■5-3 ノア編:歯車飾りと、はじめて鳴った成功音
クエストの通知。
街灯マークではなかった。
「今度は歯車か」
開くと、画面の中でノアが水路の石橋の下を覗き込んでいた。
【低ランク巡回クエスト】
対象プリンス:ノア
落とし物捜索
場所:下町東区・水路裏通り
画面には、下町の細い路地が映っている。
パン屋の裏よりさらに奥。
水路の近く。
古い石橋と、歯車型の街灯が並んでいた。
ノアは、子どもと一緒にしゃがみ込んでいる。
子どもは泣きそうな顔で、両手をぎゅっと握っていた。
『巡回兵ノアです』
ノアの声は落ち着いている。
でも、もう捜索を始めているせいか、少しだけ息が上がっていた。
『ミルくんの歯車飾りがなくなってしまったそうです。水路裏通りで落とした可能性があります』
子どもが、小さく言う。
『お母さんが作ってくれたやつなの』
ノアは膝をついたまま、子どもと目線を合わせた。
『必ず探します』
それから、画面の奥で街灯の光が揺れる。
来てください。
声というより、そういう気配だった。
俺は、もう驚かなかった。
光が伸びる。
視界が白くなって、次の瞬間、俺は下町の水路裏通りに立っていた。
****
ノアは、俺に気づいていなかった。
石橋の下に膝をつき、片手で街灯の光を寄せながら、水路脇の隙間を覗き込んでいる。
白い制服の袖が、石畳に触れそうだった。
「落ちるぞ」
俺が声をかけると、ノアの肩がびくっと跳ねた。
「晴人」
「先に始めてたのか」
「はい。ミルくんが泣きそうでしたので」
ノアは少しだけ困った顔で笑った。
「待っているより、先に探した方が早いと思いました」
「いい判断だな」
そう言うと、ノアは目を丸くした。
「褒められました」
「そこ照れるところか?」
「少しだけ」
正直だな。
ミルは俺を見上げる。
「ノア兄ちゃんの、えっと……」
そこで言葉に迷ったらしい。
俺とノアを交互に見て、ぱっと顔を明るくする。
「探偵の相棒?」
「探偵ではありません。巡回兵です」
ノアが真面目に訂正する。
俺は水路の方を見る。
「じゃあ、俺は助手か」
「いえ」
ノアは少しだけ考えた。
「晴人は、協力者です」
「友達より固いな」
「……では」
ノアは耳を赤くして、小さく言う。
「頼れる協力者、です」
ミルが目を輝かせた。
「かっこいい!」
「大げさだな」
「でも、頼れる協力者ですので」
ノアが妙に真面目な顔で言う。
ちょっと嬉しそうだった。
俺は水路裏通りを見回した。
「歯車飾りって、どんなやつだ」
「小さな真鍮製です。真ん中に青い糸が通してあります」
「見つけにくそうだな」
「はい。でも、水路の近くなら音がするかもしれません」
「音?」
「金属なので、石に当たると少し高い音がします」
「なるほど」
ノアはしゃがんだまま、石畳の隙間を確かめる。
俺も反対側を見る。
水路の水が、青い街灯を映して揺れていた。
その時、橋の下から、かすかに金属音がした。
からん。
小さい。
でも、確かに聞こえた。
「今のか」
「はい」
ノアが石橋の下を覗き込む。
細い排水管の横に、小さな真鍮の歯車が引っかかっていた。
青い糸が、水の光を受けて揺れている。
「ありました」
「早いな」
「晴人が来た時、ちょうど音がしました」
「俺が鳴らしたわけじゃない」
「でも、一緒に見つけました」
ノアはそう言って、少しだけ笑う。
そのまま手を伸ばそうとして、届かない。
「晴人、少し支えていただけますか」
「落ちるなよ」
「はい」
俺はノアの腰のあたりを軽く支えた。
ノアの肩が、またびくっと跳ねる。
「悪い。変なとこ触ったか」
「いえ、大丈夫です」
声が少し高い。
大丈夫じゃなさそうだが、今は歯車飾りが先だった。
ノアは慎重に手を伸ばし、真鍮の歯車飾りを取った。
青い糸が、街灯の光で小さく光る。
「取れました」
「よかったな」
「はい」
ノアは振り返って笑った。
距離が近い。
俺の手はまだノアを支えている。
気づいたノアが、少しだけ赤くなる。
俺も手を離した。
「戻るか」
「はい」
