ep2 騒がしい朝の始まり
「……まずは、街の人に謝ってこい」
青年の言葉に、黒髪の魔術師はぱちりと瞬きをした。
目の前では、先ほどの爆発によって生じた煙が、まだ薄く広場に漂っている。石畳には黒い焦げ跡が残り、近くにあった木製の屋台は無残にも傾いていた。
幸い、怪我人はいないようだった。
しかし、それはあくまで幸運だったというだけの話である。
「……そうですね。確かに、謝った方がよさそうです」
魔術師は妙に納得したように頷いた。
「他人事みたいに言うな」
「いえ、自分のことですよ」
「分かっているなら、もう少し申し訳なさそうな顔をしたらどうだ」
魔術師は自分の頬に手を当てた。
しばらく考えた後、眉を少しだけ下げてみせる。
「……こうでしょうか?」
「いや、そういう問題じゃない」
青年は額を押さえた。
どうやら、話が通じないわけではないらしい。ただ、物事の捉え方が根本的にずれているようだった。
「ちょっと、そこの魔術師!」
広場の向こうから、鋭い声が飛んできた。
先ほどまで屋台の後ろにいた女性が、腕を組んでこちらを睨んでいる。彼女の足元には、吹き飛ばされた果物がいくつか転がっていた。
「またあんたかい!」
「こんにちは」
「こんにちはじゃないよ! 何度言ったら分かるんだい!」
「今回は火力の調整を間違えただけです」
「それを失敗って言うんだよ!」
女性の声が広場に響く。
青年は、魔術師がどのような返答をするのか、少し興味を持って見守った。
「申し訳ありません。壊してしまったものは弁償します」
「本当に払うんだろうね?」
「もちろんです」
「前もそう言って、結局忘れたじゃないか!」
「……そうでしたか?」
「そうだよ!」
青年は静かに目を閉じた。
どうやら、この魔術師は今回が初めての失敗ではないらしい。
「お前、ここの住人なのか?」
「いえ、旅人です」
「旅人がどうしてこんなに街に馴染んでいるんだ」
「何度か来ていますから」
「なら、少しは学習しろ」
「努力します」
反省しているのか、していないのか。
青年には判断がつかなかった。
その後、魔術師は女性に頭を下げ、壊れた屋台の修理費を支払うことを約束した。女性は最後まで不満そうだったが、彼が本当に財布を取り出したのを見て、ひとまず矛を収めた。
「まったく……。あんたの魔術は綺麗なんだけどねえ」
「ありがとうございます」
「褒めてないよ」
「そうですか」
女性は大きなため息をつき、傾いた屋台を直し始めた。
青年はその様子を眺めてから、魔術師へ視線を戻す。
「……名前は?」
「僕ですか?」
「他に誰がいる」
「キルです」
「キルか」
「はい」
「僕は旅人だ」
「そうなんですね」
「名前を聞かないのか」
「聞いてもいいんですか?」
「別に構わない」
「では、お名前は?」
「教えない」
キルは少しだけ首を傾けた。
「そうですか」
それ以上、尋ねてくることはなかった。
青年は内心で、少しばかり拍子抜けしていた。
普通なら不審に思うか、もう少し踏み込んでくるものだろう。ところがキルは、相手が答えたくないと言えば、それで十分だと考えているらしい。
「それで、あなたはこの街に何をしに?」
「通りすがりだ」
「観光ですか?」
「違う」
「お仕事?」
「違う」
「では、旅?」
「……そうだ」
「なるほど」
キルは納得したように頷いた。
「それなら、ちょうどよかったです」
「何がだ」
「宿屋の場所を教えてもらえませんか?」
青年は数秒間、キルを見つめた。
「……自分で探せ」
「そうですね。そうします」
「そうしてくれ」
青年は踵を返した。
面倒な相手に関わってしまった。
そう思いながら歩き出したところで、背後から再び声が飛んでくる。
「あの」
今度は無視した。
「あのー」
まだ聞こえる。
「すみません」
青年は足を止めた。
「今度は何だ」
「宿屋の場所を教えてもらえませんか?」
「さっき自分で探すと言っただろう」
「はい。でも、せっかくなので」
「何がせっかくなんだ」
「あなたに聞こうと思いまして」
「……」
青年は空を仰いだ。
リュネールの空は、今日もよく晴れている。
旅人を歓迎するような、穏やかな青空だった。
ただし、青年にとっては少々、気が重くなる朝だった。




