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いっちゃん(第一部)  作者: Thomas C. Knitter


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第四週ダイジェスト「いっちゃん、放浪の旅を終える」

皆様、おはようございます。


九州・門司へと流れ着いたいっちゃん。

孤独な放浪の果てに、ようやく運命の糸が彼女を故郷・福山、そして懐かしい成羽へと引き戻します。

そこで待っていたのは、実の母との再会、そして誰よりも会いたかった「あの人」との抱擁でした。

戦争という嵐に翻弄され続けた十歳の少女が、最後にたどり着いた「居場所」とは。


田植えから半年後、秋の稲刈りの時期になった。

私は、主人と奥さんに連れられて、またこの大きな屋敷にやって来た。


「よう来た」

と農家の主人から歓迎を受けた。子供たちはすぐに、

「れいこちゃん、あそぼ」

と言って、私の手を引っ張った。

私はそのまま子供達と夕方まで遊んだ。


晩ご飯の時、そこの主人がこんなことを言い出した。


「ところで、れいこちゃん。あんたは、どうしてこんなところへ来んしゃった?」

「……」

「いや、言いたくないなら言わんでよか。親は戦争で死んだとか?」

「……私の母は生きてます。でも父が亡くなって養女に出されたんです。でもそこでいじめられて耐えられなくって家出して汽車に乗ったら、いつの間にか門司に着いてました」

「ずいぶん、苦労してきたっちゃね。あんた知っとったと?」

そう言うと、世話になっている家の主人が、

「知らんかったっちゃ。そうか、そりゃ、悪かったね。早う、聞いてあげたらよかった。聞いた以上は、悪いようにはせんけんね。まぁ、任せんしゃい」

と言われ、私は嬉しい気持ちと、もしかしたら、また山本の家に帰られかればならなくなるのかという不安な気持ちが入り乱れて複雑な気持ちになった。


それからしばらくして、福山から二人の男性が私を訪ねてきた。

一人は児童相談所の職員で、もう一人は見覚えのある顔だった。


「あ、山田の伯父さん」

私は声が出ていた。

この人は、母の姉の旦那さんで『山田福一』という人だ。小さい時に何度か伯母さんの家に行ったことがあるので覚えていた。

「いっちゃん、こんなところにおったんか。びっくりしたで。伯父さんと一緒に帰ろう」

「うん、でも……」

と私が口籠もると、

「心配しなくていいよ。君にとって一番いいところへ帰してあげる」

と民生委員のおじさんが言った。そして

「君のお母さんが直接迎えに来れないから、この山田さんに頼んだんだ」

山田のおじさんも、

「とりあえず一緒に福山まで帰ろう」

と言った。

「福山に帰るの?」

「ああ、香代子が養女に行っとるんじゃが、そこの家までアヤ子さんが迎えに来てくれるから、そこまで一緒に行ってあげる」

私は、山本の家に帰らなくていいのなら、帰っても大丈夫かなと思い、福山に帰ることにした。

帰る日、手伝いをしていた家家の子が泣く声を背中で聞いた。

振り返りそうになるけど、振り返らない。

私は前を向いて、山田のおじさんと児童相談所の人と一緒に福山へ向かう汽車に乗った。


福山に戻った私は、山本家には帰らず、ひとまず香代子のいる岡本銀助さんの家に滞在することになった。民生委員の人が山本家で私に起こった出来事をしっかり調べ、ここには置けないと判断したからだった。


