表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/33

■4-3 ノア編:名前のない落とし物と、月形のブローチ

画面の端に小さな街灯マークが光っていた。


【低ランク巡回クエスト】

対象プリンス:ノア

落とし物依頼確認

場所:下町東区・水路近くの雑貨屋周辺


「来た」


また口に出してしまった。

俺は、誤魔化すように通知を開いた。


画面には、下町東区の掲示板が映った。


パン屋の角。

古い街灯。

蒸気管。


掲示板に、一枚の依頼札が貼られている。

ノアが、その前で困った顔をしていた。


『巡回兵ノアです』


落ち着いた声。

でも、少しだけ戸惑っている。


『落とし物の依頼札を確認しました。ですが、依頼主名の欄だけが空白になっています』


依頼札には、こう書かれていた。


【探し物:月形のブローチ】

【落とした場所:水路近くの雑貨屋周辺】

【特徴:青い小石が三つ】

【依頼主:   】


依頼主名だけが白い。


ノアが画面の奥で、少しだけこちらを見た気がした。


来てくれますか。

声というより、そういう気配だった。


次の瞬間、街灯の光が伸びる。

俺は下町の掲示板の前に立っていた。


****


夜の下町は、月街区よりずっと静かだった。


古い街灯。

パン屋の匂い。

蒸気管の音。


掲示板の前で、ノアが依頼札を持っている。


俺を見ると、ノアはぱっと顔を明るくした。

それから、すぐに少し恥ずかしそうに視線を落とす。


「晴人」


「来たぞ」

「はい」


ノアは依頼札を胸の前で持ち直した。


「待っていました」


「待ってたのか」

「……はい」


言ってから、自分でも照れたのか、ノアは耳を赤くした。


「依頼主名が空白なんだな」

「はい。探し物の特徴と場所は残っています。ですが、誰の物か分からない状態です」


「名前以外は残ってるなら、探せるだろ」

「はい」


ノアは少しだけ安心したように頷く。


「そう言ってもらえると、探せる気がします」


「気の持ちようかよ」

「少しだけ」


俺たちは水路近くの雑貨屋へ向かった。


****


落とし物探し自体は、思ったより早かった。


雑貨屋の前には、古いランプと青い花の鉢植えが並んでいる。

その鉢植えの奥、石畳の隙間に、月形の小さな金具が引っかかっていた。


ノアが膝をついて拾い上げる。


「ありました」


月形のブローチ。

青い小石が三つ。


少し古いが、よく手入れされている。


「見つかったな」

「はい。ですが、持ち主が分かりません」


「周りに聞くか」

「はい」


雑貨屋の店主は、ブローチを見ると首を傾げた。


「見覚えはあるねえ。でも誰のだったか」


パン屋の店主も、青い小石を見て考え込む。


「水路の向こうの仕立て屋さんが、似た飾りをよく扱ってるけどねえ」


ノアは丁寧に礼を言い、依頼札にメモを取る。

その途中で、パン屋の店主が俺たちを見比べた。


「ノアくん、今日は友達連れかい?」


ノアが、ぴたりと止まった。

記録ペンの先が、宙で固まる。


「友達」


小さく繰り返す。

俺は横から言った。


「違うのか?」


ノアが、ゆっくりこっちを見る。

その目が少し揺れて、それから柔らかくなる。


「……違いません」


声は小さい。

でも、ちゃんと聞こえた。


「そうか」


「はい」


パン屋の店主は、なぜか満足そうに笑った。


「じゃあ、友達二人におまけだ」


そう言って、小さな紙袋を渡してくる。

中には、焼き菓子が二つ入っていた。


「友達割り、みたいなものだろ」

「お礼です」


ノアは真面目に訂正した。

それから、少し遅れて小さく言う。


「でも、友達と言われたのは……少し、嬉しかったです」


「そうか」

「はい」


ノアは、紙袋を大事そうに持っていた。


****


仕立て屋へ向かう途中、水路沿いに小さなカフェがあった。

丸い窓。


青いランプ。

店先に、月形の看板が揺れている。


ノアの視線が、一瞬だけそちらへ向いた。


「寄るか」


「え」

「見てただろ」


「いえ、巡回中ですので」

「聞き込みだろ」


「聞き込み」


「カフェの店員が知ってるかもしれない」


ノアは真面目な顔で考え込んだ。


「……なるほど」


「また納得するのかよ」

「はい」


カフェの中は、温かかった。

外の水路の冷たい光とは違って、店内は淡い橙色に灯っている。


壁には古い月街区の地図。

棚には小瓶入りの砂糖と、霧晶石で温める小さなポット。


店員にブローチを見せると、仕立て屋の名前を教えてくれた。


「やっぱり仕立て屋か」

「はい。確認が取れました」


「じゃあ行くか」


そう言いかけた時、ノアがメニューの端をちらっと見た。

まただ。


「飲みたいのか」

「いえ」


「嘘つくの下手だな」

「……少しだけ、気になりました」


メニューには、月蜜ミルクと書かれている。


甘そうだ。

ものすごく甘そうだ。


「頼めばいいだろ」

「巡回中です」


「聞き込み終わったご褒美」

「ご褒美」


「嫌ならいいけど」

「嫌では、ないです」


ノアは小さな声で言った。

結局、俺たちは窓際の席に座った。


ノアの前には月蜜ミルク。

俺の前には、薄い魔導茶。


ノアはカップを両手で持って、少しずつ飲む。

一口飲んだ瞬間、目元がほっと緩んだ。


「甘いの好きなのか」

「はい。でも、巡回中はあまり頼みません」


「今日は?」


ノアは少しだけカップを見つめる。


「晴人がいるので、少しだけ」


