■5-1 ジン編:星祭特急と、言葉を知らない護衛官
共有タブレットに通知が来ていた。
【姉:今日ジン】
【姉:黒鉄号】
【姉:無口】
【姉:強い】
【姉:限定よろしく】
俺はソファに座り、タブレットを開いた。
画面には、黒い列車のアイコンが表示されている。
【期間限定イベント】
星祭特急黒鉄号と沈黙の護衛官
対象プリンス:ジン・クロガネ
ジン・クロガネ。
魔導列車護衛官。
黒鉄の用心棒。
黒髪。
灰色の目。
黒い護衛礼装。
背には大剣《黒鉄断ち》。
重力魔法と鉄魔法を扱う、無口な護衛官。
ホームボイスが流れた。
『……乗れ。守る』
短い。
次。
『危険なら、下がれ』
さらに次。
『揺れる。手すりを掴め』
「必要最低限だな」
画面の中のジンは、ほとんど表情を動かさない。
言葉も少ない。
けれど、立っているだけで妙な安心感がある。
大きな声で励ますわけでも、甘い台詞を言うわけでもない。
ただ、そこにいる。
それだけで、通路が塞がれて、危険が近づけないような感じがした。
俺はイベント開始を押した。
****
星祭の夜だった。
蒸都アルカディアの空には、魔導花火が咲いている。
青、金、銀。
花火の光が霧に溶け、空中高架を走る巨大な魔導列車を照らしていた。
星祭特急、黒鉄号。
黒い鉄の車体には、星屑ランタンが無数に吊るされている。
展望車両。
舞踏車両。
貴賓車両。
貨物車両。
機関部。
車窓には星のような灯りが映り、駅のホームには見送りの人々が集まっていた。
『黒鉄号、出発です!』
『星祭特急、今年も無事に走りますように!』
『ジン護衛官がいるなら安心だ!』
歓声の中、ジン・クロガネが先頭車両の前に立っていた。
黒い護衛礼装。
背に大剣。
余計な笑顔も、愛想もない。
ただ立っているだけなのに、乗客の空気が落ち着いていく。
『……乗れ』
ジンが短く言う。
『守る』
その一言で、子どもが安心したように笑った。
貴族らしい夫婦が頭を下げる。
護衛官たちが背筋を伸ばす。
無口なのに、信頼されている。
言葉が少ないぶん、立っているだけで伝わるものがある男だった。
黒鉄号が汽笛を鳴らす。
星屑ランタンが一斉に揺れる。
魔導花火が、空に大きな星を描いた。
列車が、ゆっくりと空中高架を走り出す。
****
列車内は、かなり華やかだった。
展望車両では、ガラス天井越しに星祭の花火が見える。
舞踏車両では、仮面をつけた乗客たちが小さな楽団に合わせて踊っている。
貴賓車両には、星祭用の魔導鉱石が保管されているらしい。
淡い青色に光る鉱石で、祭の夜空に巨大な星図を映すためのものだという。
そのせいか、護衛はかなり厳重だった。
ジンは通路の中央に立ち、列車の揺れに合わせて視線だけを動かしている。
話さない。
でも見ている。
乗客の手元。
車両連結部。
窓の反射。
貨物車両へ続く扉。
全部を見ている。
その時、舞踏車両で男が一人、酒杯を落とした。
銀色の液体が床に広がる。
乗客たちがそちらを見る。
その一瞬。
別の車両で、黒い影が動いた。
乗客に紛れていた盗賊団が、一斉に行動を開始する。
狙いは二つ。
貴賓車両に積まれた魔導鉱石。
そして、貨物車両へ続く連結部。
警告表示が走った。
【盗賊団侵入】
【貴賓車両・貨物車両 同時異常】
ジンが動いた。
遅くも、速くもない。
必要な分だけ動いた。
大剣《黒鉄断ち》を抜く。
刃が、列車内の星灯りを鈍く反射した。
盗賊の一人が短剣を抜く。
ジンはそれより先に床を踏んだ。
重力魔法。
黒い魔導紋が通路に走り、盗賊の足が床へ沈んだように止まる。
別の盗賊が窓側へ逃げようとする。
ジンの大剣が、壁ではなく空気を斬った。
鉄魔法が通路の手すりを変形させ、鉄壁のように逃げ道を塞ぐ。
「な、何だ!?」
盗賊が叫ぶ。
ジンは答えない。
一歩。
剣を横に払う。
盗賊の武器だけが弾かれた。
二歩。
肩で押し返す。
盗賊は座席へ倒れ込む。
三歩。
背後から来た男の手首を掴み、床へ沈める。
無駄がなかった。
声もなかった。
ただ立つ。
斬る。
押し返す。