私は山田の伯父さんと民生委員の人に連れられて、福山の岡本家へ行った。山田の伯父さんは、岡本銀助さんに私のことを頼んで帰って行った。

そして、私はその家で1年ぶりに末の妹・香代子に会った。

痩せて小さかった香代子は4歳になっていた。今はいい洋服を着て、おかっぱ頭で私を見ている。香代子はニコッと笑うと、

「お姉ちゃん、どこから来たん?」

と聞いた。

私はなんと言っていいかわからず、香代子の養父である銀助さんの顔を見た。

すると銀助おじさんは、

「香代子、お父ちゃんと、このお姉ちゃん、どっちが好き?」

と聞いた。

香代子は、(変なこと聞くなぁ……)という顔を一瞬したが、すぐに私を指差して

「このお姉ちゃん!」

と言った。

銀助おじさんは、私にだけ聞こえるように

「やっぱり血は争えんのう」

と、そっと耳打ちした。

私は

「はぁ……」

と苦笑いするしかなかった。

実は香代子は、私のことを覚えていない。それどころか、養子に出されたことも知らないのだ。ずっと、この岡本家の子だと思っているのである。

「お姉ちゃん、いつまでいるの?」

無邪気に聞く香代子に私が答えられずにいると、

「しばらくじゃ。その間、このお姉ちゃんに遊んでもらうといい」

銀助おじさんが助け舟を出してくれた。

香代子は、

「うん、遊んでもらう」

と嬉しそうに答えた。

私は自分ではどうすることもできないので、しばらく、この家にいることになった。


何日かして、母がやってきた。

「いっちゃん、山本の家で何不自由なく暮らしとると思うとったのに、九州の方におったんじゃて? 苦労したんじゃなぁ。ごめんなぁ、何も知らんで」

「ううん、大丈夫、ちゃんと生きとるよ」

「ほうか。ほいでも辛かったろう?」

「うん、まあ、いろいろあった……」

私は何から言っていいか、あるいは何も言ってはいけないのか、判断ができず、そこまで言うと黙ってしまった。

母は、そんな私に自分のことを話してくれた。

戦争が終わって、智早子、ミキ子を連れて再婚したこと。伝姉が俊雄おじさんのところに置いてもらっていること。そして香代子がこの岡本家の養女になったこと。その詳しい顛末を語ってくれた。

「智早子もお父さんと同じ腸チフスになってなぁ。何とか一命は取り留めたんじゃけど、体も弱いし、よそに預かってもらうわけにはいかんかったんじゃ。それでなぁ、いっちゃん、今、お母さんの再婚先に、あんたを引き取ることはできんのじゃ。向こうにも前の奥さんの子がおってなぁ、なかなか難しい。悪いんじゃが、岡山の俊雄伯父さんのところにしばらく行っとってくれるか?

あそこにゃあ、伝ちゃんもおるし、いっちゃんも寂しくなかろう?」

「……うん。わかった」

私はこれまで一人で生きてきたという気持ちもあって、母の言葉に動揺することはなかった。

「ほうか。ほんなら、今から一緒に岡山に行っといておくれ。何、ずっとじゃなぁ。半年もしたら迎えに行くけぇ」

と母は言ったが、私はその言葉を信じてはいなかった。ただ、母も5人の子を抱えてどうしていいかわからず手探りで生きてきた。その苦労は何大抵ではないということだけはわかっていた。

だから母の言う通り、俊雄伯父さんの元へ行くことにした。

何も知らない香代子は、

「お姉ちゃん、また遊びにきてね」

と無邪気に言った。私は、

「またね」

と笑って手振って岡本家を後にした。



そうして母と私は福山駅から汽車に乗って、私が行き先を間違えた倉敷で伯備線に乗り換え、成羽の最寄駅である高梁へと向かった。


「お母ちゃん、私、お母ちゃんが成羽にいると思って、倉敷から汽車を乗り換えたんよ。でも乗り違えて、九州の門司まで行っちゃった」

「ほうかい。そんなことがあったんか。ほんまにすまんかったのう……」


そう言いながら母は涙を拭った。



高梁に着くと、俊雄伯父が自動車で迎えに来ていた。

伯父の背後から身を乗り出すようにして伝姉が私を見つけた。


「いっちゃん!」


そう叫んで飛びついてきた伝姉。


「伝姉ちゃん!」


声が自然に弾んだ。母に再会したとき以上に、高揚感がわき上がってくる。

――やっぱり伝姉は特別だ。

そう思っていると、

「いっちゃん、変わらんなあ。相変わらず、へちゃじゃが」

膝から崩れそうになった。

「もう、相変わらず口が悪いんじゃねぇ」

「ええが。元気でおったんじゃけぇ、それだけでええが」

その一言で胸が詰まり、私は伝姉に抱きついて泣いてしまった。幼い頃、はじめて福山に着いた日の夕暮れ、伝姉と二人で泣いたあの時のように。

思い返せば、本気で泣いたのはあの時以来だった。

戦争というどうしようもない力が、涙を流す余裕すら奪っていた。

その晩は母も同じ家に泊まったが、翌日には再婚先へ戻ってしまった。私は伝姉と同じ部屋で寝起きすることになった。

部屋の窓のすぐ向こうは小学校だった。

チャイムや子どもたちのはしゃぎ声がした。

(学校かぁ。みんな楽しそう。……私、小学校行ってないな)