「それ理由になってるか?」

「僕には、なっています」


またその言い方だ。

俺がいると、ノアの中ではいろいろなことが許されるらしい。


「友達だからか?」


聞くと、ノアは月蜜ミルクを飲みかけたまま固まった。


「ノア」


「はい」

「こぼすぞ」


「す、すみません」

「謝るな」


「はい」


ノアはカップを置く。

耳が赤い。


「友達、だからだと思います」


それだけ言うのに、だいぶ時間がかかった。

俺は魔導茶を飲む。


少し苦い。


「なら、また寄ればいいだろ」


「また」

「巡回区域内なんだろ」


「はい」

「なら聞き込みってことにしろ」


ノアは一瞬だけ驚いた顔をして、それから笑った。


「晴人は、ずるい言い方をしますね」


その声が、思ったより近かった。


****


仕立て屋へ行くと、店主がブローチを見てすぐに「あ」と声を上げた。


「それ、リーネさんのだよ。青い小石を三つ入れてほしいって、前に頼まれたんだ」


その瞬間、依頼札の空白が少しずつ埋まった。


【依頼主:リーネ】


ノアが息を吐く。


「戻りました」


「名前が戻ったな」

「はい」


「よかったな」

「はい」


ノアは本当に嬉しそうだった。

ブローチは、水路沿いの小さな家へ届けることになった。


リーネという女性は、扉を開けるなりブローチを見て目を潤ませた。


「それです。母の形見で」


ノアは両手でブローチを渡す。


「見つかってよかったです」


リーネは何度も礼を言った。

ノアは少し照れたように頭を下げる。


「どういたしまして」


帰り道、ノアは依頼札を見つめていた。


「名前がなくても、探し物はありました」

「そうだな」


「名前が戻るまで、少し落ち着きませんでした」


「そうなのか」

「はい」


ノアは静かに言う。


「依頼主名だけが空白になっていても、困っている人はちゃんといますから」


街灯の光が、ノアの横顔を照らす。


「名前がないと、見つけにくくなってしまうのですね」


俺は少し黙った。


「でも、見つかった」

「はい」


「ブローチもあった」

「はい」


「リーネもいた」

「はい」


ノアは小さく頷く。


「晴人」

「何」


「もし、名前が読みにくくなっても」


ノアは少しだけ迷う。


「探す方法は、あるのですね」


「あるだろ」

「はい」


「手がかりが残ってるならな」

「手がかり」


「街灯とか、工具箱とか、通知とか」


ノアの目が少し揺れる。


「それは、僕の手がかりですか」

「そうだろ」


ノアは少しだけ赤くなった。


「では、残します」


「何を」

「晴人が探せるように」


その言い方に、返事が少し遅れた。

ノアは慌てて首を振る。


「すみません。変なことを言いました」


「謝るな」

「はい」


その瞬間、街灯の光がふわりと広がった。


【ナイトステイが発生しました】


ノアは赤くなった。

けれど、前ほど慌ててはいない。


ノアが一歩近づく。


俺も少し身をかがめた。

それだけで、ノアの耳が赤くなる。


【ナイトステイ】

対象プリンス:ノア

帰還条件:対象プリンスとのキス

※条件達成後、現実世界への帰還選択が可能になります


「今日も、ですね」


ノアが小さく言う。


「そうだな」


少しだけ、笑ってしまった。

ノアもつられたように笑う。


キスは、前より自然だった。

触れるまでの迷いが少ない。


でも、軽すぎるわけでもない。

唇が触れて、少しだけ長く重なる。


ノアの手が、途中で俺の袖を掴んだ。

ほんの少し。


離れた後、ノアは自分の手を見て、慌てて離そうとする。

俺はその前に言った。


「別にいい」


ノアが顔を上げる。


「よいのですか」


「袖くらい」

「袖くらい」


「そこ繰り返すな」

「はい」


ノアは袖から手を離した。

でも、離すのが少しだけ遅かった。


【帰還条件を満たしました】

現実世界へ戻りますか? YES/NO


カフェの月蜜ミルク。

月形のブローチ。


依頼主の名前。

友達と言われたノアの顔。


その全部が、街灯の下に残っている気がした。


「月蜜ミルク、うまかったか」


俺が聞くと、ノアは少し驚いた顔をした。

それから、小さく頷く。


「はい。甘かったです」

「そうか」


「晴人の魔導茶は、苦そうでした」

「苦かった」


「次は、違う飲み物も試してみたいです」

「次があるのか」


「……巡回区域内なら」

「便利な言い訳だな」


「晴人が教えてくれました」


ノアは少しだけ笑った。

俺はどう返していいか分からず、YESを押した。


街灯の光が白く広がる。

最後に、ノアの声が聞こえた。


「晴人。次は、違う飲み物も試してみたいです」


****


現実に戻ると、タブレットには下町東区の水路近くのカフェが映っていた。


青いランプ。

丸い窓。

窓際の席。


ノアはいない。

けれど、テーブルの上には、空になった月蜜ミルクのカップが一つ残っている。


その隣に、俺が飲んだ魔導茶のカップもあった。

俺はしばらく画面を見ていた。


落とし物探し。

依頼主名の空白。


月形のブローチ。

それより先に、ノアが「友達」を否定しなかった顔を思い出した。


「……あいつ、甘いの好きなんだな」


口に出してから、少しだけ固まる。


そんなこと、覚えてどうする。

ただの低ランク巡回クエストだろ。


俺は、誤魔化すようにタブレットを閉じた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