罪④
最後に残ったのは、誰が金本一家を惨殺したのか?――という問題だった。
「真犯人が誰なのか、恐らくその答えを被害者の隣人、北城千穂が知っている。彼女に当たってみるだけだ」というのが竹村の意見だった。
「うへっ! あんなお婆ちゃんを締め上げるのですか!? ちょっとやり過ぎじゃありませんか」
「う~ん、そうだな。じゃあ、ここはマイルド路線で、お前に事情聴取を任せる。あのお婆ちゃんから真犯人の名前を聞きだせ! 良いな」
事情聴取を任された吉田は興奮して言った。「任せて下さい! 大丈夫です。上手く聞き出してみせますよ。知性なら、竹村さんに勝っていますから」
「俺は鋼の肉体にインテリジェンスを兼ね備えた、パーフェクト・ヒューマンだって、いつも言っているだろう。まだ、覚えてないのか? うひひ」
「そうと決まれば、先輩。急ぎましょう。木村さんに連絡します」
大役をまかされて吉田は張り切っていた。
再び、三人で蔦マンションを尋ねた。
北城千穂は今日も家にいた。突然、訪ねて来た竹村たちを迷惑がらずに、「ああ、まあ。どうぞ、どうぞ」と嬉しそうに出迎えた。話し相手に飢えているのだ。吉田はこれからの事情聴取を思うと、ちくりと胸が痛んだ。
「お気遣い無く」と言ったのだが、千穂は「お茶を入れています。そうそう、先日、スーパーで北海道物産展をやっていて、美味しいお菓子を買って来ましたのよ。一緒に食べましょう」と、いそいそと台所に消えて行った。
通された居間のテーブルの前で胡坐をかいて座り、千穂が戻って来るのを待った。
「お待たせしました」千穂はご機嫌な様子で、お茶と茶菓子を盆に載せて現れた。
「どうぞ、お気遣いなく。今日は、先日のお話の続きをお伺いしたくて、お邪魔しました」
吉田が口火を切る。「先日の話ですか・・・」千穂はお茶と茶菓子を配膳し終わると、盆を胸に抱えて、ちょこんと二人の前に腰を降ろした。
千穂が小さく見えて、吉田の胸がまたちくりと痛んだ。
「先日、お話をお伺いした時に、『足音を聞いていませんか?』と言う質問に、『革靴ならともかく、運動靴だと足音は聞こえない』とおっしゃられましたね?」
「あら、そんなことを言いましたかしら・・・」千穂がとぼける。
「はい。おっしゃいました。実は、犯人が運動靴を履いていたと言うことは、警察関係者だけが知る極秘情報として、外部に公開していません」
吉田の言葉に、千穂の表情が強張るのが、手に取るように分かった。吉田が畳み掛ける。
「何故、犯人が運動靴を履いていたのを、知っていたのですか?ひょっとして、犯人を目撃したのではありませんか?」
「・・・」千穂が口元をぎゅっと結んだ。何もしゃべらないと言う意思表示だろう。
「相手は殺人犯です。何故、庇うのですか? 罪の無い幼子まで、無慈悲に手をかけた極悪人なのですよ。そんな人間が、あなたの周りにいて不安ではないのですか?」吉田が切々と訴える。口元を結んだ千穂の表情が揺らぐ。
押した方が良いのか、引いた方が良いのか、判断に迷っていると、千穂が「何の罪もない・・・って、どうして言えるのでしょうか?」と恐る恐る言った。
「だって、被害者の一人は年端も行かない女の子ですよ。彼女は、これから、思いっきり人生を楽しむ権利があったはずです」
「私はあの一家が大嫌いでした。あの一家が、死ねば良いと思ったことは、一度や二度ではありません」そう言ってから、自分の言葉の過激さに驚いたようで、千穂は顔を伏せた。
「前におっしゃられていた騒音が原因ですか?」
以前、千穂は隣家の騒音のことで管理人に相談したら、金本が怒鳴り込んで来たと言う話をした。
「毎日、毎日、あの子の金切り声が聞えて来ると、耳を塞ぎたくなくなりました。刑事さんには分からないでしょうね。小さな子供の叫び声って、よく通るのです。たかが女の子の泣き声だと思うかもしれませんけど、それを毎日、毎日、延々と何時間も聞かされたら、それこそ、頭が変になってしまいます」
「そうですね。何となくですが、分かる気がします。ちょっと違うかもしれませんが・・・」そう言って吉田は学生時代のアルバイトの話をした。
夏休みに、仲の良かった友人と二人でデパートの地下の食品売り場でアルバイトをした。
昼休みを交替で取っていたのだが、先に休みに入ることが多かった友人は、何時も時間をオーバーして戻って来た。遅れたと言っても五分程度なのだが、毎日、やられると段々、腹が立って来た。
そしてある日、ついに言い争いになってしまった。以降、吉田が先に昼休みに入りことになった。(つまらないことで言い争いをしてしまった)と、後で随分、後悔したので、記憶に残っていた。そのことを、ふと思い出した。
吉田がその話をすると、千穂は「ええ、ええ」と頷いた後に言った。「もう、毎日、毎日、嫌と言うほど、あの子が泣き騒ぐ声を聞かされました。頭がどうにかなりそうでした。親御さんが、もう少しは叱るなり、なだめるなりしてくれていれば、あんなことは起きなかったのだと思います」
「あんなことは起きなかった? 犯行の動機が、幼い女の子にあったと言うのですか!?」驚きのあまり、吉田が声を張り上げた。
吉田の大声に、千穂が「ひっ!」と短く悲鳴を上げた。
「す、すいません。意外なお話だったので、驚いてしまいました。北城さん、あなたは犯人が誰だか知っているのですね。恐らく、犯人の姿を目撃した。そして、犯人が誰なのか気がついた。犯人が金本さん一家を殺害した理由にも、薄々、気がついている。違いますか?」今度は優しく、千穂に問いかけた。
「・・・」千穂は口元を固く結んだままだった。だが、視線が定まらず、明らかに動揺を隠し切れていなかった。
「犯人は人を殺しているのです。追い詰められると、また人を殺すかもしれません。犯人に、あなたに目撃されたことが知れると、次に狙われるのはあなたかもしれません。お願いです。犯人が誰なのか、教えてくれませんか?」
「あの方はそんな人ではありません」千穂が決死の表情で答えた。
「あの方? やっぱり、あなたは――」更に、たたみ掛けようとする吉田を、「ちょっと」と遮って、竹村が横から口を挟んで言った。
「北城さん、あなたが誰を庇っているのか、僕に分かったような気がします。あなたが庇っているのは――」




