スピンオフ:「伝ちゃん、雪道を25km、裸足で歩く」
今日は、うちの話をするで。
いっちゃんが九州やらどこやら放浪しとる間、うちがどうしとったか。
あんまり格好のええ話じゃねえけど、ちょっとだけ書くけぇ、読んでな。
父が亡くなった後、いっちゃんが養女としていなくなってからも、うちは上山家にいた。
明姉が亡くなり、次女であるうちが、母を支えなければならない存在になった。
空襲の時は母について、智早子、ミキ子と手を繋いで防空壕の外へ飛び出そうとしたが、香代子の防空頭巾が引っかかって、それを外しているうち、横から飛び出した男の子二人が焼夷弾の犠牲になった。
母とうちら姉妹は、なんとか空襲を生き延びた。
それからすぐに戦争は終わった。
でも食べ物がない。秋のうちはまだ良かった。柿を取ったり、自然の野草もなんとか手に入っていたからだ。
だが、12月にもなると、いよいよ食べられなくなった。
ある日、母は言った。
「伝ちゃん、お母さん、今度、再婚することにした。広島の山の方の農家じゃが、そこなら、食べ物があるけぇ、行くことにしたんよ」
うちは、「うん、わかった」と答えた。
父のことを思わなかったわけではない。でも、このままでは一家五人、みんな飢え死にしてしまう。
次女であるが、今は長女として支えなきゃいけないと思っていたうちには、それしか言えなかった。
「それでね……伝ちゃん」
「ん?」
「悪いんだけど、そこの家にも子供がおって、四人も子供を連れて行かれんのよ。香代子はこの近くの岡本さんという家に養女に行くことになったんよ。伝ちゃん、すまんけど、私の姉さんのうちにしばらくおってくれる?」
「え? あ、そうなん?」
うちは、まさか自分がよそに行くことになるとは思っていなかったので、何も言えなかった。
母は、再婚先は伯母さんの家の隣町だからいつでも会えると言って、泣きながらうちを抱きしめた。
うちは、諦めというより、もうそれしか生き残る手立てがないことを充分自覚していた。
だから、母の言うとおりにすることにした。
次の日、やってきた伯父さんと汽車に乗って、伯父さんちの最寄りの駅まで行った。
最寄りと言っても、25kmくらい離れた駅だった。
その駅に着いたのは夕方だったが、あいにくの大雪でバスの運行も中止になっていた。
伯父さんは仕方のない顔で、うちに言った。
「一緒に歩いて行くか? 何時間もかかるど」
うちは他に行くところなんてない。
「うん」としか言えなかった。
それからは伯父さんは時々、うちがついてきているのを確認しながら、黙って前を歩いた。
うちは裸足だった。ずっと裸足だったので、足の裏はパンパンに厚くなって、靴を履いていなくても全然平気だった。
しかし、雪の中を裸足で歩くのは初めてだった。
いくら足底が厚くなったと言っても、雪の冷たさは容赦がない。最初は冷たさと痛みが体全体を襲った。
でも、止まるわけにはいかない。
黙っておじさんの後をついて歩いた。
そのうち、痛みも何も感じなくなった。それでも、空腹と寒さはかなりこたえた。
夜の山道は真っ暗で、伯父さんの位置もわからなくなるくらいだったが、雪景色の白さがあったおかげで、まだ前が見えたのは助かった。
何時間、歩いただろう。やっとのことで、伯父さんのうちに着いた。
伯母さんはうちを見るなり、
「伝は、靴も履いとらんのか? 寒かったじゃろ。風呂を沸かしとるけぇ、入れ」と言った。
伯父さんも、「ようついて来た。わしより先に入れ」と言ってくれた。
うちは、風呂に入って体を温めた。足は感覚がなかったが、そのうち痒くなり、やがて痛み出した。
こうして、うちはしばらくこの家に厄介になることになった。
今でも、あの時のことを忘れたことはない。
いっちゃんが放浪して福山に帰ってくる頃、うちは成羽の伯父さんの家に移っていた。
五年ぶりにいっちゃんに会ったとき、「相変わらずへちゃじゃ」と言いながら、うちは嬉しかった。
生きて、また会えたことに感謝した。
その時、一緒について来た母が、雪の中を25kmも歩いて伯母さんちに行ったんだといっちゃんに説明した。
いっちゃんは、涙をこぼしながら絶句して、「雪の中を裸足で?」と泣いた。
うちは、「そりゃ、歩くでぇ。足があるんじゃもの。他にいくところはないし、ついていきゃあいいんじゃけぇ」と笑いながら言った。
すると、ますますいっちゃんは泣き顔になって、「苦労したんじゃね」と言った。
うちは、「いっちゃんの方が、もっと苦労したんじゃが」
そう言って、それから、二人で朝が来るまでこれまでのことを話し続けた。
「足があるんじゃもの」
うち、自分でそう言ったのを覚えとるよ。
泣き虫のいっちゃんと、強がりのうち。
この二人が揃って、やっと上山家の物語がまた動き出すんじゃろうな。
うちの話、最後まで読んでくれて、ありがとうな。




