一章5 逆鱗と逃走の果て
順調に五階層の攻略が進んでおり、今の所何のアクシデントも起こっていない。
それでも、この先何が起こるか分からない。いつでも逃げられるような状態にするため、少し休憩をとっていた。
「なぁ、一つ聞いていいか?」
周囲を照らしているライターを間に二人は向き合って、座っており、会話らしき会話もなく、沈黙が続いていた中でレイは一つ、質問を試みた。
先ほどから何を考えているのか、全く分からないサリエルは何か聞いてくるのを待っていたかのように不気味なほどに漫勉の笑みを浮かべる。
レイはそれを肯定を見做し、話を続ける。
「サリエルって何者なんだ?」
そう問うた瞬間、サリエルの笑顔に些細な変化があった。
それを察した瞬間にレイはまた、自分がデリカシーのない質問をしてしまったのだと気づく。
だが、その表情の機微も一瞬で彼女は投げかけられた質問に答える。
「実はね、わたし……」
自分の正体を勿体ぶるように、こちらを弄ぶかのように自身のセリフを溜める。
それが今までのレイのデリカシーのなさに仕返すかのように問いの答えを焦らす。
レイはその焦らしに焦燥感を感じながらも、急かすようなことはせず、ただサリエルの答えを座して待つ。
だが、サリエルは立ち上がり、一呼吸する。
「ここの管理者の一人なんだ!!」
その言葉に呆気を取られた。
サリエルが転生者でないことは、今までの会話で察していた。ならば、残る選択肢はレイがまだクリアしていない『化け物屋敷』の後半で出てくるキャラクターなのだろうと予想していた。
だが、管理者だとは思いもしなかった。
管理者とはこのゲームにおける裏ボス的存在であり、『化け物屋敷』の制作会社がどのゲームにも導入しているキャラクターである。どのゲームの管理者も理不尽な設定が盛りだくさんで、全てのゲーム合わせてもクリア者が0という鬼畜。プレイヤーからもなぜ、導入されたのかが分からない無理ゲーコンテンツである。
その管理者がいま目の前にいて、驚かないの無理ない。サリエルが味方の内ならば心強いが、敵に回ってしまえば、その瞬間に絶望へと変わるだろう。
「へ、へぇー」
出来るだけ動揺を隠すように相槌以外は何も喋らない。
ここで動揺して、変に機嫌を損なわせれば詰み。今までの発言も危ういところがあったと思うと、恐ろしくて仕方がない。
「管理者って何だ?」
そして、ここはあくまで知らないふりをしておく方が、警戒されない。
突然、現れたレイが管理者のことを知っていたら怪しまれるのは確実。もしレイ自身がプレイヤーなんだとすれば、サリエルとはいずれ敵対関係になる可能性が高いのだ。その可能性を上げてしまうのは悪手だろう。
彼女ははそのまま歩き始め、レイはそれに少し慌ててついて行く。
「あ、そっか。管理者は知らなくて当然か。んー、説明したいけど、それは禁止されてるから出来ないんだよねぇ。わたしがどれだけ凄いのか自慢しようとしたけど、ざぁんねん」
サリエルは少し嬉しそうにしていた。
レイにとっては生死が掛かった対話だったのだが、サリエルにとっては気楽な雑談の一種。このやりとりが本当にただの自慢話なのか、悪戯なのか、それとも試されているのかは分からない。
だが、サリエルはこの状況を間違いなく愉しんでいた。
「そ、そう言えばさ、何で眼帯なんて付けてるんだ?」
何か会話していなければ落ち着かない。そんな雰囲気にのまれ、質問をしなければと思った。
管理者の話題から離れようと、焦って話題を変えてしまった。
突如、後ろから聞こえる足音が止まる。
そしていつもなら、何かしらの反応をするサリエルの声が聞こえてこなかった。
「君ってさぁ……」
その言葉と共に背後から異様な空気が伝わってきた。
後ろを振り返れば、取り返しのつかないことになると、直感が告げている。
「はぁ~。レイって本当にデリカシーないよね」
次に放たれた言葉は完全な呆れだけであった。
先程までの異様な空気感はなく、背後から感じるのはいつものサリエル。
先のあれは何だったのか、というくらい場は変化していた。
だが、全てが気のせいという訳にでもない。
確かにサリエルは異様な空気を放っていた。レイはそれにあてられ、吐き気を催している。
あの異様な空気は恐らく殺気の類。平和ボケした日本で育ったレイに耐性があるわけでもない。
故に立つことさえ厳しく、その場に跪いてしまった。
「え、あれ、大丈夫?」
後方からサリエルの心配した声が聞こえてきた。
足音が近づいてきて、レイの肩にそっと手が乗っけられる。
「おぇっ!」
この世界に来てから、食事も睡眠も碌に摂取しておらず、知らぬ人との会話。それに加え、殺気に晒されてのだ。今までにない程のストレスが溜まったことにより、限界が訪れ、吐いてしまった。
冷静でいられる状況ではなかったから、ついサリエルの手を振りほどいてしまった。
「あ……」
サリエルは思わず声をこぼした。目がわずかに見開かれ、その動きが止まる。予想外の出来事に、反応が一拍遅れているようだった。
レイの振りほどこうと挙げた手がサリエルの左目の眼帯に引っかかり、そのまま外れてしまったのだ。
美しい金色がその左目には宿っていた。
その瞳は月のような輝きを放ち、魅惑的なものであった。それと同時に醜く、悍ましいほどのオーラが漂っていた。
レイはそのオーラに耐えることが出来なかった。
「ち、近づくな! 気持ち悪い」
咄嗟にそう言ってしまった。
その言葉を切っ掛けにサリエルの何かが外れたのか、殺気のようなものがレイ女から溢れ出る。
「ああ、やっぱ君も同じなんだね」
その声にいつもの愉快さは感じられなかった。狂気と憎しみだけが入り混じった声。
それだけでレイは理解した。サリエルの逆鱗に触れてしまったのだ、と。
そして、彼は一目散にその場から逃げ出した。その場に居れば確実に殺されると思ったから。
「信じてなのになぁ。期待してたのになぁ。でも、やっぱり君も他の人間と一緒」
サリエルはゆっくりと歩き始める。レイが逃げた方向へと、ゆっくりと。
――怖い、怖い、怖い、怖い、まじでヤバい!!!