危険な場所から乗客を遠ざける。
盗賊団は、あっという間に制圧された。
乗客たちが拍手する。
「黒鉄の護衛官だ!」
「何も言わずに全部守ってくれた!」
「さすがジン・クロガネ!」
ジンは、拘束された盗賊たちを一瞥する。
そして、短く言った。
『問題ない』
イベント台詞が表示される。
護衛官の一人が画面のこちらへ笑いかけた。
『隊長は相変わらず凄いですよね、姫様』
選択肢が出る。
【本当に頼もしいです】
【何も言わなくても伝わります】
【まぁ、すごいけど……】
すごい。
強い。
守った。
それは分かる。
でも、引っかかった。
守られた乗客が、少し怯えている。
仲間の護衛官も、ジンに声をかける前に一度動きを止める。
ジンは助けている。
ちゃんと守っている。
なのに、誰にも届いていない感じがする。
危険は遠ざけた。
でも、安心までは届いていない。
「……遠いな」
俺は三番を押した。
【まぁ、すごいけど……】
画面の中の護衛官が少し困った顔をした。
『含みがありますね。何か気になることでも?』
その声に、ジンがわずかにこちらを見た。
灰色の目が、画面越しに合った気がした。
言葉はない。
ただ、聞いている。
「遠いな」
口にした瞬間、黒鉄号の汽笛が強く鳴った。
車窓の星灯りが、一気に伸びる。
タブレットの画面から、星屑ランタンの光がこぼれた。
足元が揺れる。
ソファではない。
床が、列車の床になっている。
次の瞬間、俺は黒鉄号の通路に立っていた。
****
最初に言われたのは、短い一言だった。
「切符」
目の前に、ジン・クロガネが立っていた。
近くで見ると、本当に無口そうな顔をしている。
黒い護衛礼装。
背の大剣。
灰色の目。
声は低い。
そして、会話の始まりが切符だった。
「切符?」
「確認する」
「持ってない」
「不正乗車か」
「違う」
「では、密航」
「もっと違う」
ジンは少しだけ眉を寄せた。
ほんの少しだが、困っているようにも見える。
「姫ではない」
「男だな」
「見れば分かる」
「じゃあ、切符より先にそっち聞けよ」
「乗車中は切符が先だ」
「律儀だな」
ジンはしばらく俺を見る。
それから、短く言った。
「名」
「晴人」
「晴人」
ジンは名前を一度だけ繰り返した。
「姫の代理」
「たぶん」
「たぶんで列車に乗るな」
「俺だって乗るつもりで乗ったわけじゃない」
「揺れる。手すりを掴め」
「急に普通の注意をするな」
「危ない」
そう言われて、俺は近くの手すりを掴んだ。
その直後、黒鉄号がカーブに入る。
車体が大きく揺れた。
掴んでいなかったら、たぶん転んでいた。
「……助かった」
「問題ない」
ジンはそれだけ言って、通路の奥へ視線を戻した。
やっぱり短い。
必要なことだけ。
でも、伝わる時は伝わる。
問題は、伝えようとしていない時だ。
「さっきの」
俺が言うと、ジンがこちらを見る。
「盗賊団を止めたやつ」
「止めた」
「守ったなら、言えばいいだろ」
「必要ない」
即答だった。
「分からない奴もいる」
「危険から離れればいい」
「それだけでいいのか」
「生きている」
「安心してるようには見えなかったぞ」
ジンは黙った。
列車の音が、会話の隙間を埋める。
車輪。
魔導機関。
遠くの歓声。
ジンはやっと口を開いた。
「言葉は遅い」
「遅くてもいるだろ」
「足りない」
「何が」
「俺の言葉」
短い答えだった。
でも、その短さで十分だった。
ジンは、自分の言葉が足りないと思っている。
足りないなら、黙って守る。
誤解されるくらいなら、危険から引き離す。
説明より先に、剣を出す。
それで問題ないと思っている。
いや。
思うしかなかったのかもしれない。
****
騒ぎが一度収まった後、黒鉄号は星祭会場へ向けて走り続けていた。
護衛官たちは盗賊を拘束し、乗客を別車両へ誘導している。
ジンは車両の連結部を確認していた。
そこへ、後方車両から火花が散った。
ばちっ、と鋭い音がして、白い煙が通路へ流れ込む。
「後方車両、火花!」
護衛官の一人が叫ぶ。
「避難誘導を開始します!」
