■4-3 ノア編:名前のない落とし物と、月形のブローチ
画面の端に小さな街灯マークが光っていた。
【低ランク巡回クエスト】
対象プリンス:ノア
落とし物依頼確認
場所:下町東区・水路近くの雑貨屋周辺
「来た」
また口に出してしまった。
俺は、誤魔化すように通知を開いた。
画面には、下町東区の掲示板が映った。
パン屋の角。
古い街灯。
蒸気管。
掲示板に、一枚の依頼札が貼られている。
ノアが、その前で困った顔をしていた。
『巡回兵ノアです』
落ち着いた声。
でも、少しだけ戸惑っている。
『落とし物の依頼札を確認しました。ですが、依頼主名の欄だけが空白になっています』
依頼札には、こう書かれていた。
【探し物:月形のブローチ】
【落とした場所:水路近くの雑貨屋周辺】
【特徴:青い小石が三つ】
【依頼主: 】
依頼主名だけが白い。
ノアが画面の奥で、少しだけこちらを見た気がした。
来てくれますか。
声というより、そういう気配だった。
次の瞬間、街灯の光が伸びる。
俺は下町の掲示板の前に立っていた。
****
夜の下町は、月街区よりずっと静かだった。
古い街灯。
パン屋の匂い。
蒸気管の音。
掲示板の前で、ノアが依頼札を持っている。
俺を見ると、ノアはぱっと顔を明るくした。
それから、すぐに少し恥ずかしそうに視線を落とす。
「晴人」
「来たぞ」
「はい」
ノアは依頼札を胸の前で持ち直した。
「待っていました」
「待ってたのか」
「……はい」
言ってから、自分でも照れたのか、ノアは耳を赤くした。
「依頼主名が空白なんだな」
「はい。探し物の特徴と場所は残っています。ですが、誰の物か分からない状態です」
「名前以外は残ってるなら、探せるだろ」
「はい」
ノアは少しだけ安心したように頷く。
「そう言ってもらえると、探せる気がします」
「気の持ちようかよ」
「少しだけ」
俺たちは水路近くの雑貨屋へ向かった。
****
落とし物探し自体は、思ったより早かった。
雑貨屋の前には、古いランプと青い花の鉢植えが並んでいる。
その鉢植えの奥、石畳の隙間に、月形の小さな金具が引っかかっていた。
ノアが膝をついて拾い上げる。
「ありました」
月形のブローチ。
青い小石が三つ。
少し古いが、よく手入れされている。
「見つかったな」
「はい。ですが、持ち主が分かりません」
「周りに聞くか」
「はい」
雑貨屋の店主は、ブローチを見ると首を傾げた。
「見覚えはあるねえ。でも誰のだったか」
パン屋の店主も、青い小石を見て考え込む。
「水路の向こうの仕立て屋さんが、似た飾りをよく扱ってるけどねえ」
ノアは丁寧に礼を言い、依頼札にメモを取る。
その途中で、パン屋の店主が俺たちを見比べた。
「ノアくん、今日は友達連れかい?」
ノアが、ぴたりと止まった。
記録ペンの先が、宙で固まる。
「友達」
小さく繰り返す。
俺は横から言った。
「違うのか?」
ノアが、ゆっくりこっちを見る。
その目が少し揺れて、それから柔らかくなる。
「……違いません」
声は小さい。
でも、ちゃんと聞こえた。
「そうか」
「はい」
パン屋の店主は、なぜか満足そうに笑った。
「じゃあ、友達二人におまけだ」
そう言って、小さな紙袋を渡してくる。
中には、焼き菓子が二つ入っていた。
「友達割り、みたいなものだろ」
「お礼です」
ノアは真面目に訂正した。
それから、少し遅れて小さく言う。
「でも、友達と言われたのは……少し、嬉しかったです」
「そうか」
「はい」
ノアは、紙袋を大事そうに持っていた。
****
仕立て屋へ向かう途中、水路沿いに小さなカフェがあった。
丸い窓。
青いランプ。
店先に、月形の看板が揺れている。
ノアの視線が、一瞬だけそちらへ向いた。
「寄るか」
「え」
「見てただろ」
「いえ、巡回中ですので」
「聞き込みだろ」
「聞き込み」
「カフェの店員が知ってるかもしれない」
ノアは真面目な顔で考え込んだ。
「……なるほど」
「また納得するのかよ」
「はい」
カフェの中は、温かかった。
外の水路の冷たい光とは違って、店内は淡い橙色に灯っている。
壁には古い月街区の地図。
棚には小瓶入りの砂糖と、霧晶石で温める小さなポット。
店員にブローチを見せると、仕立て屋の名前を教えてくれた。
「やっぱり仕立て屋か」
「はい。確認が取れました」
「じゃあ行くか」
そう言いかけた時、ノアがメニューの端をちらっと見た。
まただ。
「飲みたいのか」
「いえ」
「嘘つくの下手だな」
「……少しだけ、気になりました」
メニューには、月蜜ミルクと書かれている。
甘そうだ。
ものすごく甘そうだ。
「頼めばいいだろ」
「巡回中です」
「聞き込み終わったご褒美」
「ご褒美」
「嫌ならいいけど」
「嫌では、ないです」
ノアは小さな声で言った。
結局、俺たちは窓際の席に座った。
ノアの前には月蜜ミルク。
俺の前には、薄い魔導茶。
ノアはカップを両手で持って、少しずつ飲む。
一口飲んだ瞬間、目元がほっと緩んだ。
「甘いの好きなのか」
「はい。でも、巡回中はあまり頼みません」
「今日は?」
ノアは少しだけカップを見つめる。
「晴人がいるので、少しだけ」