肌寒く、真っ暗な空間の中でレイは無我夢中で走り続ける。
長い廊下は曲がり道も分かれ道もなく、ただひたすらに真っすぐ続いていた。
ただ、心の中が『恐怖』の2文字で支配されている。
――怖すぎる!!!!!!!!
叫び声を上げようと、恐怖で声が出ない。変わりに出てきたのはさらなる恐怖心。
ひたすらに走り続けて疲れが出てきたのか、それとも恐怖によるものなのか、だんだんと息が荒くなっていく。視界の先は真っ暗で終わりが見えない。
――俺、ここで終わるのかよ。
先の見えない廊下はレイに恐怖と絶望を与え、生きる意志をそぐ。人は恐怖やストレスが慢性的に続くと健康状態に悪く、最悪の場合それが引き金となって死ぬこともあると聞いたことがある。
が、もうこれはこの後死んでしまうのではないだろうか。
生きるためにひたすらに走り続け、そして、やっと一筋の光が見えた。
その瞬間、足先に何かが当たった感触がする。何かの段差のようなものだった。
最終的にはバランスを崩してしまい、ドスン!! と盛大に転んだ。
――まじかよ。
転んでも怪我をしていそうな箇所はどこにもなかった。
が、もう一度立ち上がろうとしても、立ち上がることが出来なかった。決して痛いからという理由ではない。
コツコツ、と後の方から足音が聞こえてくる。その瞬間に全身が震えた。
足音は段々とこちらに近づいてきており、その度、体が恐怖により動くことを拒絶する。
そして自分の吐息とその足音だけがレイの耳の中で響き続け、余韻が残る。
レイはこの状況をやっと理解した。どれだけ逃げても、どれだけ足掻いても、どれだけ必死になろうとこれは『人生の詰み』なのだということを。
レイに残された選択肢はもう『諦める』しか残っていないということを。
そしてもう足音も自分の吐息さえも聞こえなくなった。
恐怖のことで頭がいっぱいであり、五感から感じる情報を無意識に遮断してしまっているのだ。
堅い地べたが赤く染まっており、それがほぼ視覚としての機能を果たしていない目に微かに映る。
それが血だということに気づけたのは十分後のことだった。だが、体にそのような大けがをした痛みがない。
光の方へと頑張って這いずろうとしたその瞬間、全身に急激な激痛が走る。そして徐々に五感から得た情報が流れ込んでくる。
背中に何かが刺さっているようなそんな感覚と熱さと痛みと恐怖が身に沁み込んでいく。
背中に刺さっているのは包丁のようなものだろう。
――背中が痛い
脊髄はやられてはいないのか、手足の感覚はまだ多少ある。
死に物狂いで手と足を動かし、光の方へ進もうとする。が、力尽きてしまい体が動かなくなった。
不思議と先程までの恐怖が頭の中から抜けていく。
死ぬと分かったことで恐怖が薄れてしまったのか、それとも正気が狂ってしまったのだろうか。
レイはただひたすらに願い続けた。
こんな経験はもうしたくないのだ、と。
「――か?」
何か聞こえたような気がするが、もう聞くことすらきつくなってきた。
それともただの空耳か何かだったのかもしれない。それでも聞き覚えのある声だったような気がした。
そして、再度、背中に急な激痛が走る。
「いたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい。いたい、いたい、いたい」
久しぶりに大きな声が出てきたのだが、それは苦痛とともにでた人生最悪の叫び声だ。
なにもかもが無駄なことだったのだ。努力も人生も何もかも。
今度生まれ変わったのなら――、
レイの最後の願いは。
――平穏に過ごせますように。
その時、どこからかカチッ! と音が鳴った。
次回の更新は4月19日です