乗客たちがざわつく。
通路の奥から、小さな子どもが飛び出してきた。
顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
「お母さんが、まだ後ろにいる!」
子どもは煙の方へ走ろうとする。
ジンが、無言で前に立った。
「どいて!」
子どもが叫ぶ。
ジンは答えない。
ただ、手を少し下げた。
重力魔法。
黒い魔導紋が床を走り、子どもの足がその場で止まる。
体は前へ行こうとしているのに、足だけが動かない。
ジンは、子どもを安全区域へ押し戻した。
「なんで止めるんだよ!」
子どもが泣き叫ぶ。
「お母さん助けなきゃだろ!」
周囲の乗客がざわめく。
「護衛官なのに……」
「子どもを止めるのか?」
「母親がまだいるんだろう?」
ジンは説明しない。
普通なら言う場面だ。
母親は俺が探す。
お前はここにいろ。
そう言えばいい。
それだけで、子どもも周りも少しは分かる。
なのに、ジンは黙ったまま、煙の流れる後方車両へ向かった。
「おい」
俺が声をかけると、ジンは立ち止まらずに言った。
「下がれ」
「それだけかよ」
「危険だ」
「そうじゃなくて」
ジンはもう煙の中へ入っていた。
子どもは泣き続けている。
乗客たちは不安そうに見ている。
護衛官の一人が、困ったように眉を寄せた。
「隊長は……いつも説明が足りないんです」
「分かってるなら誰か補足しろよ」
「今からします」
護衛官は子どもの前へ膝をついた。
「大丈夫。隊長が探しに行った。君はここで待っていて」
子どもはしゃくり上げながら、煙の奥を見る。
「本当に?」
「ああ」
俺は煙の方を見た。
見えない。
けれど、奥で金属が軋む音がする。
火花。
車輪の振動。
誰かの咳。
数分後。
煙の向こうから、黒い影が戻ってきた。
ジンだった。
片腕で、気絶した女性を抱えている。
もう片方の手には、落ちかけた荷棚を押さえるために使ったらしい鉄の棒が握られていた。
女性の服は煤で汚れている。
でも、胸が上下している。
生きている。
「お母さん!」
子どもが駆け寄ろうとする。
今度は、ジンは止めなかった。
ただ、床の揺れを見て、子どもの肩に片手を置いた。
転ばないように。
それだけだ。
女性は救護員へ引き渡される。
子どもは泣きながら母親の手を握った。
乗客たちは、ようやく理解した。
ジンは最初から、子どもを危険な後方車両へ戻さないために止めていた。
そして、自分が母親を助けに行っていた。
護衛官の一人が、深く息を吐いた。
「隊長、せめて一言くらい言ってくださいよ……」
ジンは、少しだけ考えた。
本当に少しだけ。
「……時間がなかった」
「ひとこと言う時間くらいはありましたよ!」
「そうか」
「そうか、じゃなくてですね」
ジンは黙った。
悪いと思っていないわけじゃない。
ただ、何を言えばいいか分からない顔だった。
俺はそれを見て、確信した。
ジンは冷たいんじゃない。
言葉で伝えることを、最初から諦めている。
「言えよ」
俺が言うと、ジンがこちらを見る。
「言葉は遅い」
「長くなくていい」
ジンは黙る。
「仲間を信じろ。お前の短い言葉でも、分かる奴はいる」
車内の音が、少し遠のいた気がした。
ジンの表情は、ほとんど変わらない。
けれど、灰色の目がわずかに揺れた。
****
ジンの脳裏に、何かがよぎったのが分かった。
言葉より先に、呼吸が変わった。
「昔」
ジンが低く言った。
「危険を伝えようとした」
短い。
それでも、続いた。
「言葉が足りなかった。説明が遅れた。相手は違う意味に取った」
ジンの手が、大剣の柄に触れる。
「傷ついた」
それだけだった。
詳しいことは言わない。
でも、だいたい分かった。
危険を伝えようとして、うまく伝わらなかった。
そのせいで誰かが傷ついた。
だから、ジンは思ったのだろう。
自分の言葉は届かない。
だったら黙って守る方がいい。
言葉より、剣。
説明より、距離。
呼ぶより、一人で動く。
「だから黙るのか」
「黙れば、誤解は減る」
「減ってないだろ」
ジンがこちらを見る。
