、自分の手で縛るようになった。
「任せれば失う」
ヴァレリオは言った。
「ならば、私が握る。すべてを」
「それで誰も失わないのか」
「少なくとも、乱れは減る」
「息は詰まる」
「息より命です」
「どっちもいるだろ」
ヴァレリオは黙った。
この男は、支配が好きなだけじゃない。
失うのが怖い。
でも、それを恐怖とは呼ばず、責任と呼んでいる。
その方が、自分を保てるのだろう。
その時、監獄の下層から警報が鳴り響いた。
【下層第三結界:乱れ】
【第五扉:誤作動】
【看守・囚人混在区画発生】
【負傷者反応あり】
看守たちの表情が変わる。
ヴァレリオの鎖が一斉に伸びた。
監獄全体の扉と結界に命令を送るように、赤黒い光が走る。
「下層区画で結界崩れです!」
「看守二名、囚人三名が同通路内に閉じ込められています!」
「負傷者反応、看守一名、囚人一名!」
若い看守が報告する。
ヴァレリオは即座に口を開いた。
「全区画、封――」
その言葉が、途中で止まった。
俺はヴァレリオを見た。
ヴァレリオも、こちらを見た。
さっきの言葉が、そこに残っていたのだと思う。
部下を信じろ。
お前が鍛えたんだろ。
ヴァレリオの手が、鎖を強く握る。
白くなるほど。
それから、彼は低く命じた。
「第一隊、封鎖維持」
看守たちが動く。
「第二隊、負傷者救助」
さらに動く。
ヴァレリオは一瞬だけ黙った。
そして、言った。
「第三隊――現場判断を許可する」
廊下が、ほんの少しざわついた。
若い看守が顔を上げる。
ヴァレリオの赤い目が、彼を捉えた。
「ただし、目的を言葉にしなさい。判断を割らせるな。全員に聞こえる声で動け」
「はい!」
若い看守の返事は、強かった。
ヴァレリオがこちらを見る。
「晴人」
「何」
「来なさい」
「俺もか?」
「当然です」
「監獄の職員じゃないんだけど」
「この監獄に口を出した以上、働いていただきます」
「理不尽だな」
「責任です」
「便利な言葉だな」
「あなたほどではありません」
言い返されると思っていなかった。
少し腹が立つ。
でも、少しだけ面白いと思った。