ノアは歯車飾りを、両手で大事そうに持った。
****
ミルに歯車飾りを渡すと、子どもはぱっと泣き止んだ。
「これ!」
小さな手で歯車飾りを受け取る。
「ありがとう、ノア兄ちゃん! 晴人兄ちゃんも!」
「俺も兄ちゃんなのか」
「頼れる協力者だから!」
妙な理屈が通った。
ミルは歯車飾りを胸に抱きしめる。
ノアはほっとしたように笑った。
「見つかってよかったです」
ミルの母親が、工房の入り口から出てくる。
「本当にありがとう。これ、お礼に持っていって」
渡されたのは、小さな包みだった。
中には、歯車の形をしたラムネが二つ入っている。
透明な青色で、街灯の光に透かすと、霧晶石みたいに光った。
「これ、食べ物なのか」
「はい。霧晶ラムネです」
ノアが説明する。
「名前が少し不安だな」
「安全です」
「安全って言われると余計に不安になる」
「下町の子どもたちは、よく食べています」
「なら大丈夫か」
「はい」
ミルが元気よく手を振る。
「またね、ノア兄ちゃん! 晴人兄ちゃん!」
俺は何となく拳を上げた。
ミルが真似して、小さな拳をぶつけてくる。
こつん。
軽い音がした。
そのあと、俺はノアを見る。
ノアは、一拍遅れて同じように拳を作った。
「こう、ですか」
「そう」
こつん。
拳が当たる。
ノアは、その小さな音を聞いて、嬉しそうに笑った。
「成功の音ですね」
「大げさ」
「でも、好きです」
ミルが横から笑う。
「ノア兄ちゃん、また顔赤い!」
ノアは分かりやすく固まった。
「ミルくん」
「赤いよ!」
「巡回記録をつけますので」
「逃げたな」
俺が言うと、ノアは小さく咳払いした。
「逃げていません」
「本当か?」
「少しだけです」
「正直だな」
ノアはまた少し赤くなった。
****
巡回記録をつける前に、俺たちは水路沿いを少し歩いた。
ノアが「霧晶ラムネは、水路の灯りで見ると綺麗です」と言ったからだ。
巡回中だろ、と言おうとしてやめた。
たぶん、今日のノアは見せたいのだ。
俺に。
そう思ったら、何となく言いにくかった。
水路沿いの道は、街灯の光が水面に映ってきれいだった。
遠くで蒸気管が鳴っている。
歯車型の街灯が、ゆっくり回りながら青い光を落としていた。
ノアはラムネを一つ、街灯にかざす。
青い透明な歯車が、光を受けてきらきら光った。
「これ、宝石みたいだな」
「下町の小さな宝石、と呼ぶ子もいます」
「大げさだな」
「でも、綺麗です」
ノアはそう言って、少し嬉しそうに笑った。
俺もラムネを口に入れる。
しゅわっと溶けた。
「……何だこれ」
「どうしましたか」
「口の中で街灯が点いた」
ノアが真面目な顔で考える。
「街灯は、口の中では点きません」
「分かってる」
ノアもラムネを口に入れた。
次の瞬間、目を丸くする。
「しゅわっとしました」
「初めて食べたのか」
「はい。巡回中は、あまり買いませんので」
「またそれか」
「でも、今日は晴人がいるので」
そこまで言って、ノアは少し赤くなった。
「それ、最近よく言うな」
「そうでしょうか」
「言ってる」
「では」
ノアは少しだけ考えて、真面目に言う。
「晴人がいると、少しだけ寄り道がしやすいです」
「俺を言い訳にするな」
「はい」
返事はしたが、たぶんやめる気はない。
ノアは水路を見ながら、少しずつラムネを溶かしている。
本当に丁寧に食べる。
「ラムネにも礼儀正しいな」
「早く噛むと、もったいないので」
「理由も真面目」
ノアは恥ずかしそうに笑った。
その時、ラムネのしゅわしゅわに驚いたのか、ノアが小さく咳き込んだ。
「大丈夫か」
「はい。少し、驚いただけです」
「初めて食べるなら言えよ」
「晴人と同じ反応をしたかったので」
「何でだよ」
「同じものを食べている感じがするので」
また返しに困ることを言う。
俺は水路の方を見た。
青い光が揺れている。
顔を見ていたら、こっちまで変な顔になりそうだった。
****
巡回記録は、水路沿いの小さな記録盤で更新した。
歯車飾りは無事に返却。
ミルの名前も、母親の名前も、記録にはちゃんと残っている。