「さっきの子ども、泣いてただろ」
「……」
「お前が母親を助けに行くって一言言えば、少しは違った」
ジンは何も言わなかった。
でも、逃げなかった。
沈黙の中で、聞いていた。
その時、列車全体が大きく揺れた。
警告音が響く。
【後方連結部:異常】
【貨物車両固定具:破損】
【魔導鉱石保管区画:侵入反応】
護衛官が叫ぶ。
「盗賊団の本隊です!」
「連結部に爆裂具!」
「後方車両を切り離す気です!」
狙いは、黒鉄号の連結部。
後方車両ごと魔導鉱石を奪うつもりだ。
乗客もまだ完全に避難できていない。
負傷者もいる。
連結部を切られたら、車両が高架上で暴走する。
ジンが大剣を抜いた。
いつものように、一人で前へ出ようとする。
前方の敵を止める。
連結部へ向かう。
貨物車両へ入る。
全部、一人でやろうとしている顔だった。
「ジン」
俺が呼ぶと、ジンが振り返る。
「お前の短い言葉でも、分かる奴はいる」
ジンの目が、ほんの少しだけ細くなる。
列車が揺れる。
星屑ランタンが大きく鳴る。
ジンは、ゆっくり息を吸った。
そして、初めて名前を呼んだ。
「晴人」
「何」
「後ろを頼む」
「任せろよ、相棒」
言ってから、自分で少し止まった。
「相棒?」
ジンも、少しだけ止まった。
「……相棒」
「おかしいか?」
「悪くない」
「いいのかよ」
「今はいい」
「まあいっか」
ジンは護衛官たちへ振り向いた。
「カイ」
若い護衛官が顔を上げる。
「連結部」
「了解!」
「ミラ」
女性護衛官が頷く。
「乗客」
「任せて」
「俺は前を止める」
短い。
でも、十分だった。
カイはすぐに工具箱を掴み、連結部へ走る。
ミラは乗客たちの前へ出て、避難路を確保する。
他の護衛官も動き出す。
誰も、ジンの言葉が足りないとは言わなかった。
むしろ、短いからこそ迷わず動けた。
「晴人」
「今度は何だ」
「乗客を下げろ。泣いている子を先に」
「了解」
「揺れる。壁側を歩かせろ」
「分かった」
「手すり」
「掴ませる」
ジンが少しだけ頷いた。
「十分だ」
それだけで、妙にやる気が出るから不思議だった。
俺は乗客たちへ走った。
「こっちへ! 壁側を歩け! 手すり掴んで! 子ども先!」
声が通るか不安だった。
だが、ミラがすぐ隣で補足する。
「皆さん、落ち着いて! 晴人さんの指示に従ってください! 足元を見て!」
乗客たちが動く。
泣いていた子どもも、母親の手を握って避難する。
その子どもが、俺の袖を少し引いた。
「あの人、お母さん助けてくれた人?」
「ああ」
「怖い人じゃない?」
少し考えてから答える。
「言葉が足りないだけだ」
子どもは涙の残る顔で、煙の向こうを見た。
「そっか」
後方では、カイが連結部の固定具に取りついていた。
「爆裂具、二つ! 片方解除、もう片方は鉄魔法で固定が必要!」
ジンは前方の盗賊団を押し返している。
重力魔法で足を止め、大剣で武器を弾き、鉄壁を作る。
だが、今度は一人ではない。
「カイ」
ジンの声が飛ぶ。
「三秒」
「三秒あればいけます!」
「ミラ」
「乗客、後退完了まで半分!」
「晴人」
「泣いてる子は下げた!」
「いい」
短い。
でも、届く。
ジンの魔法が通路全体に広がった。
黒い重力紋が床を走り、盗賊団の足を止める。
鉄魔法が連結部の枠を補強する。
カイが爆裂具を外す。
一つ。
二つ目。
火花が散る。
「固定具、持ちません!」
カイが叫ぶ。
ジンは大剣を床へ突き立てた。
「黒鉄、繋げ」
低い声。
列車の床、壁、手すり、連結部の鉄材が一瞬だけ鈍く光る。
鉄が鳴った。
ぎしぎしと悲鳴を上げていた連結部が、黒い鉄の鎖のように再結合する。
盗賊団の一人が叫ぶ。
「切れない!?」
「切らせない」
ジンが短く言う。
大剣を横へ払う。
盗賊たちの武器だけが、一斉に床へ落ちた。
ミラが乗客を守り、カイが連結部を固定し、俺が避難路の最後尾を確認する。
黒鉄号は、切り離されなかった。
車両は大きく揺れたが、星屑ランタンは落ちなかった。
窓の外で、星祭の花火がまた一つ開いた。




