第四話 手放すのが怖い
第三章 ANOTHER
第四話 手放すのが怖い
次の日。
咲子は、道場へ行かなかった。
「…………」
自分の部屋。
鏡の前に座ったまま、昨日と同じ姿を見つめている。
蟻を思わせる顔。
蜂の力を宿した大きな腕。
背中には蝶の羽。
人間だった頃とは比べものにならないほど、強靭な身体。
『その身体が、強すぎるんだよ』
「…………」
昨日の言葉が。
何度も、何度も頭の中へ戻ってくる。
咲子は巨大な拳を握った。
「私が……動かしてる」
ゆっくり開く。
「私が考えてる」
もう一度、握る。
「私が戦ってる」
どれも間違ってはいない。
技を選ぶのは自分だ。
相手の動きを見るのも。
間合いを測るのも。
危険な攻撃を寸前で止めるのも。
全部、自分。
空手だって。
昨日今日始めたわけじゃない。
何年も稽古して。
何度も負けて。
何度も悔しい思いをして。
それでも続けてきた。
「…………」
だったら。
これは、自分の強さ。
そう思えばいい。
そう言い切ってしまえばいい。
なのに。
「…………」
昨日から。
どうしても。
その言葉が胸の中で止まってしまう。
◇
咲子は立ち上がった。
鏡の前で構える。
軽く。
ただ、軽く拳を放つ。
――速い。
「…………」
人間だった頃なら。
もっと腰を入れて。
身体の軸を意識して。
余計な動きを削って。
何度も。
何度も繰り返して。
ようやく少しずつ速くなっていった。
でも。
今は違う。
この身体なら。
ただ拳を出しただけで、速い。
一歩。
踏み込む。
「…………」
簡単に距離が伸びる。
力を込めなくても。
身体そのものが応えてくれる。
強い。
間違いなく。
強い。
咲子は。
鏡の中にいる自分を見つめた。
「…………」
もし。
今。
人間に戻ったら。
この速さはなくなる。
この力も。
この頑丈さも。
全部。
なくなる。
また。
届かなくなる。
また。
押し負ける。
また。
あの男子の拳を受けて。
腕が痺れる。
そして。
また――。
『女の子だから』
「…………嫌」
小さな声が漏れた。
「それは……嫌」
もう。
分かり始めている。
この身体の強さと。
自分自身が積み上げてきた強さは。
同じものではないのかもしれない。
それでも。
戻るのが。
怖かった。
いったん手に入れてしまったものを。
もう一度手放して。
届かなかった自分へ戻ることが。
どうしようもなく。
怖かった。
◇
「おねえちゃん!」
「!」
声がした。
咲子が振り返る。
「キッド君?」
そこには則人がいた。
「どうしてここに?」
「きょう、どうじょうにいなかったから」
「…………」
「どうしたの?」
「別に」
咲子は少しだけ目をそらす。
「今日は休んだだけ」
「そっか」
「…………」
則人は。
それ以上、何も聞かなかった。
咲子の隣にいる。
ただ、それだけ。
「…………」
「…………」
先に口を開いたのは。
咲子だった。
「ねえ、キッド君」
「なに?」
「キッド君なら」
「うん」
「もし」
咲子は自分の拳を見た。
「急に、ものすごく強くなれるとしたら」
「つよく?」
「うん」
「どのくらい?」
「……すごく」
「すごく?」
「誰にも負けないくらい」
「おおー!」
則人の目が輝いた。
「じゃあ、欲しい?」
「ほしい!」
「…………」
あまりにも迷いのない即答。
咲子は思わず吹き出した。
「そこは迷わないのね」
「だって、つよくなれるんでしょ?」
「そうだけど」
「ヒーローみたい!」
「…………」
咲子は少しだけ困った顔をする。
聞く相手を間違えたかもしれない。
「でもね」
「うん?」
「それを使うと」
咲子は自分の身体を見下ろした。
「ずっと、この姿でいなきゃいけないとしたら?」
「…………」
則人が咲子を上から下まで見る。
「ずっと?」
「ずっと」
「ごはんのときも?」
「たぶん」
「ねるときも?」
「……たぶん」
「トイレも?」
「そこ掘り下げなくていいから!」
「えー」
「『えー』じゃない!」
則人は。
もう一度、咲子をじっと見る。
「じゃあ……」
腕を組んで。
真剣に考える。
「ずっときぐるみは、いやかな」
「…………」
「つよいのはほしいけど」
「どうして?」
「だって」
則人は。
何でもないことのように答えた。
「ずっとおきがえしたままって、たいへんそう」
「…………」
一瞬。
咲子は何も言えなかった。
やがて。
「ふふっ」
「?」
「キッド君らしい」
「そう?」
「うん」
ほんの少しだけ。
肩の力が抜けた。
◇
「おねえちゃんは?」
「え?」
「まだ、そのままがいい?」
「…………」
来た。
その質問。
咲子は、すぐには答えられなかった。
「……分からない」
「そっか」
「…………」
それだけだった。
則人は。
「戻った方がいい」
とも。
「そのままでいい」