「それ理由になってるか?」
「僕には、なっています」
またその言い方だ。
俺がいると、ノアの中ではいろいろなことが許されるらしい。
「友達だからか?」
聞くと、ノアは月蜜ミルクを飲みかけたまま固まった。
「ノア」
「はい」
「こぼすぞ」
「す、すみません」
「謝るな」
「はい」
ノアはカップを置く。
耳が赤い。
「友達、だからだと思います」
それだけ言うのに、だいぶ時間がかかった。
俺は魔導茶を飲む。
少し苦い。
「なら、また寄ればいいだろ」
「また」
「巡回区域内なんだろ」
「はい」
「なら聞き込みってことにしろ」
ノアは一瞬だけ驚いた顔をして、それから笑った。
「晴人は、ずるい言い方をしますね」
その声が、思ったより近かった。
****
仕立て屋へ行くと、店主がブローチを見てすぐに「あ」と声を上げた。
「それ、リーネさんのだよ。青い小石を三つ入れてほしいって、前に頼まれたんだ」
その瞬間、依頼札の空白が少しずつ埋まった。
【依頼主:リーネ】
ノアが息を吐く。
「戻りました」
「名前が戻ったな」
「はい」
「よかったな」
「はい」
ノアは本当に嬉しそうだった。
ブローチは、水路沿いの小さな家へ届けることになった。
リーネという女性は、扉を開けるなりブローチを見て目を潤ませた。
「それです。母の形見で」
ノアは両手でブローチを渡す。
「見つかってよかったです」
リーネは何度も礼を言った。
ノアは少し照れたように頭を下げる。
「どういたしまして」
帰り道、ノアは依頼札を見つめていた。
「名前がなくても、探し物はありました」
「そうだな」
「名前が戻るまで、少し落ち着きませんでした」
「そうなのか」
「はい」
ノアは静かに言う。
「依頼主名だけが空白になっていても、困っている人はちゃんといますから」
街灯の光が、ノアの横顔を照らす。
「名前がないと、見つけにくくなってしまうのですね」
俺は少し黙った。
「でも、見つかった」
「はい」
「ブローチもあった」
「はい」
「リーネもいた」
「はい」
ノアは小さく頷く。
「晴人」
「何」
「もし、名前が読みにくくなっても」
ノアは少しだけ迷う。
「探す方法は、あるのですね」
「あるだろ」
「はい」
「手がかりが残ってるならな」
「手がかり」
「街灯とか、工具箱とか、通知とか」
ノアの目が少し揺れる。
「それは、僕の手がかりですか」
「そうだろ」
ノアは少しだけ赤くなった。
「では、残します」
「何を」
「晴人が探せるように」
その言い方に、返事が少し遅れた。
ノアは慌てて首を振る。
「すみません。変なことを言いました」
「謝るな」
「はい」
その瞬間、街灯の光がふわりと広がった。
【ナイトステイが発生しました】
ノアは赤くなった。
けれど、前ほど慌ててはいない。
ノアが一歩近づく。
俺も少し身をかがめた。
それだけで、ノアの耳が赤くなる。
【ナイトステイ】
対象プリンス:ノア
帰還条件:対象プリンスとのキス
※条件達成後、現実世界への帰還選択が可能になります
「今日も、ですね」
ノアが小さく言う。
「そうだな」
少しだけ、笑ってしまった。
ノアもつられたように笑う。
キスは、前より自然だった。
触れるまでの迷いが少ない。
でも、軽すぎるわけでもない。
唇が触れて、少しだけ長く重なる。
ノアの手が、途中で俺の袖を掴んだ。
ほんの少し。
離れた後、ノアは自分の手を見て、慌てて離そうとする。
俺はその前に言った。
「別にいい」
ノアが顔を上げる。
「よいのですか」
「袖くらい」
「袖くらい」
「そこ繰り返すな」
「はい」
ノアは袖から手を離した。
でも、離すのが少しだけ遅かった。
【帰還条件を満たしました】
現実世界へ戻りますか? YES/NO
カフェの月蜜ミルク。
月形のブローチ。
依頼主の名前。
友達と言われたノアの顔。
その全部が、街灯の下に残っている気がした。
「月蜜ミルク、うまかったか」
俺が聞くと、ノアは少し驚いた顔をした。
それから、小さく頷く。
「はい。甘かったです」
「そうか」
「晴人の魔導茶は、苦そうでした」
「苦かった」
「次は、違う飲み物も試してみたいです」
「次があるのか」
「……巡回区域内なら」
「便利な言い訳だな」
「晴人が教えてくれました」
ノアは少しだけ笑った。
俺はどう返していいか分からず、YESを押した。
街灯の光が白く広がる。
最後に、ノアの声が聞こえた。
「晴人。次は、違う飲み物も試してみたいです」
****
現実に戻ると、タブレットには下町東区の水路近くのカフェが映っていた。
青いランプ。
丸い窓。
窓際の席。
ノアはいない。
けれど、テーブルの上には、空になった月蜜ミルクのカップが一つ残っている。
その隣に、俺が飲んだ魔導茶のカップもあった。
俺はしばらく画面を見ていた。
落とし物探し。
依頼主名の空白。
月形のブローチ。
それより先に、ノアが「友達」を否定しなかった顔を思い出した。
「……あいつ、甘いの好きなんだな」
口に出してから、少しだけ固まる。
そんなこと、覚えてどうする。
ただの低ランク巡回クエストだろ。
俺は、誤魔化すようにタブレットを閉じた。