普通に通っていれば今は三年生のはずだった。が、学校に行きたいなんて、そんなこと願っても仕方ないと思った。


ここでは、伝姉と私は伯父の家事手伝いを任された。

見た目の羽振りは良くても、敗戦直後の暮らしは厳しい。

使用人を雇う余裕など当然なく、二人分の食費だけでも大変だったらしい。

それでも伯父は、『馨を死なせてしまった』という負い目からか、私たちを追い返すことはなかった。

私にとっては、ご飯を食べさせてもらえるだけで十分ありがたいことだった。

私と伝姉は、この家で家事をこなしながら静かに暮らした。



昭和22年3月。

春の気配が漂い始めた頃、母が再び成羽にやってきた。

「再婚先では一緒に住ませてもらえんけど、私が子どもの時に育ててもろうた家が隣村にあるんじゃ。そこなら小学校にも行かせてもらえるけぇ、一緒に帰ろう」

その言葉に胸が高鳴った。しかし同時に伝姉の顔が浮かんだ。

「伝姉ちゃんは、どうするん?」

「伝ちゃんはここに残るよ」

「じゃあ、私もここにおる」

そう言うと、母は困ったように首を振った。

「二人一度に学校へ行かせるのは無理じゃと言われとるんよ」

その時、伝姉が声をはさんだ。

「いっちゃん、お母ちゃんと帰り。うちは、一人で大丈夫。部屋も広うなるし、ええことばっかりじゃが」

それが精いっぱいの気遣いだとすぐに分かった。私は、伝姉の強がりを前に、


「わかった。一緒に帰る」


と言うしかなかった。


広島に戻ると、母が縁のある家に私を預けてくれた。母が暮らす隣村の、小さな家だった。そこから小学校に通わせてもらえることになった。

小学校四年生に編入した私は、最初は授業がまったく分からなかった。それでも、友達はすぐにできた。

学校が楽しくなり、勉強も少しずつ分かるようになっていった。

私を預かってもらった家では居候の立場なので家事手伝いもした。

しかし、


(いずれ、またどこかに行くのだろうな)


そういう感覚が心の隅にいつもあった。



小学校に通い始めて一年ほど経った頃、母がやってきた。


「いつまでもここにやっかいになるのは申し訳ないけぇ、私のお姉さんの家に行かせてもらおうと思うんよ。ちょうどあっちで子守を探しとってね」

ようやく学校に慣れた矢先だったので、胸は少しざわついた。それでも、いつまでも居候はできないことは理解していた。

伯母の家に行くと、開口一番、

「今日から家事手伝いと子守をしてもらうけぇの」

と伯母さんから言われた。

母の姉である伯母は、以前会った時から“はっきり物を言う人”という印象だった。

朝は5時起床。かまどでの炊飯は慣れているつもりだったが、

「なんじゃその薪のくべ方は!煙ばっかり出ようるじゃなぁ。ええか、いっぺんしか言わんけぇ、しっかり覚えるんで」


味噌汁、漬物の仕込み、洗濯、掃除、農作業――。伯母は叱りながらも一つひとつ教えてくれた。

厳しい毎日だったが、私は驚くほど早く何でもできるようになった。ご飯もきちんと食べさせてもらえた。

こうして伯母の家で暮らすことになり、長かった私の放浪生活は、ようやく静かに終わりを告げた。


(第一部・完)

第一部を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


「放浪の旅を終える」 その言葉の通り、いっちゃんはようやく伯母さんの家で、自分の足で立つための第一歩を踏み出しました。

母との再会、伝姉との別れ、そして学校への編入。

一つひとつの出来事が、今のいっちゃんを形作る大切なピースとなっていきました。

伝姉が放った「へちゃじゃが」という言葉の裏にある、不器用で深い愛情。

そして、厳しくも家事を叩き込んでくれた伯母さんの手。 これらすべてが、いっちゃんがこの過酷な時代を生き抜くための「宝物」になったのだと感じます。


さて、物語はいよいよ第二部、いっちゃんの「自立と青春」の舞台へと向かいます。

新しい環境で彼女がどのように成長し、どのような運命を切り拓いていくのか。

4月、また新しい季節とともに皆さまとお会いできるのを楽しみにしております。

どうぞ、これからもいっちゃんの歩みを温かく見守ってください。

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