とも言わない。
ただ。
咲子の答えを待っている。
「キッド君」
「なに?」
「私ね」
咲子は。
ゆっくりと話し始めた。
「これ」
巨大な腕を見る。
「最初は、すごく嫌だった」
「うん」
「こんな姿になって」
「うん」
「どうしようって思った」
「うん」
「でも」
拳を握る。
「強かった」
「…………」
「ものすごく、強かった」
「うん」
「ずっと勝てなかった人にも」
「…………」
「簡単に勝てた」
則人は黙って聞いている。
「それでね」
「うん」
「嬉しくないって思ったの」
「…………」
「だから」
咲子が少し笑う。
「最初は、すぐ戻るつもりだった」
「でも、やめたんだよね」
「うん」
「どうして?」
「…………」
咲子は考える。
あのときは。
自分でも、よく分かっていなかった。
けれど。
今なら。
少しだけ言葉にできる。
「惜しかったの」
「おしい?」
「うん」
この力を。
なくしてしまうことが。
「ずっと欲しかったものだったから」
「…………」
「強くなりたかった」
「ずっと?」
「ずっと」
「だから」
自分の拳を見る。
「やっと手に入ったのに」
声が小さくなる。
「なくなるのが、怖かった」
「…………」
「今も」
咲子は。
逃げずに口にした。
「怖い」
◇
則人は。
しばらく考えていた。
「じゃあ」
「?」
「まだ、もどらなくていいんじゃない?」
「…………」
咲子が目を見開いた。
「え?」
「だって」
則人が首を傾げる。
「おねえちゃん、まだこわいんでしょ?」
「…………」
「うん」
「だったら」
則人は少し考えて。
「ほんとうにもどりたくなったときでいいんじゃない?」
「…………」
咲子は。
則人を見つめた。
「キッド君」
「なに?」
「そんな簡単に言っていいの?」
「だめ?」
「…………」
「ぬらりひょんに怒られない?」
「それは、わかんない」
「分からないの!?」
「うん!」
「そこは自信満々に言わないで!」
思わず。
咲子が突っ込む。
そして。
笑った。
「…………」
少し。
楽になった。
今すぐ。
答えを出さなくてもいい。
でも。
いつまでも。
この力にしがみついたままではいられない。
それも。
分かっている。
「…………」
咲子は自分の拳を見る。
そして。
昨日の男子の顔を思い出した。
◇
翌日。
咲子は道場へ戻った。
扉を開ける。
「…………」
中にいた人たちが。
こちらを見る。
「咲子」
「おはよう」
「昨日休んでたけど、大丈夫か?」
「うん」
咲子はいつも通り頭を下げた。
「大丈夫」
それから。
あの男子を探す。
いた。
向こうも。
咲子に気づいた。
「…………」
「…………」
少し。
気まずい。
昨日。
二人は言い合いになった。
咲子は。
ゆっくり近づいていく。
「あの」
「ん?」
「昨日は……ごめん」
「…………」
「私」
言葉を探す。
「ちょっとムキになってた」
「…………」
男子も。
少しだけ目をそらした。
「俺も」
「え?」
「言い方、悪かった」
「…………」
「ごめん」
「…………」
二人の間に。
短い沈黙が落ちる。
やがて。
咲子が口を開いた。
「ねえ」
「なに?」
「もう一回」
男子の顔を見る。
「組手してくれる?」
「…………」
男子は。
すぐには答えなかった。
「咲子」
「うん」
「昨日言ったこと」
「…………」
「変わってないぞ」
「分かってる」
「俺は」
男子が咲子を見る。
「今のお前には勝てない」
「…………」
「それでも?」
「うん」
「…………」
咲子は。
大きく息を吸った。
「これで」
巨大な拳を握る。
「最後にするから」
「…………」
「最後?」
「うん」
この身体で。
この人と戦うのは。
「最後」
男子が。
咲子をじっと見つめる。
「…………」
「お願い」
しばらくして。
男子は小さく息を吐いた。
「分かった」
「…………!」
「やろう」
咲子は。
静かに頷いた。
「うん」
◇
二人が。
道場の中央に立つ。
向かい合う。
礼。
そして。
構えた。
「…………」
咲子は。
男子を見る。
ずっと。
追いかけてきた相手。
勝ちたかった相手。
追いつきたかった相手。
今は。
簡単に勝ててしまう相手。
「…………」
その事実を。
最後に。
もう一度だけ。
自分自身で確かめる。
「始め!」
二人が。
同時に床を蹴った。
※本作は、作者とChatGPT(AI)による合作作品です。物語の企画・原案・世界観・キャラクター設定・物語構成・展開の方向性など、作品の根幹となる部分は作者が制作しています。それらの原案や設定、作者との相談・修正・指示をもとに、ChatGPTが文章化、表現の調整、推敲などを担当しています。作者とAIが互いに案を出し、検討と修正を重ねながら、一つの物語として完成させています。