ただ、記録盤の端の文字が、一瞬だけ薄く滲んだ。
ノアが少しだけ眉を寄せる。
「また古い記録盤か」
俺が言うと、ノアはすぐに顔を上げた。
「はい。記録は残っています」
「ならいいか」
「はい」
ノアは記録盤を閉じる。
その表情は、すぐにいつもの柔らかいものに戻った。
今日見つけた歯車飾り。
ミルの笑顔。
霧晶ラムネ。
水路沿いの青い街灯。
そっちの方が、ずっと大きかった。
ノアが俺を見る。
「晴人」
「何」
「今日のことも、記録に残しました」
「歯車飾りを見つけたことか」
「はい」
少しだけ間。
「それと、晴人と霧晶ラムネを食べたことも」
「それ巡回記録か?」
「巡回中の出来事です」
「便利な言い訳を覚えたな」
「晴人に教わりました」
「俺のせいにするな」
ノアはふふっと笑った。
その瞬間、街灯の光がふわりと広がる。
【ナイトステイが発生しました】
表示が出た。
ノアは赤くなった。
でも、もう驚きすぎて工具箱を落としそうになることはない。
【ナイトステイ】
対象プリンス:ノア
帰還条件:対象プリンスとのキス
※条件達成後、現実世界への帰還選択が可能になります
ノアが言う。
「今日は、歯車飾りを見つけました」
「ラムネも食ったしな」
「はい」
ノアは真面目に頷いた。
「とても、良い巡回でした」
「巡回って便利な言葉だな」
「晴人も、便利に使っています」
「言うようになったな」
ノアは少しだけ笑った。
俺も、つられて笑ってしまう。
ノアが一歩近づく。
俺も身をかがめた。
その動きが、前より自然になっていることに気づいて、少しだけ困る。
キスは、ラムネの味がした。
青い歯車の形をした、しゅわっと溶ける甘さ。
最初は軽く触れるだけだった。
でも、ノアが少しだけ袖を掴んだ。
前にもあった。
今日も、ほんの少し。
離れようとすると、その指が一瞬だけ強くなる。
俺は止まった。
ノアの息が近い。
「晴人」
「何」
「もう少しだけ」
小さな声だった。
でも、聞こえた。
俺は何も言わず、もう一度唇を重ねた。
さっきより少し長い。
ノアの肩から力が抜ける。
街灯の光が、水路に揺れる。
ラムネの甘さが、もう一度しゅわっと残った。
離れると、ノアは真っ赤だった。
「……すみません」
「謝るな」
「はい」
「嫌じゃないから」
言ってから、自分で少し固まった。
ノアも固まった。
水路の音だけが聞こえる。
「……はい」
ノアは、ものすごく小さな声で答えた。
「僕も、嫌ではありません」
「それ、毎回言うな」
「毎回、そう思うので」
また返しに困る。
空中に表示が浮かぶ。
【帰還条件を満たしました】
現実世界へ戻りますか? YES/NO
俺は少しだけ水路を見た。
青い街灯。
歯車型の光。
ノアの指が、まだ俺の袖に触れている。
「次も、歯車ラムネ食うか」
俺が言うと、ノアが顔を上げた。
「はい」
答えが早い。
「気に入ったのか」
「はい」
「しゅわっとするのに驚いてたけどな」
「次は、驚かないと思います」
「本当か?」
「少しだけ、驚くかもしれません」
「正直だな」
ノアは笑った。
「でも、晴人となら、少し驚いても大丈夫です」
それは、たぶんラムネの話だけではなかった。
俺はどう返していいか分からず、YESを押した。
街灯の光が白く広がる。
最後に、ノアの声が聞こえた。
「晴人。次も、同じものを食べたいです」
****
現実に戻ると、タブレットには下町東区の水路裏通りが映っていた。
歯車型の街灯。
青い水路。
小さな石橋。
記録盤の横に、空になった霧晶ラムネの包みが二つ置かれている。
ノアの姿はない。
でも、画面の端で、水路の光がゆっくり揺れていた。
俺はしばらくそれを見ていた。
ミルの歯車飾り。
こつんと拳を合わせた音。
ノアが、ラムネを大事そうに溶かしていた顔。
それから、袖を掴まれた感触。
「……ラムネで顔赤くなりすぎだろ」
口に出してから、少しだけ固まった。
違う。
たぶん、ラムネだけじゃない。
そこまで考えて、俺はタブレットを伏せた。




